史上最悪な王子様につき

皇こう

第1話

大豪邸のサロンと呼ばれる一室。

窓からは手入れの行き届いた英国式の庭園が見渡せる。

部屋の中には一体いくらするのか聞くのが恐ろしい程の調度品の数々が、品よく飾られていた。アンティーク調の豪華なソファにテーブル。そして側にはいかにも代々この家に使えてきました風の、優しそうな口髭を蓄えた執事さん。ただ紅茶を淹れてくれているだけなのに緊張する。

「神崎様、お砂糖はお入れいたしますか?」

「あ・・・じゃあ一つお願いします」

超がつくほど平凡で一般人である俺、神崎綾人、二十歳フリーター。少し伸びた茶色の髪に女顔で丸顔の童顔。このコンプレックスのせいで小さい頃はよく虐められた。

そんな俺がなぜこんな場違いな場所にいるのかというと、それは約1時間前に遡る。


早朝8時、俺はコンビニの夜勤アルバイトを終え、いつも通り帰宅していた。

高校を卒業して2年半、進学する訳でもなく就職する訳でもなく俺は未だフリーター生活を続けている。周りみたく夢があるわけでもないし、これといってやりたいこともない。目標もなくただ単調に毎日が過ぎていった。別にそんな毎日に不満とかはなかったし、見た目も中身も平凡な俺にはこんな平凡な日々が合っているのかな、とすら思っていた。毎日充実していそうな友人たちを見て、決して羨ましくないわけではない。しかしもう既にそういう人たちには追いつけない程の溝が出来てしまっているのは、いくら鈍感な自分でも気づいている。

昨日と同じ光景。むしろ一昨日も一週間前とも同じだ。

普段なら真っ直ぐ帰る道のりを、今日はなんとなく少し遠回りした。一人暮らしの家に早く帰ったところで、誰かがおかえりと言ってくれるわけでもない。こんなことばかり考えていると悲観的なようだが、別段そんなにネガティブな訳ではないのだけど。

日曜日ということもあって早朝の住宅街に人影はない。ただひたすらとぼとぼと歩いていると、なにやら電信柱の下でうずくまっている人影が見えた。急に気分でも悪くなったのだろうか、俺は急いでその人影に駆け寄った。

「あの、大丈夫ですか?救急車とか呼びましょうか?」

「あぁ、いえ。持病の喘息が出てしまっただけですので・・・ゴホッゴホッ」

「おうちこの辺りですか?良ければお送りしますよ」

うずくまっていたのはかっちりとしたスーツを着た品のある紳士だった。咳き込んでいる背中をゆっくりさする。

「屋敷は、すぐそこなのですが・・・」

「じゃあ背中に乗って下さい、送ります」

そう言うとしゃがみこみ背中を見せた。一緒に歩くよりおんぶしていった方が早いし、この人もきっと楽だ。もしかしたら家の人が心配しているかもしれない。

「いや、でも・・・」

「困った時はお互い様っすよ。ほら、遠慮せずどーぞ」

「本当に申し訳ありません。ありがとうございます」

俺はそのまま紳士をおんぶすると、言われた通りの道を歩いた。

そういえばこの辺りは近所だというのに初めて通る。きょろきょろ周りを見渡すが、なんの変哲もない外壁が続くのみだった。なるべく振動しないようにゆっくりと歩みを進める。それにしても先程からずっと同じ外壁が続いているがこの建物は何なんだろう?こんな馬鹿でかい建物なんかあっただろうか。このあたりは高級住宅街で、俺の住むアパートとは反対方向だ。いつもバイト先との往復で、記憶を辿ってみてもこのあたりに来るのは初めてだった。

そのまま長い外壁沿いを歩き、ようやく長い外壁の門までたどり着いた。その時背中から「ここです」と言う言葉が聞こえ、言われるがままに俺は足を止めた。紳士をその場に降ろすと、手慣れた様子で門に取り付けられたインターホンを押す。

「・・・まじで」

「私こちらの花龍院家の執事をしております渡瀬と申します。助けて頂いたことを旦那様にご報告させて頂きたいので、一緒にお屋敷まで来ては頂けませんか?」

執事?旦那様?テレビでしか聞いたことのないワードが渡瀬さんの口から出てくる。

「あ、いえ、別にそんな大したことしてないんで」

「そう仰らずに。ご迷惑でなければお茶でもいかがですか?」

散々遠慮する言葉を並べたが、やんわりと受け流されてしまった。こういう人の良さそうな人程押しに強いものだ。

そして俺は現在超場違いながら、サロンと呼ばれる部屋でこの家の主人が来るのを待っている。

「旦那様はもうすぐいらっしゃるそうなので、少々お待ち下さい。お時間は大丈夫でしょうか?」

「あ、はい。バイト終わったばっかなんで大丈夫です」

「左様でございますか、お仕事帰りでお疲れでしょう。そんな中助けて頂いて・・・本当神崎様はお優しい方です」

「そんな!俺本当普通のことをしただけなので・・・っ」

ガチャッ

その時サロンの扉が開きスーツ姿をした長身の男性が入ってきた。

「旦那様、おはようございます。先程お話させていただいた神崎様がお待ちでございます」

「あぁ、・・・ん?このチビっこいのか?」

緊張してドキドキしていた鼓動が一気に平静に戻る。え、今この人俺のことチビって言った?仮にも成人男子なんですけど。

「うちの渡瀬が世話になったそうだな」

「あっ、いえ、別にそんな大層なことは・・・」

「俺はこの家の当主で花龍院正宗だ」

花龍院さんはそう言うと俺の前にどかっと座った。旦那様っていう位だからどんなおじさんが出てくるかと思ったけど、現れたのは30代半ば位の超超超がつくほどのイケメンな男だった。しかしさっきの物言いといい、なんなんだろう、この威圧的な雰囲気・・・正に蛇に睨まれたカエル状態だ。

容姿は良いけど高圧的で性格が悪そうな感じ。

「渡瀬は俺にとって父親代わりでな。いつもフラフラ出歩くなと言っているんだが、全く聞かん。のたれ死ぬまで分からんつもりらしい。で、お前名前は?」

「えっと、神崎綾人です」

「綾人か。朝食は摂ったか?まだなら付き合え」

初対面なのに呼び捨て。しかも命令口調だし・・・お金持ちってみんなこんな感じなのだろうか。

俺の中で花龍院さんに対するイメージがジェットコースターのように急降下していく。

「あの、今日はもう帰りま・・・」

「・・・は?」

「い、いえっ!なんでもないです!」

今の目つき怖い、怖すぎる。ちょっとちびりそうになってしまった。くそ、あんな目で睨まれたら断れる訳ない。絶対あの人平気でリストラ宣言とか出来る人だ。あぁ、なんでこんなことになっちゃったんだろう。そう後悔して、人知れずため息を吐いた。

花龍院さんに半ば強制的に連れられ、先ほどのサロンから長いダイニングテーブルのある部屋へと移動する。

おずおずと席に座ると、メイド服を着た女性が次々に料理を運んできた。

その時ふと自分の格好を振り返る。普通のジーパンに適当に買ったアメコミキャラの描かれたTシャツにパーカー・・・これは完全に場違い過ぎるんじゃないだろうか。

しょうがないんだ、いつも通りただバイトに行って帰るだけだと思ってたんだから。でも出来ればバイト前の自分に教えてやりたい・・・そして今日は真っ直ぐ帰るんだと言い聞かせたい。

「どうした?食べないのか?」

「あ、いえ!いただきます」

まさか自分の格好が場違い過ぎて食事が喉を通りません、とは言えるはずもなく。俺はベーコンエッグの入った皿をつついた。

「旦那様、神崎様は少々緊張なさっている様ですよ」

「は?なんだお前人見知りなのか?」

天然か、この人天然なのか。それともただ単に空気が読めないのか。

「いや、あまりに豪勢なお宅で・・・なんか場違いだなぁって思って」

「別に大したことない。ところでお前こんな朝早くから何をしていたんだ?家出少年にしては何も持っていないようだが」

「違います!ってか俺もう20歳なんで。朝早いのはコンビニで夜勤アルバイトをした帰りだからです」

今の今までコンビニのアルバイトを恥ずかしいと思ったことはなかった。でもこんなハイスペックな人を目の前にしたら・・・めちゃめちゃ言いづらい。

「コンビニ?あぁ、俺も1回行ったことがあったな。あれの仕事っていうのは何をするんだ?」

なぜか花龍院さんは少し興味を持ったみたいだ。っていうかコンビニに1回行ったことあるってどういうことだ?今のご時世にコンビニを利用しない人なんているのか?それともただ単にバカにされてるのだろうか。

「あー、えっとメインは接客で、レジ打ちしたり商品出ししたりですかね。俺は深夜が多いんであんまりお客さんは来ないんですけど」

「ふーん、そうか。では今度行ってみることにする」

いやいやいや、全然来なくていい。むしろ来られても困る。

フォークでサラダのトマトを突き刺すと、上手く刺さらず中身がグチャッと飛び出した。あぁ、トマトにまで拒絶されている気分だ。

「仕事が休みの日は何をしている?」

さっきから質問ばかりが続く。

もしかして・・・気を使ってくれてるのか。いや、まさかね。

「えっ、まぁ友達とカラオケ行ったりゲーセン行ったり、ファミレスでずっとダベったり・・・って普通ですね。面白くなくてすいません」

「それが普通・・・なのか。俺は一つもやったことがない」

しまった。コンビニに行かない人の普通と俺の普通が一緒な訳がない。それにしても一つもやったことはいって普段どんな生活してるのだろうか。さっきからちょいちょい格差というか、喧嘩売られて気がする。

これ以上質問されたら自分の惨めに立ち直れなさそうだ。俺はパッと顔を上げると、今度は自分から質問を投げかけた。

「あの・・・花龍院さんは、どんなお仕事してるんですか?」

「ん・・・別に普通だがKRIグループホールディングスのCEOをしている。まぁ俺がしているのは視察とか会議位だが」

は・・・?普通?これがコンビニに行かない人のなのか?ツッコミたいことが多すぎて思考回路が追いつかない。

KRIグループホールディングスっていえば確かホテルチェーンとかショッピングモールとか飲食店を経営している会社だよな。CMとかもバンバンやってるし、昨日も俺そのショッピングモール行ってた。

まさかそんな大企業の社長と今こうして朝ご飯食べてるなんて・・・益々場違い過ぎる。だめだ、自分から質問しておいて急所を突かれた感じになってしまった。

「へ、へー・・・すごいですね。次元が違います」

「祖父の代からの会社だからな、別に俺の力じゃない。世間的にはただのお飾りのボンボンだ」

そう言うと花龍院さんは少し自嘲気味に笑った。もしかしたらそういうことって言われるの嫌だったのかもしれない。

「あの・・・別にそんなことないと思います。今日初対面ですけど花龍院さんは威圧感あるし、社長っぽいし存在自体にオーラあるし。カリスマっていうか、俺なんかとは全然違って・・・凄い人だと思います!」

一気にまくし立てると、しーんと辺りが静まり返った。目の前の政宗さんは驚いたように目を丸くしている。しまった。俺絶対今変なこと言った。

「って俺なんか変なこと言ってますよねっ!あー、差し出がましいこと言ってすいませんっ!」

思わずフォローしてしまったけど、こんなガキにフォローされても嬉しくないよね。恥ずかしくて死にたい。俯いていた視線をゆっくり上げると、花龍院さんはこちらを見てふっと笑った。

「お前よくお節介だって言われるだろう」

「う・・・すいません」

「でもまぁ褒め言葉だと思っておく」

「へ・・・あっ、はい!」

それから少したわいもない話をして俺は家に帰った。車で送ると言われたけど、さすがにそれはお断りした。

帰り道後ろを振り返るとまだ花龍院家の塀が見えている。さっきまでなんの建物がわからなかったそこは、まさかの自宅で俺は今までそこにいたんだ。

「本当別世界の人だよなー」

ふとケータイに視線を落とす。どこか夢見心地な中で、新たに加わった花龍院さんのメモリだけが変に現実味を帯びていた。


初めて花龍院家を訪れてから1ケ月。

俺はあれから度々花龍院さんに呼び出されていた。

自分じゃ一生行けないだろう高級なご飯屋さんに連れていかれて、マナーも分からず泣きそうになったり。出来もしないチェスに誘われて超恥かいたり。スカッシュっていうスポーツを初めて知ったり・・・まぁこれは最近ちょっとハマってる。

俺の中で別世界の人だった花龍院さんは、いつの間にか距離の近い存在になっていた。そして、初めて会った時から思っていた威圧感もそれ程感じなくなっていた。相変わらず性格はひん曲がってるしオラオラだし強引だけど。

「綾人」

「あっ、正宗さん」

俺は花龍院さんの命令で下の名前を呼ぶようになった。でもこれは未だに慣れない。

「役員共がトロくさいせいで会議が長引いた。待たせたか?」

「いえ、大丈夫です」

運転手付きの車に乗るのは慣れた。扉を開けて貰って車に乗ることに初めは相当ドギマギしてたけど、人間慣れって恐ろしい。

「腹が減った。お前は?」

「さっきバイト終わったばっかなんでお腹空いてます」

「そうか、じゃあ先に飯にしよう。何が食べたい?」

「うーん、麻婆豆腐とか辛いものですかね」

「残念だな、俺は洋食の気分だ」

じゃあ聞くなよ、と心の中でツッコミを入れてぷーっと頬を膨らませる。本当正宗さんは横暴だ。基本的に本能のままに生きている感じがする。いや、きっと本能のままに生きてるな。

結局夕ご飯は中華になった。なんだかんだ言って正宗さんは俺の意見を尊重してくれる。まぁオラオラなところは変わらないけど。

有名な高層ビル前で車を降りシックな雰囲気のお店に入る。お店の中はお洒落過ぎて中華料理店って感じではなかった。正宗さんの後に続き回転テーブルのある個室に通される。中華といってもやはり俺の行くような近所のラーメン屋とは程遠い。

席に着き正宗さんは店員に適当に注文を済ませた。基本的に政宗さんとごはんを食べるときは勝手に料理が出てくる。どういう仕組みなのかは謎だ。

しばらくすると見たこともないような鮮やかな料理が運ばれてきた。どれもこれも美味しそうで、ゴクリと喉を鳴らす。

そして俺の前には食べきれない程の麻婆豆腐が置かれた。なにこれ、新手の嫌がらせかなにかか?一体何人前頼んだんだよ。

結局俺は1人で大盛りの麻婆豆腐をなんとか食べ切り、テーブルに突っ伏した。ダメだ、もう何も食えない。

「美味しかったけど気持ち悪い・・・」

正宗さんは隣で食後の一服をしている。この人ほとんど食わねーし。っていうか図体の割に食べる量少ないんだよ、この人。

チラリと隣を見る。

そういえば正宗さんは恋人っていないんだろうか?こんなイケメンでお金持ちなら性格に難があっても異性が放っとく訳がない。

「正宗さん、あの、俺結構呼ばれてますけど彼女とか会わなくても大丈夫なんですか?」

「は?お前はそんなこと気にしなくていい」

ふーっと顔に煙を吹きかけられる。

「ゴホッゴホッ!ふざけんなっ、ったく!すいませんねー、出しゃばって!もう聞きませんよーだ」

「綾人はこうして俺と会うのはいやか?」

「タバコ吹きかけられるのは迷惑です。ってかいつも強引に呼び出すじゃないですか、何なんですか今更」

「イヤならやめる」

ジッとこちらを見つめる政宗さんの瞳はいつにも増して真剣だ。その瞳はどこか悲しそうで、居た堪れなくなってプイッと目を反らす。

「別に・・・本当に迷惑だったらこないですから」

俺の言葉に一瞬目を見開くと、すぐにいつもの無表情に戻った。なんとなく嬉しそうな顔した気がするけど気のせいかな。

この人たまに凄く寂しそうな目をするから、時々心配になる。

「そうか」

正宗さんの一服も終わり、俺たちは車に乗り込んだ。

「正宗さん、いつもご馳走になっちゃってすいません」

「別に、気にするようなことじゃない。それよりまだ時間あるか?」

「あっ、はい。明日はバイト休みなんで」

「そうか。じゃあとりあえずうちに向かうぞ」

正宗さんちの豪邸も始めほど驚かなくなった。まぁ今住んでるボロアパートに帰るとあまりのギャップに泣きそうになるのだけど。

「お前一人暮らしって言ってたか?」

「あ、はい。高校卒業したら実家を出る約束だったので」

うちの親は放任主義だ。18歳を過ぎたら一人前扱いで、あっという間に家を追い出された。それから2年間貧しいながらもなんとか一人暮らしをしている。

「そうか。家事はどうしてる?」

「適当にですけど自分でしてますよ。あっ、でも節約のためになるべく自炊はしてます」

「自炊か、俺には縁遠いな」

「でしょうね」

そりゃあ超お金持ちの正宗さんには一人暮らしも節約も自炊も関係ない話だ。

「料理楽しいですよー。それに料理出来る男ってモテるんですって」

「ほう、お前モテたいのか」

声だけで分かる。くそ、完全にバカにされた。確かにそんなことしなくてもモテる人はモテるだろうけど。

「どうせ俺はモテないですよー。正宗さんはさぞおモテになるでしょーね」

「別に興味のないやつに好かれても嬉しくないだろ。それに・・・いや、なんでもない」

なんだよ、なんで今こっち見た?思わず目を反らし窓の外に向けた。夜の街はこれから帰る人や出掛ける人で賑わいを見せている。なんか・・・変な感じだ。

「ま、正宗さんって一人暮らししたいと思わないですか?」

声が上擦る。この空気が嫌で、話題を変えたのがバレただろうか。

「どうだろうな、今まで家を出ることなんて考えたことないからわからない・・・でもお前と出会って外に出たいと思うことが多くなった」

「へ・・・?」

それは花龍院家の人たちにしてみたらかなり迷惑な話じゃないだろうか。正宗さんは花龍院家の当主で企業のトップで・・・決して俺なんかに触発されてはいけないのに。

「そう、ですか」

窓の外の景色を眺める。街のネオンがキラキラと眩しい。

その時の俺は、こちらを見つめる正宗さんの視線に気付かなかった。


家の近くの通い慣れたファミレス。

給料日前ということもあり、俺は小学校からの友人である宮田修二とドリンクバーのみで2時間居座っていた。

幼なじみの修二は俺から見ても二枚目で人当たりもいい好青年だ。フラフラしてる俺とは違い、真面目に大学生をやってる。こいつとは隠し事もなくなんでも話せる間柄で、お互い気も使わないし俺にとっては一番心を許せる相手だ。

今日の主な会話の内容はもちろん正宗さんのこと。

出会った経緯や何度か頻繁に呼び出されることを話していく。

「ふーん、でもなんで花龍院さんはそんなにあっくんを呼び出すのかな?」

「わっかんない。金持ちの暇つぶしとかじゃない?」

「あっくんもそんなの無視すればいいのに」

「俺がそういうこと出来ないって知ってるじゃん」

俺はコーラのストローに口付けブクブクと息を吹いた。流石にコーラばかりそう飲めるものじゃない。次はオレンジジュースにしようか。

「あっくん優しいもんね。でも本当イヤなら無理することないって」

そう言いながら修二はニコッと笑った。あー、きっとこの笑顔に女の子たちは落ちるんだろう。修二は基本的にいつも温和でニコニコしてる。昔からこいつが怒ってるとこなんか見たことない。だからモテる。高校のバレンタインなんてチョコ20個も貰ってたし。

「んー、別にイヤって訳じゃないんだけどさ。それに今日も会う約束しちゃってるし」

「そう、なんだ。でもやっぱり住む世界が違うだろうし・・・やめときなよ」

「・・・えっ、なんか修二怒ってる?」

なんだかいつもと雰囲気が違う気がする。煮え切らない態度をしてる俺に腹がたったのだろうか。

「怒ってないよ、ってか俺があっくんに怒るわけないじゃん」

「そ、そうだよなー!びっくりした。ってか、正宗さんも顔はいいんだから修二みたいにいつもニコニコしてれば良いのに。ってまぁそれはそれで気持ち悪いけど」

「あっくんさ、もしかして花龍院さんのこと・・・」

「ん?なに?」

「・・・いや、なんでもない」

修二はいつもみたいににっこり笑った。そして俺は再びストローに口をつけた。


「お邪魔しまーす」

「いらっしゃいませ、神崎様。旦那様はもう少々お仕事をされるそうなので、こちらでお待ち下さい」

「あっ、はい。わかりました」

俺は渡瀬さんに案内されてサロンの椅子に腰掛けた。渡瀬さんの淹れてくれる紅茶は絶品だ。それは密かに正宗さんを待つ時の楽しみだったりする。

「神崎様、いつもおいでいただきましてありがとうございます」

「あー、いえいえ。どうせバイト以外暇ですから」

今日はラベンダーティーだ。一緒に美味しそうなクッキーが出される。

「神崎様とご一緒の時の旦那様は凄く楽しそうにしておりますので、私もホッとしているのです」

「えー、あれで楽しそうなんですか?俺には眉間に皺の寄った仏頂面にしか見えないですけど」

「私は旦那様がお生まれになられてから32年間ずっとお側にいますので、とても嬉しそうなのが分かるのですよ」

本当にあれが嬉しそうな表情なのかな?いや、どう見ても不服そうだ。普通楽しい時は笑うもんな。

でも・・・正宗さんってどんな顔して笑うんだろう。

ガチャッ

「ふー・・・全くバカばっかりで嫌になる」

ほら、めちゃめちゃ不機嫌そうだ。その証拠に眉間の皺がいつもより3割増してる。こういう時の正宗さんは機嫌が収まるまでほっとくのが得策だ。

「お疲れ様でございました。今お茶をお淹れ致します」

「あぁ」

「こんにちは」

「待たせたな。・・・疲れた」

「いえ、俺も今来たところなんで」

本当いつも仏頂面だ。無駄に顔はいいんだから笑えば絶対もっと・・・、いやいや何考えてんだ俺は。

「何百面相してる?気持ち悪いぞ」

「き、気持ち悪いってなんっすか!もー、会って早々そういうこと言うかなー」

「ふっ、直ぐに頬を膨らませて子供かお前は」

あっ、笑った。なんだよその不意打ち。どうしよう・・・ちょっと嬉しいかも。

「正宗さんもっと笑えばいいのに」

「ばか、面白いこともないのに笑えるか」

「まぁそれはそうですけど。じゃあ正宗さんは何してる時が一番楽しいんですか?」

正宗さんはテーブルに肘を着き、俺の方をじっと見ている。

「綾人といる時」

ドキッ。心臓がバクバクと鼓動を早める。

「・・・はは、なーに言ってるんですか!残念でした、俺は男だからそんな言葉で落ちませんよー」

「それは残念だな」

あれ?なんだこれ。顔が熱くて心臓が口から飛び出そうだ。ドキドキして正宗さんの方が見れない。

「そ、そういうのはこんなむさ苦しい男じゃなくて、可愛い女子に言うもんですよ!」

「綾人は可愛いよ」

なんでこの人はそういう恥ずかしいことをツラツラと・・・っ。そうやってからかって遊んでるんだ、超性格悪い。

「う、うるさいっ!ばーかばーか!」

「なんだ、急に。変な奴だな」

変なのはお前だ、と言える筈もなく俺はすっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。この気持ちの正体に気付かない方がいい気がする。気がついてしまったらきっともう戻れない。

頭の中で警鐘が鳴り響く。俺はしばらく正宗さんの顔を見れずに俯いていた。


「乾杯ー!」

今日はめちゃめちゃ久しぶりに合コンに参加していた。最近の俺は正宗さんとばっかり会ってたし、たまには可愛い女の子と話したい。そう思ってた矢先に、高校時代の友達から合コンの誘いがかかったのだった。

しかも今日来てる女の子たちは可愛い子ばっかり。あぁ、神様ありがとう!ここで彼女が出来れば正宗さんから自然にフェードアウト出来るかもしれない。

あれ以来なぜか正宗さんのことを変に意識してしまって、気まずい感じが続いていた。まぁ俺が一方的にドギマギしてるんだけど。

元々住む世界が違うんだ、これを機にフェードアウトしてしまった方がいいと思う。いや、いいに決まってる。

「神崎君は普段何して遊んでるのー?」

グイッと生ビールを飲み干すと、隣の女の子にニコニコ声を掛けられた。なんか髪の毛とかふわふわしてるしいい匂いするし、やっぱ女の子はいいな。

「うーん、最近はチェスとかスカッシュしたりしてるかなー」

「え・・・っ?そ、そうなんだぁ。なんか・・・珍しいねぇ」

し、しまった。最近は正宗さんとばっかり一緒にいたから、つい非日常的なことを答えてしまった。

「・・・っていうのは冗談で!カラオケとかゲーセン行ったり、連れと飲んだりしてるかな!」

「あっ、そうなんだー!そうだよねぇ、チェスとかスカッシュ?してる人なんて聞いたことないもん」

「あはは・・・だよねー」

正宗さんの家にはスカッシュ専用ルームがある。普通家でそんなんする人いないよな。今日は普段の俺でいいんだ。平常心、平常心。

「あっ、そういえばこの間テレビで言ってたんだけど、○○ヒルズにミシュランで3つ星をとった中華料理屋さんがあるんだってー!凄いよねぇ!一生に一回は行ってみたいなー」

「あれ?そこ先週行ったとこかも」

「えっ?」

し、しまった。俺はバカか?普通一般市民があんな高級な中華食いに行かないだろ。ここにいる全員の視線が痛いほど突き刺さる。

「えっと、俺の知り合いが連れてってくれたんだよ!俺は一般市民だから一人じゃ絶対行けないから!」

「そうなんだぁ!神崎君そんなお金持ちの人と知り合いなんて凄ーい。どんな人なの?」

「あー・・・えっと、信じられない位金持ちで無駄にイケメンかな。あっ、でも性格は悪いよ!傲慢だし威圧感ハンパないし!いつも俺のことからかって遊んでるからムカつくし」

俺は一体なんで合コンで正宗さんの話をしてるんだ?せっかくの出会いのチャンスなのに。くそ、正宗さんの呪いだ。そうに違いない。

結局その後も上手く会話できず、合コンはお開きになった。当然女の子の連絡先を聞く勇気もなくて・・・なんてヘタレなんだ俺は。

ピリリリッ

ポケットから聞きなれた電子音が聞こえる。取り出してみると花龍院 正宗の文字がディスプレイに表示されていた。今この人の電話に出る気分じゃない。しばらく手に持ったまま迷っていると電子音は途絶えた。

(あっ、無視しちゃった・・・一回ぐらいまぁいいよね)

ピリリリッ

再び電子音が鳴る。あの人のことだからこのままだと延々とかけてきそうだ。仕方なく渋々通話ボタンを押す。

「もしもし・・・」

「遅い、早く出ろ」

「いやいや、俺だって用事で出られないことありますから!で?なんですか?」

「今何してる?」

「ば、バイトです・・・っ」

ふと横から視線を感じる。恐る恐る振り向くと、俺の真横に黒塗りの車が停まっていた。後部座席の窓がゆっくりと開き、今話しているはずの電話の相手が顔を出す。

「へー、バイトね」

し、しまった。っていうかなぜ政宗さんがここに!?

「安心しろ、偶然通りかかっただけだ。乗れ」

「えっ、いいです。もう帰るので!」

「乗れ」

もう、なんだってこの人はこんなに強引なんだ!流されてしまう俺も俺だけど。

そのまま俺と正宗さんを乗せた車はキラキラした街を抜けていった。

そしてなぜだか俺は今正宗さんの部屋でお酒を飲んでいる。

あれからそのまま拉致られて断る暇もなく部屋まで直行だった。

正宗さんはというと俺の隣でパソコンに向かい、黙々と仕事をしている。別に仕事があるなら俺いる必要ないじゃんか。

渡瀬さんが持ってきてくれた色んなお酒をおつまみと一緒にちびちびと煽る。それにしてもどれも美味しい。さっきまで居酒屋で安いお酒を飲んでたせいかな。

俺は絶対正宗さんと出会って舌が肥えたと思う。それも全ていちいち高級なものを与えられるせいだ。いけないいけない、これじゃ凡人の感覚がなくなってしまう。

「お前あんなとこで何してたんだ?」

「えっ、あ・・・えっと、飲み会に行ってました」

「そうか。楽しかったか?」

「別に・・・そんな、楽しくなかったです」

あんたのせいでな!とは八つ当たりになるから言わない。

グラスに入った氷をカラカラと回す。綺麗な琥珀色の液体が氷をゆっくりと溶かしていく。やばい、ちょっと酔ってきたかも。

美味しいお酒って知らず識らずのうちにペースが上がってしまうから怖い。

「あのー、前から思ってたんですけど、正宗さんはなんで俺を呼び出すんですか?暇つぶしなら適当に女の子とか誘えばいいのに。嫌がらせですか?」

「なんだ、酔っぱらったのか?」

「べっつに酔ってないですー!ただ俺なんかといても楽しくないでしょうし」

「楽しい楽しくないは俺が決めることだ」

正宗さんは一度もパソコンから顔を上げない。なんだかそれが無性にムカついて、邪魔をするように正宗さんの服を引っ張った。

「おい、飲み過ぎだバカ」

「うっさい!バカって言う方がバカだー」

「・・・子供か」

「どぉせ俺はガキですよー。ガキだし何も取り柄ないしモテないですよ!」

「別にそこまでは言っていないだろ」

正宗さんの大きな手が俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。いつの間にかその視線は俺を捕らえていた。

「触んな、セクハラだ」

なんでだろう、酔ってるからか正宗さんがいつもよりかっこよく見える。キリッとした瞳とかスーッと通った鼻筋とか。なんで同じ人間でこうも違うのだろう。

「綾人は可愛いよ」

「うっさい、男に可愛いって言われても嬉しくないし」

俺は今どんな顔をしてるだろう。多分顔は赤い。でもきっとそれはお酒のせいだ、そうに決まってる。

「そんな顔して誘ってんの?」

「ば・・・っ!誰がっ」

瞬間唇に暖かい感触が伝わる。余りの衝撃に頭の中が真っ白になった。唇は角度を変えて何度も重ねられる。

ゆっくりと唇が離されると正宗さんの視線は再びパソコンに戻された。

「あとちょっとで終わるから待ってろ」

「・・・はっ!?ちょっ、え?!このタイミングで言うことそれ?!」

正宗さんは黙々とパソコンに向かいキーボードを叩いている。いやいや、無視かよ。

っていうかなんで俺も拒否しなかったんだ。

正直いや・・・じゃなかった。男にキスされて気持ち悪い筈なのに。本当に嫌だったら殴ってでも阻止できた筈なのに。なんで?解けない疑問ばかりが頭の中をぐるぐるして・・・わからない。

途中で頭がぱーんっとなりそうになり、いかにも高そうなソファにダイブした。やっぱり高級なソファは違うな、俺んちのベッドより断然寝心地良いもん。

そして俺はいつの間にか意識を手放していた。


「おい、起きろ」

なんだろう、さっきから体をゆらゆら揺すられる。せっかく人が気持ち良く寝てるのに。

「起きないなら犯すぞ」

ガバッ!一瞬で意識が覚醒する。勢いよく体を起こすと、目の前にはいかにも不機嫌そうな正宗さんが立っていた。

「お、はようございます・・・」

「あぁ。人が仕事してんのに呑気に寝てるとはいいご身分だな」

「す、すいませんっ」

一体どの位寝てしまったんだろう。自分の体にブランケットが掛けられていることに気がつく。正宗さんが掛けてくれたんだろうか。っていうか今何時?

「寝るならベッド行け」

「は?!いいです!帰ります!」

「お前タダ酒した上寝てたくせによく帰るなんて言えるな」

「そ、それは・・・っ!ってか元々あんたが勝手に連れてきたんでしょーが!」

「あー煩い。とりあえずベッド行くぞ、眠い」

言うなり正宗さんは俺を担ぎ上げた。確かに俺はひょろいし背なんか正宗さんより10cm以上低いけど、この扱いは恥ずかしい。それに同じ男として情けな過ぎる。

「ちょっ、降ろせって!」

「ジタバタするとこのまま大理石の床に落とすぞ」

それは・・・物凄く勘弁して欲しい。

仕方なく大人しくすると、正宗さんは部屋の奥の扉を開けた。そこには何サイズ?ってくらい大きなベッドが置かれていた。

トスンッと静かにベッドの上に降ろされる。

すると急に正宗さんが目の前でシャツのボタンを外し始めた。

「ちょっ!何やってるんですかっ!」

半分脱ぎかかったワイシャツの下からは引き締まった胸元が見える。その姿は男の俺から見ても非常にエロい。なんで仕事ばっかりしてるのにそんな腹筋割れてんの?

「何ってスーツじゃ寝れないだろうが」

「って言ってもまさかパンツ一丁で寝る気ですか?!」

俺が言葉を言い終わる前に正宗さんはパンツ1枚でベッドの上に横たわった。

「いつもは裸だが、今日はお前がいるからな。配慮してやってんだ、有り難く思え」

「いやいやいや、なんでそんな偉そうなんですか!せめてTシャツとか着て下さいよ」

「いやだ、煩わしい。それとも何か?俺がこの格好だと欲情して眠れないか?しょうがない、だったらなにか・・・」

「しません。そんなものするかっ!もういい寝る!半分よりこっち来ないで下さいよ」

そう言い切り反対側を向く。ベッドがこれだけ広くて良かった。これなら普通に1人で寝てるのと変わらない。いや、むしろ半分でも広い位だ。

ふー、っと気を抜いた瞬間背後に温もりを感じた。そしてそのまま抱きしめられる。

「俺こっち来ないで下さいって言いましたよね」

「それ了承してない」

「じゃあ了承して下さい」

正宗さんの肌が、息が、体温が直接伝わってくる。

心臓の音が煩い。これじゃあ俺がドキドキしてるみたいじゃないか。いや、なんで俺ドキドキしてるんだ?男に抱きしめられてるから?それとも・・・正宗さんに抱きしめられてるから?

「なぁ、お前は俺のことが嫌いなの?」

「・・・べ、別に。嫌い、とかじゃないですけど」

「じゃあ好きなんだな」

「いやいやいや、なんでそうなるんですか。あんたの頭の中は好きか嫌いかの2択しかないんですか」

「じゃあなに?」

何って聞かれても、わからない。なんなんだ?正宗さんは俺にとって、なんなんだ?

「・・・ムカつく人」

「ふっ、お前は本当素直じゃないな」

「俺は素直ですよ!だったら正宗さんはどうなんですか!」

「好きだよ。綾人のこと、好きだ」

一気に身体中が熱くなる。耳元で囁かれる言葉に全身が反応する。

「や・・・っめて下さい」

「なぁ、俺のものになれ」

「いやですっ、なんで俺なんですかっ!」

「なんでだろうな。でも綾人が可愛くて仕方がない」

正宗さんはそのまま俺をぎゅっと抱きしめた。なんだろう、凄く胸の奥が苦しい。

「い、いつからそんな目で見てたんですか」

「どうだろうな・・・気づいたらお前のことしか考えていなかった。一生人を好きになることなどないと思ってたんだがな。お前だけだよ、こんなに俺が感情を出したのは」

目の前の正宗さんは愛おしいものを見るような目をしている。本当その顔でそんな言葉反則だ。

「お前酷い顔だぞ」

「今言うか?!っつーか誰のせいだと思ってんだよ」

正宗さんは俺の顔を撫でながら、ふっと笑った。それは今まで見た中で一番優しい顔で、不覚にもちょっと愛おしいと思ってしまった。

「で?お前はどうなの?」

「へ?何が?」

「俺のこと。好きなの?」

顔が近い・・・ダメだ、この雰囲気に流されたらいけない。でも俺の意思なんかもうとっくに奪い去られいて、もうこの腕から逃げることなんかできない。

「・・・嫌い、じゃないです」

「なんだそれ。はっきり言えよ」

「は、はっきり言ってますよ!嫌いじゃないですっ」

これでもかなり譲歩した方だ。この状態でそう答えられた自分を褒めてやりたい。

「まったく、素直じゃねぇな。まぁ今はそれで良しにしてやる」

正宗さんの大きな手が俺の頭をヨシヨシと撫でる。あぁ、ちょっと幸せかもなんて思ってしまった俺はバカなのだろうか。

「でもな、お前絶対俺のこと好きだぞ」

「はっ?!ない!そんなこと絶対ないっ!」

やっぱりさっきの言葉却下。撤回する。

こうして平凡な俺とハイスペックな王子様の攻防戦は幕を開けたのである。

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