第55話 「意識高い系の神」 妖怪「選ばれた民」登場


    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



真知子まちこ先生の様子がおかしいんだ。おかしいというのは言い過ぎか。……いや、やっぱり変なんだよ」

 内村先生が相談を持ちかけてきた。


 シンイチは今、絶不調なのである。小鴉からは火は出ないし、ねじる力もつらぬく力も出ない。一本高下駄も千里眼も葉団扇も壊れた。電車に乗ってでも遠野へ戻り、大天狗に相談しようと土日を待っている状態なのだ。月火水と、妖怪「カリスマ」騒ぎを必死におさめ、きのうの木曜、妖怪「バレてない」をみじん切りにし、ようやく金曜が巡ってきた。明日、ようやく遠野へ行ける。

 だがそれとは関係なく、事件は起こるものだ。シンイチは初恋の人で内村先生の現恋人、音楽の真知子先生の異変も気にかかっていたが、だからこそてんぐ探偵の理解者、内村先生に、正直に今の状況を話すことにした。


「天狗の力が……出ない?」

「……うん。心の闇は見える。名前も分かる。でも小鴉はウンともスンとも言わない。一応、みじん切りにすれば小さい火は出るみたいだから、妖怪退治は出来ないことはないけど……」

「……大丈夫なのか?」

「かなりヤバイんじゃないかなあ。天狗面つけてようやくそのレベルみたいでさ、一本高下駄も千里眼も葉団扇も壊れて、不動金縛りもさっぱりさ。あとはかくれみのだけだよ。残ってるのは」

「ううむ。……ヤバイな」

「明日遠野へ戻ろうと思うんだ。でも真知子先生は心配だ。『心の闇』が取り憑いてるかどうかは見れば分かるけど……。先生今、音楽室?」

 二人は音楽室で、授業をしている真知子先生を覗き見た。ピアノの鍵盤に触れる長い指はとびきり美しく、少年の心を相変わらずどきどきさせる。このまま永遠に眺めていたい、絵画のような美しい瞬間だ。ただひとつのことを除いては。

「妖怪……『選ばれた民』」

 シンイチは真知子先生の肩の、派手な色の妖怪の名前を告げた。アクアブルーのボディに、バーミリオンレッドの目と口を見開き、ニヤニヤと笑っている。目つきは鋭く、傲慢な色をしていた。


「どうも変な宗教のセミナーに、通ってるくさいんだよ」

 職員室で、内村先生は最近の真知子先生の異変を語りだした。

「もともと彼女は体がそんなに強くなくて、喘息もちなんだ。秋に入る寒い日なんかに、夜中に発作を起こすこともあるそうだ」

「喘息の発作って、呼吸が出来なくなるんでしょ。相当苦しいよね?」

「子供のころなる人が多い。大抵は、大人になって体力がついたら治る。でも彼女はときどき発作が出る程度にしか、治らなかった。今でこそ薬も発達したけど、子供の頃なんか、一度発作が起きたら、呼吸が出来ない不安に耐えながら、膝を抱えておさまるまで待つしかなかったそうだ」

「……それがその変な宗教に入った原因?」

「そのセミナーはさ、『波動が満ちてる』んだって」

「……はい?」

 内村先生の話によればこうだ。彼女は気功治療が喘息に効くかもと思い、近所の道場に通いはじめたのだという。そこで知り合った人が「神水」を勧めてくれたのだそうだ。ある人の「気」を閉じ込めた水で、その人の気功治療を受けたような効果があるのだという。

「うさんくせえ」

「でもさ、はじめて飲んだ日に、たまたま調子が良かったらしいんだ」

「へえ。でもたまたま良かった日に、水を飲んだってこともあるよね?」

「さすが頭が回るね。てるてる坊主を吊るした日に車で事故を起こしたからといって、てるてる坊主と事故の因果関係があるわけではない。人の心は、それについ関係を求めてしまうんだけどな。神水をすすめた人が『つながる会』なる団体に所属していて、そのセミナーに彼女を誘ったのさ。どうも怪しいなと思ったのは、『水に毎日ありがとうと言うと正しい結晶になり、悪い言葉をかけると変な形の結晶になる』って教えの話をしてるからなんだけど」

「え、それ、まじ?」

 内村先生はネットを開き、その比較をしている二枚の写真を出した。左の写真は正しい六角形の綺麗な結晶で、右の写真は結晶になれなかった、歪でぎざぎざの塊だった。左が感謝の言葉を毎日聞かせた水、右が汚い言葉を浴びせ続けた水だという。

「気持ちは水に影響する、とか、水は心を記憶する、とか、言霊の証明とか言われて物議を醸した写真だ。けど実は、これ以来、誰もこの写真を撮ることに成功していないんだよ」

「えええ」

「つまり、再現性のない実験だった。これ一回しか、成功していない」

「それって、スタップなんとかみたいじゃん!」

「そうだな。科学とは、やり方が正しければ、誰が何回やっても同じ結果が出ることを扱う。一回ならば偶然だろ。あるいは、……詐欺かだ」

 そう言って内村先生は引き出しからペットボトル入りの水を出した。「波動の神水」とラベリングしてある。

「飲んでいい?」

「いや、変な粉とか入ってたら嫌だから、口をつけない方がいい」

「……たしかに」

「とにかくこの素晴らしい『神水』を五人に売れば、彼女のステージがひとつ上がるらしいのさ。彼女は自腹でこの水を買って、仲の良い人に勧めているだけだ、と言っているが」

「?? どんどん怪しくなってきたぞ」

「気功にはステージがあってさ、自分で鍛える段階と、他人との関係性で鍛えていく段階があるんだと。それで他人に波動を分け与えれば、それだけ修行のステージが進むんだそうな」

「そんな修行、聞いたことないよ!」

 気功は練丹術といって、中国で発展した不老不死を得る為の修行法が、現在に枝分かれして残ったものである。似たような行法は日本にも伝来し、密教、修験道、禅などに一部を残している。とくに不老不死を求める修験道では、シンイチは全てを習ったわけではないが、原理的なものは大天狗に習った。直系のやり方を知っているシンイチには、どうもその説は嘘っぽく傍流くさい。

「インチキ臭いなあ。それに、ねずみ講っぽいじゃん?」

「俺が引っかかったのは、まさにそこだよ」

 ねずみ講は、江戸時代に流行したインチキ商法だ。まず一人(親)が、ある団体に入りたい人を五人集めてきて、紹介料を取る。その五人(子)は、各自五人ずつ集めて(孫)紹介料を取る。ただし、子は親に一部を上納しなければならない仕組みである。初期段階から親になった人ほど上納金が次々入る。彼らは「組織が巨大になれば私たちと同様に儲かるから」と常に子や孫に説明する。孫はひ孫を、ひ孫は玄孫を次々に探し、勧誘する仕組みである。だが実際にはすぐに破綻する。なぜか。末端を大きくするには、想像以上のスピードが必要だからで、それは現実にはほとんど不可能だからだ。ねずみは人の想像以上に早く増えるため、ねずみ算という和算が江戸時代にあった。この計算法が、まさにねずみ講と同じアルゴリズムなのである。現代ではねずみ講は禁止だ。それは七十年代に、無知な人々を集めて億単位の総被害を出した、ねずみ講の事件が何度もあった為である。

 似たものにマルチ商法がある。たとえば五人に商材を一端買わせ、それぞれが勝手に売って、利益が上納金代わりになるビジネスだ。ネットワークビジネス、紹介ビジネスなどと呼ばれることもある。ねずみ講の仕組みを、商材の存在で分りにくくカモフラージュしているのが特徴だ。五人が各自五人に売り……という構造は同じであり、今回の「神水」も同様であることを内村は感づいた。ねずみ講の本質的な欠陥については、のちのち内村に論破してもらうとして、ここでは話を先に進めよう。


「で、ちょうど今夜、金曜の夜にその団体、『つながる会』の集会セミナーがあるらしい」

「……今晩?」

「主宰者は神野じんの由宇ゆうって怪しいオッサンだ。俺はそこに潜入してみようと思うんだ」

 シンイチは腰のひょうたんから天狗のかくれみのを出した。これがもし壊れたら、天狗の道具はあと天狗面と小鴉。

 神野なる人物の信者たちは、妖怪「信者」や「カリスマ」のような、集団の闇に取り憑かれていると予想される。妖怪「選ばれた民」ということは、彼らは教祖に「選ばれた」という自負があり、それが彼らの闇なのだと予測できる。宗教団体の集会セミナーの相手。大規模な妖怪退治になるかも知れない。だが恐れている場合ではなかった。真知子先生の命がかかっている。

「かくれみので……オレも潜入する」


    2


 東京、九段の古い建物のホールを借りて、「つながる会」の「講演会と交流会」が行われていた。内村は「ちょっと神水の話を聞いてみたい」と、真知子先生に随伴し、シンイチはかくれみので姿を消してあとをつけた。

 全員の顔が見える広さの会場は、間接照明でおしゃれに暗く、ロウソクが燭台に乗せられて影を揺らめかせている。軽い立食パーティに、様々なスーツ姿の男女や学生が名刺交換しながら話をしている。この会はBYOB(酒各自持参を意味する意識高い系の人が好む用語。Bring Your Own Bottleの略)のルールで運営されている。それ以外の飲み物は全て「神水」が供されている。

 そこでの主な話題は、「いかに海外留学をしてボランティアをしてきたか」というものだった。ニューヨークやロンドンよりも、シアトル、メルボルン、エジンバラなど、ややマイナーな街のホームステイ経験の方が尊ばれた。

「それはすぐシェアしないとね」

「そうやって社会のインフルエンサーになってゆくのです。フォロワーは自動的に増える。つながりの力ですよ」

「最近は株価ニュースも英語で見た方がグローバルな気がしてきました」

「自分への投資を怠るのはダメですね。自分磨きというか、結果にコミットするというか」

 シンイチは話がちんぷんかんぷんだった。みんな妖怪「横文字」に取り憑かれているのかと思うほどだ。しかし「横文字」ではなく、「選ばれた民」が皆に取り憑いているのであった。かくれみのの中では「横文字」のときと同じようにネムカケが訳してくれるが、そのときと同様、たいした中身ではないようだ。

「シンイチ、妖怪の様子はどんな感じだ」

 内村先生は、透明のシンイチに耳打ちする。

「そうだね。ほぼ全員に取り憑いてるよ。真知子先生と同じ『選ばれた民』が」

「選民思想みたいなことかな。なんか意識高い系っぽい会話だし」

「意識高い系って?」

「自分たちはハイソサエティでソフィスティケイトされてる、みたいなふりをすること」

「なんだ、横文字使ってカッコつけてるってことか」

「ああ、ざっくり言うとその通りだ」


「それはまだ低ステージの考え方だね」

 会の中の古参が若手を諭し、テーブルの上の「神水」を取り、キャップを開けた。

「我々はむしろ大衆の給仕サーバントさ。我々は選ばれた。神野さんにだ。縁あって、理由があって神野さんにこの会に入ることを許された。なぜだ? その意味を考えなきゃ。最初は神野さんの教えを吸収し、体に浸み込ませるのに力を注ぐのは分かる。しかし、その教えを普及させなきゃ、次のステージへは向かえない。いつまでも低ステージで、形だけのミッションをくり返すだけだ」

 内村は「ステージ」が気になり、他の会員と談笑していた真知子先生に聞いてみた。

「今ステージはいくつなの?」

「入ったばかりだから、20よ。ひとつずつステージが上がるたびに、人間としての器も大きくなり、人の位が上がるのよ」

「ふむ。それは、神水を売ればいいのか?」

「それは些細なことよ。神野さんの教えの普及のほうがだいじよ」

「それって……」

「言ったでしょ? つながりよ」

 そこにいた会員たちも同じ表情で微笑んだ。

「そう。つながりなのです」

 まるで洗脳集団だ。内村はため息をつき、教祖神野の登場を待った。どんな奴か見極めてやろう。

 本当にこの「つながりの会」と「神水」が真知子の為になり、教えの実践が世界の役に立つのなら、多少のインチキ臭さにも目をつぶるとしよう。だけどこの教団は、たったひとつの過ちにおいてインチキなのだ。そう確信したからこそ内村は潜入した。しかも教祖神野は「超能力者」だ、という怪しげな追加情報を内村は入手していた。


 間接照明がゆっくりと暗くなった。部屋の奥から、仕立ての良いスーツに身を包んだ、恰幅の良い男が登場した。「つながる会」主宰、神野由宇。なにやら気功のような動作をし、電源の繋がっていない蛍光灯に手をかざすと蛍光灯が明滅した。

「おおお」と「選ばれた民」たちはどよめく。

「一人、この気を受けたい人」

 一人の男が手をあげ、神野の前に出た。神野が握手をするとバチッと火花が手に走り、電気が走ったような衝撃を男は受けた。

「おおお」と拍手。「気の力」を目の前で見たのである。

 神野は人差し指を上げ、皆の注目を集めた。カリスマ性のある男だった。

「つながりは宝」

 あとに続き、「選ばれた民」たちは唱和した。

「つながりは宝」

 神野は用意された銀色のソファーに腰掛けた。ライティングのせいか、後光がさしているようにも見える。

「さて今日は何の話をしようか。五次元世界の入り口、第六ステージの魂の上昇アセンションの話はしたよね。次の第七階層の話をしようか」

 突然シンイチはかくれみのを脱いだ。

「いまの、手品じゃん!」

 皆は突然出現した子供にとまどった。

「夏休み少年科学教室で見たよ! 中世の魔術師が人々を驚かせる時にやったことなんだってさ!」

 望まれぬ珍客に、皆は驚いた。

「静電気を体に溜めることができるんだぜ! 握手でバチッとなったのは、気じゃなくて静電気! 静電気を体に溜めたら、蛍光灯が静電誘導で光るんだ! その奥の部屋に、摩擦で静電気溜めるマシンがあれば出来ることだぜ!」

「エボナイト棒。小学生の理科で教えることだな」

 内村は勇気を出して、シンイチに続いた。

 二人の闖入者に、「選ばれた民」たちはざわついた。

 神野は民たちを片手で制し、威厳溢れる声で言った。

「勿論科学でも可能なことかも知れんが、私の気功でも同じことが出来ることを示したのだよ?」

 内村は、ここだと思い前に出た。

「あなたは超能力者でもなんでもない。経歴を調べさせてもらった。FCファシリテーテッド・コミュニケーションで有名な、ドーマン研究所にいたそうだな」

「FC?」とシンイチは尋ねる。

「重度の自閉症児の横について、文字盤を指す指を補助してあげることで、彼らがコミュニケーション出来ることを示した。FCと呼ばれ、画期的発見と思われたんだ。NHKが『奇跡の詩人』として取り上げるほどね。だがインチキだったのさ。コックリさんと一緒でね、十円玉を指で動かすのと同様、介助人が指を誘導してたんだ。NHKも間違いを認めその後撤回したけど、撤回を伏せて『奇跡の詩人』だけ取り上げる輩があとをたたない」

 神野は表情ひとつ変えなかった。この程度の追求には、慣れているのかも知れない。

「それもどうでもいいかも知れないな。たった一つにおいて俺は納得していない。『神水』はマルチ商法だ。ねずみ講の原理を使ってて、それは日本ではとっくに禁止されてる」

 内村はシンイチに目配せし、自分に注目を集めさせた。喋る間にシンイチがかくれみのを被って消える計画だ。神野は反論した。

「ねずみ講だって? 馬鹿馬鹿しい。この水を飲めば病気も治るぐらい気が整う。しかも無理矢理売ってこいって訳じゃない。何本か欲しければ買い、他人に薦めたかったら薦めればいいだけのこと。人々のネットワークで皆がハッピーをシェアする、理想的な仕組みじゃないか。ネットワーク全てがWin-Winの関係になる、ネットワークビジネスだ」

「5人に売ればステージは上がるんだよな?」

「そうだ。誰でも5人ぐらい友達はいるだろう」

「真知子。高校理系数学の質問をするぞ」

 突然、内村は真知子先生を指名した。

「日本の人口を一億二千万人とする。5人ずつに売り続けて会員を増やすシステムでは、最初から見て何段階ステージ行けば日本人全員がつながる?」

「え?」

「一億二千万を5で割るぞ。二千四百万。末端は、ステージ二千四百万か?」

「いえ、5人が5人ずつに配って、25、125と増えていくから……」

「そうだ。単純に5で割っちゃダメだ。実はこれを求める方法は、文系は高校では教わらない。理系、つまり日本人の三割以下しか教わっていない」

「えっ」

「答えは、log_5(一億二千万)だ」

「? ログ?」

「表に書くぞ」


   ステージ1 5^1 = 5

   ステージ2 5^2 = 25

   ステージ3 5^3 = 125

   ステージ4 5^4 = 625

   ステージ5 5^5 = 3,125

   ステージ6 5^6 = 15,625

   ステージ7 5^7 = 78,125

   ステージ8 5^8 = 390,625

   ステージ9 5^9 = 1,953,125

「ステージ9で二百万人だ。ミリオンヒットの倍だな。こっからが早いぞ!」

   ステージ10 5^10 = 9,765,625

   ステージ11 5^11 = 48,828,125

   ステージ12 5^12 = 244,140,625(二億四千万)

「たった3ステージ後のステージ12で、日本の人口を軽く突破だ。つまり、11<log_5(一億二千万)<12だな。このシステムを指数増加という。ぼくらの直観よりも、ずっと速いスピードで増えていき、しかも加速し続けるんだ。江戸時代はねずみに譬えたけど、現代ならゴキブリってとこだな。ゴキブリは直線的にではなく、加速度的に増える」

   ステージ13 5^13 = 1,220,703,125

   ステージ14 5^14 = 6,103,515,625

「たった2ステージ後、世界の人口並になる」

「……」

「そして真知子。きみはステージいくつ?」

「入ったばかりだから……ステージ20と言われました」

「な? 14ステージで世界が埋まるのに、今20っておかしくない? それって永遠に上に行けないシステムだよね?」

「なかなか面白い話をする」

 神野は表情を崩さなかった。

「5人だから破綻するのだろう。我が会はステージが上がれば3人に伝達すればよいようになっている」

「それも詭弁だな! じゃ、log_3(一億二千万)を計算してみようか?」

 関数電卓を出し、内村は一発で答えを出す。

「16.9。ステージ17で日本人口を超える。ついでにlog_3(七十億)は? 20.6。たった21ステージだね」

 これを聞いた「選ばれた民」はざわつきはじめた。

「つまり。ここにいる人は皆文系で、基礎解析という高校理系の数学を習わなかった人たちなんだな。いいかい? 君はステージいくつ? 君は?」

 内村は不安そうな人々を次々に指差した。

「人々の喜びや悲しみをシェアして繋がろうという『つながる会』の思想自体は正しいかも知れない。問題はそこじゃない。問題は、インチキ集金システムだ」

「……」

 神野は表情を崩さない。ひょっとしたら想定内だったか、と内村はこの先の展開を考えた。そこへシンイチがかくれみのから現れた。

「見つけたよ! 奥の部屋にあったやつ!」

 モーターと金属球をくっつけた簡易的なものだった。モーターでこすり、金属球に静電気を溜めるタイプだ。

「ハイ!」

 とシンイチは蛍光灯に電気を灯した。ぱらぱらぱら、と、蛍光灯が明滅する。

「ハイ握手!」

 とさっきの信者に握手を求め、バチリと火花を出させた。

「誰がやっても同じように再現できる。それが科学!」

 シンイチはさっき習ったことをドヤ顔で自慢した。

 最後の望みを託すように真知子先生が言った。

「でも私……喘息の発作が『神水』で止まったわよ」

 内村はさらに論破する。

偽薬プラシーボ効果かも知れないね。抗鬱剤と言って小麦粉の糖衣錠を処方したら、鬱に効いた例は有名だ。トニックウォーターとライムだけで人工ほろ酔いにする実験もある。シベリアンハムスターの免疫システムにすらプラシーボが効いたという。つまり、動物や人には自分を治す力があって、それにスイッチを入れると治ることもあるんだ。安心が最大の薬だって話もあるしね」

「……」

「事故の日にたまたまてるてる坊主を吊るしてたからといって、てるてる坊主と事故が関係があると考察するのは科学的ではない。それをあるように思うのは何故か? 『そう思いたい心』があるからさ。つまり、君は不安だったんだ」

 「選ばれた民」たちはしんとなり、内村が従者シンイチを連れた救世主のように見えているのかも知れなかった。従者シンイチが口を開いた。

「要するにさ、人は無知で、全知全能じゃなくて、不安なのさ。いつもどうしようと思うことに耐えられないんだ。だから安心したいのさ。もうこれ以上考えなくていいですよって安心させられたら、ころっと騙される。しかも、なにもしなくていいですよって言われるより、これだけをやっとけば安心ですってのに弱いんだ。だって考えないほうが楽で、流れに乗っかったほうが楽だもん。手が動いてると安心するもん。集団心理ってのはさ、めいめいが考えを放棄して、ひとつの流れに乗っかった時に起こると思うんだよね」

 「信者」もそうだった。「スケープゴート」も、「カリスマ」も、集団に取り憑いた心の闇には、一定の特徴があった。

「あなたたちは、選ばれたんだ。思考停止をして騙しやすい相手としてね。それが『選ばれた民』の正体だ。『選ばれた民』はアホなのさ。意識高いふりして、中身がないのを横文字で盛ってるのさ」

 「選ばれた民」たちは俯いて、誰も反論できなかった。内村は追い討ちをかけた。

「ちなみにもう少し数学の授業を受けるか? さっきの指数増加。ステージが上のほうが、受け取る報酬はあの増加率でゴキブリ的に増えていくぜ。それを、搾取と言うんだ」

 神野が言った。

「私は、子羊たちを、迷いから脱却させてやろうと教えているのだ」

 シンイチはすかさず言った。

「教えられるだけで身につくなら、全員テスト満点でしょ! 全員東大合格だよね!」

「たしかに」、皆がそう思った瞬間、「選ばれた民」は人々から外れ、宙に浮遊した。


 さあ、ここからどうやって斬るかまで、シンイチは考えていなかった。

「内村先生! これだけの人の前で天狗になるのは……」

「そうだ!」

 内村先生は会場のロウソクを取り、椅子にのぼって天井の熱感知器に向けた。非常ベルが響き、会場がスプリンクラーのシャワーに包まれる。皆は悲鳴を上げ、次々に会場から出て行った。

 残ったのは、内村先生とシンイチ、そして妖怪「選ばれた民」たち。

「天狗の火は、水に弱いんだけど!」

 シンイチはかくれみのを被り、水に濡れないようにして天狗面を被った。

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「こんだけのみじん切り、いくぜっ!」

 とにかく細かく何度も、シンイチは火の出ない小鴉で斬った。五回、十回、二十回。

「まだか! まだ火は出ないの?」

 五十回みじんに切ったあたりから、ようやく火がついた。妖怪たちは清めの塩へと浄火されてゆく。

「みじん切りで……ドントハレ!」

 スプリンクラーから降る猛烈なシャワーを浴びて、天狗のかくれみのはばらけ、分解し、ただの藁の束に戻ってしまった。


 残りは天狗面、火の出ない小鴉、ひょうたんのわずか三つ。

 明日こそ遠野だ。シンイチは緊張と疲労がピークに達し、その場で膝から崩れ落ちた。



 シンイチは気絶するように眠っていた。内村はシンイチを背負い、家まで送り届けることにした。真知子先生はその横を静かに歩く。

 内村が言った。

「喘息は、一生かけて治す病気だ。今なら治療法もある」

「知ってる。……それを一足飛びに治せる、夢の方法があると思っちゃったのよね」

「『太陽の下に未知の事象はない』という精神分析の言葉もあるさ」

「……うん」

「……つき合うよ。その治療に、一生、つき合うぜ」

「え?」

「安心が最大の薬になるのなら、僕はきみを不安にさせない。俺はそう思って、きみといるつもりだ」

「……」

 真知子は内村の手を握った。

「これじゃさ。私があなたに『選ばれた』みたいで嫌だから、私があなたを『選んだ』ことにする」

 真知子は内村にキスをした。

 これが二人の、事実上のプロポーズだった。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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