第53話 「流行という熱病」 妖怪「カリスマ」登場

    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 シンイチの窮状ピンチとは何の関係もなく、とんび野四小の日常はすすんでゆく。

 てんぐ探偵が校内パトロールをコツコツ続けたせいで、今や滅多なことでは妖怪「心の闇」は出没しなくなっていた。転校生が来るなど大きな変化が日常に加わるとき、その不安や緊張に呼応するように、「心の闇」が取り憑いたぐらいだ。

 今日の「変化」はシンイチの隣のクラス、五年三組で起こった(この三組には、シンイチの「雨の日の将棋友達」タケシがいる)。

 その変化とは、美少女転校生の登場だった。

木下きのした……理美りみです」

 彼女は黒髪をかきあげ、長い睫毛をぱちくりさせ、はにかんで挨拶した。三組の全男子は恋に落ち、全女子は負けを認めた。


 休み時間は、黒山の人だかりが質問攻めだ。どこに住んでたの? 前の学校でもモテた? 髪留めの黄色いゴム、カワイイ。

「ありがとう」

 理美の微笑みに全男子はクラリと立ちくらみを起こし、全女子は憧れのまなざしを向ける。

 理美は鮮やかな黄色いゴムで髪をまとめ、黄色いスカートをはいていた。

「黄色似合うね!」と女子が話しかけた。

「ありがとう」

 その天使のような声に、全三組が神の声を聞く。


 情報通の公次きみじが二組にも、美少女転校生理美の情報を運んできた。

「みんな三組見ろよ! すっげーカワイイ転校生だ!」

 女子のリーダー、黒谷くろたに千尋ちひろが早速見に行ってダッシュで帰ってきた。

「神光臨!」

 二人の情報を受け、大吉だいきちもススムも、はる芹沢せりざわも席を立ち、ゆうもなつきも七瀬ななせ有加里あかりもミヨも席を立った。男子も女子も、みんなこぞって隣のクラスを見に行く。

 噂を聞きつけた一組の連中も廊下に溢れ、三組の中も外も、ちょっとしたパニックだ。

 集団心理。人が一斉にひとつのものに集中するとき働きやすい心理。こういう時は「心の闇」が取り憑く絶好のチャンスだ。シンイチはそう直感し、美少女転校生よりも周囲に気を配りはじめた。不幸中の幸いか、妖怪「心の闇」が見える力は、まだシンイチからは失われていない。山の中でも「全知全能」はクッキリ見えたし。

 だが理美の美少女ぶりを見て、うっかりシンイチも魂を抜かれそうになった。

「マジかわいい」

「むう。……流石に美少女ぶりでは私は敗けを認めざるを得ない」

 シンイチの隣で、冷静にミヨが言った。

「アレ? こういうとき、ミヨちゃんよく怒るくせに」

「女は、中身で勝負です」

 ミヨはふっきれたように笑う。以前のミヨならば妖怪「みにくい」に取り憑かれたことだろう。しかしミヨは、心の闇を克服するたびに強くなっていくように思える。それは、大人になる階段を上ることかも知れない。

 幸い、「心の闇」はどこからも来ていない。シンイチはひと安心して、美少女詣でが一段落するのを待つことにした。


 次の日からは、五年生は理美ブームだ。女子はみんな黄色いゴムで髪を縛り、黄色いスカートをはいてきた。黄色いリボンがなければ黄色いミサンガ、消しゴム、ノート、黄色い傘。女子も男子も黄色ブームだ。幼稚園の黄色い帽子を被ってきた強者も現れたし、将棋好きのタケシは黄色い将棋盤と、黄色い駒を自作してきた。

 理美のようになりたい。理美の真似をしたい。理美と一体化したい。

 担任の十津川とつかわ先生はそのブームに気圧されながら、宿題の提出を皆に言った。

「ハイ宿題の提出!」

 皆出したが、理美だけ出さなかった。

「どうした木下? 宿題忘れたのか?」

「前の学校でやった問題だったので、特に必要性を感じなかったので」

 理美は堂々と答えた。あまりにも悪びれない態度に先生は押された。全三組は理美に惚れ直した。


 休み時間の廊下で、理美信者の女子たちは先程の「神対応」の話ばかりしている。皆黄色いリボンかスカートだ。黄色いものを身に着けることが「信者の証」であるかのようだった。

「さっきの理美ちゃん、マジかっこよくて惚れたし!」

「宿題をやってなくて惚れ惚れさせるなんて、マジ神!」

「あの人は、私たちより『上』の人なんだよね!」

 三人の影が廊下に落ちていた。三人の影が、一点で重なりそうで重なっていない。その隙間のような真ん中に、突然ひとつの点のような影がにじみ、急速に成長した。それは地面から盛り上がる立体となり、黒い色から命を持った鮮やかな黄色となり、目鼻や手足が生まれて、妖怪「心の闇」となった。

「妖怪……カリスマ」

 偶然、シンイチはその廊下に居合わせた。

「心の闇が……人の影から生まれた?」

 シンイチは今初めて、妖怪「心の闇」が生まれる瞬間を目撃した。

 これまで、シンイチも天狗たちもネムカケも、妖怪「心の闇」はどこか暗い森の泉や、都会の裏の吹き溜まりのような場所から湧いて出るものだとイメージしていた。そこから風に乗り、人々のため息を嗅ぎつけて、取り殺して増えていくと。

 しかし「泉」とは、どうやら人の影だったのだ。「心の闇」とは、流行り病のように外から来るものではなく、人の内側から生まれていたのだろうか?

 すべての妖怪「心の闇」がこのように生まれるとはまだ断定できない。だが、「心の闇は心から生まれる」と考えたほうが、むしろ自然に思える。


 妖怪「カリスマ」は、理美の黄色と同色だった。三人の女子のうち、一番近い子の肩に着床しようとした。

「小鴉!」

 不動金縛りも出来ないままのシンイチは、咄嗟に、火の出ない火の剣を抜いた。踏み込みざま、「カリスマ」を中心から斬ってみた。もちろん彼女たちには、隣のクラスの変な男子がオモチャ剣を振り回しているようにしか見えない。

「げっ!」

 「カリスマ」は二つに増えた。驚異的な細胞分裂力を持った「カリスマ」は、半分体からうねうねと成長し、二体の完全体となった。

「ちきしょう!」

 また斬ると、四体に増えた。四体は風に乗り、教室の中の四人の肩に取り憑き、根を張ってしまった。

「くっそう!」

 仮にシンイチに天狗の力が残っていたとしても、集団心理の伝播力に、手が出せなかったかも知れない。皆が同じ心のとき、ひとたび一種類のウイルスが感染すれば一気に伝染、蔓延する。全員が同じ心にあることは、「心の闇」の増殖のスピードを上げる。仮に一体だけ斬れたとしても、他から増えた妖怪が取り憑いてしまうだろう。

 教室を見てシンイチは目を疑った。全員の影の重なりから、黄色い心の闇「カリスマ」が生えてきた。一滴水滴をたらしたら全て発芽する、菌床のようだ。うねうねと黄色い妖怪「カリスマ」は増え、皆の「理美を上だと思う心」に取り憑いてゆく。あっと言う間だった。シンイチは何も出来なかった。ほとんどのクラスメートに、妖怪「カリスマ」が取り憑いてしまったのである。


   2


 かつて似たような集団心理型の「心の闇」に、転校生芹沢に憧れた女子たちに取り憑いた妖怪「信者」がいた。あのときは鼻毛一本という幻滅で決着がついたが……。

 シンイチはミヨちゃんに相談することにした。


「女子たちが憧れの女の子に幻滅するって、どんな時?」

 シンイチはミヨに洗いざらい告白し、助けを求めた。いま天狗の力が出ないこと。心の闇の生まれた瞬間。先日の「信者」の話。

「……それは困ったわね」

「うん。困ってる。……妖怪の数も多いし、てんぐ探偵最大のピンチかも知れないよ」

 ミヨは考えて言った。

「でもさ、幻滅して終わりなら、『信者』よね? それとは性質が違うから、『カリスマ』って別の名前と形と色なんでしょ?」

 ミヨの考察はなかなか鋭い。シンイチはその頼もしさに少し冷静になる。

「たしかに。……だとするとどうやったら外れるんだ? ていうか、『カリスマ』ってどういう現象?」

「みんながみんな、理美ちゃんをカリスマ教祖として崇めてるってことよね?」

「うん。でも、木下さんに『カリスマ』が取り憑くんじゃなくて、崇める人の心に『カリスマ』が取り憑いてるのが解せないんだ。『カリスマは、集団側がつくる』ってこと?」

「人気バンドとか、宗教とかと一緒? じゃあ、死んでも治らなかったりして」

「それじゃみんな取り殺されちゃうよ!」

「でもさ、今までの妖怪にはぐんぐん成長する場合も、うまくバランスを取りながら長いこと付き合うパターンもあるじゃない?」

「でも、長い間苦しみが続くかもだぜ?」

「むむ」

「……敵の正体が分からないのに悩んでもしょうがない。まずはカリスマ信奉者と話をしてみよう」


 しかしどの子も、理美への心からの崇敬を嬉々として語るだけだった。神の光臨だとか、帰依とか、彼女が「国会にテロ」と言ったら喜んで命を捧げるとか。ヘンテコ宗教の狂信者で、しかもそれに喜びを感じている。そのへんは「信者」の症状にそっくりだ。

 が、「信者」と違って、教祖の幻滅は何の効果もなかった。

 体育で彼女が前転できなければみんな前転出来ず、彼女が給食を全部混ぜて汚く食べても皆が真似した。彼女がうっかり宿題を忘れれば皆忘れる。彼女が消しゴムを落としたら全員が落とすし、彼女が風呂嫌いで髪の毛を洗わずに来たら、みんな頭が臭い始末。


 シンイチは理美に話を聞こうにも、常に彼女の周りに人垣だ。この三日間、彼女が一人になる隙は一秒もなかった。

 こうなったら強引にでも彼女と話をしなければ。皆に取り憑いた黄色い「カリスマ」は、ゆっくりだが徐々に膨れ上がってきている。シンイチはついに三組に乗り込み、群がる信者達の前で堂々と告白した。

「屋上で、二人きりで話がしたい」

「ハア?」と「カリスマ」の取り憑いた信者たちは露骨に敵意の視線をシンイチに投げた。

だがシンイチは引き下がらない。

「カリスマに、きみはなりたくてなってるの?」

 その言葉を聞き理美は立った。信者たちはどよめいた。


   3


「友達ができなくて寂しい」

 屋上で、理美は漏らした。

「前の学校でもそうだったの。なんか、崇められるみたいになっちゃうの。で、私の為にケンカするのね。ケンカはやめてって言ってもやめないの」

「はあ……そこまでは『信者』と同じだな」

「?」

「いや、こっちの話さ。つまり木下さんは、この状況を望んでないんだね」

「うん。友達が欲しいだけなんだけど。……その話をする為に屋上まで来たの?」

「そうだよ! オレは木下さんがみんなを奴隷にする、悪の帝王じゃないかと思ったのさ!」

「そんな、ただの普通の人です」

 シンイチは「悪の帝王」っぽい恐ろしげな顔でおどけた。

「そうみたいだね! 悪の帝王なら、宿題は忘れないし、前転も出来るよね!」

「ひどい! 結構私気にしてるのよ!」

 理美はシンイチをぶち、はじめて笑った。

「あはは。これでオレと木下さんは友達! 友達なんてすぐに出来るもんだよ!」

 シンイチは走っていった。一体教祖になにをするつもりかと柱の陰から見ている信者たちをかきわけて、軽やかに去ってゆく。

「変な子!」

 理美は呟いた。そうして理美は一人笑った。


「やっぱ本人はとまどっているんだ。周りが御輿に担ぎ上げてて、本人は嫌がってる。『信者』の時とソックリだ」

 シンイチはミヨに相談した。ミヨは嫉妬に頬を膨らませている。

「?」

「シンイチくんが木下さんに告白した、ってことに世間ではなってるみたいだけど?」

「告白? 何それ」

「好きだ、恋人になってくれって」

「は? ちげーよ! てんぐ探偵として、彼女の事情を聞いてきただけさ!」

「ほんとに? 夏休み、私をぞんざいに扱ったくせに」

「だからあれは妖怪『天狗』のせいだって、何度も言ったじゃんよう!」

「えへへ」

「?」

「必死で言い訳するシンイチくん、面白い!」

「なんだよ、からかったのかよ!」

 じゃれ合っている場合ではなかった。その日の午後、「第二のカリスマ」が誕生したからである。


   4


 シンイチのクラスの二組を挟んで、理美の反対側の一組に、その新しい教祖は誕生した(ちなみにそこには、のちに小説家になる、図書館通いの尾道おのみち頼斗よりとがいる)。

 彼女の名は藤原ふじわらすばる

 華やかな美少女の理美とは違い、地味めでメガネをかけた優等生タイプの女の子だ。勉強優秀、体育も出来、宿題は決して忘れない。発生のタイミングがいつだったのか、隣のクラスだった為正確なところはシンイチには分からない。だが、二人のカリスマが対照的であることだけは、なんとなく分かった。

 第一の教祖、木下理美。美少女、宿題を忘れる、体育できない、給食を残す。黄色いスカート。

 第二の教祖、藤原昴。真面目、宿題はパーフェクト、体育優秀、給食完食。紫のスカート。

 昴を崇める人々は、彼女のスカートと同色の、紫の「カリスマ」が取り憑いていた。今まで黄色の「カリスマ」が取り憑いていた人が、次々に紫の「カリスマ」に宗旨変えしてゆく。


「なんだこれ? ……クラスが紫と黄色の二色に染まっている……」

 シンイチだけが、このケミカルな二色の混ざり合いに吐き気を覚えていた。ミヨはもちろん妖怪は見えていないから、シンイチの気分を想像するしかない。しかしシンイチを見れば、その異様さはなんとなく分かる。ミヨはシンイチに言った。

「いや、私は、昴ちゃんに憧れる気持ちも分かるよ。理美ちゃんはちょっといい加減だけど、昴ちゃんはキッチリしてるもの」

 そうミヨが言った瞬間、どこからか紫の「カリスマ」がやってきた。

「あ!」

 シンイチは咄嗟に小鴉で斬ったが、炎の出ない小鴉は、またも妖怪を二体に増やしただけだった。

「ちくしょう!」

 一体の「カリスマ」は、ミヨの肩に取り憑き、紫の根を生やしてしまった。

「?」

「ミヨちゃん、今、君の心の隙間に、紫の『カリスマ』が、取り憑いた!」

 シンイチは鏡を出しミヨに見せた。取り憑かれた人は、自分の「心の闇」が鏡で見える。

「……こいつが、妖怪『カリスマ』……」

 紫の「カリスマ」は、調子に乗った顔をして、片手を上げた踊りのポーズをしていた。庶民は踊れ、とでも言いたいのか。

「今私は、昴ちゃんにふと憧れた。そのせいかな?」

「うん。そのせいだ」

 一体どうやったら「カリスマ現象」は収束するのだろう。今のミヨの取り憑かれ方が参考になるのだろうか?

「……待てよ」

 シンイチはふと思った。

「さっきミヨちゃん、何て言った?」

「?」

「理美ちゃんはいい加減だけど、昴ちゃんはキッチリしてるって言ったよね」

「? うん」

「つまりミヨちゃんは、キッチリしてる方が好きなんだね?」

「? うん」

 シンイチは考えた。なぜ木下理美は人気なのか。美少女だけなら、たとえば妖怪「信者」が取り憑いたのではないか?

「ひょっとしたらさ、『宿題を忘れた』ってところに皆が食いついたんじゃない?」

「はい?」

「ミヨちゃんはさ、『みにくい』に取り憑かれたとき、どうやって克服した? 『もっと勉強して、アホな美人より立派な大人になりたい』って言ったよね? だから宿題をパーフェクトにこなす昴ちゃんに憧れるんじゃない?」

「そう言われてみれば、そうかも」

「そうだよ! 教祖がカリスマになるんじゃなくて、周囲が担ぎ上げている感じがずっと気になってたんだ。カリスマはさ、『人々が担ぎやすい人』が現れたとき、蔓延するんじゃないかな!」

「?」

「だって木下は、宿題忘れてカッコイイってなったんだぜ? みんな宿題したくないなあって無意識では思ってるけど、言葉にはしないよね? そこに木下が出てきた。そこで集団心理が動いたんだ。彼女を中心に集まろうって! 前転が出来なかったり、食べ方が汚いとかの、『出来ない人』の要素を持ってたのも大きいよ。便乗したくなるもの!」

「便乗?」

「そうだよ! カリスマ騒動の裏には……無意識の便乗があるんじゃないかな!」

「……なるほど。昴ちゃんに転向した人は、『宿題しないのがずっと続くのは不安だから、宿題はやっぱりしなきゃ』って思い直したってこと?」

「うん! 紫の『カリスマ』が取り憑いてんのは、元々真面目な奴だし!」

 このクラスでは、芹沢、ススム、七瀬、なつき、有加里が、昴派の紫。大吉、公次、春馬が理美派の黄色。

「『私が気づいていない、私の願望』に取り憑くのね。こいつは」

 ミヨがそう言った瞬間、ミヨの紫の「カリスマ」は外れた。

「よし!」

 だがミヨから外れたとはいえ、今の小鴉で斬っても無駄に増えてしまう。シンイチはどうすべきか迷った。


 と、廊下が騒がしくなった。理美と昴が、鉢合わせたのだ。

「オイ道譲れよ」と理美派が昴派にけしかけている。

「そっちこそ廊下で広がってんじゃないわよ。道あけなさいよ」

 昴派も譲らなかった。

 理美派があとから湧いてきて列に加わる。昴派も負けずに湧いてきて加勢する。廊下で、黄色いカリスマの軍団と、紫のカリスマの軍団が対峙した。

「どっちが数多いと思ってんだよ」

「昴ちゃん派に寝返った人は、どんどん増えてる。いずれ逆転するわよ」

 一触即発だ。暴動が起きるときは、こういう時だろうかとミヨは恐くなった。

 その張りつめた氷に石を投げたのは、他ならぬシンイチだった。シンイチは対峙する二つの群れの間に、一本高下駄で飛びこんだのだ。

「ちょっと待って!」

「ハア? なんだよ高畑?」

「黒谷を見ろよ!」

 と二組の女子のリーダー、黒谷千尋を指差した。シンイチの仮説が正しければ、波が起きる筈だ。

「アイツ、宿題やったりやらなかったりするぜ!」

「はあ?」


 その瞬間、黄色い「カリスマ」も、紫の「カリスマ」も、皆の肩から一斉に外れた。そしてそれは一気にピンクの「カリスマ」に変色した。今日の黒谷の服がピンクだからだろう。シンイチの仮説は大当たりだ。皆の宿題に対する無意識を誘導したのである。

 ここでいつものてんぐ探偵なら、不動金縛りからのドントハレだが、今のシンイチにはどちらの力もない。天狗の面を被れば天狗の力が増え、小鴉から炎が出るかも知れない。しかし不動金縛りをかけずに面を被ることは、正体をさらすことに等しい。

 だがピンクの「カリスマ」が、再び皆に着床するまでに時間はない。これをもう一度別の「便乗」へ誘導する発想は、今まったく思いつかない。

「……」

 シンイチは面を被る覚悟をした。「心の闇」がみんなに取り憑くよりはいいと思ったからだ。オレは、天狗の力がなくてもてんぐ探偵だ。

「見て! あそこに猫がいる!」

 突然、ミヨが叫んで指さした。

 なんと廊下に猫が入りこんでいる。よく見ると太った虎猫、ネムカケだった。

 ネムカケはシンイチにウインクした(眠そうな細い目なので定かではないが、きっとそうだ)。ネムカケはどたどたと尻を振りながら走り、ちらりとこちらを振り返った。

「カワイイー!」

 皆の注目がそちらへ行った。ネムカケは廊下を曲がって奥へ消える。皆は一斉にネムカケを追いかけた。

「サンキューネムカケ!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

 何十ものピンクの「カリスマ」が、行き場所をなくして浮遊していた。一本高下駄でダッシュしてなで斬り。分裂増殖する前にもう一度斬れば、みじん切りに出来るかも知れない。それは一種の賭けだ。だがやるしかない。

「てえええい!」

 てんぐ探偵は跳んだ。五体を斬った。廊下の端に着地し、反対側へ飛びざま十体を斬った。着地し、また反転して跳ぶ。二十、四十、八十。目にも止まらぬスピードで、廊下を跳んでは往復し、何度も何度も真っ二つに。分裂してむくむくと大きくなるスピードよりも、みじん切りになってゆくスピードが勝った。

 ぷつん。一本高下駄の鼻緒が切れた。

 ぼきっ。同時に、一本歯が根元から折れた。

 あとは裸足で走るしかない。

「ちきしょう! オレは、皆を『心の闇』から救いたいんだ!」

 そうシンイチが叫び小鴉を振った瞬間、賽の目切りの「カリスマ」から、火の手が上がった。弱い火だったが、細片ゆえにすぐに燃やし尽くし、「カリスマ」を清めの塩と化し、辺りに散らせた。

「一応……ドントハレ……!」


 皆廊下からいなくなっていた。「猫が学校に迷い込む」という日常を逸脱した珍事で、皆の心が動いたのか。宿題のことなどどうでも良くなったのか。きっと皆、宿題をやったりやらなかったりすることについて、これ以上考えたくなかったのかも知れない。

 シンイチは天狗の面を脱ぎ、小鴉とともに腰のひょうたんにしまった。廊下に、清めの塩と壊れた一本高下駄が残された。シンイチが鼻緒に触れると、ばらりと崩れて砂に変わってしまった。

「……」

 残された七つ道具は、かくれみの、天狗面、ひょうたん、火の出ない小鴉。



 熱病のようなカリスマブームは終焉し、皆が宿題を出したり出さなかったりする日常は、すぐに戻ってきた。

 内村先生が入ってきて授業をはじめた。

「さて、歴史の授業をはじめるぞ。誰がカリスマにまつりあげられたのか、先週からの続きをやるとしようか」

 先生は黒板に、歴史上の人物を書きはじめた。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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