第44話 「この先に出口がないとき」 妖怪「いまさら」登場
1
心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる
天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う
てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る
真白な世界だった。右も左も、前も後ろも真白だった。
霧が濃くなってきたな、皆がそう思ってすぐに、視界が真白に包まれた。一メートル前の道しか見えず、バスは徐行を余儀なくされた。フォグランプなんて名前だけの品で、今山の中なのかどうかすらも定まらない。分からない。窓の外三百六十度が白である。
とんび野町から山越えルートで隣町に行く筈だったこの路線バスは、文字通り五里霧中の中で、びくびくしながら前に進むしか方法がなかった。旧式のバスだから車体が軋み、エンジン音が喘息のようだ。沈黙の霧から何も聞こえず、乗客はこの喘息だけを聞き続けることになった。そうして長いこと進んで、このバスはルートにない、二股の道に出くわしたのだ。
夏休みのある日、シンイチは親戚の
シンイチはバスに乗り込むや否や、朝からの疲れで深い眠りに落ちた。路線バスのエンジン音と振動が心地よく、シンイチは爆睡を決めこみ(ついでにネムカケも居眠りしまくり)、このバスが行き止まりに着くまでまったく起きなかったのである。
事件を、山の入り口あたりから振り返ってみよう。
運転手の
乗客は、シンイチとネムカケの他に三人いた。中年の男
バスは、山道へ入る赤い橋を渡った。霧の中とはいえ何年も走り慣れた道である。道なりにしばらく進み、何度か左右のカーブを曲がれば、自販機の光る中腹のバス停まで一本道のはずだった。
山口はバスを突然停車させた。三人の乗客は急ブレーキにびっくりしたが、シンイチは死んだように眠ってて気づかない。
窓の外は静かな乳白色で、他に音も聞こえなかった。乗客の千葉は、窓を開けて外を確かめようとした。山の匂いがする。ひんやりとした霧だ。そういえばさっきから蝉の声が、一切聞こえていない。
運転手の山口がアナウンスする。
「進路を倒木が塞いでいます。見てきます」
山口はバスを降りた。周囲はやはり白の世界だ。アイドリング中のバスのエンジン音しか響かず、遠くに見えるはずの市街地も、すぐ近くの筈の山肌も、白に塞がれたままであった。「第一次大戦中、イギリスのノーフォーク連隊が山の中の霧に消えてワープした」という都市伝説があるが、それはこんな感じだったのかなと山口は冗談めかして思った。
山側から谷側へ倒れてきたと思われるその巨木は、樹皮ごと腐っていて、何かの拍子で自然に倒れたのだろう。
「男の方、手を貸していただけますか。木が大きすぎて、このバスじゃ乗り越えられそうにないです」
千葉と佐久間が立ち上がり、三人で協力し木を持ち上げ路肩に投げた。
の、筈だが、霧のせいで投げた先までよく見えない。重たい音で判断するのみだ。下はアスファルトではなく草の音がした。山口は先の道に目を凝らしてみるが、やはり白の世界である。視界一メートルの徐行運転のまま、バスは再び霧を分けながら進む。
そのまま三十分、白一色だった。対向車も一台も来なかった。世界がいつのまにか謎の白い霧に覆われ、我々を残して滅亡でもしているのではないだろうか、とまた山口は冗談めかして思う。
「……おかしいぞ」
山口は再びバスを停止させた。二股の道の前で。
「……次のバス停まで、一本道の筈だが」
2
山口は再び、ひんやりとした霧の中バスを降り、二股の道の先を目視しようとした。バスから離れると二度と戻れなくなりそうで怖くなり、エンジン音が聞こえる距離までしか歩けなかった。
「どうしたんですか運転手さん?」
バスに戻ってきた山口運転手に、乗客の女性、両国が尋ねた。
「……正直に言います。この霧で、道に迷ってしまったようなんです」
「道に?」
「でも変なんです。次の停留所まで一本道の筈だ。二股の道なんてないんです」
「じゃあ停留所を見逃したんじゃない? この霧だし」
と中年の男、千葉が言った。山口は反論する。
「自販機がたくさん光っているから、見逃す筈がない。大きな左カーブの途中にあるけど、ここまでそのカーブはなかった。……しかも私は、この二股の道に見覚えがないんです」
「標識みたいなのがあるんじゃねえの?」
と、三人目の乗客、長髪の佐久間が言った。
「少し歩いてきましたが、見えませんでした」
「……たしかに、この霧じゃあね」
千葉は、暗い車内から窓の外のすべての白を眺めた。
「無線とかは?」
「山道へ入ったあたりから、無線が通じなくなりました。ケータイも駄目みたいです」
「ホントだ」
ガラケーをひらいた佐久間も、スマホを見た千葉も両国も確認した。
「……右の道を行こうと思いますが」と山口は切り出した。
「どうして?」と両国が聞く。
「山を左に見ながら行くルートなので、その方が合っている確率が高いかと」
「確かに」
「どの道、霧が晴れりゃ正解も分かんだろ」と佐久間は気楽に構えた。
「では、右の道を進んでみます」と山口は言い、バスを走らせた。
だが霧は一向に晴れなかった。相変わらず白に世界が覆われ、ノロノロと徐行運転が続いた。
「トワイライトゾーンみてえだな。Xファイルか」
と佐久間が呟いた。そのどっちもDVDボックス持ってます、と山口は言いそうになったが、職務を優先させバスを慎重に運転する。
と、三たびバスが停止した。
目の前にあるのは青い橋だった。しかも「この先通行止め」の札が出ていた。
「……長年この山を走ってるけど、青い橋は見たことがない」と山口は言った。
「この先通行止めってなってるし、さっきの二股を右じゃなくて、左だったんじゃないの?」
と乗客の千葉は言う。
「通行止め、突破しちゃえよ」と佐久間がはやす。
「落石とかガードレール破損とかあるかも知れないので、安全なルートにします。申し訳ありませんが、Uターンしてさっきの二股に戻ります」
ところが不思議なことに、その二股の道は、行けども行けども見つからないのである。
ノロノロと進んでいくうちに、路肩に投げた倒木の所まで戻ってきてしまった。
3
「……これ、さっき皆で投げた木だよね?」
バスから降りた千葉、佐久間、山口運転手の三人の男は、腐った木肌に触りながら確認した。ドサリと音がした草の上だった。バスの中から乗客の女性、両国が声をかけた。
「二股を見逃したってことはないの? この霧で」
「……ではまたUターンして、二股を目指すことにします」と山口は宣言し、バスを発車させた。
ところが四人の大人がいくら霧の奥に目を凝らしても、二股の道は一向に現れず、代わりに新たに黄色い橋が現れたのだ。
「……どういうこった」
千葉はあきれた。
「完全に五里霧中、ということか」
「人生に迷って、バスも迷うのか」と佐久間が自虐的に独り言を言い、「その黄色い橋を渡ろう」と皆に言った。
「迷ったときは戻るべきです。木の所まで戻りましょう」と山口運転手は言う。
「いまさら?」と、佐久間は拒否した。
「いまさら戻って、二股見つかる? 行ける所まで行こうよ。いずれ町に出るよ」
「では、霧が晴れるまで動かない、というのは」
「いまさら?」と、乗客の千葉が言った。
「ここまで迷ったんだ。そう変わらんだろ。進まんことには、事態は打開できん」
「無線が回復するまで待つ、というのは」
「いまさら?」と両国も否定した。
「もう少し行けば、正解の道に出るかも知れないでしょう?」
最後尾の席でネムカケと寝たままのシンイチは、まだ目覚めない。
乗客は全員合意し、黄色い橋を渡り前に進んだ。
だが。その先は行き止まりだったのだ。山道が舗装路から砂利道に変わり、嫌な予感がしてしばらくした頃、バスはまたもや停車した。
そこは墓場だった。しかも人の手がしばらく入っていない、打ち捨てられた墓場だった。卒塔婆は地面に散乱し、戒名も良く見えない。苔に覆われ、ひび割れて倒れた墓石たち。夏草も蔦蔓も伸び放題。死の世界である墓場が、廃墟という死の中にいた。
「……じき、夜が来る」
運転手の山口は空を仰いだ。そういえば白い霧は、いつの間にか夜の成分を帯び始めている。
「奥に廃屋が」と、佐久間は立ち上がって指差した。
倒れた墓石のうしろに、屋根の崩れた古い民家がうっすらと見えた。
「……最悪、野宿かな」と千葉は呟いた。
唯一の女性、両国は露骨に嫌な顔をした。
「……霧が晴れるまで、休みますか?」と山口が答えた。
「いまさら、この先に進めそうにないですし」
ここに至って、ようやくシンイチは目が覚めた。
進んでいる乗り物が止まると目が覚める現象だ。シンイチは事情も分からないまま、目をこすりながら開口一番、こう言った。
「あなたたち、妖怪に取り憑かれていますよ」
「はあ?」
「一匹、二匹、三匹。それは……妖怪『いまさら』」
4
「じゃさ、バックで戻ればいいじゃん! 入口の赤い橋まで!」
迷った経緯を聞いたシンイチは素直に言った。
「それは無理だろ」
「なんで?」
「もうすぐ夜だ。バスのライトは後ろにはない」と千葉は冷静に話した。
「そもそも、二股を左に行けば良かったのに」と両国は後悔している。
シンイチは反論する。
「だってその二股は本来のルートにないんでしょ? そもそもの赤い橋に戻って……」
「今更そこまで」
「今更無理でしょ」
「今更面倒だろ」
三人の乗客は口々に言い、ハッとなった。
「そうか。これが……」
「うん。間違っても、そのまま進んじゃう。それが妖怪『いまさら』に取り憑かれてるってことだね」
シンイチは腰のひょうたんから小さい鏡を出し、全員に見せた。三人の肩に、それぞれ無愛想でふてくされた色の心の闇、「いまさら」が、土気色で腐った目をしていた。
「ううむ」
三人の乗客は唸った。シンイチは彼らに聞いた。
「みなさんの人生の中で、もう取り返しようがない、いまさら、って出来事があるんじゃないかな。だから心の闇に取り憑かれたんじゃないかな?」
「…………思い当たる節は、ある」
ため息をついて、乗客の男、一人目の千葉は語りはじめた。
「息子と、もう六年間、喋ってないんだ」
千葉は席に座りなおした。
「どういうこと?」とシンイチは聞いた。
「息子が中学生になった日はよく覚えている。学生服に袖を通して、大人になったもんだと思った。自転車通学の為に新しい自転車も買ってやった。だが入学式には妻だけが行った。その日急な仕事が入ったんだ。入学写真を見て何か言ったのは覚えているのだが……気づいたらそこから高三の今まで、息子と一切喋っていなかった」
「なんで?」
「……とくに話題もなかったからかな。だけど、息子は今年大学受験だ。進路は大事だ。俺は男親として、男の人生の選択肢について息子の相談に乗ってやりたいのだ。しかし六年間、一言も喋っていない。今更……話すタイミングがないのだ」
「今更」と千葉がため息をついたとき、肩の「いまさら」は大きくなった。養分を吸ったのだろう。
「え、そんなの何とでも話しかければいいじゃないスか」
と、話を聞いていた佐久間が言った。
「喧嘩した訳でもないんでしょ。男同士なんだから、そもそもべちゃくちゃ喋らないでしょ。何年間一言も喋らなくても、会話は出来るでしょ」
「今更、何を話せと」
「大学どうすんの? でいいと思うけど。父と息子なんだから」
「私もそれでいいと思います」と両国も同意した。
「子供って、いくつになってもお父さんには大事なことを相談したい気持ちがあるものでしょ? 水を向ければ喋り出すわよ」
「……君らは、我々の間に横たわる沈黙のことを知らんから、気軽に言えるんだ。今更、無理だろう」
千葉の「いまさら」は更に膨れ上がった。シンイチは言った。
「なるほど。それが千葉さんの『いまさら』だね。じゃ両国さんのは?」
シンイチは、各人の「いまさら」を把握しようとした。
二人目の乗客、両国は言った。
「……離婚したいんです」
「じゃあすればいいじゃん!」
「簡単にはいかないわよ。家を買ってしまったの。今更離婚できない」
「なんで?」
「家を真っ二つにする訳にはいかないでしょう? 名義は夫のものだし……」
「じゃ結婚生活を続ければ?」
「それは無理。もう私は夫を愛していないの。夫も私を愛していない」
「じゃ、離婚じゃん」
「でも家を買ったのよ? 今更元に戻れないわ」
堂々巡りで、「いまさら」は大きく膨れ上がった。話を聞いていた千葉は聞いた。
「お子さんは?」
「いません」
「じゃ親権とかないし、問題は家だけじゃないですか」
「でも一戸建てですよ? 今更私がどこかへ引っ越せって?」
「いいんじゃないスかそれで。家に未練があるの?」と佐久間も尋ねる。
「私が設計した家なの」
「その未練を忘れて離婚でいいと思うけど」
「でも今更離婚なんて……」
両国の「いまさら」はまたここで膨れ上がる。シンイチは、三人目の乗客、佐久間の話も聞いた。
「佐久間さんの『いまさら』は?」
「……俺、ミュージシャンを目指して、ずっと高円寺の駅前でストリート演ってるんだ。でも三十歳になっちまった。今更、まともな社会人とか出来ねえよ」
「今は何の仕事を?」と千葉が尋ねる。
「コンビニのバイトで食いつないでる。でももう限界さ。知り合いは皆スーツ着たカタギになっちまった。皆現役は引退して、週末楽器に触る程度。でも俺は、あきらめきれねえんだ」
「なんで?」と、シンイチは無邪気に聞く。
「ここまでやったんだ。なんにも報われねえで、今更やめられるかよ」
佐久間の「いまさら」も膨れ上がる。
「定職についたほうがいい」と千葉は薦める。
「貯金はあるの?」と両国が心配する。
「ほぼゼロ」
「まずはお金を貯めれば? 今までやって駄目なら、……才能がなかったってことでしょ?」
両国の言葉に、佐久間は反論した。
「百回叩けば壊れる壁がある。でも何回叩けば壊れるか誰も知らない。俺は九十回叩いた。あと十回叩いたら壊れるかも知れない」
「でも、一万回の壁かも知れないんだよね?」と、シンイチは無邪気に横からつっこんだ。
「……そうだ。……人生ってのは、そんなんだ」と、佐久間はぐうの音も出なかった。
シンイチは三人に聞いた。
「他の二人はやめとけって言ってるに、自分だけがこの先も進もうとしてる。それはどうして? 今までやってきたことを否定されるから? 今までのことが無駄だったって認めるのが嫌だから?」
「……言いにくいことをズバリと言う子供だな」と佐久間は言った。
「今更、ミュージシャン辞めるのか……」
「あ、アレやったら?」とシンイチは思いついた。
「ステージのうしろで、音を調整してる人いるじゃん! ヘッドホンみたいのつけてさ! こないだ劇団の稽古で見た!」
「PAか。……スタッフ側になれと?」
「アレも音の仕事じゃん!」
「……つまり、ミキサーとか卓とか音響側の仕事か」
「そんな感じ!」
「……今更」
「私は今更だとは思わんぞ」と千葉が言った。
「定職につきながらミュージシャンをやれば良いではないか」
「じゃあ、アンタも息子と喋れや」
「そんな、今更」
「息子さんと喋るのなんか簡単でしょう?」と両国は言った。千葉は反論する。
「じゃあアンタも家を手放して離婚すればいいのに」
「そんな、今更……」
三人は言葉をつぐんだ。
シンイチは言った。
「運転手さん! 赤い橋まで戻ろう!」
山口運転手は反論した。
「この道幅じゃUターン出来ないです。この霧の中、バックで進むのは危険だ」
シンイチが言う。
「自分の人生はどこかで間違ってる。そう思いながらズルズル来ちゃった。それが『いまさら』に取り憑かれた原因じゃないかな。まるでこのバスじゃん。いまさら後に退けないんじゃん。意地張ってるだけじゃん。じゃ、一端戻ろうよ。最初の入り口まで」
「……」
三人はまだ迷っている。
「じゃ多数決! 千葉さんが息子さんに話しかければいいと思う人!」
千葉は手を挙げなかったが、佐久間と両国は手を挙げた。運転手の山口も。
「両国さんが離婚して新しい家を建てればいいと思う人!」
両国は手を挙げなかったが、他の三人は手を挙げた。
「佐久間さんが音響スタッフになって金を稼ぎながら、ミュージシャンを目指せばいいと思う人!」
同じく、本人だけ手を挙げず他の人は手を挙げた。
「本人一人が『いまさら』って思ってるだけなのさ!」
山口運転手は申し出た。
「バックで戻りましょう。懐中電灯があります。どなたか車外に出て、誘導してください」
「じゃあオレやる!」とシンイチが手を挙げた。
「子供にやらせるわけにはいかん。私が」
と千葉が手を挙げた。
「なんで今更戻るのよ?」と両国は言う。
「最初に戻るのが一番シンプルじゃん! きっと迷路の最初を間違えたのさ!」
シンイチの答えは明快だ。
「そんな今更。じゃあ何の為、俺たちはここまで来たんだよ?」と佐久間は言う。
シンイチは笑った。
「最初に戻るのが正解、って気づく為じゃない?」
「……」
三人は、子供のシンプルな考え方に、自分の心のこじれを見透かされた気がした。
「進行方向に懐中電灯を照らせばいいですか?」と千葉が山口に聞いた。
「俺が死角を見る」と佐久間がフォローした。
「じゃ私はフロント方向から何か来るか見ます」と両国も申し出た。
「オレの火の剣は、たいまつ代わりにもなるよ!」とシンイチは火の剣を抜いた。
5
すっかり夜になっていた。
バスはゆっくりバックで動き始めた。千葉が懐中電灯で行く先を照らしたが、まだ世界は白い霧の中だ。
千葉とシンイチはバスに先行して歩き、懐中電灯と火の剣で先を照らす。車内では佐久間と両国が前後を見て山口に伝える。運転手の山口は、ひたすらバックミラーでの運転だ。
「オーライオーライ」
「ちょい右、左、もう少し微妙にハンドル切って!」
佐久間はタイヤの位置を見ながら、道の状況も見る。ガードレールが見えればカーブだ。
五人の協力のもと、行き止まりを出発したバスは、その入り口である黄色い橋までようやく戻ってきた。
「二股の道、どこかにないかな……」
辺りを千葉は懐中電灯で照らすが、あの道はどこにも見当たらない。
「ショートカットはないよ、一本道なんだから。シンプルに、戻ろう」とシンイチは迷いを制する。
さらに進む。「戻る」という行動を進む。全員の疲労がたまってきた頃、倒木の所まで戻ってこれた。
「ここならUターン切れます。バックで進まなくて済む」と山口は言った。
「やっぱり、二股を探そう」と、千葉は二股にこだわる。
「いや、赤い橋まで戻ってからだ」と佐久間が言った。
「私も、いったん全リセットがいいと思います。元々二股は正規ルートではないのだし」と両国も賛成した。
バスはUターンを切り、皆を乗せ、山の入り口の赤い橋へひた走った。
霧は深さを増してゆく。視界は一メートルどころか、さらに見えない。
「ガードレールにぶつかって崖下転落、なんて最悪なので、最徐行で行かせていただきます」
と山口はアナウンスする。
「千葉さん、アンタ息子に一言言ってやんなよ」と佐久間は闇を見ながら言った。
「それより離婚はするべきだ」と千葉は両国に言う。
「それより定職につくのよ」と両国は佐久間に忠告する。
「……いまさら……」
三人は同時に言った。
「今更、赤い橋に戻るのか? やっぱり二股を探そう!」
「その先が正解とは限らねえだろ!」
「でも、赤い橋からどう行けばいいのよ? また迷うんじゃないの?」
後部座席でシンイチは叫んだ。
「赤い橋だ!」
赤い橋の前でバスは停止した。
山の入り口だからか、霧が薄らいできた。夜中じゅう走ったからか、空が明るくなってきた。つまり、周囲がうっすらと見えてきた。
「見てあれ! もうひとつ赤い橋がある!」
シンイチの指差した先に、この橋と似た赤い橋があった。
「赤い橋は二つあったんだ!」
山口運転手は、道を迷った原因を特定した。
「徐行運転で距離感覚が分からなくなって、いつもの赤い橋を通り過ぎてたのか」
アクセルを踏み、知っている方の赤い橋へとバスを戻す。
「……知らないところを、知ってると思いこんでたんだ」
霧は晴れてくる。日の出が近づいてきた。
千葉が言った。
「私は、中学の入学式に、行くべきだったのか?」
両国も佐久間も言った。
「結婚が間違いだったの?」
「ミュージシャンを目指すべきではなかったのか?」
シンイチは言う。
「そんなのわかんないよ。過去には戻れないしさ。でもさ、赤い橋は見つかったじゃん! 『今更戻れない』ってこと、なかったじゃん!」
「……息子に、話しかければいいんだな?」
「離婚した慰謝料で、新しい家を考えればいいんでしょう?」
「スタジオに行って、スタッフの求人を見ればいいんだろ?」
三人は同時に言った。
「いまさら、だけど」
こうして妖怪「いまさら」は、三人の肩から外れた。
「不動金縛り!」
シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。
東の空からまぶしい朝日が差しこんだ。小鴉の黒はその光に映える。漆黒の刃から、茜色の炎が燃え上がった。
「一刀両断! ドントハレ!」
三体の妖怪「いまさら」は真っ二つになり、清めの塩となった。
太陽が霧を晴れさせていく。山口は社に無線連絡をし、無事を報告した。
「それでは、正しい道をゆきます。出発進行」
てんぐ探偵只今参上
次は何処の暗闇か
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