第29話 「弟子のひとり立ち」 妖怪「ほめて育てて」登場



    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



「モロみち! 何やってんだお前は!」

 大声で怒鳴られ、しゅんとなっている小肥りの中年は、反省しているのか反省していないのか分からない顔をしている。生来のニコニコ顔というか恵比須顔というか、反省がみじんも伝わってこない。

「お前、動物以下だな!」

 ちょっと煙草買ってきます、ただそれだけのことだった。なのにこの恵比須顔はその隙に、師匠のカバンをどこに置いたか分からなくなってしまったのだ。

「あのな、カバン持ちってのはカバン持ってんのが仕事じゃねえんだぞ? 付き人全般の仕事の事をさすんだぞ?」

「えっ」

「え、じゃねえだろ!」

「あっ」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔に、師匠は益々腹が立ってくる。

「あ、でもねえわ! 本当にお前、頭大丈夫か? カバン持ちも出来ねえんじゃねえか?」

「あ。ハイ」

「ハイじゃねえだろ!」

 色白で剛毛で足が短くて、頭が弱くて気が利かない。それがモロ道、本名茂呂もろとしみちである。師匠のみや大作だいさくは、血圧を上げて怒るのも自分の体に悪いわ、と思い直した。

「で、煙草は?」

「あっ」

 モロ道は踵を返し、ダッシュで目の前のコンビニへ走っていった。宮は十分も待たされた。モロ道は走って帰ってきた。

「売り切れだそうです」

「もういいわ! カバンは?」

「あっ」

 宮は頭を抱えた。どうしてこんなウスノロを、自分の弟子兼付き人にしてしまったのだろうと。

 宮大作は、この道五十年の演歌歌手である。と言ってもテレビに出るような有名歌手ではない。演歌のステージというものは、日本中どこにでもあるものだ。都会の片隅の小さなスナックから、地方の旅館の宴会場まで、細々と、しかし息長く、宮は日本全国津々裏々(表のステージに縁はないから、浦々ではなく裏々だ)に歌の心を届け、地道にカセットテープをお客様に手売りしてきた。CDでもMP4でもなく、長く使えるカセットテープだ。

 弟子など取るつもりはなかった。ただ、断り切れなかったのだ。「仕事を辞めてきた」と言われた。男子一生を歌に捧げたいと言われ、無下に追い返す訳にもいかなかったのだ。弟子を取ったことなどなかったから、試験をしてから見極めるという智恵も知らなかったのだ。


 モロ道は本当になにも出来ない。カバン持ちをさせれば、ひと月に二回はどこかへ置いてくる。煙草を買いに行かせれば、代わりに何かを忘れてくる。タクシーの止め方は知らないし、師匠の自分が止めても先に乗ってしまう不肖ぶりだ。

「お前よくサラリーマンなんかやってられたな」

「えへへ。みんなに怒られました。でも今は怒るのが師匠一人なので、まだ楽です」

「思ってても言うことかそれ!」

「あっ」

 モロ道は体毛の濃いムーミンに似ている。憎めない愛嬌というより、本気で憎むのも馬鹿馬鹿しい顔だ。いつも半笑いなのは、怒られ人生故の耐性なのだろうか。

「もういい。カバンは一応警察に届けて、めしでもいくぞ」

 どうせそんなこったろうと思って、財布やら大事なものはカバンに入れないことにしているのだ。

「ごはんですか! やったあ!」

 子供みたいな喜びように、こいつは一瞬前の反省など吹き飛んでしまう。しかも毎回ごはん五杯は食べるのだ。無芸大食とはこのことである。宮はため息をついた。こいつは本当に、演歌歌手になるつもりなのだろうか。



 酒も入ったせいか、帰り道の川沿いで気分の良くなった宮は、「どれ、少し稽古をつけてやろう」と言い出した。広い川の土手は風の通りも良く、歌のステージとしておあつらえ向きだ。

「『松風波返し』を演ってみろ」と、宮は自身の代表曲を選んだ。

 モロ道は直立不動となり、最初の音を出した。

「〽 波のォ~~~」

「聞くに耐えん! お前、発声練習やってんのか?」

 モロ道はニコニコして答えた。

「やってません!」

「馬鹿か! 毎日やれと言っただろ!」

「カバン持て、とか、煙草買って来い、とか忙しかったので……」

「馬鹿か! お前は付き人の仕事をマスターするのが目的か?」

「あっ」

 モロ道はまた鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。

 宮は再び頭を抱えた。どうやったらこの男を育てられるのだろうか。

「おじさん。この人にどれだけ怒っても無駄だよ」

 夜の闇から、不思議な子供と太った猫が現れた。その子は朱い天狗の面を被っている。日本全国色々なことを経験してきた宮も、突然本物の天狗が現れたのかとどきりとした。

「な、なんだ?」

「だってこの人、妖怪に取り憑かれてるもの」

「妖怪?」

「そう。それは妖怪『ほめて育てて』」

 天狗面を少年は取った。我らがてんぐ探偵、シンイチとネムカケである。


    2


「なんかボクに似てるぅぅぅ」

 モロ道は鏡を見せられ、肩の上に乗ったビビッドなピンク色の妖怪「ほめて育てて」と目が合った。子供っぽいピンク色の、甘やかされて育った肥満児のような顔だ。

「一体どういうことだ? モロ道はほめて育てて欲しい思いに取り憑かれてるってことか?」

 宮はシンイチに尋ねた。

「うん。そういうことだね。怒って育てることはこの人には効かないよ。反省とか向上心とか悔しさで成長しないのは、逆にこの妖怪のせいだとも言えるね」

「じゃあ甘やかせというのか?」

「うーん、ちょっと分かんないけど、単純にほめて歌を教えてみたら?」

「むう。……ではモロ道、『松風』を」

 モロ道は直立不動になり、咳払いをひとつした。

「〽 波のォ~~」

 少し音が外れたが、宮は無理やりほめてみた。

「うむ! いいぞ!」

「〽 間に間の 松風ぇぇのおぅぅぅぅぅ」

「さらに外したが、まあいいぞ!」

「〽 吹く風よォ 岩に当たってぇ 戻りいぃぃぃぃぃくううううるうううううう」

「このヘッタクソが!」

 宮は思わずモロ道の頭をはたいた。

「駄目だよほめなきゃ!」とシンイチはフォローする。

「今のどこにほめる要素があるんだ! わしの大切な十八番が台無しじゃないか! 今の一節で、厳しい冬の日本海や吹きッさらす風や、切り立つ岩場に曲がって生える松が見えたか?」

「ぜんぜん。え、ていうか、見えるの?」

「……吟じるぞ」

 宮は背を正した。



〽 波の 間に間の 松風の

     吹く風よ 岩に当たって 戻り来る


「あ。……見えた! 日本海! 見えた!」

 さすがに五十年この歌を歌っているだけある。卓越した宮の表現力は、日本の美を一瞬で切り取った。

「モロちゃんがどれだけ下手か分かったよ!」

 とシンイチは笑った。

「モロ『ちゃん』って!」と宮はずっこける。

「だってモロちゃん、オッサンだけどマスコットみたいなキャラしてんじゃん!」

「えへへ。そうかな」と、モロ道はほめられて嬉しそうだ。

「そこはお前、演歌歌手として恥じ入るところだろ!」

「え? どうして?」とシンイチは横から尋ねる。

「歌手は消えなければならんのだ。歌が第一。歌以外がそこにいてはいかんのだ」

「なるほどお! モロちゃん知ってた?」

「ぜんぜん」

「何回も言った筈だが……」

 宮は今日何度目かの頭を抱えた。

「でもさ、こんな歌下手なら、そもそも弟子クビでもいいんじゃないの?」

 と、シンイチは身も蓋もないことを聞いてみた。

「だよなあ」と、心の底から宮は搾り出す。きょう何度目かのため息だ。こっちに「心の闇」が取り憑いてしまいそうである。だが表情を真顔に戻して、思い直した。

「でも一芸だけあるんだよ。……モロ道、『田力たぢから』を」

 モロ道は顔が変わり、「田力」を歌った。


〽 エンヤサー 田んぼに力と書いてサァー

  男と読むんだ ホイヤサァー

  エンヤサー あの子は笑って新芽摘む

  オイラは耕す ホイヤサァー

  

  エンヤサー 鍬に鋤に 千歯扱き

  あの子は嫁に ホイヤサァー

  エンヤサー オラに嫁は 来ねえけど

  今日も耕す 田の力


 嘘のように上手かった。祭りばやしとでも言うのだろうか。太古の記憶まで呼び起こされそうな、力強い農民の歌だった。

「すごい! プロみたい!」

 シンイチは素直にモロ道をほめた。

「えへへへへ」

「だがこいつは、これしか出来んのじゃよ」

 と、宮は泣きそうになった。

「えええええ?」

「演歌歌手として、それじゃいかんだろ。お客様のリクエストにも答えたりも時には必要だし、第一、一曲でおしまいという訳にはいかんだろ」

「たしかに!」

「はじめて聞いた、師匠の歌だから」とモロ道はニコニコして答えた。

「?」

「こいつがな、たまたまデパートの屋上にいたんじゃよ」

 と宮がフォローし、口下手なモロ道に変わって二人の出会いを説明した。

「こいつは元々サラリーマンでの、色んな人に怒られて仕事を逃げ出し、デパートの屋上でサボっておったのだ。そこへ偶然わしが三曲ほど歌うミニステージがあった。米どころのイベントということで、一曲目に『田力』が選ばれていた。だが地方のさびれたデパートで、客はたった一人。それがこのモロ道だったのだ」

「それで?」

「こいつは雷が走ったようにびりびりと震えて、涙を流して感謝して、『もう一回!』とリクエストしてきたのじゃ」

「で?」

「他にお客さんもいないので、計七回歌ったわ」

「ははは!」

「最後のほうはすっかりこいつも『田力』を覚えての。二人で熱唱じゃ」

 子供みたいなモロ道にせがまれて、迷惑しながら肩を組む宮がありありと思い浮かび、シンイチは吹き出しそうになった。こないだの無邪気な妖怪たちに十三回「お芝居」をさせられたことを思い出した。

「……それで、その場でこいつは仕事を辞めるから弟子にしてくださいと言ってきての。何回断っても、全国を回るわしのステージに毎回現れる。しつこいストーカーになりやがったのだ」

「へえ」

「しかしいざ弟子にしてみたら、『田力』しか歌えん有様。付き人としても使えぬ始末」

 今日一番の深いため息を宮は吐いた。

「歌の心が分かるように、冬の日本海も何度も見せてやったのに」

「歌の心?」

「見たことのない景色は歌えぬし、経験したことのない気持ちは演じれん。演歌は、歌を演じると書くからな」

「へえ。でもモロちゃんアホっぽいから、理解が出来ないんじゃね?」

「ははは。子供からズバリ言われとるぞモロ道」

「……怒るんじゃなくて、ほめて下さい!」

 と、モロ道は涙目で言い出した。

「ほめて、ほしいです。ほめられたら、ボクはのびる気がするんです! ほめて下さい!」

「『田力』は、どこに出しても恥じぬ素晴らしい出来じゃ」

「えへへへへへ!」

「しかし他はほめるところがない」

「ぷうううう」

 モロ道は子供みたいに膨れた。彼の肩の「ほめて育てて」は、更に大きくなった。

「わかったわかった! モロちゃん歌うまい! プロレベル!」

 とシンイチは慌ててほめる。しかし状況は変わらない。

「ボクは、師匠にほめてほしいの!」

「……明日稽古場を借りているから、そこで本格的に続きを」

 宮は真面目に、ほめて育てることを考えようとした。しかし次の日の稽古場は、シンイチが思うよりも酷かったのだ。


    3


 そもそもモロ道は音程が取れなかった。腹式呼吸の発声も出来ないからすぐへたる。こぶしも回せないしビブラートもコントロールできない。歌詞の内容の理解が浅いから、歌が頭に入ってこない。

 呆れるシンイチとネムカケを目の前に、宮は必死でモロ道をほめようとした。しかしほめ所はまるで無く、無理があるのはシンイチにも分かった。下手な歌声のせいで居眠りも出来ないネムカケが、イライラして評した。

「ふうむ。さっさと辞めたほうがこやつの為ではないかのう。芸能とは才能じゃからの」

「こんだけ怒られりゃ『ほめて育てて』に取り憑かれるのも分かるけどさ、自業自得だよねえ……」

 と、シンイチも半ばあきれ気味である。

「でもこのままじゃ、モロちゃん取り殺されちゃうんだよね」

 と、てんぐ探偵としての使命を思い出す。

「モロちゃん! 演歌以外は歌えるの? Jポップとか」


 シンイチはカラオケに皆で行き、モロ道に色々なジャンルを歌わせてみた。七十年代歌謡、八十年代ロック、アニメソング、九十年代ドラマの主題歌、洋楽、軍歌、ビジュアル系。

 どれもこれも壊滅的だった。

「なんでそんな下手なのに、演歌歌手になれると思ったんだよ!」

 流石にシンイチも切れた。ほめて育てるのはとても無理だと思った。

 モロ道は、ピーチジュースをストローでちゅうちゅうしながら言った。

「ボクね。あの時死のうと思ったの」

「……え?」

「ボクね、中古車の営業マンだったの。でも成績が悪くて、失敗ばかりでいつも怒られて。その日大失敗を三つ同時にやって、もう死のうと思ったの」

「それが何でデパートに?」と、この話をはじめて聞いた宮が聞いた。

「ウチの田舎で一番高い所がそこで。で、奥の柵まで行けなかったのね。ステージが出来ててさ」

「……じゃ、ステージに助けられたのか」

「師匠の歌聞かなかったら、やっぱりその後に飛び降りてたと思うよ。師匠の歌を聞いて、ボク、サラリーマン辞めて、農家になろうと思ったんだ」

「歌手じゃないのかよ! それなら農家になればいいじゃん!」

「農家の人は、あの歌歌わないじゃん。ボクはさ、農家の歌を歌う人になりたいと思ったんだ」

「うん。あの歌は、まじですごい」

「……でも、ボク、歌、向いてないのかも知れない」


 歌い疲れてカラオケボックスを出ると、すっかり夜になっていた。宮と別れて、シンイチは落ち込むモロ道を家まで送ることにした。

「なんでボク、うまくいかないのかなあ」

 モロ道は涙目になってため息をついた。

「ボク、師匠に楽をさせたいんだ。ボクの食費も稽古代も、師匠が全部出してくれてるんだよ? ボクが歌手デビューしなきゃ、一生師匠のスネカジリだ」

「……気持ちは分かるけどさ。モロちゃん歌下手だもん」

 シンイチは素直な感想を言った。モロ道は落ち込むどころか喜んだ。

「じゃここがどん底で、あとは上手くなるしかないんだよね!」

 どういうポジティブ思考なのか、シンイチも頭を抱えた。

 と、ゆるりと吹いた風の空気に、焦げ臭い匂いが混じっていた。

「ん?」

 シンイチは鼻をヒクヒクさせた。ネムカケは耳を立て、人間以上に聞こえる耳で大きな火の燃える音を聞いた。

「火事じゃ。でかい」

「あれ見て!」

 モロ道が叫んだ。夜空の一部が紅く染まっていた。その下が大きな火に包まれているのだ。消防車のサイレンもすぐそばだ。

「アレ……ボクんちかも知れない!」

 モロ道は走った。シンイチとネムカケも追った。


    4


「ボクのアパートが燃えてるううううう!」

 モロ道の住む木造アパートが、轟々と燃え盛っていた。消防車が何台も駆けつけ、既に放水を始めている。しかし火の勢いはいよいよ盛んになり、水の力が通用しない。

 モロ道は野次馬をかきわけ、炎の吹き出す、二階の自室へ戻ろうと必死だ。

「馬鹿か! 死ぬぞ! 下がってろ!」

 消防士の一人がモロ道を止めた。

「あの部屋には、パンフがあるんだ!」

「何があっても、もう燃えたよ! あきらめなさい!」

「パンフがあるんだ! あのデパートの屋上で貰った、師匠のコンサートのパンフがあるんだ! 大事なものなんだ! ボクの宝物なんだ! どんなに馬鹿にされたって、どんなに怒られたって、あのパンフはなくしちゃいけないんだ!」

 モロ道は泣き叫んだ。火事の轟音にその叫びはかき消される。モロ道が制止を振り切って火の中に飛び込もうとするのを、シンイチと消防士が必死で止める。火事場の馬鹿力というのか、モロ道の力は案外強かった。

「パンフうううううううううう」

「畜生! 『火伏せ』がマスター出来てれば、大天狗みたいに一瞬で火を消せるのに!」

「だとしても、パンフはもう燃えたじゃろ!」

 ネムカケは冷静にシンイチを諌めた。

「ねじる力!」

 シンイチは「ねじる力」で、火をねじ切ろうと試みた。炎の竜巻と逆向きにねじれば、打ち消せるかもと考えたのだ。しかし火の動きは不規則で、それは徒労に過ぎなかった。

「『火伏せ』ってどうやるんだよ! 不動金縛りでも止めるまでしか出来ないし!」

 シンイチは腰のひょうたんから、天狗の七つ道具のひとつ「葉団扇」を出した。八手の葉で大風を起こす、天狗の代表的な道具のひとつだ。山には天狗風といって、梢も揺れず前触れなく吹く突風がある。それは風ではなく、天狗の仕業なのだ。

「吹けよ大風!」

 シンイチは葉団扇で魔風を起こした。火は一気に消える。しかし子供の力では、アパート全体に及ばず、一角の火を飛ばすだけで精一杯だ。残りの火が、消し飛んだ部分を見る間に埋めてゆく。イタチごっこだ。大風で火が消えても、自然発火温度に達している。放っておいても火は発生するのだ。消防隊の水が建材を冷やすまで、シンイチは周囲へ延焼しようとする火の舌を、大風で食い止めることに切り替えた。

 黒々と燃える柱がばちんと爆ぜた。

 火の粉が飛び、泣き叫ぶモロ道の顔面にかかった。

「あついようううううう!」

 モロ道はほうほうの体で逃げ、腰が砕けて座り込んだ。

「パンフうう……」

 冷たい石の塀にもたれてモロ道は呟いた。ふと隣を見ると、泣き叫んでいる男の子が二人、モロ道と同じように大人たちに止められている。

「おもちゃが! 俺たちのおもちゃがあああああ!」

「取りに行く! おもちゃだけは取り返すううううううう!」

 幼稚園児ぐらいの兄弟だった。涙でぐちゃぐちゃになって、パニックに支配されている。

「……」

 モロ道は立ち上がった。二人の前にしゃがんで、彼らの目線に降りた。

「〽 もえる」

 突然、モロ道は歌を歌いはじめた。

「〽 もえちゃう」

 子供たちはきょとんとする。

「〽 もえる もえちゃう 尻に火がついて あちっ!」

 煤のついた顔でモロ道はおどけた。子供たちは笑った。

「〽 もえる もえちゃう

   大切なものが あっつっ!

   俺とおもちゃ どっちが だいじ?

   おもちゃ? じゃ取りに行こう!

   あちっ! あちっ! あついよう!

   そしてぇ……

   眉毛ボーン!!」

 モロ道のオモシロ仕草に、子供たちはげらげらと笑った。

「〽 ほんとに大事なものって何?

   ほんとに大事な ものは?

   おもちゃで遊ぶこと? おもちゃがくれる時間?

   ちがうよ ちがうんだ おもちゃで一緒に遊ぶひと」

 モロ道は子供に聞いた。

「誰と遊ぶ?」

 彼は隣の、自分より小さな子を見た。

「弟」

 モロ道は弟の頭を撫で、微笑んで歌を続けた。

「〽 それがたいせつうううううううううううううううううううう」

 子供たちはすっかり落ち着いた。モロ道は静かに聞き入る兄弟の頭を撫でた。


 シンイチは驚いていた。「田力」の歌声よりも、プロみたいな熱唱だったからだ。

「一体、今の歌はなんじゃ?」

 野次馬の中から宮が現れた。サイレンを聞いて、心配して来たのだ。

「モロ道! 今の歌はなんじゃ! 聞いたこともないぞ!」

「はい」

 モロ道はまた怒られた、という顔をして言った。

「……即興です」

「即興?」

「子供たちの気持ちを落ち着かせようと思って、ただそれだけで、あと適当で、気づいたら歌ってて」

 モロ道はこっぴどく怒られると思って言った。歌詞も適当だし、七五調でもないし、音程もその場で揺れたし、ビブなんとかもこぶしも効いてないし、「が」を「んが」って言ってないし。また頭を殴られると、モロ道は反射的に目をつぶった。

 しかし宮の答えは真逆だった。

「すごいじゃないか」

「……えっ」

「すごいぞモロ道。お前は今はじめて、歌で人の心を動かしたんだ」

「え?」

「歌が上手いとか下手とか、音程とか風景とか関係ない。この子供たちは、お前にとってのデパートの屋上と、今同じ体験をしたんだぞ」

「……あっ」

 モロ道は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「それが、歌だ」

「これが……、歌か」

 こうして、モロ道の「ほめて育てて」は、彼の肩から外れた。


「不動金縛りの術!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「一刀両断! ドントハレ!」

 天狗の剣、小鴉の炎で、「ほめて育てて」を真っ二つに斬って落とす。

 火事の炎は、消防隊の尽力で鎮火してゆく。小鴉の炎は、対照的に夜空を焦がした。



 その後、モロ道とシンイチは駅前で偶然再会した。

「モロちゃん! どうしたの!」

 モロ道は一人で、大きな旅行カバンを提げていたからだ。

「今から、営業なんだ」とモロ道は笑った。

「営業?」

「ボク、あれからデビューしたんだ!」

 一本のカセットテープを、カバンから出してシンイチに渡した。「火まつり」と題された曲だった。

「あのときの歌?」

「うん。あのときの歌を、師匠が作詞作曲の先生にお願いしてくれて、ちゃんとした曲に仕上げてもらったの。流石に火事の歌じゃ怒られるから、『火まつり』に改造してもらったんだ。でも、ちょいちょいアドリブ入れては怒られてる」

「ははは」

「でもそれが、意外とお客さんには受けるんだ」

 モロ道は笑った。

「これから、どこ行くの?」

「東北へ」

「東北?」

「うん。水害と津波にやられた所を、順番に回ってこようと思って」

「へえ!」

「ぜんぜん儲からないんだけどさ」

 モロ道は笑った。

「でも、歌の心をとどけたい」

 以前のような顔のモロ道ではもうなかった。モロ道は、もともと童顔の子供の顔だった。そこに、男の成分が少し混じりはじめていた。

「また遊びに行こうよ。来月、師匠から独立してはじめてのお金が入るんだ。おごるよ」

 手を振って笑顔で去るモロ道を、シンイチは頼もしく見送った。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か





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