第8話 「妬みは天下の回りもの」 妖怪「ねたみ」登場

    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 シンイチは夢を見ていた。

 妖怪王国・遠野とおのの山中で、大天狗おおてんぐに修行をつけてもらっていた時のことだ。


 遠野一の早池峰はやちね山中の、奇怪な岩がゴロゴロする霧深い岩山だった。ねじれた巨木が沢山生えている。自然にそうなったのか、それとも天狗にねじられたのか。

 木より巨人の大天狗は、岩の上にどっかと胡坐をかき、あかい顔に金色の目を光らせて言った。

「その木を、つらぬいてみせよ」と。

 シンイチは人差し指をきりりと伸ばし、老木に向かって突き出した。

「つらぬく力!」

 しかし、その苔むした老肌はぴくりともしない。

「木の裏を見ろ。裏まで見通して、はじめてつらぬけるのだ」

「ムリだよそんなの! 表からは裏なんて見えないだろ!」

 大天狗の言っていることはまるで謎かけで、小学生のシンイチにはさっぱりだ。

「では、ねじる力はどうだ?」

 大天狗は、右の掌を上に向け、ひねった。めりめりめり、と二本の木が音を立ててねじり合わされてゆく。まるでティッシュでこよりをつくるようにだ。

「難しすぎるよ! 『つらぬく力』でも難しいのに!」

 天狗は山の王である。月に一度山の木の数を数えるのが天狗の仕事だ。最後の目印に、木をねじり合わせておくという。この日に山に入ると、木と間違えられてねじ殺されるという伝承が全国の猟師マタギに残っている。だから月末は禁猟日なのだそうだ。山にときどきあるねじり合わさった木は、天狗のしわざなのである。

 大天狗の巨大な鼻が、シンイチに向けられた。

「ちがうぞシンイチ。基本は循環の力、『ねじる力』なのだ。その螺旋をのばしたのが『つらぬく力』だと思え。因果をねじれ。まずはその赤い花と白い花を、ねじり合わせてみよ」

 天狗には様々な神通力がある。飛翔ひしょう縮地しゅくち遠見とおみ隠形おんぎょう。これらはすべて「ねじる力」の応用なのだと大天狗は言う。因果をねじる、循環の力だと。

「うううううん!」

 シンイチは掌を紅白の花に向け、ねじる。ねじる。ねじる。

「ねじる」ことを意識しすぎて、シンイチの首が九〇度右に傾き、一三五度、一八〇度傾き、ついにぐるぐると回り出した。

「ねじれる! オレがねじれるううう!」

 夢の中だと分からないシンイチは、水車のように回る首に恐怖する。両手をバタバタさせて暴れた。

「ううううううう!」

 右手が、ベッドの端の時計にぶつかった。

「いってええええ!」

 痛みでシンイチは目覚めた。床に転がった時計の針は、とっくに起きる時間を過ぎていた。

「夢か……」


 ここは東京郊外のとんび野町、シンイチの家の自室である。朝の光を浴びて、シンイチは夢から次第に覚めてきた。

「ネムカケ。起きなよ」

「もう。ねむいよう」

 布団の中で眠りこけるデブ虎猫、ネムカケをシンイチはゆり起こした。ネムカケの口癖はいつも「ねむいよう」だ。なんと三千歳だという。猫は百年生きると人語を解す化猫になる。大天狗は「ネムカケ様」と敬語で呼ぶ、ネムカケは遠野妖怪の最長老にして物知り袋だ。でもただの居眠りネムカケ好きのおじいちゃん猫だけど。

「遠野の夢を見たよ」とシンイチはネムカケに言った。

「ワシは居眠りする夢じゃった」とネムカケは目をこすった。

「大天狗が出て来た」

「そうか。奴も妖怪たちのケンカを諫めるので精いっぱいじゃからのう」

 かつて日本にいた妖怪たちは、都会で棲み処を失くし、山へと逃げ、遠野にひしめくこととなった。大天狗は山の王として、彼らの交通整理の為、遠野を長期間留守に出来ないのである。

 シンイチは天狗の代理人として、新型の妖怪「心の闇」の正体を突きとめ、人々の心を助け、妖怪世界のバランスを取り戻さなければならない。


    2


 一階のダイニングにおりると、母の和代かずよと父のハジメは朝食を食べはじめていた。ネムカケもドテドテと階段をおりてくる。拾ってきた猫、とシンイチは両親を説得し、見かけはただの太った老虎猫をシンイチが飼う体になっていた。

 和代は、最近口癖のようになっている話をもうはじめていた。

「だからさあ。ホントにセレブだなって。港区よ? 白金しろがねだい高輪たかなわの間の、スーパーオシャレエリアよ? 流石は佐々木ささきさんよう」

 和代は三軒隣の佐々木さんの大ファンである。読者モデル出身で、いまもママモデルとして雑誌に出ている美人だ。その佐々木さん一家がこの町を出て、都内港区にマンションを購入すると聞いて、和代は毎日この話なのだ。

「旦那さんはデザイナーでオシャレ雑誌つくってるし、娘さんはバレエ教室通わせてるし、絵に描いたようなセレブ一家よ。私たち庶民とは大違いなのよう」

「とんび野町もこの家も悪くないと思うけどねえ。小さくて狭いけど、ぼくらの身の丈の一戸建てだし」と、父のハジメは新聞を見ながら返事したが、和代は聞いていない。

「別世界なのよう。芸能人や社交界のおつきあいも多いんですって」

「うらやましいの?」

「うらやましいに決まってるじゃない! 佐々木さんのようになりたいわ! むしろ佐々木さんになりたい。肉体の一部にでもなりたい。ダンナも子供も取り換えたい!」

 ハジメもシンイチも「そりゃ酷い」と突っ込むのを我慢する。ここの所、和代は毎日こうなのだ。

 和代の相手が面倒になり、ハジメとシンイチは早々に家を出た。今日も近所の犬飼いぬかいさんが、大型犬のボルゾイとダルメシアンとグレートデンを連れ、一人犬ぞりみたいになっているのにあいさつをした。

 最初の頃は、外に出たら妖怪「心の闇」だらけだったのに、てんぐ探偵シンイチの地道な活躍により、この辺りには見当たらなくなってきた。シンイチは誇らしい気持ちで学校で向かった。


 一人になった和代はリビングのパソコンを立ち上げ、「読者モデル・佐々木郁子いくこのステキブログ」の、何度目かの熟読をはじめた。

「カメラマンさんとスタイリストのカネちゃんと、白金台でイタリアン!」「岩盤浴でホットヨガに挑戦!」「代官山の社交会!」「恵比寿のネイルサロンでモデル仲間と」……

 和代は大きなため息をついた。

「はあ……」

 そのため息を妖怪「心の闇」が嗅ぎつけてくることを、和代もシンイチもまだ知らない。ため息は瘴気である。心の歪みという磁場である。それに引き寄せられ、妖怪「心の闇」がやって来るのだ。

 窓の外から、派手な色の三匹の妖怪「心の闇」がのぞきこんだ。

「はあ……ねたましい」

 三匹のうち、マゼンタピンクの妖怪が窓の隙間からずるりと入ってきた。和代の左肩に乗り、両足を食い込ませる。その足先は心臓に達し、心の闇を栄養として吸いはじめた。

 その妖怪は眉間に深い皺を寄せ、への字に歪んだ不幸そうな口をしていた。名を、「ねたみ」という。

 妖怪の足先が心の奥底に達したのか、彼女の顔はみるみる上気した。右手を忙しく動かしはじめ、目が血走り、ブログの記事を次々と遡った。

 すべて読み終えると、彼女はコメント欄に文字を打ちこみはじめた。

「はじめまして! ファンです! 初コメントです!」「いつもオシャレで、目標にしています!」「どうしてそんなにキレイなの? くやしい!」「死ね」「肉体だけ取り換えたい」「あなたの家にお邪魔させて!」「皮膚だけでも取り換えたい!」「アンチが一杯いること忘れるなよ」「調子に乗るなビッチ」「素敵!」「死ね」「あなたがいるから私は不幸を感じるの」「いなければ良かったのに」「死ね死ね死ね」「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死」…………

 佐々木さんは写真の中で楽しそうに笑っている。コメントを打ち続ける和代の顔は、真っ赤に醜くひしゃげてゆく。それは肩の上で膨張してゆく妖怪「ねたみ」と、瓜二つになっていた。


    3


「サッカーやろうぜ!」

 授業が終わると、五年二組の皆は叫びながら校庭に出た。

 親友のススムが、チーム分けのジャンケンの前に馬鹿なことを言いだした。

「ジャンケンてさ、どれが最強なんだろうね?」

「は?」

「もしゲームのキャラだとしたらさ、どれが最強だと思う?」

 ガタイの大きな大吉だいきちが答えた。

「グーだろ。男の拳だ。最強パンチだ。固くて重くて、握れば握るほど威力があがる」

 ススムは反論した。

「オレはパーだと思うんだ。全てをつつみこむ。固いより柔らかい方が本当は強いって言うじゃん。魔法のパーだぜ」

 人と違うことの好きな公次きみじが、カッコをつけながら言う。

「チョキだろ。グーもパーも単純すぎんだろ。チョキが一番複雑でクールだぜ。『すべてを切り裂きし者』だ」

 シンイチは少し考え、三人に言ってみた。

「じゃあやってみようぜ。ジャン、ケン、ポン」

 三人は、それぞれグー、チョキ、パーを出した。

「あいこじゃねえか!」とシンイチは予想通りのオチに笑った。

「ぐるぐる回ってるだけだろ!」

 ススムはムキになった。

「ちげーよ! ジャンケンじゃなくて、キャラとしてどれが最強かだよ! 最強パンチなんて、パーがつつみこむんだよ!」

「それを切り裂きし者、チョキが切る」

「デカイのでゴン、だ。グーがブッ壊す」

「それをパーがつつみこみ……」

「やっぱぐるぐる回るだけだろ!」とシンイチは笑う。

 そこへ見知らぬ猫がやってきて、ミャアと鳴いた。シンイチにはその言葉が分かる。動物の言葉を解する術だ。「ネムカケ様が早く帰れと」と、その猫が伝令係を務めてくれたのである。猫は、猫同士ネットワークをつくる性質がある。屋根の上の社交場と形容される、ネムカケはその力を借りたのだ。「なんかあったの?」「緊急事態ニャリ」と二人の会話は、人間にはミャアミャアと聞こえるだけだが。

「ごめんオレ手伝い頼まれてた! 先帰る!」

 ランドセルをひっつかみ、シンイチは家へと急いだ。


 門柱の上でネムカケが待っていた。眠そうな顔が焦って見えた。

「どうしたのネムカケ!」

「和代殿が、取り憑かれたのじゃ!」

「えっ! ……『心の闇』に?」

「わしじゃどうしようもない」

 シンイチは緊張した。まさか身内がやられるとは。油断だった。

 ドアを開けると、廊下には色々なものが散乱していた。デパートの紙袋、靴の箱。それは奥のリビングに点々と続いている。電気は消え、ひんやりとした大洞窟のようだ。

「お母さん!」

 リビングに入ると、色とりどりの派手な服がとびちり、沢山の靴や鞄も転がっていた。まるで食い散らかしたあとだ。和代は鏡に向かってつぶやいていた。

「おかしいのよ……おかしいのよ……どうやったって、あの人みたいになんないのよう!」

 和代の肩に取り憑いた、強烈なピンク色をした妖怪「ねたみ」をシンイチは見た。大きい。「心の闇」は宿主の心を吸って成長する。宿主が死ぬまで。

「母さん! それは妖怪……」

 言いかけたシンイチに和代が振り返った。シンイチは「ぎょっ」という音に似た声を出した。口紅の上に口紅が塗られ、何重にも塗られて耳まで裂けた口になっている。アイシャドウが幾重にも塗られ、緑や紫の隈の地層だ。つけまつげは指より太く長く、瞬いては醜くうねる。金色のコンタクトが気味悪い。まるで前衛アバンギャルド画家の描いた絵だ。和代の顔は何重にも重ね塗りされた絵だ。その顔が、妖怪だ。

「ねたみ」

 彼女の声帯から出した声とは思えない低い声で、和代は呻いた。妖怪が人格を乗っ取りかけているのである。

「母さんよく聞いて! 母さんは妖怪『ねたみ』に取り憑かれてるんだ!」

「ねたみ」

 人の声でない声で、元和代だった人間は答えた。

 パソコンの画面にシンイチは気づいた。佐々木さんのブログだ。

「母さんは……佐々木さんが妬ましいんだね?」

「ねたみ」「ねたみ」「ねたみ」「ねたみ」……どんどん歪んだ声になってゆく。そうして和代は、ようやく人の言葉を発した。

「どうしてあの人みたいになんないのようううううう!」

 妖怪の顔の和代は、家の外へ飛び出した。

「母さん!」

 シンイチとネムカケは追う。三軒隣の白亜の家。佐々木さんの家だ。和代はノブをガチャガチャと狂ったように動かした。留守らしい。イギリス風の趣味の良いガーデニング植木鉢の、右から三番目を持ち上げ、下にあった鍵を和代は奪った。

「知ってるのよ! 私は佐々木さんのことを何もかも!」


 佐々木家の一階のリビングは広く、雑誌に出てくるような白い家具でコーディネイトされていた。壁一面の本棚は洋書の写真集で埋もれ、プロカメラマンが撮ったと思しき、佐々木さんの美しいパネルが飾られていた。反対の壁の大きなクローゼットをあけ、大量の服を和代はちぎっては投げた。

「彼女の服なら私に合うかも! どうせ撮影で安く譲ってもらったのよ!」

 姿見で自分に服を合わせ、次々と放り投げる。

「母さんやめてよ!」

 シンイチは体を張って彼女を止めた。だが和代の力は強く、シンイチを振りほどいて部屋の隅までとばした。

「顔ね? 私の顔が悪いのね? 整形してしまえばいいのね?」

 テーブルの上の大型カッターを見つけ、和代は根元まで刃を出した。自分の頬に切りつけようとしたその刹那、シンイチの詠唱が間に合った。

「臨! 兵! 闘! 者! 皆! 陣! 烈! 在! 前! 不動金縛り! エイ!」

 刀印とういん(人差し指と中指を揃えて伸ばし、他の指は握りこむ、刀を示す印)を横と縦に四回ずつ切り、最後に横一直線。はや九字くじと呼ばれる、最速の四縦五横の九字切りである。

 頬の一ミリ手前で刃はぴたりと止まり、和代の全身は動きを止めた。

「オイ妖怪『ねたみ』! やりすぎだろ!」

 シンイチは腰のひょうたんから天狗の面を出して威嚇した。妖怪「ねたみ」は挑戦的な目でニヤリと笑った。

「ねたみ」

 言うが早いか、和代の口からひゅるりと彼女の体内へ入ってしまったのである。

「え?」

「しまった! 体内に入られたぞい!」とネムカケが叫んだ。


 和代を不動金縛りのまま家まで運び、シンイチはぐちゃぐちゃになった両家を片づけた。和代は彫像のように、リビングで自分に切りつけるポーズのまま固まっている。

 シンイチは円い容器に清水を満たし、「水鏡の術」で遠野の大天狗に相談することにした。

「厄介なことになったのう」

 水鏡の中の大天狗はつぶやいた。ネムカケが補足する。

「体内の妖怪は、普通は小さくなるようにして、自然排出を待つものじゃが」

 大天狗は予測する。

「そもそもねたみの根が深そうだ。大きくなる一方ではないかと思う。癌細胞のように」

 シンイチは自分の考えを言った。

「オレさ、佐々木さんに話を聞きに行こうと思うんだ」

「ほう、策を思いついたのか?」とネムカケ。

「わかんない」

「ないのかい!」

「けど、事態をちゃんと把握したい」

「うむ。行動力は、天狗に必要な資質だぞ」と大天狗はシンイチの考えを褒めた。

 シンイチはつけっ放しのパソコンを見た。佐々木さんのブログの最新記事は、「今日は娘のバレエ教室」とあった。


   4


「そんな訳ないじゃない。不満だらけの毎日よ」

 バレエ教室の前で、佐々木さんは自分の」ことを語りはじめた。

「えっ、そうなの?」

「娘にはちっともバレエの才能がないし、授業料はかかるし、第一モデルの仕事なんて体がキツイし食事は制限されるし、モデル慣れしてるスタッフからは十把ひとからげの一人にしか扱われないし……」

「だって、港区のマンションに引っ越すって……」

「仕事のある所に行かないと、仕事が途切れるの。苦渋の選択よ。今より狭くなるしローンも高いし」

「読者モデルだって……」

「あのね。正式なモデル事務所に所属できないレベルの人が、読者モデルって形をとるの。その正体は、正規料金よりも安いギャラで使える人のこと」

「えっ? そうなの? でも旦那さんはデザイナーで……」

「不安定な職業すぎるわよ。だから私も、仕事続けなきゃいけないんじゃない」

「でもブログじゃ楽しそうな顔をしてて……」

「モデルは振りをするのが仕事なの。嘘でも、楽しそうな振りをする。ブログなんて、全部楽しそうな振りをしてる仕事の一環」

「そ、そうなの?……」

「……私は、本当はお向かいの犬飼さんがうらやましいのよ?」

「ええっ?」

 今朝も一人犬ぞりみたいになってる、小柄な奥さんにあいさつしたばかりだ。

「私は犬が大好きなの。本当は捨てられて殺される犬を助けて、里親を見つけるボランティアがやりたかった。でもダンナが動物アレルギーで、犬が飼えないのよ。犬飼さんが心底うらやましいわ。ダンナさんも公務員で安定した仕事だし、私は本当は、犬飼さんみたいな人生を送りたかった」

 話を聞けば聞くほどイメージと大違いだった。シンイチは、犬飼さんに話を聞きに行った。だが、返ってきた答えはまたも意外だった。


「私は、あなたのお母さんがうらやましいの」

「えええ?」

 河原で一人犬ぞり状態の犬飼さんをつかまえると、なんとシンイチの母、和代がうらやましいと言いはじめたのである。

「キミみたいな男の子が欲しかったのよ。でもウチには子供が生まれなくて。養子をもらおうってダンナに相談するけど嫌だって言うの。この沢山の犬たちは、きっとその反動ね。本当はわんぱくな男の子を育てる、大変だけど楽しい母になりたかった……」

「旦那さんが公務員で安定してるって……」

「四角四面の、何の面白味もない男よ。シンイチ君のお父さんのほうがよっぽど楽しそうだわ。ウチが、あんな楽しそうな家だったら」


 母、和代は、佐々木さんを妬んでいる。

 佐々木さんは、犬飼さんを妬んでいる。

 犬飼さんは、和代を妬んでいる。

「……ループしたね」

 シンイチはネムカケに言った。

「ぐるぐる回ってるんだ。……ジャンケンみたいに」


    5


 シンイチは腰のひょうたんから天狗七つ道具のひとつ、赤い鼻緒の一本高下駄を出して履いた。

「とう!」

 「跳梁ちょうりょうの力」でひとっ飛びして、銭湯の煙突の上にのぼる。金色の遠眼鏡、「遠見の力」の千里眼を覗いて探した。

「何を探しとるのじゃ」とネムカケが聞く。

「ねたみの集まりそうなところ!」

「?」

「んー、オーディション会場とか!」

 ピンク色の妖怪「ねたみ」がうようよ。同型異色のレモンイエローの妖怪「ひがみ」、シアンブルーの「そねみ」も集まっている。

「いたぞ!」

 そこは原宿のオーディション会場。シンイチは一本高下駄でひとっ跳び、つらぬく力で「ひがみ」「そねみ」を串刺しに捕獲。残りの漂う妖怪たちは、小鴉で斬り伏せた。



 公園には、彫像のままの和代が運び出されている。その前に、シンイチは佐々木さんと犬飼さんを連れてきた。

「シンイチ! 結界を!」

 ネムカケの忠告を聞き、シンイチは公園に不動金縛りをかけた。噴水の水は止まり、ボール遊びをしている子供たちはボールごと止まった。

「さて」と、シンイチは妖怪「ひがみ」「そねみ」をつらぬく力から解放し、佐々木さんに尋ねた。

「佐々木さんは、犬飼さんみたいになりたいんですよね?」

「そうよ」と佐々木さんは答える。

「犬飼さんは、ウチの母がうらやましいんだと」

「そうなの」と犬飼さんも答える。

「でも現実は、なかなか上手くいかないですよねえ」

「はあ……」と佐々木さんも犬飼さんもため息をついた。「ひがみ」は佐々木さんに、「そねみ」は犬飼さんにぴたりと取り憑いた。

「よし……」

 シンイチは腰のひょうたんから、朱い天狗の面を取り出して被った。

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「火よ在れ! 小鴉!」

 朱鞘から黒曜石の短剣を走らせる。たちまち黒い刀身から炎が吹き上った。妖怪「ひがみ」「そねみ」は天狗の炎を見るなり、口から宿主の体内にひゅるりと逃げた。

「準備OK……金縛りを解くよ母さん。エイ!」


 和代は、先程の続きを叫びはじめた。

「わたしは、佐々木さんのようになりたいのよう!」

 それを見て、「ひがみ」の取り憑いた佐々木さんが叫ぶ。

「私は、犬飼さんのようになりたいの!」

 同じく、「そねみ」の取り憑いた犬飼さんも叫ぶ。

「高畑さんみたいになりたい!」

「佐々木さん!」

「犬飼さん!」

「高畑さん!」

「ねたみ!」

「ひがみ!」

「そねみ!」

「ねたみ!!」

「ひがみ!!」

「そねみ!!」

「ねたみ!!!」

「ひがみ!!!」

「そねみ!!!」

 ネムカケが唸った。

「ほほう。ねたみの三すくみか……」

 体内の「ねたみ」「ひがみ」「そねみ」は巨大化しているのだろう。徐々に三人の胸が膨れ上がってきた。三人は狂ったように叫びつづける。

「旦那さんもセレブ! あなたもセレブ! ねたましいのよ!」

「何言ってんの! 全部表向きだけの、実質何もしてない家よ! 犬飼さんなんか、捨てられる筈の犬を育てているのよ!」

「子供がほんとは欲しいのよ! 旦那が実は浮気してるの! なんでよ! あんたの家は、あんなに楽しそうなのに!」

「ウチは単なる貧乏一家よ!」

「ウチは虚勢ばかりで実質がない!」

「ウチは嘘ばっか!」

「ねたみ!!!!!!!!」

「ひがみ!!!!!!!!」

「そねみ!!!!!!!!」

 三人は散々叫んで、ぴたりと静かになった。そして同時に言った。

「堂々めぐりじゃない」

 ぱんぱんに胸を膨らませた彼女たちは、突然大きくえづいた。

「おえええええええええええええええええええええええ」

 彼女たちの口から「ねたみ」「ひがみ」「そねみ」が勢いよく吐き出される。

「抱えきれないなら……出てくるしかないよね」と、シンイチは火の剣を構えた。

「自家中毒か!」

 ネムカケは感心した。


 巨大な三体の毒々しい色の妖怪は、互いの尻尾に食いついた。「ねたみ」は「ひがみ」の尻尾に、「ひがみ」は「そねみ」に、「そねみ」は「ねたみ」に。ぐるぐると三色の巴が回る。

「派手なドーナツみたい」とシンイチは感想をのべた。

「ねじる力!」

 掌からの矢印が空間に螺旋を刻む。水平にぐるぐる回るドーナツがねじられ、水車のように縦に回る形となった。

「たあ!」

 シンイチは一本高下駄で宙高く飛んだ。空の頂点から、小天狗ごと炎が降ってきた。

「一刀両断! ドントハレ!」

 妖怪「ねたみ」「ひがみ」「そねみ」は唐竹割りだ。浄火が包み、清めの塩と変えてゆく。その塩柱はぼふうと散って風となった。



 天狗の面を外し、シンイチは不動金縛りの結界を解いた。

「あれ? ……私何してたの?」と、和代が我に返った。佐々木さんも、犬飼さんも。

 不動金縛りにかかった人は、その時の記憶を覚えていない。丁度夢の記憶がどんどんなくなっていくのと同様だ。三人の記憶に残るのは、闇を照らす浄火である。

「ちょっと悪い夢を見てただけだよ」とシンイチは、パンと柏手を打った。

 和代は現実に戻った。

「ああ、そうだ。晩ごはんの買い物にいかなきゃ」

「私、娘のバレエ教室迎えにいく途中だった」と、佐々木さんも現実に帰ってきた。

「犬の散歩の続きをしなきゃ」と、犬飼さんも。

「あ、でも、娘のバレエはもう辞めさせようと思うのよ」と佐々木さん。

「どうして?」

「才能ないからよ! 高いし!」

 佐々木さんはあっけらかんと笑った。犬飼さんが提案した。

「今度、皆さんでランチでも行きません? 安くて美味しい所見つけたの」

「いいわね。高くて不味い所で笑うふりするのはもう飽き飽き」と佐々木さん。

「なんだか、お腹すいてきたわね。じゃ改めて」

 和代もその約束に賛成し、三者は三様の方向へ別れた。



 「情けは人の為ならず」と俗にいう。人に親切にすれば、その人はまた誰かに親切をし、船出した親切はめぐり巡って、いつしか自分に帰って来るという話だ。情けは人の為だけでなく、自分の為でもあるとする考え方である。幸せの「余り」のように世の中を親切が回るのなら、妬みは、足りない負の形で世間を巡っているのかも知れない。シンイチはそう想像してみる。

 金は天下の回りもの。親切も、妬みも、天下の回りもの。妬んだ先の妬んだ先の……その人は、自分を妬んでいるかも知れない。シンイチは遠見の力で世界を俯瞰して、お金と親切と妬みが、血管を巡る血のようにぐるぐる回っているところを観察できたら面白いと夢想した。


 帰り道、お腹のすいたシンイチは母にたずねた。

「ねえ、今日の晩ごはん何?」

「お腹すいたんなら、ドーナツがあったはず」

「ドーナツはいいよ! ごはんだよ!」

「カレーにしようと思ってたけど」

「やったあ!」

 カレーは、何故こうも少年の心をときめかせるのだろう。シンイチは小躍りして、ぐるぐる回った。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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