第12話 解答の発見

 殆ど放心状態で部屋に戻った浩太は、とり

あえずメールのチェックをしてみた。綾野先

生か橘助教授から何か届いているかも知れな

いし、アーカム財団にも多少の伝手で頼んで

あることがあったので、その返事が届いてい

るかも知れない。


 浩太はノートパソコンに携帯電話を繋いで

インターネットに接続した。


 メールは10通ほど届いていた。8通まで

は広告とプロバイダからの連絡メールだった

が、1通は綾野先生からだった。


(詳しくは帰国してから直接話すが、重大な

情報を得られた。ただ、こちらで執拗に妨害

工作を受けて、少々怪我をしている。こちら

で助けて貰った人の世話になっているから、

心配はしないでくれ。出来るだけ早い時期に

帰国するから、くれぐれも軽挙盲動はつつし

むように。といっても聞くような浩太ではな

いことは判っているが・・。このメールもハ

ッキングされている可能性が高いので、私の

居場所や帰国時期は書けないが、もう暫くだ

から待っていてくれ。)


 以上のような主旨のメールだった。合衆国

でどうも大変な目に遭っているようだ。怪我

が軽ければいいのだが。ただ、このメール自

体も本物かどうかを見極める術を浩太は持っ

ていなかった。


 特にあても無く、独自のルートを持たない

岡本浩太は、大学に行く気力も無く部屋に閉

じこもっていた。綾野先生からの連絡がいつ

入るのか判らないこともあって、部屋を出る

気がしなかったのだ。


(ピンポーン)


 不意にチァイムが鳴った。


(誰だろう。)


 浩太がドアを開けると年齢的には浩太と同

年代だが、落ち着き具合からは数十歳も年上

に見える、非常に整った、だが冷たい印象を

与える女性が立っていた。


「岡本浩太さんですね。」


「そうですけど、あなたは?」


「私は鈴貴産業の拝藤と申します。綾野先生

からお聞きになったことは無いでしょう

か?」


 拝藤といえば、クトゥルーの眷属である

『母なるハイドラ』その人ではないか。


「はっ拝藤さんがぼっ僕に、なっ何の用です

か?」


 浩太は落ち着こうとしたが、失敗した。声

が上ずってしまう。外見からは想像できない、

その正体を知っているのだから仕方が無いだ

ろう。浩太が特に臆病な訳ではないのだ。


「ここでは何ですから、お部屋に入れていた

だけます?」


 綾野先生からは拝藤女史が特に危険な存在

とは言われていなかったので、浩太は彼女を

部屋に招きいれた。


「それで、僕に一体どんな用があるというん

ですか?」


 急かすように彼女が座った途端、浩太は切

り出した。座布団もなく、畳に正座している

彼女に対して(なんと正座が似合うのだろう。

今時の女性にはない、気品があるよなぁ。)

などと、場違いなことを考えながら。


「綾野先生はいま何処にいらっしゃいます

の?」


 どこまで彼女に正直に話してよいのか、判

らなかった。加えて彼女が本当に綾野先生と

会った事がある拝藤女史なのか、浩太には確

認する術もないのだ。


「僕に聞く前に、先生の動向は常に把握して

いるんじゃないのですか?」


 浩太は逆に相手の情報網を確認すべく、聞

き直してみた。


「何か、疑っておられるようですね。仕方の

無いことですけれど。ただ、これだけは信用

して頂きたいのです。私や田胡などは決して

彼方達に敵対する気はありません。この間、

我が主が復活を成し得なかった事は非常に残

念ですが、それは私達の力が足りなかったこ

とと考えています。彼方達は彼方達人類の未

来を賭けて行動しておられるのですから、そ

の行為自体を責めるつもりはないのです。い

ままでもそうでしたし、これからもそうでし

ょう。私達には永劫に近い時間が許されてい

ます。次の機会を待てば済む事ですから。た

だ、深き者どもやインスマスの住民たちはそ

うは考えていないかも知れません。彼らが彼

方達を憎むことは在り得る事でしょう。」


「脅すつもりですか。」


「いいえ、事実を確認しているだけです。私

の立場と彼方の立場の。」


 妖艶とか小悪魔とかの形容詞がつく女優に

似ている、ひきこまれそうな瞳で拝藤女史は

微笑んだ。


(こんな状況じゃなかったら惚れていたかも

知れないな。)


 あいかわらず、不謹慎なことを考えつつ話

を聞いている浩太だった。ここ暫くは重い沈

んだ気持ちで過ごす時間が多かったのだが、

本来の自分は、桂田に負けず劣らない楽天家

であったことを急に思い出した。それでいま

まで何とか乗り切って来たのだ。今回も大丈

夫だ。不思議とそんな勇気が湧いてきた。


「彼方達が敵対するつもりはない、というこ

とと彼方達の眷属はその範疇ではないことは

ある程度理解しました。それで、そんなこと

を態々僕に伝えに来たんですか?」


「いいえ、そうではありません。先ほどは彼

方が私を何処まで信用しておられるのかが判

らなかったので、あのようなことをお聞きし

ましたが、仰るとおり私どもでは綾野先生の

動向はある程度掴んでおります。ただ、我が

主の復活については今後数十年の時を要する

ことでありますので、それほど熱心に活動を

行っているとは言えないのです。深き者ども

には私達の考えは理解されておりません。」


「なるほど、その辺りで意見の相違があると

いうことですね。」


「そういうことです。綾野先生がアーカムに

向かわれたことは存じておりますが、その後

の動向はどうもはっきりしないのです。何者

かの結界の中に取り込まれてしまったような

消え方なのです。それもかなり力を持ったも

のの結界に。」


「それは『旧支配者』クラスの、という意味

ですか?」


「彼方達がそう呼んでいる者達、という意味

では、その通りです。」


「彼方達はなぜ、綾野先生の行方を気にされ

るんですか?」


 そこが一番引っかかるところだった。綾野

先生や自分はクトゥルーの復活を阻止しよう

としていたのだから、たとえ憎んでいないと

いっても、例えばどこで死のうと関係ないは

ずだ。


「綾野先生からは特に聞いておられません

か?」


「いいえ何も。ただかのヴーアミタドレス山

に迷い込んでしまった日の前日に彼方が先生

を訪ねてきたことと、縦穴の捜索を止めるよ

うに示唆したこと、あれは綾野先生たちを誘

き寄せる罠だとかなんとか。」


「その通りです。あれは単純な罠でした。彼

方達の地元で通常考えられない巨大な縦穴が

発見される。当然のような彼方達が捜索に入

る。そしてヴーアミタドレス山の洞窟ではツ

ァトゥグアが待っている。私が綾野先生に指

摘した通りになってしまいましたね。」


「いや、先生は調査を中止する、と仰ったん

です。それを僕と桂田が、あっ桂田というの

は今でもツァトゥグアの元で人質になってい

る僕の友人なのですが、その二人が勝手に穴

に入っていっちゃったんです。綾野先生と橘

助教授はそれに気付いて後を追ってきて下さ

って。」


「どうも私にはその辺りが引っかかっている

のです。具体的に何処が、と言われても返答

に困るのですが。ただ、私達は、これは綾野

先生にもお話したのですが、我が主の復活を

前に、他の旧支配者などが復活をしては困る

のです。これは単に私どもの勢力争いではあ

るのですが、とりあえずは彼方達と利益を共

にする事になるのですから、その辺りは信用

していただいて結構です。つまり、彼方達次

第、ということですが。」


「彼方達にもやはり勢力争いがあるのですね。

そう考えるとなんだか、単に恐怖や畏怖の対

象としてしか捉えて居なかった『旧支配者』

も僕たちとそう変わらなく思えてきます。ま

あ、個々の能力は神と比肩し得るものではあ

ってもね。」


「火のクゥトゥグア、土のツァトゥグア、風

のロイガー、ハスター、そして水の我が主、

彼方達が四大要素に擬えているのは強ち間違

いではありません。それぞれが敵対している、

或いは敵対していないまでも、何らかの協力

関係を結ぶには至っていない。主神クラスと

呼ばれている者たちの関係はそのようなもの

なのです。」


 拝藤女史はなにか困っている、とも言うべ

き表情で語っている。実際にツァトゥグアな

どがクトゥルーよりも先に復活を成し得たり

したら、ダゴンやハイドラなどはその配下に

取り込まれてしまうのだろう。そのうえでク

トゥルーが復活でもしようものなら、どのよ

うな仕打ちが待っているのだろうか。


「ツァトゥグアが復活をしてしまったら、彼

方やダゴンでもどうしようもないのです

か。」


「私達は彼方達の感覚で言うところの『死』

とは無縁です。その代わり、例えばある呪縛

に捉えられてしまうと未来永劫そこから抜け

出ることが出来なくなってしまいます。自ら

の力で抜け出せないのなら、眷族達を使って

呪縛を逃れる手立てを立てます。それが出来

る力のあるものを主神クラスと彼方達が呼ん

でいるのです。残念ながら私やダゴンでは、

呪縛を受けながら眷属に影響を与えられるほ

どの力はございません。そして、ツァトゥグ

アは眷属を持つ必要が無い程、周囲に影響を

与えられる力を持っているのです。」


「なるほど。ただ、僕達から見れば彼方とツ

ァトゥグアの力の差は、2の無限乗と3の無

限乗の違いにしか思えませんけど。」


「それは適切な表現かも知れませんね。2と

3を乗じていけば行くほどその差は開いて行

くのです。例え結果として無限乗であっても。

観念的な話ですのであまりご理解いただけな

いかも知れませんが。」


「いや、判るような気もします。その辺りの

事情はある程度理解しましたけれど、彼方が

この部屋に来られた理由をそろそろお聴きし

たいのですが。」


 状況の説明、立場の説明に終始し、拝藤女

史は来訪の主旨を未だ述べていなかった。2

の無限乗の力を有する者が、僕のような者に

どんな用があると言うのだろうか。


「そうですね。そろそろ本題に入りましょう。

今回彼方達が遭遇した件についてはご自身で

ある程度は把握なさって居られると思います

し、私達の立場もご説明しました。そのうえ

でお私が来た目的は、端的に言えば彼方達に

ツァトゥグアの封印を説く方法を教えて差し

上げるため、なのです。」


 浩太には拝藤女史が何を言っているのか、

咄嗟には理解できなかった。封印を説く方法

を教える?そんなことをすればツァトゥグア

を復活させてしまうかも知れないのに。それ

を阻止したい自らの立場を今まで散々説明し

てきたのではなかったのか。


 驚くべきツァトゥグアの復活方法を拝藤女

史から聞かされた岡本浩太は、彼女が帰った

後も震えを止めることが出来なかった。

拝藤女史はなぜ浩太にツァトゥグアを復活

させる方法を教えたのだろうか。そして、そ

れは本当にツァトゥグアを復活させることが

出来る方法なのだろうか。もしかしたら更に

ツァトゥグアの封印を強める為の方法を教え

たのかも知れない。


 しかし、それならば浩太に嘘を吐かなくて

もそのままを教えれば済むことだ。考えれば

考えるほど判らなかった。そもそも人間の浅

墓な考えの及ぶ存在ではないのかも知れない。

それにしても浩太はいったいどうすればい

いのか、全く以って見当がつかなかった。綾

野先生や橘助教授は未だ連絡が取れない。拝

藤女史からはなんとツァトゥグアを復活させ

る方法を聞いてしまった。それをそのままツ

ァトゥグアに伝えれば桂田は無事戻ってくる

かも知れない。


 でもそれはそのまま全人類が滅亡に向かう

ドアを開けることに成りかねない。浩太一人

で判断できるようなことではなかった。三人

で話し合ったときは、取り敢えずじっとして

いても仕方が無いのでツァトゥグアを復活さ

せる方法を見つけよう、ということになった

だけで、見つかったら如何するのか、という

ことまでは決めていなかった。そう簡単に見

つかるとも思っていなかったからだ。

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