第11話 それぞれの試練②

 浩太はいくつかの文書の解読を出来る範囲

で取り組むことにしたが、もう一つの方法と

して、京都に出かけることにした。京都には

綾野や橘とも親しい古書店の主人が居るはず

だった。綾野も何かあれば頼るように言い残

している人物だ。その人を訪ねてみようと思

った。


 JR琵琶湖線で京都まで出て駅ビルの地下

街からポルタへと向かった。ポルタに続いて

造られた新しい地下街にその古書店はあるは

ずだった。


 一番北までいったところを東へ折れて、そ

れからがどうも妙なのだが、徐々に坂になっ

ている通路を降りていくような感じがする、

更に奥にその店はあった。


「ここだな。」


 それはとても新しい地下街にあるとは信じ

られないような古ぼけた店だった。店の名前

は「京極堂」とある。看板の文字は浩太が見

ても惚れ惚れするほど達筆であった。


「あの、すいません、ご主人はいらっしゃい

ますか。」


 奥の風呂屋の番台のようなところにいるの

は、昔の現代国語の挿絵に出てきそうな、レ

トロ調の出で立ちの風采の上がらない、ただ

眼光だけは鋭い男だった。ひとめで愛想がな

いことが判る風貌だ。


「何か?」


 声は見た目のとおりの細い、ただしっかり

とした声だった。


「琵琶湖大学の綾野祐介先生の紹介で来たの

ですが。岡本浩太といいます。ご存知かもし

れませんが、岡本優治の甥にあたります。」


「綾野祐介?岡本優治?」


「そうです。ごく親しい間柄だとお聴きして

いたのですが。」


「ああ、ホラーマニアの二人だな。そんな大

層な名前だったのか。橘の後輩だろう。」


「違いますよ。城西大学の橘助教授の先輩に

当る二人です。」


「先輩、あの二人は年上だったのか。それに

してはどうも頼りない風だった。その綾野の

紹介で、岡本の甥がどうした。」


「実は、綾野先生と橘助教授は今拠所ない事

情で米国と英国に旅立ってしまっていて留守

なんですが、僕も何かの役に立ちたいと思っ

て此処に来たんです。」


 岡本浩太は何を何処まで話してよいのか、

自分の中で明確な決断をしないまま話し出し

てしまったので、曖昧で中途半端な説明にな

っていた。


「何を話しているのかさっぱり判らんが、で、

私に何をどうしろと言うんだ。」


「ご主人に是非とも協力をお願いしたく

て。」


「だから、どうしろと言うんだね。」


 古本屋の主人は神経質そうな外見そのまま

に、どうも短気な性格らしい。


「いや、ですから、ご主人に探していただき

たい本があるのです。」


「そう云うことを早くいいなさい。でないと

何が言いたいのか判らないじゃないか。」


「すいません。」


「それでどんな本がご所望かな。」


 本当は本を探して貰おうとも思ってはいた

のだが、翻訳や暗号解読を手伝って貰えない

かと期待して来たのだった。その道、特に暗

号解読は綾野先生の師匠格だと聞いていた。


 年齢的には綾野先生や優治伯父と橘助教授

の間らしいのだが、とてもそうは見えない。

三人よりもかなり年上に見える。


「本も探してはいるんですが、できれば翻訳

とか解読の方を手伝って頂ければと思いまし

て。」


「解読?ああ、綾野が熱中していたあれね。

だめだめ、あんな物は解読する価値が無いも

のばかりだった。そんなものに振り回されて

ばかりいるから、あいつもいつまで経っても

出世しないんだ。まあ、もともと出世したい

風でもなかったがね。橘の方は助教授か、あ

いつの方がそう云えば真面目というか、要領

はよかった。それと岡本優治なぁ。あの御仁

はどうも軽薄でなじめなかったが、ああ君の

伯父さんだったな。これは失敬。」


 そう言われても仕方が無いような伯父なの

で何も言い返せない。


「いくつかは、信憑性の高い文書があるんで

す。」


「そんなことなら、儂がその手の本を探し出

してあげようか。そっちの方が本職だか

ら。」


「何か心当たりでも在るのですか?」


 どうもそんな口調だ。


「在ると言えば在るな。ついて来るかい?」


「はい。」


「それなら行こう。」


「えっ今ですか?お店は?」


「客が来るような店に見えるかい。儂はね、

客の要望で本を探すことを主に仕事している

ちょっと変わった古本屋なのだよ。古本屋と

いうよりは本の捜し屋とでも言うところか

な。」


 確かに一風どころか、二風も三風も変わっ

ている。


 こうして、岡本浩太と古本屋の主人はどん

な本を探すのも話をしないまま出かけたのだ

った。


 岡本浩太と古本屋の主人はJRの京都駅ま

で戻って電車に乗った。そのまま大阪まで行

き、下車した。


「どこまで行くのですか?」


「まあ、黙って付いて来なさい。」


 どんな種類の本なのかもろくに話をしない

ままに連れて行かれるので、浩太は多少不安

だったが、それほど不審な人物にも見えなか

ったので、黙って従うことにした。どんな些

細な情報でも欲しいのだから。


 大阪駅でも地下街に降りて南に向かった。

京都と違い地下街も広い。大阪駅から真直ぐ

進み、暫く行った所で三方に分かれる道に当

った。そこを一番左に進み多少右方向に折れ

つつ進んだところで、ちょっとした狭い脇道

に折れた。その先にはエレベーターがあった。


「ここだよ。」


 主人と浩太はそのエレベーターに乗り込ん

だ。そして、降りる階を押すの筈なのだが、

主人は特に何もしない。ただ、天井の隅をじ

っと見つめているだけだった。


「どうしたんですか?」


 浩太がそう問い掛けても返事もせずにその

体勢を保っている。


 するとどうだろう。どこからかモーター音

が聞こえてきた。聞き耳を立ててみると、エ

レベーターの箱の後ろから聞こえてくるよう

だ。その時、突然そこに空間がぽっかりと開

いた。


「さあ、どうぞ。」


 その中は、違うエレベーターだった。二人

が乗り込むと直ぐに後ろのドアが閉まった。

そして、徐にエレベーターの後ろのエレベー

ターは下へと降りていった。今度も降りる階

数は押さない。それどころか、押すパネル部

分が無かった。乗れば動く。そんなエレベー

ターなのだ。


 下に着いた。ドアが開くと廊下が続いてい

る。右に行く道と左に行く道。二人は左に向

かった。


 暫く歩いて幾つかのドアの前を通り過ぎた

とき、古本屋の主人が立ち止まった。


「ここだ。入りたまえ。」


 ドアを開けて岡本浩太が入ったその部屋は

14帖程度の広さのフロアで、室内には数台

のデスクとその上にパソコン、その他資料な

のか紙類が乱雑に積まれていた。


「何処なんですか、ここは?」


「ここは私の組織の拠点の一つなのだよ。」


「組織?」


「君が知っているアーカム財団という組織が

あるだろう。あれのもっと全世界的でオフィ

シャルな組織、だが財団ほど世間には知られ

ていないというようなスタンスと考えて貰お

う。」


「ちょっと待って下さい、それなら僕が此処

に来た理由は?」


「騙すつもりは無かったんだが、結果的には

そうなってしまった。すまないと思っている。

私も事情を正直に話して協力を願う方が望ま

しいとは思っているのだが、多少、君の意向

に逡巡してはいられない事情もあってね。」


「何が何だかさっぱり判りません。いったい

どういうことなんです?」


 部屋にはラフなスタイルの男(少年と青年

の間ぐらいの年齢?)たちが二人、面白そう

に見ている。自分以外の全てが事情を把握し

ていて自分だけ知らない、というのが気に入

らなかった。


「君が思っているほど、君自身の価値は軽く

ない、というところが一番事情を説明するの

に適切な言葉だと思うのだが。」


「そんな説明では全く判りませんよ。もっと

はっきりと言って下さいませんか。」


「つまり、ツァトゥグアに一旦取り込まれた

人間は史上君達四人しかいない、ということ

だ。これなら判るかね。」


 なるほど、それはそうだろう。まして、無

傷で戻ってきた人間は皆無であろう。


「それは判りますが、だからどうなのかが判

りません。僕は何故こんなところに連れて来

られたんですか?」


「そこが問題なのだがね。その辺の事情を正

直に言ってしまうと、君が協力を拒むかも知

れない、と判断したので君の申し出に協力す

るような体でここまで付いて来てもらったの

だ。」


「だから、その理由とはなんなのです?内容

によっては協力します。ツァトゥグアに取り

込まれたことをご存知でしたら、僕が今何を

求めているのかも当然知っておられますよね。

その件に協力してもらえるのなら。」


「それは無理な相談だよ。君にも判っている

筈だ。人一人の命と人類全体の問題なのだか

ら検討する余地はない。ただ、我々は別の角

度から君の友人を救う方法が見つけられるの

ではないかと期待しているのだよ。そのこと

について、是非とも君に協力をしてもらいこ

とがあるのだ。」


 岡本浩太にも古本屋の主人の言おうとして

いることはおぼろげに判ってきた。つまり、

自分の身体を調べてツァトゥグアに関する情

報を得たい、ということなのだ。それによっ

て、ツァトゥグアの封印を解くのではなく、

逆に滅ぼすための手掛かりを探そうとしてい

る。


「僕に実験台になれと仰るんですね。」


「君は話が早い。協力してくれるのなら我々

に出来るだけのことはしよう。場合によって

はヴーアミタドレス山に軍隊を派遣してもい

いと思っている。」


「そんなことでなんとかなると思っている訳

ではないでしょうね。少なくとも専門家であ

ると仰るのなら。」


「判っているさ、通常兵器では奴らを滅ぼす

ことなど出来はしないことは。ただ、君から

得られたデータによって奴らの弱点が見つか

るとしたら、我々の力でもなんとかなるかも

知れない。だからこそ、君の協力が必要なの

だよ。」


 話の内容は理解できた。問題は具体的にど

のように協力をさせられるのか、だ。


「判りました。出来るだけのことはさせても

らいますよ。一体何をすればいいのです

か。」


「とりあえず、君のDNAを調べたいのだ

が。」


 岡本浩太はそこで人間ドックに入ったよう

な様々な検査を3日間に亘って受けた。


 血液や体組織を何度となく採取された。何

かの薬品も数種飲まされたり注射されたり、

その度に脳波や心電図を計測していく。医学

生ではない岡本浩太にはそれがどのような検

査になるのか、見当もつかないものばかりだ

った。


「素直に検査に応じてくれているようだ

ね。」


 検査が始まって直ぐに仮の姿である古本屋

の主人に戻っていた男は、数日振りに浩太の

前に現れた。


「親友の命と人類の未来がかかっていますか

らね。」


 本当にそう思っている訳ではないのだが、

浩太はそう応えた。多少自虐的な気分になっ

ている所為だろう。


「君にも聞く権利があるだろうから、今まで

に判ったところを話しに来たんだが、聞きた

いかね。」


「当然です。でなければ協力している意味が

無いじゃないですか。」


「では話そう。後悔はしないね。」


 男の口調はかなり思わせぶりだった。何が

あると言うのだ。


「後悔なんかしません。」


「とりあえず、いまのところ判っていること

は、まず、君は平均的な君の年代の青年と比

べても身体能力がかなり上回っている、とい

うことだ。」


 とても誉められているような気がしなかっ

た。


「そんなことを調べていたんですか。時間の

無駄でしょうに。」


「そう急かさないでくれたまえ。本題はこれ

からだ。その君の身体能力の中で、特に優れ

ているのが反射神経だ。これについては、自

覚があるかね。」


「いいえ、特にそんな風に思ったことは無い

んですけれど。」


「なるほど。まあ、優れている、というよう

な表現が適切かどうか判らないんだが。君の

データから推測すると、君の反射神経ならば

例えば君目掛けて飛んでくる銃弾を避けるこ

とが出来るだろう、という話だ。漫画や小説

の超人、達人のように。ただ、これは動体視

力や銃声を聞き分ける超人的な聴覚も同時に

必要になってくるのだが。」


「どういうことですか。」


「平たく言えば、君の反射神経は人間のそれ

を遥かに凌駕している、ということだよ。」


 俄かに信じられる話ではなかった。何の自

覚症状も無いまま、癌だと告知されたような

感じだ。


「そして、やはり、とでも言うべきだろうが、

君のDNAは約3%が人間のものとは全く違

ったものに変化していた。現在知られている

地球上のどの生物とも合致しない。つまり、

その部分がツァトゥグアそのものの遺伝子か、

ツァトゥグアによって変化させられた部分だ

ろう。」


「そうですか。ある程度覚悟はしていたんで

すが、確認されたとなると。」

 ショックだった。いままで、色々と危険な

目にも遭ってきたので、多少感覚が麻痺して

いたのかもしれないが、生来の楽天家だった

はずの浩太なのだが、自分が人間ではないと

告知されたようで、足元から地面が崩れてい

くような浮遊感に襲われた。


「僕はもう人間ではないのですね。」


「いや、たとえば人間と深き者どものあいの

こであるインスマス面のDNAは人類とは約

25%が一致しない。それらと比べると君は

遥かに人間に近い存在だと言えるだろう。」


 何の慰めにもなっていなかった。


「その辺はある程度覚悟していましたし、詳

しい説明は結構です。で、何か弱点は掴めた

んですか?」


「それなんだが、君のDNAで変化している

部分と、さっき話したインスマス面の者達の

ものとは、どうも一致する部分が無いのだよ。

つまり他に比較できる対象が今のところ手に

入らないので、検討の仕様が無い、という訳

なんだ。もともとDNA自体の解析がそう進

んでいる訳ではないので、その中で君が変化

させられている部分が、どのような遺伝情報

を司る部分なのかが、確定できないのだ。」


「それじゃあ、僕が協力している意味が無い

じゃないですか。何とか成らないんです

か。」


 話が違う、と思った。それなりの成算があ

ってのことだと勝手に思い込んでいたのだ。

実はただデータが欲しかっただけだったのだ。


「いや、貴重なデータが得られたと研究員達

は喜んでいるよ。ただ、実効性のあるデータ

は得られなかったので、君の友人を助け出す

手助けは出来そうも無い、と理解して欲しい

のだ。我々はこれからも人類がやがて晒され

るであろう非常事態を出来る範囲で先延ばし

させるか、永久に阻止し続けるための方策を

探っていくだろう。君にも、我々の主旨を理

解して貰っている筈だから、こちらの要請に

従ってデータ収集に協力してくれたまえ。」


 そう云うと、岡本浩太の抗議も聞かずに部

屋を出て行った。ひとり残された浩太は、別

の係員に連れられて、元来た地下街に連れ出

され、そこで開放されたのだった。


「一体どういうつもりなんだ。」


 係員の背中に罵声を浴びせても仕方が無い

ことは判っている。だが、叫ばずには居られ

ない浩太だった。


 結局、何の手掛かりも得られないまま、数

日を無駄に過ごしてしまった。本当にあの男

は綾野先生の友人なのだろうか。もしかした

ら、そこから疑わなければならなかったのか

も知れない。浩太は、仕方無しの彦根の自分

のアパートへと戻るのだった。

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