喜怒哀楽のスマートボール
スマートボールという遊びがどんなものか知らない人もいるだろうから先ず説明をする。有り体に言えばパチンコである。最近では主に祭りの屋台や温泉地の遊技場で見かけることが多いように思う。
撞き棒で弾いた球は斜めに傾いだ板の最上部に達するとゆっくりと落ちてくる。到る所に打ち込まれた釘に当っては行く先を変え、さてどこの穴、ポケットに入るでしょう。何点でしょう。という至ってシンプルな遊びなのでこう書いていても何が楽しいのかイマイチよく分からない。しかし私は見かけたら必ず遊んでしまう。3ゲームも4ゲームもやってしまう。パチンコはやらない。嵌まったら怖いからである。
そういえば小学校の工作の時間、クラスの男子の四分の一がスマートボールを作っていたような気がする。板に思い思いの絵を描き、20000点だの-3000000点だのと小学生らしい桁外れの点数をぐりぐりと書き込んで互いに遊ばせていた。今考えるとパチンコの系譜で遊ばせるのは不健全教育というべきか、英才教育というべきか、評価が難しい。とても面白かったのは事実である。
しかし別にスマートボールを懐かしみ、慈しみたい訳ではない。
私がいま言いたいことは、感情とはスマートボールのように出来ている、ということである。少なくとも似ている。私はそう考えているのであり、同意が得られるか分からないけれど発表してみようという試みなのである。
人の心の中で感情が芽生えるためには出来事がなくてはならない。これがスマートボールで言うところの弾いた球である。出来事はごろごろと転がって心の中にある色んな物にぶつかる。過去の体験や世間の常識、主観や客観などである。これ即ち釘である。当然人に依って釘目は違っている。
そしてめでたく、出来事は須らく心のポケットに入る。沢山のポケットがある。代表的なのは「喜」「怒」「哀」「楽」の4つのポケットであるけれど、他にも「静」とか「動」とか色んなポケットがある。ポケットに入らなかった球は一番下にある「無」に吸い込まれ、その場合感情は起き上がらない。
こんな次第で選別された出来事は収まったポケットによって伴う感情を変える。
難しい感情もある。喜びと嫉妬が入り混じった感情はどう処理されているか。
例えば長年伴侶が居らず応援していた後輩に容姿端麗な伴侶が出来たとしよう。例えばである。そんな大きな出来事が撞き出され、心の坂を転がり始める。義理も欠かさず、そうは言っても距離も空けすぎないよい後輩像(という釘)に当って球は「喜」ポケットの方へ向かう。
しかし幾ら何でも美麗に過ぎる。後輩にはもったいないほどである。球は勢いを増して理知的で怜悧な瞳をした彼女像(という釘)に迫る。そして突き当たった瞬間球はぱっくりと割れ、半球と化した勢いそのままくるくると回転しながら「喜」「嫉」ポケットにそれぞれ入る。かくして背反した感情を抱えることになった。
なった、と言っても私ではない。あくまで例えばの話である。
こんな風にして感情が生まれているというのが私の持論だ。自分のポケットがなんであるか考えてみたが案外見つからない。10種ほどの複合で全て賄えそうな気がする。赤と青を混ぜて紫を作る様に、感情にも基本パーツがあるのかもしれない。
本家のスマートボールでは良いポケットに入り続けるとその分だけ球が追加されていく。つまりそのまま遊び続けられるのであるが、心に於いてはそうはいかない。「喜」ばかりに入っていると何故だか急に「哀」に入れたくなる。そうして人は所謂「泣ける映画」を観に行ったりするのである。
次はなぜ人は「泣ける」を重んずるのかについて書こうかと思っているが、書かないかもしれない。私の心は人より「怠」のポケットが大きいからである。
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