宮本武蔵

武蔵⑴


今考えてみると、休む暇のない人生だった。

五輪書を書き終え、もう思い残すこともないと思っていたが、もう剣を握れないと思うと、胸が苦しくなる。

息を吐き、目を瞑る。

体がふわっと、浮き上がった。





目に入ったのは、見たことのない、老人だった。


「あ、あんた誰だ」


武蔵は起き上がり、その老人に声をかけた。


「ここはどこだ、とは聞かんのか。」


質問に答えてくれと言わんばかりに舌打ちをした後、


「あの世、だろう。極楽には見えんがな」

と答える。


見渡すと、刀があらゆるところに刺さっている。

こんな物騒な極楽はないだろう。


だが、閻魔は見えない。地獄ほど悪い場所にも見えない。


「少し、間違うておる」


「?」


「お主は小次郎の命を奪うほどの男なのだからわかるであろう。善人は極楽に、悪人は地獄に行く。なら、自らの道を究めた剣客は どこに行く?人を斬ったのだから悪人か?それは違う。剣客に正と悪は存在せん。お主も、お主の思うがままに生きてきたのだろう。」


「あ、ああ」


「ここは剣客が死んだのちに来る、剣界じゃよ。」


「あんたも、剣客なのか?」


「まあ、そんなもんじゃ。」


「名は。」


「富田勢源。」


「⁉︎」


富田勢源はその道の者で、知らないものはいない小太刀の名手である。


「富田勢源…」


武蔵はまじまじと老人の目を見つめる。

穏やかな瞳の奥に、何か鋭いものを感じた。


「お主には、使命がある。着いてこい。」


*富田勢源Wikipedia

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E5%8B%A2%E6%BA%90





勢源に着いて行くと、道場があった。

勢源が刀掛けから刀を一本取り、武蔵に投げた。

武蔵が受け取り、鯉口を切るとそれは愛刀・兼重であった。


「何故…」


「ふっ、剣界にない刀はない」


武蔵は着流しに脇差といった服装である。その帯に兼重を差した。

すると勢源は腰から小太刀を抜き放ち、武蔵に飛びかかった。


「何をするっ!」


武蔵は左手で脇差を抜いてそれを受けた。


「この世界を率いよ!」


勢源はそう叫び、後退した。

両腕をぶらりと垂らし、武蔵を睨みつけている。


その異様な気に怯みそうになり、兼重の柄に手をかけた。

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