1-37.魔王

 僕とエミナさんが、エルダードラゴンさんの背中から同時に飛び降りる。バトルドレスのヒラヒラとした袖とスカートをたなびかせながら、僕とエミナさんは地面に向かって落下した。

 ――すたっ。

 ――ドタッ!

 エミナさんは、まるで小鳥が降り立つように綺麗に着地したが、僕はがに股で、両手も地面についている。まるで蛙である。

 男なら、まあ、このくらい荒い着地も見方によっては映えるだろうけど、僕は今は女性だ。しかも、ヒラヒラのスカート姿なものだから、尚更はしたなくて格好悪い。


「やれやれ、騒々しいね」


 穏やかで清涼感のある声が聞こえる。これが魔王の声だというのか。


「あれが……魔王……」


 エミナさんが、じっと魔王を見据え、慎重に間合いを計りながら呟いた。

 魔王の体は真っ青なローブに、顔は青白い仮面に包まれているので全貌は分からない。

 ローブは、その長さが特徴的で、魔王の背の何倍もの丈があると見受けられる。腰の部分から、いくつかの切り込みが入っているので、魔王を中心に何本もの帯が、地を這っているように見える。

 仮面はひび割れていて、今にも割れてしまいそうだ。


「余の仮面がほら、ボロボロだよ」


 魔王がひび割れた仮面に手を掛けると、仮面は粉々に砕け散った。そして、徐にローブのフードを取る――中から現れたのは、人だ。

 顔立ちは整い、髪は綺麗な濃い青髪をしている。体はローブに包まれていて見えないが、顔と首の感じから考えるとスリムな体型だろう。絵に描いたような美少年だ。


「やあ、今度は随分可愛らしい人間が来たね。余は……そうだな、君達に分かり易く言う方がいいだろうな。人間は私の事を色々な名で呼んだが……ふむ。これならば、人間の言葉の中でも、どうにか聞くに耐える響きだろう。プリンツユーベルとでも名乗ろうか」

「ユーベル……うわっ!」


 ユーベルの青いローブが、何故か僕に向かって伸びてきた。切り込みで分かれているうちの一つだ。僕は不意の事で驚いて、思わず後ろにのけ反り、挙句の果てに尻餅をついてしまった。


「つっ……!」


 エミナさんも体を翻し、間一髪、ユーベルのローブをよけた。


「鋭い……!」


 エミナさんの、長く茶色い髪が舞い散った。

 ユーベルのローブは刃物のように鋭いらしい。それがエミナさんの髪の先端に触れたから、エミナさんの髪が切れたのだろう。


「風よ、その身を鋭き螺旋の形に変え、万物を貫く刃となれ……ドリルブラスト!」

「雷よ、我が手に纏わり全てを切り裂く刃とならん……ライブレイド!」


 エミナさんも僕と同じで、ローブを得物で防ごうと思っていたらしい。ふたりで同時に詠唱し、同時にそれぞれの魔法を発動、そして構えた。


「はぁっ!」


 ひと声の掛け声を発し、エミナさんは迫るローブをドリルブラストで弾いた。


「んっ!」


 僕も同じように、僕を切り裂かんとするローブにライブレイドをぶつける。

 ガキッという音と共に、ローブが弾き飛ばされた。


「これでどうにか防げるね!」


 エミナさんに声をかけると、エミナさんは軽く頷いた。


「うん。でも防ぐだけじゃ、魔王は倒せない……」

「うん……」

「闇を射抜く光の刃、その先にあるのは希望の道……シャイニングビーム!」


 エミナさんのシャイニングビームがユーベルの方へと放たれたが、ユーベルは微動だにしていない。

 エミナさんのシャイニングビームがユーベルに届く前に、ローブが射線を遮ったからだ。

 ――ジイィィィィィィィィィ!

 ローブは幾重にも重なりシャイニングビームを防いだ。

 一番前のローブが焼き切れたらその後ろのローブ、後ろのローブが焼き切れたらさらに後ろのローブとシャイニングビームは進んでいったが――五枚目のローブを焼き切ったところで、シャイニングビームは途絶えた。


「届かない……!」

「でも、あと少しだよ! 紅蓮の大火炎よ……」

「危ないっ!」

「うわっ!」


 エミナさんが、突然僕を押し退けた。


「ああっ!」


 短い悲鳴を上げながら、エミナさんが僕の視界から消えた。


「エ……エミナさん!」

「う……ぐはっ……!」


 僕の目が再びエミナさんを捉えた時には、エミナさんは胸にローブが突き刺さって苦しそうにしていた。あのローブに押し飛ばされたのだろう。


「あ……ご、ごめん、エミナさん。エクスプロージョンが当たればユーベルに届くと思って、ローブを気にしてなかったから……」


 僕は慌ててエミナさんに駆け寄った。


「大丈夫だよ。これくらいの傷ならすぐ治るから……グラッピングフィスト!」


 エミナさんが唱えると、エミナさんに刺さったローブに、どこからともなく現れた大量の石の破片が吸い付き、大きな塊になった。

 ドリルブラストは、いつの間にか解除されている。トリートを使いながらグラッピングフィストを唱えるため、意図的に解除したのだろう。

 グラッピングフィストは何かを強力に挟み、移動させるための魔法だ。僕の感覚で分かりやすく例えると、ペンチとかプライヤーの役割だろうか。もう少し大きな物も挟めるが……。


「ん……!」


 エミナさんが苦痛に顔を歪ませながら、かざした手を前に押し出す。すると、グラッピングフィストはゆっくりと前に動き、ローブはエミナさんの体から取り除かれた。

 確かに、急所の胸を貫通しているものの、傷付いた範囲は小さい。ローブを抜いて体が自由になれば、今の魔力なら、すぐにノンキャストのトリートを唱えれば問題なさそうだ。


「うん……ごめんね」

「いいよ。多少強引に攻めないと魔王に攻撃が届かないって分かったから」


 エミナさんは、右手のドリルブラストで肩に刺さったローブを切り、手で抜きながら言った。


「うん、後ちょっと足りない。そんな感じだけど……」


 ――ガキッ!

 ライブレイドでローブを弾く。

 話している間にもローブは襲ってくる。ユーベルのローブはもう、殆ど元通りになっている。どうやらローブは再生するらしい。

 つまり、切っても切っても、ローブは見る見るうちに再生していくということだ。ローブを減らしてユーベルを剥き出しにするのは無理があるかもしれない。


「もっと上の……ホーリーセイバーとか、その辺かな?」

「でも、これ以上の上位魔法だと、魔力を練るのに時間がかかっちゃうから……」

「隙が無いかぁ……うわっ!」


 突然、ローブの先がぱっくりと開き、そこから緑の霧が飛び出した。

 僕はびっくりして後ろに飛び退く。


「なんだ、これ!?」


 僕は地面にへばり付いた緑色の液体をまじまじと見た。


「うおっ!」


 しかし、じっくりと観察している暇は無い。ローブは次々と襲ってくる。

 横から迫るローブを前に跳んで躱し、後ろから来たローブはライブレイドで弾いた。

 おまけにさっきの霧がローブの先端から出るとなると、色々と警戒する事も増えてしまう。


「エミナさん、さっきの霧、何だろう」

「見た目は毒霧みたいだったけど……分からないわ」

「だよねえ、色的には毒霧だよね」


 この世界の住民であるエミナさんの意見も、僕の意見とそう変わらないらしい。これ以上の情報は、すぐには得られないだろう。なら、この霧の事は一旦置いておいて、ユーベルに魔法を通す事の方を考えるのが先か。


「でも……!」


 ユーベルのローブによる攻撃は激しく、こちらから仕掛ける隙が無い。


「ミズキちゃん、まずはローブを……後ろ!」

「え……」


 攻め手を考える事と、エミナさんの説明を聞く事に集中しすぎたのか、ユーベルのローブが僕のすぐ後ろに迫っているのに気付かなかった。


「おっと!」


 しかし、ローブと逆方向に飛び退いて距離を取る余裕くらいは十分にある。


「うあ……え?」


 突然の突風に煽られ、僕の体はローブの方に、少し押し戻された。距離を取るどころか、ローブに近づいてしまったのだ。


「く……!」


 まずい。とにかく、あのローブの攻撃を避けないといけない。僕は急いで横方向に体を倒し、地面に伏せた。

 ――ブシャァァ!

 思った通り、ローブは緑の霧を吐き出した。


「助かった!」


 僕は急いで立ち上がり、ライブレイドでローブを弾いた。


「危なかっ……!?」


 いつの間にか、霧が目の前に迫っている。


「何で……!」


 さっきのローブが吐き出した霧は、こんなに近くには無い筈だ。


「ぐ……風……?」


 風だ。また強い風が吹いている。風は僕に向かって吹いている。だから、霧が風に乗って僕に迫っていたのだ。


「うわあっ!」


 霧を払うのか、それともよけるのか。そんな事を考える暇など無く、僕の顔は霧に包まれた。


「うわああっ!」


 どうしていいのか分からない。取り敢えず、霧を両手で払いつつ後ろへ後ずさった。


「う……」


 突然、違和感に襲われた。この感覚は何だ。胸が……。


「ぐ……あが……」


 苦しい……だんだんと呼吸が出来なくなって――僕はたまらず、その場に倒れ込んだ。


「が……あ……が……」


 体が中から焼かれていくようだ。


「あ……あーーっ! うあああーっ!」


 あまりの苦しさに、地面をのたうち回る。が、当然ながら、一向に楽にはならない。


「うあ……あ……」


 体がいう事を聞かない。そのくせ、仰向けになった体はビクンビクンと痙攣をおこしている。

 呼吸が上手く出来ず、口をパクパクと開閉させる。


「あ……」


 意識が……遠退いていく……。

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