1-25.エルダードラゴン

「はぁ……はぁ……」


 エミナは、ようやく長い坂を昇りきって安堵した。

 体を少し屈ませ、膝に手をついて呼吸を整える。


「こんなに長い階段は初めて。疲れたな」


 階段を昇りきった場所は、木すら一本も無い草原になっていた。


「……!」


 草原の奥の方を見たエミナは、その光景に息を飲んだ。

 そこは山脈の……いや、世界の終点だといわんばかりに、切り立った崖の末端部分になっている。

 他の様子は下と同じだ。崖の縁まで草が隙間無く生えていて、後ろには一面の空の青に、疎らに散りばめられた雲の白。下には一面の白い雲海が広がっている。

 ここから上には雲が無く、日射しが直に当たって地面全体はキラキラと輝いている。

 その中に佇んでいるのは、巨大な龍。

 黄金の翼、黄金の毛並みを持ち、純白の角と爪が、そして、口の端からはみ出している牙が、強い日射しを浴びて、その輝きを更に増している。


「エルダードラゴン!? なんて……!」


 なんて荘厳なのだ。


「人の子よ、来たようだな」

「!」


 直立不動で立ち尽くす。見とれているのか、それとも萎縮しているのか。それは自分自身にも分からない。


「もっと近くへ来ていいぞ、そこでは話し辛かろう」

「は、はい」


 エミナは恐る恐る、エルダードラゴンへと近寄り、ひざまずいた。


「お初にお目にかかります。エミナ=パステルと申します」

「そんなに畏まらずともよいぞ。して、あの者は……ミズキはどこかな?」

「ここに来る前に準備があるからって、イミッテちゃんと一緒に行きました」

「なに、イミッテと? むう……」


 エルダードラゴンの顔が僅かに曇った事を、エミナは察した。


「どうかしたのですか?」

「よもやこんな所まで旧支配者の手が迫っていようとは……」

「旧支配者?」

「人間の表現に合わせれば魔王を筆頭とする魔族だ。このタイミングでここを訪れる者が居るとすれば、そなた達二人と旧支配者の手の者くらい」

「魔族って……!」


 エミナに戦慄が走った。イミッテちゃんが魔族だとすれば、今頃ミズキちゃんは……。


「じゃ、じゃあ、ミズキちゃんは、もう……」

「いや、彼女はそなたと同じ、特別な人間だ。加えて、強大な魔力も備えている。まだ救える可能性は、ある」

「どうすれば……! 私は魔法が使えます。何か、役に立てることがあれば!」

「ミズキの正確な場所が分からん限りは、動きようがあるまい。私が探してみよう」

「私も近くを探してみます。まだ遠くには行っていないかもしれない」

「いや、そなたにはやってもらう事があるのだ」

「え……?」

「ミズキが居ない今、そなたは旧支配者から人類を守る唯一の希望となった。勇者エミナよ、厳しい戦いになるが、そなた一人で旧支配者と戦ってもらう事になる」

「……?」


 何を言っているのか分からない。エルダードラゴンという種族は人類誕生以前の太古から存在する種族だと言われているが……。


「俄かには信じられんのは承知だが、そなたはこの時のため……旧支配者から人類を救うために生まれた、運命さだめの勇者なのだ」

「どういう……事なのですか?」


 ふざけて話しているわけではなさそうだ。しかし、これが真実だとするならば、私は……。


「そなたの遠い先祖は、魔王を封印し、この世界を破滅から救った勇者なのだ。私も仲間として彼と戦ったが……うむ。良く似ている。瓜二つだ」

「勇者って……」


 エミナは戸惑いを隠せない。私が勇者の子孫で、魔王と対決する宿命を負っている……エルダードラゴン様は、そう告げているようだ。


「戸惑うのも無理は無いな。本来なら、もっと時間が必要だった。が、私が……いや、勇者が思ったよりもずっと、時が来るのが早かったのだ。そなたも心の準備が出来ていまい」

「……」


 確かに、封印は一時的なもので、今も断続的に魔族や魔獣……魔王に関係している生物によって事件や事故が起きている。でも、それは騎士や傭兵でなんとかできるレベルだ。

 しかし、エルダードラゴン様は時が来たといった。つまり……。

「魔王が……復活した……と……?」

 魔王の復活。いつかはその日が来ると、伝承で伝わっている。勇者による魔王の封印の事を知らない人は居ない。

 しかし、私は……皆も他人事だと思っている。復活するのは遠い未来の話だと。


「幸いな事に、まだ復活はしていない。が、どうやら復活を急いでいるようだ。ミズキが来て、そなたが共に旅に出たからかもしれん。歯車は、既に動き出していたのだ」

「私が勇者だから……でも、ミズキちゃんは?」

「ふむ……俄かには理解出来ぬかもしれないが……彼……今は彼女だが、異世界の住民なのだ」

「異世界……?」

「この世界以外に違う世界があるという事だ。まあ、その辺りの事は本人にじっくりと話をしてもらうといい。真の理解者が現れれば、ミズキも喜ぶと思う」

「はい……でも、そのミズキちゃんは……」

「救わねばならないな。だが、それは私に任せておけ。そなたには魔王の復活を阻止してもらいたい」

「復活……」

「そう。旧支配者の侵攻は既に始まっている。魔王の手下のエビルジャーム兵……私はジャームと呼んでいるが、そのジャームの気配から察するに、すでにいくつかの村や町は支配されている。魔王の封印された地もな」

「魔王の封印された地って……」

「大丈夫だ。そなたの故郷の村の事ではない。が……侵攻は加速度的に進む。自らの力を使い、ジャームを生み出したのだ。魔王も焦っているのだろう」

「加速度的に……」

「案ずるな。奴らは魔王の封印されている可能性の高い場所を、今も虱潰しに襲っている。それは、まだ封印されている正確な場所までは特定されていない証拠でもある」

「そうなのですか……良かった……」

「が、猶予は少ない。騎士団や傭兵によって対抗できる集落ならば囮には使えるだろうが、それはごく一部に過ぎない。そして、いかに手練れといえども、ジャームの波状攻撃に遭えば、たちまち倒れてしまうだろう。そうなれば……」

「封印が解かれてしまう」

「そうだ。急がねばならない。勇者エミナよ、そなたの力が必要なのだ!」

「……」


 エミナは落胆している。自分はあまりにも無力だ。手練れの傭兵や、優秀な騎士達の方が、私の百倍強いだろう。

 魔王復活の時には、当然、勇者も現れる。そう伝承で伝わっている。そして、勇者は現れた。ただ……問題なのは、それが私だという事なのだ。

 私の力では、そんなに強大な力に対抗できるわけがない。


「こうも早く旧支配者が動き出してしまったからには、取れる手段は限られる。さあ、勇者エミナよ、ミズキの事は私に任せて、そなたはジャームを討伐し、魔王の復活を阻止するのだ」

「で、でも……私には、そんな力は……」

「今すぐには無理かもしれん。が、そなたの素質は、正しくかつての勇者のそれなのだ。そして、ジャームとの戦闘がそなたの素質を引き出すだろう、最も良い方法だ。そなたには私の加護……神龍の加護を授けよう。それによって、そなたの素質の何割かを引き出す事が出来る。厳しい戦いになるだろうが……行ってくれるか?」

「……」


 降って沸いた宿命。それは想像も出来ないくらい過酷なものに違いない。しかし……。


「父さん……母さん……ミズキちゃん……」


 私がその宿命を背負っているのなら、人々を救えるのは私しか居ない。


「……分かりました。ミズキちゃんを頼みます」

「ふむ、良く言った。かつての勇者と同じ……いや、それ以上の勇気、しかと受け止めた!」


 エルダードラゴンは、空に向かって顔を突き上げると、激しい咆哮をあげた。


「エルダードラゴン様……」


 その咆哮を聞いてもエミナは怯まず、じっとエルダードラゴンを見つめた。エルダードラゴン様もまた、自分と同じ、この瞬間に覚悟を決めたのだと感じる事が出来たからだ。


「これが……神龍の加護……」


 エルダードラゴンの咆哮が収まった時には、エミナは自分の中に凄まじい力を感じていた。


「行け! 勇者エミナよ! 勇者の名のもとに、人類に救いを、そして希望を与えるのだ!」

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