26
順弥は地下にいた。破壊し尽くされたコンピュータの前に立ち、何かを考えている風であった。
目の前には手術台がガラスごしに見える。教会に入り、地下へ降りた順弥は何かを探し求めるようにさまよい、やがてこの部屋にたどりついたのである。
この部屋は、順弥の知らない部屋であった。池田博士の部屋でもない。どうやら、あの呪われた手術の光景をここから見つめ、データを取っていたのかもしれない。手術室の中にあるコンピュータから送られるデータを、逐一分析して、『ノウド』本部に伝送していたのかもしれない。
その部屋のコンピュータが無惨にも破壊され、あちこちで炎の下がちろちろと虚空を舐めあげていた。
何をしようというのか――
順弥の手が、破壊されたコンピュータのキーボードに伸びた。
真っ二つにされたディスプレイを凝っと見つめる順弥の眼に、一瞬、鮮烈な光が疾った。
瞬間、順弥の手がなれた手つきでキーボードを叩き始める。
初めてコンピュータに触れたというのに、何という精確な手の動きか。
いや、それよりも驚くべきは、順弥の行動である。
今や完全にガラクタと化したコンピュータで、いったい何をしようというのか。
いつの間にか、順弥の左手が、亀裂の入ったコンピュータ本体の内側に差し込まれ、直接基盤に触れていた。
順弥には視えていたのだ。
観想出来ているのだ。
鉄屑と変わらぬコンピュータの記憶が。
破壊される寸前まで、そのコンピュータの内部に電気的に存在していた膨大な情報の全てが、光の閃きと化して左手から脳裡へと走り抜けていく。
そして、その頭脳の中で形を変えて、やがて、しかし刹那のうちに像を結んでいくのだ。
知りたいことが、順弥にはあった。
いや、以前は知りたかったことだ。
今となっては、本当にそれが知りたかったのかもわからない。
だが、ある意味、これを知ることによって自分のこれまでの人生に決着がつく――いや、むしろ、決着をつけるために探しているのだ。
自分自身を。
何者であるのか。
生まれは?
名前は?
そして、全てを。
――
ふっと順弥が笑った。
見えたのだ。
見つけたのだ。
捜し物を。
ああ。そうか。
そうだったのか――。
順弥が浮かべた笑みは、そう物語っていた。
順弥の手がコンピュータから離れた。
もういいのだ。
振り返った順弥の顔は、晴れ晴れとしていた。
背負っていた重たい「何か」をようやくおろすことが出来た。
そんな表情であった。
順弥は、その部屋をあとにした。
ドアが閉じられた途端、それまで凝っと耐えていたかのように、部屋中のコンピュータが一斉に爆発を起こした。
「すまねぇ……」
もはや、動くものとてなかった筈の戦場に、男の声が聞こえたのは、あれからどれくらいが過ぎ去ってからだろうか。
身体を上下に分断され、倒されたはずの男ガルムが、血とオイルの混じった液体の海に浮かんで呟いていた。
ガルムの下半身は数メートル離れたところで横たわっている。もはや動くこともない。
意識を取り戻したガルムは、生体兵器として改造され、今や無惨な破壊を受けた上半身を何とか起き上がらせると、相棒の姿を探した。
いた。
ファントムは、まだ、落下時に生じたクレーターの中心部で横たわったままだ。左腕がちぎれかかっている。だが、ガルムが身を起こしたのを見て、眼を動かしたところを見ると、意識はしっかりとしているらしい。
「すまねぇ、ファントム。俺が不甲斐ないばっかりに」
「まったくだ。どうしてくれる」
そんなガルムに、ファントムが冷たく言い放つ。
「すまねぇ」
ガルムは、もうファントムの方を見ていない。いや、見られないのだ。ファントムの方も、ガルムに眼を向けようともしない。
「――博士の首をこっちに投げろ。俺は、何としてでも、博士の首を届ける」
「お、俺は――」
「お前はもう助からん。この失態の責任をとって、何としてでもヤツを止めろ」
「し、しかし――!?」
「止められる筈だ。貴様の内部に埋め込まれたモノを使えば、な」
「な――!?」
自分の言葉に声を失い、いやだという風に首を振るガルムに、なおもファントムは構わずに告げる。
「早くしろ」
ガルムの歯がガチガチと鳴っていた。
死にたくない。死にたくない。
戦って死ぬのならともかく、自爆するなど。
「何をしている。早く博士の首を持ってこい」
もはや、逆らえなかった。
ガルムは片腕しかない上半身を引きずりながら、何とかして池田博士の首の入ったカプセルのもとへ移動した。
カプセルを脇に抱え、身体の向きを変えたとき、ガルムはクレーターからもの凄い煙が立ち上っているのを見た。
その煙の向こう――いびつな変形を果たしたファントムが浮かび上がってくる。
煙の異常な多さはやはり、内部的におかしくなっているのかもしれない。
左腕は翼へと変形しきれず、ぶらぶらと揺れていた。
「はやくしろ、屑が」
機種の下でカプセルに包まれたファントムの顔がガルムをにらみつける。
ガルムが恐る恐る差し出すカプセルを機体の下にあるフックに引っかけると、ファントムは再び上昇を開始した。
そのとき、教会の扉が開いた。
「――!?」
そこに、全裸の少年が立っていた。
一〇五号――
出てきやがった。
変形した機体の下で、ファントムの秀麗な顔が邪悪に歪む。
お前は、ここで死ぬんだ。
そのとき、少年の背後で教会が爆発炎上した。地下の破壊がついに地上の部分にまで及んだのだ。
ゴオゴオと立ちのぼり、天を焦がす爆炎を背に、
「逃げるつもりか」
少年は動じることなく言った。
ゆっくりとこっちに向かってくる。
もはや、完全に隙だらけだった。ファントムたちに戦力がほとんど残っていないとわかっているのだ。
だが、それが命取りになることもある。
それを教えてやる。
ファントムの眼が狂気の光を帯びたとき、ガルムが絶叫をあげた。
何かに操られるように――そう、操られていたのだ――ガルムが身体を引きずって順弥の前に立ちふさがる。
「――?」
ガルムのごつい顔が恐怖に染まっていた。
「ひぃぃ、死にたくねぇ。死にたくねぇよぉ」
ガタガタと震えている。
体中からもの凄い脂汗が浮き出し、滝のように流れ落ちている。
「何をする気だ?」
「貴様を殺すのさ」
答えたのは、やはりファントムであった。
ヒヒヒ、と嗤っている。
こちらも、何か、狂いかけているらしい。
「…………」
何が起きるのか。
「教えてやれよ、ガルム。どうやって殺すかを、よ」
ファントムの引きつったような笑い声。
ますますガルムの様子がおかしい。
今にも泣き出しそうだ。
もし五体満足であれば、気が狂いそうになるほどの恐怖で小便を漏らしていたかもしれない。
下半身を失い、そして、片腕だけになった身体でいったいどうするというのか。
「さぁ、やれよ、ガルム!」
ファントムの眼がギラリと光った瞬間、
「わああああぁぁぁぁぁぁ!?」
あられもない絶叫がガルムの口から迸った瞬間、その残った左腕が分厚い胸板を貫き、
「がああああぁぁぁぁぁ!?」
「――!?」
自らの体内にある装置を、自分の目の前に引きずり出したのだ!
「な……」
なんだ…どういう…。
順弥も声を失って、目の前の男たちを見つめていた。
何をやろうというのか。
「ひゃはははは! 掴み出しやがった。掴み出しやがったぞ、このバカ! 自分の、心臓ともいえる動力炉を!」
「な、なんだと……」
「そうだ、動力炉だ。見ろ、奴の手を!」
順弥の眼が目の前の狂いそうな男の手に向けられる。眼前に突き出された左腕。そこには、まだケーブルやパイプで体内とつながれた何かが握られていた。
その「何か」を掴む左手の指の隙間から光が漏れていた。
脈打つように光っている。
何の光だ?
いや、何が光っている?
光っているのは、その「何か」だ。
心臓――動力炉だ。
「あれは、俺たちを動かす『光子炉』だ」
見えるか、一〇五号。
「あの炉心の内部では凄まじいまでの光の粒子が円を描くように駆けめぐっている。それが、俺たちを動かす無限のエネルギーを生み出すのだ。――それを今、暴走させた」
「な――!?」
「『光子炉』は、俺たちの体内にあって初めて正常に動作していられるんだ。それを、エネルギーの行き場のない身体の外に持ってくれば、当然、暴走を始める。――見ろ」
言われなくてもわかっていた。
ガルムの左腕が光子炉の放つ光の熱に耐えきれなくなったのか、それとも熱量が増しているのか、水膨れが生じ、焼け焦げ、やがて人工皮膚が溶け始めていた。
そして、その症状は数秒と経たず上半身全てに広がっていく。
そのおぞましい光景に、そして眩しさに眼を開けていられなくなりつつあった。
「ひひひひひひひ」
光の向こう、ガルムの笑い声が聞こえる。
皮膚がぐずぐずになり、とろけ落ち、金属製の骨格があらわになる。
もはや完全に、正常な精神を失っているようだった。
熱い。
光の熱が、順弥の身体にも影響を及ぼしつつある。それに、圧力さえも感じさせるほどの光。
なんだ、コレ?
振動する光?
物質化する光?
なんだ? どういうことだ?
光に身体を包まれ、わけの分からない言葉が脳裡を駆けめぐる。
そのとき、笑いながら去っていくファントムの声が聞こえた。
「はっはっは。さぁ、原子さえも分解されて死ね、小僧!」
瞬間、光が爆発した。
超新星爆発のごとき光を発し、光は半径数百メートルの街並みすべてを呑み込んで広がっていく。
「――!?」
その中心、順弥はそのとき、声にならぬ声をガルムが上げるのを聞いた気がした。
ガルムの狂気が、そして哀しみが順弥の心の中を疾り抜けていく。
そして、それがガルムの気配を感じた最後でもあった。
「ちぃぃぃぃぃ!」
身体が消え去っていく光の中、順弥の意識が爆裂した。
こんな所で、死んでたまるかぁ!
瞬間、その白光よりもまばゆい輝きが音もなく中心部から広がり、逆に爆光をもの凄い勢いで圧倒していく。
順弥が光を放っているのだ!
わずか数秒後、前触れもなく唐突に光は止んだ。
二つの光が収まったとき、そこには半径が五〇〇メートルほどのクレーターが残されていた。
街並みは完全に消失していた。
破壊されたのでもなく、焼失したのでもない。
文字通り消失していたのだ。
そこには、生命のかけらも残さぬ大地が広がっていた。
その筈だった。
だが、その中央に、火傷一つない早坂順弥が立っていた。
その眼はまだ炯々とした輝きを失ってはいなかった。
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