19

「わ、わーむ……?」

「そうだ。魔界より召喚された魔獣と金属との融合を解き、魔装鎧を破壊するためのプログラム――それが、『妖蛆』だ。そして今、その『妖蛆』を組み込んだ無数のナノ・マシンが、津田由紀この女の体内を駆けめぐっているのだ」

 由紀は、まさに文字通り地上に落ちた鳥のように、手足を狂ったように振り、叫び続けている。

 そして、その無惨な姿を見て、京子が気も狂わんばかりに叫んでいた。

 泣きわめいていた。

「来ないで!」

 しかし、思わず駆け寄ろうとする京子を制止したのは、自分の今の姿を見せたくない由紀自身であった。

 文字通り、血を吐く叫びだった。

「そして、眼に見えぬ無数の破壊者は、魔装鎧装着者自身の身体をも崩壊させる」

「――!?」

 その言葉を耳にした瞬間、順弥は、目の前が真っ暗になった。

 怒りと、悔しさに。

 死ぬ。

 また、自分の周りで人が死ぬ。

 こうしている間にも、由紀の身体は無数の破壊者によって蝕まれ、崩れ去ろうとしているのだ。

 何もできないというのか。

 救いたい。

 そう願った。

 すくいたい。

 自分のこの手で掬えるだけ掬いあげたい。

 それなのに――

 このまま、ここで、『巨人』にくびり殺されるのを待つしかないというのか。

 力が欲しい。

 この、巨大な腕を振り払って、由紀のもとに駆けつけることの出来る力が。

 剣は弾き飛ばされてしまった。

 どうすればいい。

 もはや、ほとんど見えなくなりつつある順弥の視界に、大竹が背中の腕を高々とかかげるのが見えた。

 そこに、巨大な剣が握られている。

 ああ、それで、俺を斬り裂こうというのか。

 終わるのか、ここで。

 再び、『巨人』の手に力が加えられた。

 呼吸が出来なくなる。視界が、閉ざされる。

 もはや、順弥の目の前には絶望の闇が広がるのみであった。そこへ、順弥はゆっくりと落ちていった。

「――!?」

 呼吸が停止し、後は大竹の剣によって引き裂かれ、死ぬばかりであった筈の『騎士』が、突如咆哮を上げた。

 まさにそれは、雄叫びであった。

「おおおおおおおおおおおおお!」

 再生。

 終わるだと!?

 馬鹿か、俺は!

 勝手に終わってどうする!

 こんなところで幕を引くつもりだったのか!

 誓ったではないか。

 全てを止めてやる、と。

 全てを止めて、救ってやる、と!

「し、死ねるかよぉぉぉぉ!!!!」

 瞬間、大竹は、『巨人』の右腕をかすめるように疾る閃光を見た。

 何だ、と思うまもなく、地面にごろりと転がったものがある。

 あれは、俺の右腕だ!?

 今度は、大竹が絶望する番であった。

 順弥は、完全に意識を取り戻していた。

 目の前に、弾き飛ばされた筈の剣が突き立っていることも、その剣が『巨人』の腕を切り落とし、自分を解放したことも、そして、その剣を呼んだのが自分だということも。

 絶望の闇の底で、奴は何を見たのか。

 刹那、順弥が疾った。

 一瞬で、茫然と立ち尽くす『巨人』の懐に入り、すでに拾い上げていた剣を逆袈裟懸けに振るう。

 絶叫。

 大竹の身体が、右脇腹から左肩にかけて切り裂かれ、ずれていく。

 そのおぞましい感覚を味わいつつ、大竹は意識を失った。


 ――


 もはや、一瞬の躊躇もなかった。

 順弥は、津田由紀のもとへ向かって駆けた。

 すでに意識を失い、死にかけている由紀に、京子がすがりつくようにして泣き叫んでいた。

 気が狂ったように喚いていた。

 由紀の魔装鎧は、すでに様々な部分から崩れ落ち始めている。

 腐り、とろけ、魔装鎧が分解されていく。

 やがて、その分解作用は、由紀自身の肉体にも及ぶという。

 止めなければ。

 順弥も冷静さを失いつつあった。

 由紀の姿は、それほどの無惨さをもって、眼前に横たわっていたのである。

 細胞の分解を止めなければ、由紀は死んでしまう。それもただの死ではない。二人の目の前から完全に消滅してしまうのだ。

 死なせたくない。

 今、自分の隣で正気を失いかけながらも、由紀の名を連呼する女性のためにも。

 俺の…この鎧の力を使えないか…。

 それよりも、あの地下室!

 由紀さんの細胞からクローンを創りさえすれば…。

 いや、それは無理だ。

 順弥には、あの機械を扱う知識がない。よしんばその知識を、死にゆく由紀から手に入れることが出来たとしても、時間が無い。

 機械を知り尽くす由紀でさえ、京子のクローンを創り上げるのに、何度も失敗している。『ノウド』に居場所を特定されている今、そんな時間は無い。

 何より、京子自身がクローンを理解できないだろう。

 由紀は、クローンであっても京子を愛せたのは、理解できているからだ。

 だが、京子にはその知識がない。

 自分がクローンだとは知らず、普通の人間として生まれ育ち、由紀を愛したと思っている。

 では、その愛した相手がクローンとして蘇ったとしても、京子はこれまでと変わらず愛することが出来るのか。

 出来るかもしれない。

 魔装兵士となった由紀を受け容れることが出来たのだから。

 しかし――、

 そのとき、不意に由紀が意識を取り戻した。

「由紀!」

 途端に、京子の顔がぱっと明るくなる。

「無駄よ。もう、助からないわ……」

 由紀の声は、聞き取れないほど小さかった。

 しかし、その小さな声も、京子の心を再び絶望に叩き落とすには十分だった。

 由紀は、順弥が自分に対して何かを試みようとしていることを見抜いていたらしい。

「『妖蛆(ワーム)』のことは、私が一番よく知っているわ。一度感染すれば、絶対に助からないってことも。それにクローンを創ることも…」

 由紀は、薄く笑ったようだ。

 その笑みが、どことなく自嘲めいていることに、順弥は気づいていた。

「ごめんね、京子。もう…一緒に行けなくなっちゃった…」

 由紀の瞳から、涙がこぼれ落ちる。

 何と純粋で、綺麗な涙なのだろう。

 しかし、こうしている間にも由紀の身体は眼に見えぬ破壊者に蝕まれ、崩れつつある。

 どうやら、全身に力が入らなくなりつつあるらしい。

「いや! いやよ、由紀! 死なないで! 私を独りにしないで!」

 京子が、抑えきれなくなった涙を流しながら、由紀の身体を抱きしめる。

「ごめん、ごめんね、由紀。ずっと一緒だって約束したのにね…。いつか、いろんな所へ行こうって言ってたのに、ね…」

 由紀が遠い眼をしていた。

 京子と二人で、何処か見知らぬ土地を旅している、そんな光景を夢見ているのかも知れない。

 だが、それの実現には、由紀が組織から抜けなければならない。『ノウド』が彼女を逃がす筈はなく、また戦闘のために生まれてきた彼女にとっても、その行為は自分の存在理由を否定するものであった。しかし、その否定こそが、由紀の新たな存在理由だったのかも知れない。

 いずれにせよ、いつの日にか必ず訪れる死を、彼女は覚悟していたのだ。

 京子のクローンを創り、彼女と一緒に暮らすことを決めた瞬間から。

 組織をわれ、やがては血で血を洗う悽愴な戦いが待ち受けていることを。

「順弥君、何処――?」

 由紀の発した何気ない問いかけが、順弥を、そして京子を戦慄させる。

 眼が、見えていない――!?

「ここにいるよ、由紀さん」

 そういう順弥の声は震えていた。

「そうか……眼が、見えなくなったのね」

 何という女か。

 自分の眼が見えなくなったことを、冷静に受け止めている!

「お願いが、あるの……」

 苦しそうに息をする。

 順弥は、その「願い」を聞き取ろうと、彼女に口許に耳を近づけた。

 何事かを告げる。

 順弥は一瞬京子の不安そうな顔を見つめたが、すぐに由紀に向き直り、ああと頷いた。

 由紀が、ありがとうと微笑んだ。

「京子……約束、してくれる?」

「な、なに……?」

「生きてね、絶対に」

 それが最後の言葉だと悟ったのか、京子が狂ったように再び由紀の身体にすがりつく。

「いや! 死なないで、由紀!」

「あなたは、いつも甘えん坊ね、京子」

 由紀の細い手が京子を求めてさまよったとき、京子がその手を強く握りしめた。

「――愛しているわ、京子」

 その言葉にコクンと頷き、京子は由紀と唇を重ねるのだった。

 その直後だった。由紀が再び気を失った。

 もう、全てを語り尽くしたかのように、満足そうな表情だった。

 京子は、もはや泣き喚かなかった。

 順弥が由紀の身体を横抱きにしたときも、凝っと彼女を見つめているだけだ。

 順弥が、背中の翼を広げる。

「さようなら、由紀」

 大空めがけて飛び去った順弥の姿を眼で追いながら、京子は別れを告げるのだった。


 順弥は、由紀の言葉通り、マンションの裏にある名もない山の頂上に降り立った。

 由紀は言った。

 自分も、京子と同じように、順弥の身体の中に取り込んで欲しい、と。

 一つになりたいのだと、順弥は悟った。

 自分とではなく、順弥の体内で眠る京子とである。

 これもまた、一つの愛の形だ。

 そう感じたからこそ、順弥は由紀の願いを叶えることにした。

 裏山に来たのは、由紀を吸収する姿を、京子に見られたくないからだった。

 あのときと同じように、今にも崩れ落ちそうな由紀の身体が、順弥の鎧を通して体内に吸収され、血となり、肉となっていく。

 順弥は、このとき眼を閉じていた。

 脳裡に、飛び交う光のようなものが見えた。

 それは由紀の意識のようなものだったろうか。

 そのとき、順弥は〝声〟を聞いた気がした。


〝会いたかったわ、由紀〟


 ああ、二人は出会えたのだ。

 順弥は、そう感じた。

 この俺の身体の何処かで、ついに二人はめぐり逢うことが出来たのだ、と。

 そして、そこには、もはや純粋な愛しかない。

 ゆっくりと眼を開く。

 由紀の身体は、完全に順弥の鎧に同化しきっていた。

 同時に、由紀の身体を蝕んでいた『妖蛆』も、順弥の体内を駆け巡っているのだ。にもかかわらず、何ら変化は訪れない。激痛も走らなければ、腐り、とろけ落ちることもない。

 幸か不幸か、順弥は自分が恐るべき「規格外」の存在だと感じるのは、こんなときだ。

 魔装鎧の破壊を第一にプログラムされ、創り上げられたナノ・マシンすら、俺は啖い尽くし、自分のものとすることが出来る。

 順弥は、ぐっと右拳を握りしめた。

 思い知らせてやる。

 固い決意を胸に順弥が顔を上げたとき、彼方より女の絶望の悲鳴を耳にした。

 魂を揺さぶり、その炎をも消し去るかのような絶望の叫び――それは、残してきた早坂京子の絶叫であった。

 瞬間、順弥は宙に舞っていた。

 眼が、『鳥人』の能力を刹那のうちに発揮する。

 遙か高空より、地上の獲物を狙い撃ちする素晴らしい視力――猛禽類にも似た眼。その眼が、京子に肉迫する異形の影を見出した。

 そいつは、上半身だけで動いていた。背中に生えた巨大な猿臂を器用に動かし、まるで蟹のように京子に迫る。

 大竹であった。順弥の一撃によって身体を分断された大竹が、気絶から蘇生して、目の前の京子を殺そうとしているのだ。

 すでに、大竹は狂っていた。初期の目的など、もはや脳裡にないに等しい。ただ、目の前で動くか弱い存在をぶち殺す。それだけである。

 京子はあまりの恐怖のため腰が抜けているのか、立ち上がることもなく、お尻をすりながら必死で後退している。

 大竹は、そんな京子の姿がおもしろいのか、げらげら笑いながら、巨大な猿臂で京子のブラウスを引き裂いた。

 綺麗な乳房が、ぽろりとこぼれ落ちる。

「ヒィーー!?」

 胸をあわてて隠し、絶叫する京子の姿を見て、また大竹が嗤った。

「ちぃ!」

 空中で順弥が呻き、剣を抜いた。

 そして、一気に大竹めがけて滑空する。

「もう、いい加減にしろ、この蟹野郎ぉ!」

 咆哮。

 そして、天空より流れ落ちる銀の流星。

 狂気に走った大竹に、しかし、その剣を躱すことは出来なかった。

 恐らく何が起こったのか、全くわからなかったに違いない。

 いや、もしかしたら、突如視界が左右の眼でずれたことにだけは気づいたかも知れない。

 順弥の剣は大竹の頭部を眉間の辺りで真っ向より分断し、今度こそ狂える『巨人』に死を与えたのだった。

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