免許合宿紀行 14日目 「限りなく透明に近いブルー」
1時限目(8時20分~9時10分)
【15時限目】【AT】【模擬】
技能教習第2段階項目14 高速道路での運転
高速道路を走る時、運転者は、ガソリン、エンジンオイル、タイヤ、ファンベルト、冷却水に異常がないかを事前に確かめておかなければならない。
そんな、もっともな話から教習は始まった。
高速道路の運転をする上で重要なことは何か?
まず車が万全であることである。
どれだけ正しく運転しても、車に異常があればどうにもならない。
ただ、それだけで安心していいのかと問われたら、私は首を横に振るだろう。
2013年7月、日産自動車のレンタカー"ティーダ"が高速道路上で急停止し、旅行中の家族4人が事故に遭い、夫、長男、長女の3人が妻を残し、亡くなるという事故が発生した。
これは上記の点検だけでは、予期することのできなかった事故であると考える。
車というものを信頼せず、自身が乗る車に関する情報に目を光らせておかなければならない。
でなければ、自身、そして、同乗する者の安全を守ることはできない。
国土交通省 自動車のリコール・不具合情報
http://www.mlit.go.jp/jidosha/carinf/rcl/defects.html
国土交通省では、消費者から寄せられた、自動車の不具合情報を掲載している。
これによれば、日産自動車の"ティーダ"においては、エンジンが急停止するという、 事故時に発生した現象と同様のものであると考えられる事例を含め、75件の不具合が報告されている。
話を戻そう。
教習は、シミュレーターで行われた。
この時期は交通量が多いため、高速教習はシミュレーターで行っているという話である。
ほっとする一方で、現実の高速道を走るということを経験しておきたかったという気持ちが強くあった。
一つの気づきを得られる機会を失ったことは間違いない。
シミュレーターは、入校して間もなく行われた模擬運転教習で使われたものより、一回り大きいものだった。
とはいえ、性能が上がっていて、グラフィックが精緻なものになっているなどということはなかった。
如何にも怪しい挙動の車、判断を迷うような状況が、次々と現れては去っていった。
難しいということはなかったが、集中を強いられはした。
大きな失敗をすることはなく、終始、冷静に判断し、運転することができた。
事故を起こすという不安がないことが大きかった。
シミュレーターでは、上手く運転することができた。
だが、現実でも、同じことができるか、予想だにしない状況が現れた時、正しい判断を即座に下し、それを実行できるか問われたら、 自信がないと答える他ない。
高速道路を走りたくない。
いや、そもそも、車を運転したくない。
それが本音である。
2時限目(9時20分~10時10分)
【16時限目】【AT】【複数人】
技能教習第2段階項目12 自主経路設定
教官は、明るいお兄さんという印象の人だった。
同乗した教習生は、地元の短大に通っている女性であり、 眼鏡を掛けた器量の良い子であった。
だから、なんだという話だが、教習は終始朗らかな空気だったという話である。
特筆すべきことは、教習生が何時もより1人少ない、2人だったということくらいで、他には、まあない。
憶えのある道を、軽快に走った。
路上を運転することに慣れてきている。
良くも悪くも、そう感じられた教習だった。
4時限目(11時20分~12時10分)
【17時限目】【複数人】
技能教習第2段階項目12 自主経路設定
特筆すべきは、学科教習を主としてやっていた教官が教官になったことである。
教室の中央で、ひっきりなしに喋っていた教官が、静かにでもないが隣に座っている。
なんとも奇妙な心地であった。
運転は、上手くいった。
上手くなっているのだろう。
書くことがないということは、つまり、失敗がなかったということでもあるので、良いことである。
ただ、それでも、教習の前には、どうしようもなく緊張している。
教習で失敗することがなくなってきてても、それは続いている。
この教習が始まるまで、空いていた1時限の間は、やはり悶々としていた。
何人かの教官と、適性検査の結果について、それとなく話をした。
相談ではなく、あまり緊張させないで欲しいと、暗に示す牽制という意味合いが強かった。 その時に伝えられた運転は精神状態に大きく左右されるものであるといった言葉は、気持ちを少し楽にしてくれた。
私だけの問題ではない。
ということが、解ったからだ。
運転を始めるまでの不安は、運転を始めればすぐに鳴りを潜める。
だが、失敗をしてしまった時、大きくなってその姿を現す。
それが私のパターンである。
つまりは、失敗しなければいいのだが、それは真の意味での解決ではない。
失敗した時に、如何に冷静でいられるか、それが命題である。
解っている。
解っているが、如何ともしがたい。
解っているだけで、どうにかなるほど、人の心は簡単ではない。
教習が終わると、すぐに送迎バスで送ってもらい、松江駅の目の前にあるホテルで降りた。
買い物をするためではなく、観光に行くためである。
今日の足には、自転車ではなく、バスを使う。
疲れているということはないが、疲れすぎたくはなかったからだ。
目的地までは、距離と高低差があった。
明日は、第2段階のみきわめがあった。
バスが出るまでは、まだ時間があったが、それでも、まずは、バスの発着場の場所を確かめた。
乗り遅れれば、全ての予定が狂ってしまう。
バスの発着場を目視で確かめ、それから、昼食にした。
入る店を決めるのに悩み、何を食べるか悩んだ。
悩んだ末、お好み焼き屋さんに入り、もやしと豚肉炒め定食を頼んだ。
選んだ理由は、380円という価格からである。
旅先で380円の安い定食を選べるのが、私の強さである。
それが、つまらなさでもあることは自覚するところであるが、貧乏だから仕方がない。
予定の時刻に現れたバスに、予定の時刻に乗車し、バスは予定の時刻に出発した。
時刻表通りに、交通機関が動く。
日本人にとっては、当たり前のことだが、考えてみれば、凄いを通り越して、異常なことである気もする。
日本の交通機関の精確さは誇るべきことかもしれないが、 一方で、日本人がそれだけ時間に追われて生きていることの証明に他ならないと考えると、なんとも言えない気持ちになる。
乗客が何を考えていようと、バスは走っていく。
座っているだけなので、快適以外の感想などない。
少し揺れるが、どうということもない。
駅の周辺を一巡りし、そして、バスは郊外へと向かう。
車窓は緑の色に染まり始め、やがて、バスは上ったり、下ったりを始めた。
やはりバスを選んだのは正解だった。
昨夜、地図を確かめて気になったのは、距離よりも高低差であった。
坂は、自転車の大敵である。
距離には、時間を費やせばいい。
だが、高さには、体力を費やさなければならない。
文明の利器と化石燃料の偉大さを実感しつつ、景色を楽しんだ。
やがて、バスは峠を越え、そして、視界が開けた。
海が視えた。
島根県に来てから、初めて目にする海である。
日本海である。
2つの湖と、それに跨る河川に囲まれた松江は、正に水の都の名に相応しい街で、いつも傍に水の存在があった。
だが、やはり、海は何かが違っている。
バスを降り、そして、広がる海を見渡す。
何も考えられない。
その広大さに心が自由になる一方で、その広大さに心が細くなる。
開放と寂寞。
言い表せない感情でいっぱいになる。
ただ、ため息がこぼれた。
バスを降りた"マリンゲートしまね"停留所は、終点ではあったが、目的地ではない。
目的地は、この先にある"マリンプラザ島根"停留所であり、そして、正確には、その先にある。
とにかく、ここから、コミュニティバスに乗り換えなければならない。
コミュニティバスが来るまで、時間があった。
とはいえ、少しである。
何かできるほどの時間でもないし、どこかに行くための足もない。
だから、辺りを歩きながら、茫と海を眺めていた。
湾というには小さく、入江というには大きい、強く歪曲した海岸線に囲われた丸い海。
海を囲うように突き出した陸の先端には、左右それぞれに小山があり、海の中央には小島があった。
左の小山の麓には、港があり、海岸線に沿うように、赤い屋根の民家が建ち並んでいる。
小さな船の姿も視えた。
右の小山には、何もない。
ただ、向こうへと続いていく道路が視えた。
海辺に砂浜はなく、ごつごつとした石の上に、静かに波が寄せていた。
遠くに視える浅瀬には、羽を踊らせる水鳥の姿があった。
だが、視線を奪われたのは、水鳥にではなく、海にであった。
海は驚くほどに透んでいた。
水の粒子、その一粒さえも淀んでいない。
そんな風に感じられるほどに透明だった。
程なくして、やって来たコミュニティバスに乗り込み、先ほど眺めていた、向こうへと続いていく道路を越える。
エメラルドの海。
海岸線を走るバスの車窓を流れていく風景は美しく、心を奪われる。
途中、同乗していた方が漁港か漁協かの前で、降車する時に、潜戸に行きたいのならば、次の停留所で降りればいいと教えてくれた。
島根の方は、やはり、社交的で親切な方が多い。
運転手の方も例外ではなく、話しかけてくれた。
ここ数日、海が時化ており、船が出せない状況が続いていたが、今日は久しぶりに凪いでいる。
とのことであり、それは、ほっとさせてくれる情報だった。
間もなく、バスはマリンプラザ島根の前へと辿りついた。
ゆっくり話をする時間がなく、やや名残惜しくはあったが、気の良い運転手の方に、お礼を言ってバスを降りた。
幅と高さはあるが、一方で、薄い。
屋根は赤く、壁は白く、正面の中央部はガラス張りになっている。
マリンプラザ島根は、ターミナルらしいと言えばらしい、そんな建物であった。
暢気に仰いでいる暇はないので、さっさと中に入り、チケットを購入する。
ここでさらに乗り換えである。
と言っても、バスにではない。
乗るのは、船である。
目的地は、"加賀の潜戸"と呼ばれる洞窟である。
洞窟は岬の先端にあり、潜戸観光遊覧船に乗って海を渡る以外に、観光する手段はない。
遊覧船が出る直前に到着することができたので、間もなく、ライフジャケットを着せられ、遊覧船に乗り込んだ。
予定の通りではあったが、それでも、慌ただしくはあった。
遊覧船は、如何にも観光のためにつくられたユニークな形状をしたものではなく、 屋形のない屋形船とでも言えばいいのだろうか、
椅子が備え付けられた平べったい船体に屋根を被せたシンプルな構造の船だった。
大きくもなく、小さくもない。
乗員定員は30人ほどであろうか?
乗客はそれなりにいたし、乗船するのが早かったというわけではないのだが、前方から2列目の座席に座ることができた。
前後左右のバランスが悪いと、船が傾くため、協力して欲しいとのお達しがあったので、ぽつんと空いていた席にすべり込ませてもらったのである。
程なくして、船は、漂うように船着場を離れ、そして、走り始めた。
マイクが入り、観光案内が始まる。
録音ではなく、生の声だ。
重ねてきた年月の長さを感じさせる嗄れた声音と独特の訛りが快い。
中々の名調子である。
船は、まず前方に観える橋続きの島"桂島"へと向かった。
漁船、イカ釣り船、小型クルーザー、島に近づくに連れ、様々な船の輪郭が確かなものとなり、圧倒される。
浜辺には、無数のテントの姿があり、海水浴客の姿で賑わっていた。
浜辺の右終端にある石積みは、江戸時代に行われた港湾整備の名残であるといった、案内が響き
とりあえず、視線をやったが、すぐに明後日の方向に視線を戻してしまった。
遠くよりも近くが視たかった。
遊覧船は、島の周りに係留された船と船の間を縫うように、すり抜けていく。
迫り、そして、過ぎ去っていく、様々な形をした白い船体たち。
迫力のある光景に魅入られ、それどころではない。
首が忙しくて仕方がない。
ボートを駆り、沼を駆け抜けていく。
そんな、とあるホラーゲームのワンシーンを連想した。
遊覧船が転回し、島に背を向けると、巨大なクレーン船の姿が視界に入った。
リゾート地には、似つかわしくないが、そんなことはどうでもいい。
ただ、その大きさに圧倒される。
クレーン船と遊覧船の間を、水上バイクが駆け抜け、にわかに船内がざわめく。
楽しい。
わくわくして、どうしようもない。
港を出ると、船は速度を上げる。
エンジンが唸り、白い飛沫が舞い始める。
船首が、海を切り裂いていく。
乾舷が低いため、海が近い。
抜群の臨場感だ。
船は、真っ直ぐ、前方の岬へと近づいていく。
間もなく、遠く視えていた岩場の影が、輪郭を帯び始める。
岩場を裂くようにして広がる闇。
そここそが"旧潜戸"と呼ばれる洞窟であった。
旧潜戸は、仏様の洞窟であり、水子地蔵が祀ってある。
無数の石の塔があり、賽の河原とも呼ばれている。
賽の河原とは、幼子の霊の集まる場所である。
一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため、
どこか淡々とした説明と、独特の調子で詠われ響く言の葉が、夏の陽射しを一蹴し、空気を涼しく鎮めてくれた。
間もなく、遊覧船は旧潜戸の近くにある発着場へと係留された。
遊覧船を降りて、水面を覗く。
やはり、透んでいる。
素晴らしい。
そう感じた。
海が美しい。
それだけで、感動できてしまう程に、美しい海は失われている。
だから、海が美しいことに心を動かされる、私のあり方は、果たして、正しいのかと、ふと、考えさせられた。
旧潜戸へと続く、洞窟を抜けて、賽の河原へと向かった。
期待していたわけではないが、軽んじていたわけでもない。
ただ、賽の河原へと入った時、言葉を失った。
長い年月をかけて、波が削り裂いたであろう、その空洞は、広く、そして、ただ高かった。
裂け目から射し込む光が、広がる闇を薄く照らしていた。
水と岩、光と闇。
そこには独特の空気感があった。
洞内には、幾つもの石の塔が並んでいた。
触れれば崩れてしまいそうなのに、塗り硬められているかのようにしっかりと、そこに立っていた。
足早に賽の河原を抜け、水子地蔵を参り、そして、遊覧船へと戻った。
遊覧船は、再び走り始め、間もなく、"新潜戸"と呼ばれる、もう一つの洞窟の前へと辿りついた。
海中洞窟である新潜戸は、旧潜戸のように、歩いて中にはいることはできない。
だから、船着場はない。
遊覧船に乗ったまま潜る。
遊覧船は、ゆっくりと、新潜戸へと近づいていく。
洞窟の入り口は、想像以上に狭かった。
鋭利な岩が、不規則に並び、左右には余裕がない。
船を入れる角度が少しでもずれていれば、船は岩に接触してしまうだろう。
コミュニティバスの運転手の方の言葉が思い出される。
確かに、海が少しでも荒れていたら、通ることはできないだろう。
船は、ゆっくりと進み、そして、ついに洞窟の胎内へと入った。
正に、針に糸を通すかの如き操船に、拍手が沸く。
洞窟の中では、この洞窟に祀られる「猿田彦命(サルタヒコノミコト)」、後の「佐太大神(サダノオオカミ)」と、その母神「支佐加比売命(キサカヒメノミコト)」に纏わる伝説が語られた。
現在の新潜戸は、東西に通り抜けられるようになっているが、かつては西にしか入り口はなく、 支佐加比売命が、洞窟の暗闇を厭い、西の入り口から、金の矢で射抜き、東の入り口を開けた。
金の矢の勢いは東の入り口を開けただけでは止まらず、近くにある小島にも穴を穿ったとのことだ。
左上方にあった鳥居から、海面へと視線をやる。
静かで、怖いくらいに透んでいた。
船員が、船を叩くと、コツンコツンという音が、静寂の中に響き渡り、耳を癒やした。
"新潜戸"は神様の洞窟。
その言葉の通り、まさに神域と呼ぶに相応しい場所であるように感じられた。
遊覧船は、ゆっくりと進み、洞窟を抜けた。
光に白む、東の入り口。
その光景の彼方には、穴の空いた小島があった。
その島こそ、支佐加比売命が放った金の矢で穴を穿たれたという"的島"である。
船は転舵し、続いて、北から、新潜戸の外観を望んだ。
"伊邪那美命(イザナミノミコト)"、"伊邪那岐命(イザナギノミコト)"の伝説など、特徴的な地形を紹介すると共に、そこに纏わる神話が語られた。
実在する風景の中で、その地に纏わる神話に触れる。
なんという、素晴らしい体験だろうか。
私は、神話を詳しく知る人間ではないが、神話に魅せられた人々、 黄泉平坂で出会った老年の男性、風土記の丘で出会った老年の女性、2人の気持ちを理解することができた。
船は、新潜戸を背に、神代から現代へと向かう。
船首が示す先、彼方に聳える山々、その頂きにある2つの塔が、最後に紹介された。
それは意外なものであった。
中国電力"島根原子力発電所"である。
島根原子力発電所は、"福島第一原子力発電所"、"福島第二原子力発電所"を除けば、唯一、都道府県名を冠する原子力発電所であるそうだ。
よりによってと言いたくなるような、歓迎したくない符号である。
また、日本で唯一、県庁所在地に存在する原子力発電所であるとのことだ。
松江に、いや、島根県に、原子力発電所があることを知らなかったため、純粋に驚かされた。
自身が暮らしている神奈川県の隣、静岡県にある"浜岡原子力発電所"、ここ数年、幾度となく、目にし、耳にしてきた"福島第一原子力発電所"。
私が、所在地を明確に把握している原子力発電所は、この2つだけであった。
そも、全国のどこに原子力発電所があるのかなど、考えたことはなく、知ろうとしたことがなかった。
これが普通だと考えるが、果たしてそうなのだろうか?
これが普通だというのは、果たしてどうなのだろうか?
考えさせられた。
これを機会にと、島根原子力発電所について、少し調べてみることにした。
例によって、島根原子力発電所でも、幾度となくトラブルは起きていた。
車と同様に、原子力発電所もまた、人が完璧に制御できるものではないことは、ここ数年で解らせられているし、 既に感覚は麻痺しているため、このくらいで一々驚いたりはしない。
驚かされたのは、島根原子力発電所1号機の運転開始日にである。
関西電力の美浜発電所、東京電力の福島第一原子力発電所に次いで、 国内で3番目に開設された原子力発電所である島根原子力発電所、その1号機の運転開始日は、1974年3月29日であった。
マイクロソフトが初代Windowsを発売したのが1985年、 ソニーがベータマックスの家庭用ビデオテープレコーダを発売したのが1975年のことである。
運転開始から39年が経過している原子炉が未だに廃炉になっていないという現実には、驚かされるしかない。
「原子力発電所には寿命がない」
というのは、御用学者という言葉を有名にした東京大学のとある教授の言であるが、果たしてそれでいいのだろうか?
遊覧船から降りる時、楽しそうに釣りをする親子の姿が観えた。
もし、島根原子力発電所で重大な事故が起きたならば、人の姿は失われ、このような光景を観ることはできなくなる。
一方で、海は透んだままで静かに此処に在り続けるのだろう。
だが、放射性物質によって汚染された海を、美しい海と言えるのかは、私には解らない。
"マリンプラザ島根"の受付で、バスの時間を聞くと、出た直後であるという答えが返ってきた。
ため息は出なかった。
どうしようもないことはどうしようもない。
辺りを散策しながら、次のバスを待つのも悪くない。
寧ろ、歩いてみたいという気持ちがあった。
お礼を言って、振り返ろうとすると、受付の女性に呼び止められる。
受付の女性は、職員であろう壮年の男性に声をかけた。
そして、私が茫と立ちつくしている間に話は決まり、路線バスの停留所がある"マリンゲートしまね"まで、車で送ってくれることになった。
島根の方は、誠に明るく社交的で、親切である。
とにかく、ご好意に甘えさせてもらうことにした。
急いで、"吉田くん"を撮影し、それから、助手席に乗り込み、マリンプラザ島根を後にした。
あれこれ、和気藹々と言葉を交わしながら、車窓を流れていく、美しい海を望み、そして、間もなく、車は憶えのある停留所へと辿りつく。
深々と頭を下げ、去っていく車を送った。
それから、バスを乗り継ぎ、宿泊するホテルの近くまで戻った。
降車した停留所から少し歩き、そして、乗車する停留所でバスを待った。
空はにわかに茜色にくすみ始めていたが、まだ今日を終わりにはできない。
時間は限られている。
北へと行き、南へと戻り、そして、また北へと向かうバスに乗ろうとしている。
松江駅周辺まで戻らず、そのまま、次の目的地に迎うことができればよかったが、残念なことに、点と点を結ぶ交通機関は存在しなかった。
バスの額に示された文字列と時刻表を参照し、何台かのバスをやり過ごし、そして、ようやく現れたバスに乗車した。
それほど時間は掛からなかった。
降車した停留所は、どこか寂しい場所だった。
一日が終わろうとする時間が、そう感じさせたのかもしれない。
ぽつぽつと歩いていくと、鳥居がみえた。
鳥居の傍らにある石碑に視線をやるが、夕陽の逆光で読めない。
歩み寄り、刻まれた文字を読み上げようとするが、やはり、霞んで読めなかった。
地図を確かめる。
ここで間違いはない。
鳥居の奥、大きな社へと視線をやり、つま先を向けた。
"佐太神社"、先に訪ねた加賀の潜戸で誕生した佐太大神、そして、伊邪那美命、伊邪那岐命らを祀神とする神社である。
旧暦10月は、日本全国にいる八百万の神が里帰りをするため、"神無月"と呼ばれる。
一方、出雲国においては、逆に里帰りをしてきた神々が集まるため、旧暦10月を"神在月"と呼ぶ。
里帰りしてきた神々を迎える"神在祭"を最も古くから行っていたとされる神社が佐太神社であり、 小泉八雲もまた、佐太神社の神在祭を拝観したそうである。
佐太神社もまた、独特の空気の神社だった。
境内の正面には、社を隠すように聳える高い樹は一本もなく、ただひたすらに広く開けていた。
どこか、お寺のように感じられたのはそのせいであろう。
境内に人気はなく、敷き詰められた小石をを踏む音が、強く感じられた。
境内を歩いていると、どこからともなく篠笛の音が響いてきた。
ふと振り返ると、本殿の前の短い石段に座る、2つの影が視えた。
あまり上手くない。
まだ練習中なのだろう。
それでも、奏でられる音の色は、どうしようもないくらいに、神社の空気に調和していた。
やがて、時折、かすれる笛の音の隙間を埋めるように、ひぐらしが鳴き始めた。
これ以上、邪魔をするのも悪いと、神の社に背を向け、歩き出した。
■本日の支出
バスカード1100円分 2枚
2,000円
バス運賃詳細
一畑バス マリンゲート線
松江駅からマリンゲート島根
往路650円
復路650円
一畑バス 恵曇・片句・古浦・高専線
大橋北詰から佐太神社前
往路410円
復路410円
小計2,120円
コミュニティバス
200円
潜戸観光遊覧船
1,200円
合計
3,600円
■本日のチェックポイント
⑰加賀の潜戸
⑱佐太神社
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