免許合宿紀行 3日目 「トラベラーズ・ハイ」
1時間早く起床し、1時間早く朝食を摂り、1時間早くバスに乗り、1時間早く自動車学校に到着した。
先に述べたように、1時限目の空白と8時限目の技能教習が、3時限目の模擬試験と12時限目の技能教習が、 それぞれ入れ換えられたためだ。
おかげで、やれやれという気持ちが拭えない朝となった。
1時間、1時間と恨みがましく連呼してから言うのも何だが、最初から、この予定であったと考えれば、どうということもない。
つまりは気持ちの問題である。
気持ちの問題だからといって、何もかも問題にならないかと言えば、そうではないが、この問題については、問題ではなかった。
目が醒めてしまえば、寝起きの機嫌の悪さなど、すぐに忘れてしまうものだからだ。
問題は他にあった。
1時限目に予約されている技能教習、数分後に始まる技能教習、完全に苦手意識を抱いている技能教習である。
その圧力が責め苛む。
朝から緊張と憂鬱を強いられていた。
ビタミンが欠乏すると集中力を維持できない。
ふと、どこかで聞いたような情報が脳裏に浮かび、待合室の自動販売機で野菜ジュースを購入した。
調べれば、それが真実かどうかすぐに解っただろうが、特に調べることはしなかった。
ここ数日、野菜を食べていないことは事実だったので、とりあえず、あれこれ補給しておくことに越したことはないと考えた。
1時限目(8時20分~9時10分)
技能教習第1段階 【4時限目】
項目4 「速度の調節」
項目5 「走行位置と進路」
項目6 「時期をとらえた発進と加速」
項目7 「目標に合わせた停止」
チャイムが鳴り響き、教官に名を呼ばれ、導かれるままに教習車へと乗り込む。
先日と同様に、教官が運転し、それに倣って運転するという展開であったが、相変わらず、はっきり言って、よく解らない。
我ながら、色々視えていない。
意識しなければならないことが多すぎる。
どうにかしたくはあるのだが、どうにもならない。
アクセルとクラッチ、左右の足の連動はともかくとして、
最も致命的だったのは、エンジンの回転数を一定に保つとがうまくできないことだった。
アクセルを踏み過ぎてしまう。 アクセルを緩め過ぎてしまう。
それを繰り返す。
感覚がつかめない。
教官にこつを尋ねるのだが、明確な答えは得られない。
誰も教えを求めるまでもなくできることなのだろうかと不安になる。
2時限目(9時20分~10時10分)
学科教習第1段階3 【7時限目】
項目3 「標識・標示等に従うこと」
「標識・標示等に従うこと」では、標識・表示の種類と意味についての教習が行われた。
学科教習の中でも、この学科教習は特に面白かった記憶がある。
標識とは路上に立てたポールにかけられた看板のことであり、表示とは直接路面に描かれたものを示す。
標識には、本標識と補助標識があり、本標識は4種類ある。
といった原則から、それぞれの標識・標示が、何を意味しているのかをひたすらに学んだ。
普段何気なく視界に入っていた、標識・標示が何を意味するか詳しく知ることは楽しかった。
知識欲を充足させる快さに躍る一方で、標識・標示の読み方くらいは、義務教育で教えるべきなのではないか、そんなことを考えた。
確かに、29年間、標識・標示の意味するところを理解せずとも生きてこられた。
絶対に必要なものではないのだろう。
だが、それは私個人の話であり、ただ、運が良かっただけかもしれない。
歩行者、自転車が標識・標示の意味、そして、基本的な交通ルールを知っていれば防ぐことができた事故はないのだろうか?
いや、あるに違いない。
そんな風に、考えさせられた。
3時限目(10時20分~11時10分)
技能教習第1段階 【5時限目】
技能教習第1段階項目8 「カーブや曲がり角の通行」
運転技術が突如として向上するなどということはなく、学科教習を挟んでから行われた5時限目の技能教習も、 4時限目と同様、相も変わらず、教官の指示によって運転させられているという運転だった。
大きな失敗はない。
危なげはあるが、とりあえず、指示されていることはできているため、達成しなければならない教習項目は、順調に減っていってはいる。
だが上達しているという実感はまるでない。
これで大丈夫なのだろうか?
そんな釈然としない気持ちを抱えながら、教習をやり過ごし、安堵した。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
とりあえず、終わってしまえば、もう終わりである。
今日というこの日に予定された憂いはもうない。
心が軽い。
一転して、技能教習が前倒しされたことに感謝の気持ちが芽生える。
我ながら、現金である。
昨日と同様に、すぐに送迎バスで送ってもらい、ホテルへと帰った。
自転車を借りて、走り出す。
ペダルを踏み込み、風を切ると心が晴れていく。
自転車があれば、自動車なんていらない。
そんなことを、かなり真剣に考えた。
自動車学校に通う教習生の主張としては、如何なものである。
とはいえ、私は、そもそも、矛盾した存在であるので仕方ない。
とにかく、マイバイクの到着が待ち遠しかった。
今日、最初の目的地は、昨日立ち寄った松江歴史館に隣接する"松江ホーランエンヤ伝承館"である。
松江城周辺にある観光施設、"松江ホーランエンヤ伝承館"、"松江武家屋敷"、"小泉八雲旧居"、"小泉八雲記念館"を目的地に設定し、 ついでに周辺を散策するというのが、大まかな行動計画である。
というわけで、まずは松江城を目指した。
市内を流れる堀川沿いを走っていると、前方からゆっくりと流れてくる遊覧船の姿が視えた。
面白そうだと考えたが、一方で、男一人で乗るというのは、なんとなくつまらない気がした。
万が一、合宿中に女性と仲良くなるようなことがあれば、一緒に乗ろうなどと心に決めてやり過ごした。
松江城の石垣を仰ぎながら、堀川沿いの道を北に走り、松江歴史館の前を抜ける。
一度走れば、道は覚えているものである。
地図を確かめるまでもなかった。
迷うことなく、松江ホーランエンヤ伝承館へと辿りつき、自転車を停めた。
松江ホーランエンヤ伝承館を仰ぐ。
松江歴史」と比較すると、こじんまりとした佇まいという印象を受けた。
館の前ではためく、5つの巨大な幟(のぼり)が、そう感じさせたのかもしれない。
館内に入り、入館料を支払う。
松江歴史館の有料展示観覧券があれば、同日のみ入館が無料になるのだが、同日ではないので仕方がない。
昨日、時間がなかったことがやや悔やまれたが、悔やんでもどうしようもないので、切り換える。
まずは入口の近くにある薄暗い部屋に入り、映像展示を観賞する。
"ホーランエンヤ(宝来遠弥、豊来栄弥)"とは、松江藩の守護神である稲荷神を奉っ"「松江城山稲荷神社"が一二年に一度司る式年神幸祭である。
宍道湖から松江市市街の中央へと流れる"大橋川"、八雲町から中海へと流れる"意宇川"を舞台に、
ご神体を載せた神輿船と共に、神器船、神能船、神楽船など100隻もの船が大船行列を繰り広げる大祭で、"日本三大船神事"に数えられる。
といったホーランエンヤについての紹介から始まり、神事の起源、神事の伝承についてが映像と共に語られていった。
終盤には、ホーランエンヤの見所である、神輿船を先導する櫂伝馬船と呼ばれる大型船と、 その上で披露される"櫂伝馬踊り"の様子が次々と映された。
櫂さばき、采振りを模した櫂伝馬踊りを披露する歌舞伎姿の踊り手の舞いは、実に勇壮で美しく心を奪われた。
映像展示が終わり、暗さが深くなると、快い溜息が零れた。
見応えのある映像展示だった。
余韻もそこそこに、次いで、敷地内の中庭へと出て、展示されていた櫂伝馬船のレプリカを観賞した。
上に乗っても構いませんとの看板があったので、遠慮せずに、船の上に乗ってみた。
童心に返ったような、何とも奇妙な郷愁に襲われた。
ホーランエンヤ伝承館を後にし、松江城を廻る堀川沿いの道を西へと走り、松江城の北に位置する"塩見縄手地区"へと入る。
石垣、堀川、松並木、そして、武家屋敷の門、木と漆喰と瓦の塀。
先ほど列挙した松江武家屋敷、小泉八雲旧居、小泉八雲記念館、そして、出雲蕎麦の名店である"八雲庵"などの観光施設が、 ただ観光施設としてあるだけではなく、景観を保存するという役目をも果たし、松江城の城下町に相応しい趣のある風景を成立させている。
岡山県倉敷市にある"美観地区"ほどの広がりはないが、松江城と共にある塩見縄手地区の雄大な景色は、それと比して遜色のあるものではないように感じられた。
次の目的地である松江武家屋敷まで間もなくといったところで、ふと、小さな案内板が視線に入った。
やや考えて、予定を変更することにした。
矢印に導かれるままに小路へと入り、駐車場の隅に自転車を停めた。
木陰の坂を駆け上がり、乱れる息を整えながら、門の奥に視線をやる。
白んでよく視えない。
視えなかったが、その奥に、目的地はあった。
門の手前で、見学料を支払い、茶室"明々庵"へと臨む。
茶室が好きだとか、茶道をしていたとか、そんな昔話はない。
ただ、なんとなく気になり、寄り道をしてみた。
茫と庭園を歩き、茫と明々庵を覗く。
幾つか、茶室というものを覗いたことがあるが、広々としているという印象を抱いたことはないので、つまり、そういうものなのだろう。
人を招き、お茶を飲む空間"床"は四畳半。
一人ならば広すぎる。
誰かがいればやや窮屈に感じる。
そういう空間がそこにはあった。
4畳半という広さは、奇しくも、私の自室と同じ広さだった。
机や棚や段ボールが部屋を占拠しているため、それなりに狭く感じられる。
だからこそ心が休まる。
それと同じ原理なのではないだろうか?
茶室という場所は、友人の部屋に似ている。
友人の家というのは正に異界である。
その中で唯一心を休められる場所が、気の知れた友人の支配領域である友人の部屋である。
そういう場所なのではないか?
茶室とは、などと、一人思惟し、一人得心した。
明々庵に背を向け、正面にあった平屋へと向かう。
一面の硝子窓の向こうに人の姿があり、飛び石の終わりには靴が座していた。
中に入れるようなので、躊躇なく、一方で、丁寧に、窓を開けた。
2人の若い女性が、丁度、席を立とうとしているところだった。
その背を送ると、彼女たちをもてなしていた上品な老年の女性がこちらに振り向いた。
やや畏まった挨拶をあらためて交わし、それから、抹茶を勧められた。
ちゃんとした抹茶を頂く機会というのは、そうないので頂くことにした。
畳の上で正座して待っていると、まずお菓子が配られた。
黄色と緑色、黒い盆の上に、2つの菓子が鮮やかに咲いていた。
それぞれ、松江三大銘菓の内の2つ、"菜種の里"と"若草"であるとのことだ。
それぞれの由緒について、口上がなめらかに述べられ、それに頷いてから、お菓子を口へと運んだ。
菜種の里は落雁、若草は求肥に若草色の米粉を塗したお菓子だった。
個人的には若草の方が好みであった。
老年の女性は、再び奥へと下がり、程なくして、茶碗と共に戻ってきた。
近くもなく遠くもないところに座り、茶碗をそっと置くと、深々と礼をした。
その所作は、とても美しく感じられるものだった。
突然のことで、少し焦りながらも、礼を返す。
それから、「いただきます」と告げ、茶碗に手を伸ばした。
苦くないわけではないが、すっと溶けて残らない。
さわやかだが、しっかりとお茶の味がある。
つまりは、美味しかった。
「結構なお手前で」などと言おうとも考えたが、気取っても仕方がないので「美味しかったです」と素直に伝えた。
それから、明々庵について、"不昧公"と呼ばれ、親しまれた松江藩七代藩主"松平治郷"について、そして、飾られた掛け軸についてなど、 あれやこれやについて拝聴した。
話が一段落したところで、お礼を言って、席を立った。
背を見守られながら靴を履き、一礼し軒先から離れた。
何とも言えない、ゆったりとした一時だった。
明々庵を出て、松江武家屋敷へと向かった。
屋敷の門の前で自転車を置く場所を探していると、係の方に中へと誘導された。
門をくぐり、事務所の裏手に自転車を停めた。
入館料を支払い、順路に沿って、見学をはじめる。
母屋の周囲では、音声案内が繰り返し再生されていた。
屋敷をめぐりながら、屋敷の由来、屋敷の構造、そして、江戸時代の生活について、話を聞いた。
松江武家屋敷の中で最も印象に残っているのは、母屋の前にあった"盛り砂"である。
"盛り砂"とは、切れ味が落ちた刀を石の山に打ち込み、引き抜くことで毀れた刃を研ぎ直す、刀の研ぎ器であり、 屋敷が襲撃され、戦いとなった時のために備えたものであるとのことだ。
"盛り砂"は、石を積み上げた小山以外の何物でもなく、特にそれだけで興味をそそられるようなものではない。
だが、その機能と、それが何故、屋敷の門と母屋の間にあるのかを知ってから観れば、 なんとなく眺めていた景色が違ったものに視えてくる。
敢えて見通しを悪くするようにつくられた"鉤型路"と呼ばれる変則十字路など、 松江城の周辺では、徳川が天下を取って間もない時代、戦いの時代の熱が未だ冷めやらない時代の息吹を、そこかしこで感じられる。
それらもまた、松江城と、その城下町の魅力の一つに他ならない。
武家屋敷の門を出て、西に視線をやる。
次の目的地である小泉八雲旧居、そして、小泉八雲旧居に隣接する小泉八雲記念館は、すぐそこにあった。
だが、中に入ってゆっくり見学できるほどの時間は残されていなかった。
焦りながらでは、観るものも観られない。
予定を入れ換える。
小泉八雲旧居と小泉八雲記念館の前を通り過ぎ、松江城の城山へと向かう。
神社を参拝するだけなら、それほど時間はかからないと考えたからだ。
息を乱しながら坂を登るとすぐに、緑と影の中に、赤い鳥居が現れた。
"松江城山稲荷神社"である。
境内に入るとまず、場違いなものがあることに気づく。
「吉田くん」である。
松江城山稲荷神社は、"松江歴史館"の企画展示「吉田くんプロデュース 小泉八雲“KWAIDAN”の世界」と並行して行われている 「吉田くんと巡る怪談の地ラリー」のチェックポイントの1つであった。
折角なので、吉田くんを撮影し、それから、奥へと歩いた。
境内を歩いて行くと、石の鳥居の近くに、石の狐たちが行儀よく座っていた。
鳥居をくぐり、奥へと進む。
そして、圧倒された。
神社の本殿は、無数の、そう数えきれないほどの狐たちに囲まれていた。
なんとも、奇妙な光景だった。
狐の嫁入りに出くわし、うっかり見つかってしまった。
そんな錯覚を覚えた。
神社の一角には、小屋囲いがあり、その中には一対の狐が収められていた。
小泉八雲が愛したとされる、石の狐だそうだ。
愛嬌があるというか、ずる賢そうというか、とにかく特徴的な顔つきをした狐だった。
ふと、愛聴している『NHKラジオ英会話』で、先日取り上げられた『ごん狐』の物語を想起した。
参拝を終えて、時計を覗くと、いい時間になっていた。
ペダルを強く踏み、ホテルに向かって走った。
教本やら何やらを回収するために自室へと戻り、ついでに冷蔵庫から冷えたソルティライチを取り出し、携帯用のペットボトルに補給する。
ついでに、身体にも補給した。
冷蔵庫の偉大さを痛感する。
冷蔵庫のない時代では、庶民が冷たい飲み物を飲むことなど、夢のまた夢であっただろう。
生まれた時代に感謝しつつ、がぶがぶ飲んだ。
迎えに来た送迎バスに乗り、自動車学校へと戻った。
まるで送迎バスをタクシー代わりにしているようだが、それは誤解である。
私以外にも誰かしら乗り降りする人がいるので、そのようなことはない。
7時限目模擬試験、9時限目学科教習、11時限目学科教習。
技能教習が午前に前倒しされたことも手伝って、午後の予約スケジュールは教習と空白を交互に繰り返す、虫食いとなっていた。
時間が惜しいという気持ちはあったが、一方で、技能教習がなかったため、不安に苛まれることはなかった。
7時限目(14時20分~15時10分)
仮免許学科模擬試験【3回目】
7時限目、まずは、通算で3回目となる模擬試験に挑んだ。
合宿2日目である昨日の点数は、1回目は25点、2回目は32点。
目標点数は35点であり、何れも下回っていた。
が、全く焦りはなかった。
知らないことはあっても、解らないことはない。
学科教習の受講が全て終わりさえすれば、模擬試験の合格点である45点を獲ることは難しくないという手応えがあった。
そのため、緊張はない。
解答用紙に、○と×、そして、チェックをつけていく。
チェックは、後で、解らなかった問題、怪しかった問題を、確認するための目印である。
時間には余裕があったが、迷った問題を解き直すことはしなかった。
憶えていなければ解らない。
考えたところで堂々巡りするだけだと解っていた。
茫と机を凝視しながら試験が終わるのを待った。
結果、点数は39点。
合宿3日目の目標点数は40点。
足りていない。
だが、最終的な合格点数が45点であること、この時点で受講している学科教習は7時限、3時限が未受講であることを考えれば、
決して悪い点数ではない。
教官から、特に何かを言われることもなかった。
とはいえ、目標点数に足りていないことは現実であるので、空白の8時限目を利用して、少し勉強をすることにした。
9時限目には、学科教習が控えている。
50分間で観光に行って帰ってくることは難しく、勉強をする以外に時間を有効に使う方法はないという事情もあった。
待合室の一角につくられた自習室に入り、配布されていた"仮免許学科試験問題集"を開く。
問題を解き、答え合わせをして、間違えた問題を確認する。
それを黙々と繰り返す。
やはり受講していない学科の問題は、知らないので答えられない。
予習しようとも考えたが、9時限目と11時限目に学科教習が入っており、それが終われば、未受講の学科教習は1時限を残すのみとなる。
であれば、予習を急ぐ必要はない。
問題集に向き合い、○と×をつける作業を繰り返す。
知っている問題を確実にすることに専念した。
9時限目(16時20分~17時10分)
学科教習第1段階6 【8時限目】
項目6 「交差点などの通行、踏切」
「交差点などの通行、踏切」では、信号のある交差点の通行方法、信号のない交差点の通行方法、右折左折の方法、踏切の通過方法についての教習が行われた。
踏切を通過する時は、踏切の前で一時停止をし、目視で確認を行い、それから、窓を開け、電車が近づいてきていないか音で確認を行う。
これが踏切の正しい通過方法であり、修了検定、卒業検定においても、これを正確に行うことが要求される。
とのことだが、自転車や徒歩で踏切を待っている時に、窓をあけて音を聞いている運転者を見た憶えがなかったので驚いた。
教官に質問しようとも考えたが、敢えて聞くことはしなかった。
学科教習が終わると、再び、自習室へとこもる。
本意ではないが、他にすることもない。
合宿に出会いを求めて参加したわけではないが、そういうことがあればいいなとは考えていた。
とはいえ、話は聞くが、現実には、そうはならないのが現実である。
気が合いそうな子がいなければ、その気にはなれない。
気が合いそうな子がいたとしても、人それぞれ、教習の期間、教習の時間が異なっているため、ゆっくり話せる機会は中々なかったりする。
私のように、休み時間に自動車学校を抜けだしていれば、機会はさらに失われる。
勉強していると、声をかけづらい。
友達と一緒に来ていると、声をかけづらい。
技能教習への不安でそれどころではない。
学科試験に向けて勉強をしなければならない。
といった要因も手伝ってくる。
これらは、その気になれば、どうとでもなることではあるが、その気にはなれなかった。
選り好みしない。
かつ、とにかく積極的に、何よりも優先して異性を追いかけ回すことに賭けなければ、免許合宿の恋は実らない。
というのが、私の出した結論であり、合宿3日目にして、既に半ば諦めている感があった。
免許合宿に限ったことではないが、可愛い女性、格好いい男性と自然と仲良くなれるなどと期待してはならない。
11時限目(18時20分~19時10分)
学科教習第1段階4 【8時限目】
項目4 「車の通行するところ、車が通行してはいけないところ」
「車の通行するところ、車が通行してはいけないところ」では、車道通行の原則と例外、左側通行の原則と例外、車線が複数ある道路の通行方法についての教習が行われた。
あれこれしっかり決められているものだと感心する一方で、 これらの交通法規を順守することができるのか、 知っていて、解っていても、頭で考えたとおりに運転できるか、不安であった。
とはいえ、そんな不安も鐘が鳴り響けば、どこかへと失せてしまうのだが。
とにかく、全ての教習が終わり、解放される。
送迎バスに乗り、送ってもらう。
今日は、宿泊しているホテルの前ではなく、昨日、一昨日と通り過ぎてきた、松江駅前の近くにあるホテルの前で降車した。
合宿参加者が全員同じホテルに宿泊しているわけではない。
そのため、送迎バスは、松江駅周辺にあるホテルの幾つかを巡る。
その一つが眼前に聳えるホテルだった。
とはいえ、このホテルに何かあるわけではない。
近くに、夕食券が使用できる飲食店があったので、途中下車することにしたのである。
スマートフォンのマップアプリで店の場所と自身の位置を確認し、歩き出す。
5分ほどで、店の前へと辿りついた。
看板を見て、間違いがないことを確かめてから、店へと入る。
和食の店というより、街中にある定食屋といった印象のお店だった。
先客はいない。
私の感覚では、まだ19時だが、この土地の感覚では、もう19時なのかもしれない。
閑散とした店内に、ラジオの野球中継が響いていた。
作務衣を着た主人に夕食券を示し、手前にあった2人掛けの席に座った。
自動車学校の生徒専用メニューを渡され、そして、悩んだ。
メニューに書かれた"割子そば"とは何かを主人に尋ねて、時間を稼ぐ。
島根県の名物料理"出雲蕎麦"の伝統的なスタイルで、重ねられた漆器に蕎麦を盛りつけるというものらしい。
興味深くはあったのだが、何故かとても、親子丼が食べたかった。
そんなわけで、親子丼を頼み、親子丼を頂いた。
親子丼は普通だった。
普通の親子丼だった。
ちょっと鳥肉が少ない気がした。
ちょっと何かが足りない気がした。
とぼとぼとホテルへと帰った。
フロントに話しかけると、荷物が届いていると伝えられる。
待ちに待った時が来た。
ホテルの裏手にある駐輪場を借りることを伝え、巨大な銀色の袋を受け取った。
"輪行袋"と称されるその袋の中には、スポーツタイプの自転車"ロードバイク"が前後輪を外した状態で納められている。
輪行袋をかついで駐輪場へと向かう。
ロードバイクは軽い。
サドルバッグやライトを含めても10kg前後に収まる。
1万円前後で購入できるシティサイクル(通称ママチャリ)の重量が20kgから30kgであることを考えると、
1/2から1/3の重量である。
なので、わけはない。
輪行袋のチャックを半分ほど開き、まずは前輪と後輪、そして、"サドルバッグ"を取り出す。
補足しておくが、サドルバッグとは、サドルの下に取り付ける小型のバッグのことである。
サドルバッグから、軍手を取り出し嵌める。
軍手があると、稼働部位のメンテナンスをする時に、手がオイルで汚れずに済むので、常にサドルバッグに入れてある。
それから、チャックを全開にしてフレームを取り出し、ハンドルとサドルが下になるように、フレームを天地逆に置く。
これで準備は完了である。
前輪をフレームにはめ、"クイックレバー"を締める。
次いで、チェーンを引きながら後輪をはめて、クイックレバーを締める。
ロードバイク、マウンテンバイクなど、スポーツタイプの自転車のホイールは、クイックレバーと称される、ホイール中央にあるレバーを締めたり緩めたりするだけで、フレームに付け外しできるようになっている。
取り付けにも、取り外しにも、工具は必要ない。
前後のブレーキを調整、確認し、ひっくり返す。
これで組み立ては終了、所要時間は10分ほどであった。
輪行袋を畳んで片づけてから、ホテルの周りを軽く流してみる。
快調である。
異常がないことを確認し、駐輪場の端に停めて、鍵をかけた。
白と黒。
モノクロームの車体を眺める。
購入して7年が経つが、しゃんとしている。
走っていて、歪みやたわみを感じることはない。
だが、顔を近づけてみれば、小さな傷を幾つも認めることができる。
その傷、一つ一つに思い出がある。
はじめて転んだ時につけた傷、うっかり玄関の扉にぶつけてつけた傷、メンテナンス中に工具をぶつけてつけた傷、特徴的な傷は覚えているものである。
フレームを凝視する。
憶えのない傷があった。
新たな傷である。
輪行袋は、ただの布袋でしかなく、中の自転車を保護する力はない。
輸送費を安く抑えるために、宅急便を利用するのであれば、諦めなければならないこともある。
覚悟の上だった。
だが、覚悟の上だろうが、凹むことは凹む。
大切なのは、傷がついたからといって、愛情を失わないことだ。
そんな言い訳をしながら、フレームの傷を舐めるように眺めた。
自室へと戻り、シャワーを浴びた。
汗は洗い流すことができたが、指先についた油の匂いは微かに残った。
ノートパソコンの電源を入れ、オンラインゲームを起動する。
ゲームをするためではなく、言葉を交わすために。
■本日の収支■
野菜ジュース
120円
ホーランエンヤ伝承館 入館料
200円
明々庵
見学料 400円
抹茶代 400円(一服、お茶菓子付き)
合計
1,120円
■本日のチェックポイント■
松江ホーランエンヤ伝承館
明々庵
松江武家屋敷
⑧松江城山稲荷神社
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