島根免許合宿紀行

@29yold

とはずがたり

本意ではないが、遺言に従う形になってしまった。


祖父が亡くなった。

2013年晩春のことである。


最後に言葉を交わしたのは、年明け。

最後に会ったのは、亡くなる一週間前のことだった。


体調が思わしくないことは、顔色や体形の変化から感じてはいた。

だが、それでも、祖父の死は突然のことだった。


まだ時間はある。


そう思いたかっただけかもしれない。


いずれにせよ、不肖の孫は、何も返すことができなかった。

何も告げることができなかった。


祖父は器用な人間ではなく、私もまた器用な人間ではなかった。

それでも、祖父は私によくしてくれた。


未だ定職に就かず、社会から逸脱した存在である私であっても、

訪ねて行けば、温かく迎えてくれた。


祖父は私の将来を案じる手紙を幾度となく送ってくれた。

だが、私は手紙を返すことはしなかった。


何を言っても、何を書いても、それが現実にならなければ嘘になる。

嘘をつきたくはなかった。そして、私が望む生き方を否定されることが怖かった。


ただ行動と結果を以て応える。

そのために、一歩ずつ歩いていいくことしか、私にはできなかった。

そうするしかなかった。


祖父は生前、事あるごとに「免許を取りに行け」と私に言っていた。


私は、それを聞き流していた。

私にとって、自動車は絶対に必要なものではなかった。


私は、幼い頃から、自転車が好きだった。成長と共に、走ることのできる時間と距離は長くなり、ロードバイクと称される競技用自転車を手に入れた現在では、片道20キロメートルほどの距離であれば、散歩気分で往復できるようになっていた。


自動車を手に入れる必要性を、まるで感じていなかった。


近くであれば自転車を使えばいい。

遠出をしたい時は電車を使えばいい。

大きな買い物はインターネット通販を使えばいい。


そう考える私にとって、自動車は絶対に必要なものではなかった。


昼夜を問わず10分も待てば電車がやってくる首都圏で暮らしてきたということもあるだろう。


経済的な事情もある。免許を取り、車を買うことになれば、少なくない経済的な負担が発生することになる。


払って終わる自動車そのものの購入費はさて置くとして、自賠責保険、任意保険、自動車重量税、自動車税、車検費用、免許の更新費用、燃料費など、自動車を所有することで、強いられるであろう数々の維持費は、私に免許の取得を躊躇わせるに充分過ぎるものだった。


私にとって、自動車の購入と維持は現実的に困難であり、また、自動車を購入しないにしても、とりあえず、免許だけを取得しておくという考えは理解できなかった。


絶対に必要ではないものに経済資源、時間資源を投じることは、私にとってありえないことであった。


さらに、友人との旅行中に自動車事故を経験したことで、私の中で、自動車は忌避すべき存在となっていた。


「免許を取れば、世界が変わる」


祖父は、生前そう話していた。

本気でそのように考えていたか、或いは、資格を取得するという過程において、

社会不適合者である私がどうにかなる切欠になればと考えていたかは、定かではない。とにかく、そう話していた。


祖父の言葉の全てを否定はしない。

世界が変わる人もいるだろう。


だが、私の行動半径が変わることがないことも、そして、私自身が変わることがないことも、私には解っていた。


では、何故、こと此処に至って、免許の取得を決意したのか?


祖父の死が理由ではない。


そも、免許の取得は、祖父が存命の頃から決めていたことであり、それは祖父にも伝えてあった。


結論から言えば、逃避に他ならない。


私は追い詰められていた。


やりたいこと、やるべきことに迫られながら、しかし何者にもなれず、過ぎていく時間に怯えながら、日々を送っていた。全てを放り投げて自由になりたかった。停滞した日常から解放されたかった。


その手段として考え至ったのが、合宿による免許の取得だった。


免許取得以外のことをやらなくていい十六日間の猶予を手に入れる。


「免許を取得するために、仕方なく、他のことを休んでいる」


そんな自由の免罪符を手に入れることが、合宿参加の目的に他ならなかった。だからこそ、教習所に通って、免許を取得する気は微塵もなかった。


祖父の遺言だから、

応募できる求人の幅が広がるから、

心的外傷の克服に繋がるから、


あれやこれやと、それらしいことを列挙することはできる。

だが、それらは全て、取り繕うためだけに並べられた空虚な言い訳に過ぎない。


私は免許が欲しいとも、自動車を運転したいとも考えていない。

欲しかったのものは、自由と解放に他ならない。


それが全てだった。


そんなものが、祖父が私に求めたものであるはずがない。

だから、まるで、祖父の遺言に従っているような、この状況は本意ではなかった。

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