人買いと竜の話

大村あたる

 馬車から降りたカリマは困惑していた。

「なんだこりゃ、竜……か……?」



【1】

 …………数刻前。

 今日のカリマはえらく気が立っていた。答えは明白、商品の仕入れがうまくいかなかったからだ。

「ええぃくそ、どうなってやがる。あの村は最近まで飢饉(ききん)で死にかけだったはずだろう……! さては糞爺、俺に嘘を教えやがったな!」

 勿論今までの経験則から見て、そんなウソを教える道理がキジナ翁にないことは百も承知だ。万が一カリマに嘘を教えるようなことがあれば、その噂は瞬く間に仲間連中に広まり、キジナ翁があの町にいられなくなる。それはキジナ翁もよく理解していること。勿論今回きりで逃げる算段なのであれば別なのだが。

 どうやったってカリマ自身に責があるのは明らかだった。大規模な飢饉だと聞き、ごうつくばって大きな馬車を借りようとしたのがよくなかった。おかげで出発日は二日も遅れ、馬も後ろから数えたほうが早そうな駄馬を渡されることになった。結果、到着は四日も遅れ、商品は片手で数える程度しか仕入れられなかった。帰ったら仲間内で笑い話にされることうけあいである。

 苛立ったまま乱暴に馬に鞭をふるう。行きと違う鞭の調子に、馬たちが抗議とばかりにいななく。その鳴き声を聞いて苛立つ。鞭をふるう。悪循環だとは思っていても、カリマはどうしても止められなかった。こんなに苛立っているのだ。どこかにぶつけなければもはや正気を保てない。世間様に顔向けできないようなことをしている以上、ただでさえストレスのたまる仕事なのだ。

「はぁ……、今回はどうやったって赤出るようなあ……。こんなデカい荷台を借りておいて、中身がスカスカで帰ってくるほどわびしいもんはねえよ。お天道様はこんな日も元気でうらやましい……お」

 愚痴りながら空を見上げると、大きな影が太陽を遮るのが見えた。

「いつもはこんなことしねぇんだがな…、一応願掛けでもしとくか。商売繁盛商売繁盛…」

 巨大な空竜はその勇ましさゆえにしばしば崇拝の対象にされる。商人たちの間でもそれは健在なようで、竜を見ると願掛けをするような風習がいつの間にか流行っていた。

 いつもはそんなことはしないカリマだったが、今はどんな神にでもすがりたい気分だった。仲間に教えてもらった方法で願掛けを行う。

「ああっと、目をそらさず、手を胸の前に組んで……だったっけか? んで三回唱える。でよかったっけか。商売繁盛商売繁盛商ば……あ?」


 慣れない祈りを捧げるうちに、カリマはあることに気付いた。竜の飛行がおぼつかなくなっている。


 勇壮に空を駆ける空竜ならこの国では日常的に見る光景だ。だが弱々しい竜など見たことがなかったし、伝聞であろうと聞いたことがない。童話の中でなら聞いたことがあるが、勿論そんなもの作り話だ。

 そのまま観察していると、竜は高度を地面すれすれまで下げ、そして這いずるように地面へと着地した。

「なんだありゃ…、竜ってのはもっと強靭な生き物じゃないのか?」

 興味がない、といえば嘘になる。この国で竜自体は珍しくもないが、近くで見ることは驚くほど少ない。せいぜいが地竜か獣竜で、空竜など空を仰ぐときに見るだけだ。

 ここまで仕入れが長引いたあげく商品の仕入れが上手くいっていないなら、珍しい竜の見物でもしたところでさして変わらないだろう。うまく竜の遺物でも持ち帰れば金になるかもしれない。そんな程度の気持ちでカリマは鞭をふるい、竜の着地した方向へと馬車を走らせることにした。



 …………

 そして物語は冒頭へとつながる。

「なんだこりゃ…、竜…か…?」

 そんな言葉をカリマは無意識のうちに吐き出していた。

 確かにこの国―龍華(リュガ)―では竜はそう珍しいものではない。ひがな一日空を見上げていれば悠々と舞う勇壮な空竜の姿を一~二回は見られるし、少し高い山にでも登れば大きな四肢を携えた物静かな無翼の地竜に会えるだろう。郊外では蜥蜴(とかげ)のような小さな獣竜を見ることもできるだろう。

 そして目の前のそれは、たしかにそれらの竜にみられる特徴を備えていた。硬そうな鱗(うろこ)に覆われた皮膚は地竜の特徴であり、大きな爪を伴った腕と脚は獣竜のものとそっくりだ。耳の後ろから生えた軽く捻じ曲がった角と、背中から生える大きく毛のない翼は、空竜の何よりの証だ。

 だがそれでもカリマは目の前のそれを、どうしても竜と断定することができないでいた。

 竜が多様な姿をしているのは、龍華では周知の事実。体の一部が奇妙に変形したものも少なくない。だがさすがに「腹に人が張り付いた」竜など、カリマは見たことも聞いたこともなかった。

 そう。その竜は腹に人を抱えていた。大きな翼と竜の体が覆いかぶさっているため判別がつかないが、顔つきは幼くまだ十代に見える。腹から突出した頭部から生える、生まれてから切ったことのないような黒髪は、誰が見たって人間のものだと言えるだろう。

 そしてその体は、背中から竜の腹に完全に融合していた。骨ばった少年の肌は背中側に行くにしたがって硬そうな竜の鱗へと徐々に変わっており、どう見たところで彼らは完全に結合していた。

 無意識のうちに、カリマは昔話を思い出していた。スカージギルド出身でなくともこの国の子供なら必ず聞いたことのある、竜人と旅人の話。

だがそんなものはおとぎ話だと誰もが信じている。竜と言葉を通わせることが難しいことは勿論だが、それ以上に信じられないのは「竜人」の存在。人の形をした竜の話など、風俗誌の噂話ですら聞いたことがない。

 所詮夢物語だ。カリマもついさっきまでそう思っていた。……だが、目の前にその夢の欠片(かけら)がある。商品の仕入れが上手くいかずに気が滅入って、とうとう頭までおかしくなったか。昔追った夢物語の、その続きを見ているのだろうか。

 そんなことを半ば呆然としながら考えていると、突然カリマの視界が霞み始めた。

「うぁ……、やっぱ失敗したのが結構堪えてんのか……。早く帰ろ……」

 そんなことをぼやいている間にも、視界の霞はどんどん広がっていく。

 マズイ、このままでは荒野のど真ん中で倒れてしまう。早く馬車に戻らねば。そう思いカリマが馬車に戻ろうとするのと、霞が晴れるのはほぼ同時だった。

「……っうっと。はぁ……、こりゃずいぶんキてんな。こりゃ早く帰ったほうが……⁉」


 ぼやくカリマの視界に移ったのは、荒野に倒れた少年の姿。ただしその場所は先刻カリマが、あの人を抱えた竜を見た場所であった。そう、あたかも竜に抱えられていた子供だけが、そこに取り残されたように。少年の裸の背中には、まるで竜の遺痕のように鱗が刻まれていた。


 思わず動揺するカリマだったが、徐々に冷静さを取り戻していった。そうだ、さっきまでのはやはり夢だったのだ。竜人など存在するわけがない。背中の鱗もなんてことはない、最近流行りの竜(りゅう)鱗病(りんびょう)だろう。落ちた竜が消えたのは不可思議ではあるが、カリマがここに来るまでにどこかに飛んで行ったのかもしれない。竜が誰の目にも触れず突然消える、なんてことはこの国では日常的にある。竜人の存在を信じるよりはよっぽど現実味のある答だ。

 カリマは自分自身を無理やり納得させ、目の前の少年を金づるとしてみるよう努めた。

 市場的には人気のない竜鱗病の患者だが、子供であれば多少需要は増えるだろう。なにより幼いということはギルドの新しい戦力として迎え入れることもできる。大した稼ぎにはならないだろうが、少なくとも自分の体面も多少は保てるだろう。そうかんがえてカリマは少年を馬車まで引きずっていき、つかみあげて中へ放り込んだ。中の商品から軽い悲鳴が漏れる。

「ビビってんじゃねえ、てめぇらと同じ商品だ! 意識はないみてぇだが息はある。水でも飲ませて介抱してやれ。上手くやりゃ多少は高く売ってやるよ!」

 そう荷台に向かってどなりつけると、中の商品たちは恐る恐るという感じで少年の介抱をし始めた。それを見届けるとカリマは御者(ぎょしゃ)台(だい)に乗り、馬を走らせる準備に入った。

 あんな幻覚を見るのだから、自分自身かなりの疲労が溜まっているらしい。商品をさばくのは寝た後でもいいから、今は少しでも早く帰って早く寝よう。そう考えてカリマは馬に心なし強く鞭をふるったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る