つまらない男
スイスの片田舎に、つまらない男がいた。
彼は時計修理店の主人だった。それゆえ、常に時計を修理していた。
金色、あるいは銀色の裏蓋を開け、歯車やネジを点検し、悪いものがあれば直し、錆を落とし、磨き、裏蓋を閉じ、秒針が動き出すのを確かめると、また次の時計に取りかかった。
彼には女房がいて、息子もいた。しかし、揃いも揃って無口だったため、家族の会話というものはほとんどなかった。そのため、近所からは「陰気な家族」と呼ばれていたが、彼も彼の女房も、それを訂正しようとはしなかった。
彼らの日常は時計の針のように規則正しく、毎日が同じことの繰り返しだった。けれど、時計の針が「毎日時間を刻むのには飽きた」などと言い出さないように、彼も倦むことなく、同じ日常を淡々とこなした。そうしてある日気がつくと、彼は作業台の前に座ったまま、寿命を迎えようとしていた。
幸いにも、今日の分の修理は終わったところだった。いや、厳密に言えば、裏蓋のネジをあと一回転きつく締めてやらなければならない。けれど、指に力が入らない。
思えば、今日はやけに肩こりがした。それに胸が押しつぶされるような圧迫感があった。それは以前から悪くしている心臓発作の前兆だったのだが、彼は気づかなかったのだ。
あと、もう少しネジを――死ぬ直前まで、彼はそんなことを考えていた。そして、結局はネジを締められないまま、息絶えた。
修理さえすれば再び動き出す時計のように、彼は死というものを、この世界からの一時的な離脱だとでも考えていたのだろうか。修理者の手によって彼は再び息を吹き返し、また同じ日常を送ることができると、そう考えていたのだろうか。
時計の裏蓋を元通りに閉じ、私は小さく息をつく。作業台から立ち上がる。
私も彼のように倦むことなく、毎日を時計の修理に費やしている。そして一日の作業が終われば、無口な女房と息子が待つ家へと帰り、そして翌朝になればまたこの店に戻ってくる。
そして、壁に掛かった父親の写真を見て思うのだ。このつまらない人生を送った男は、いまも私の中に息づいているのだと。
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