俺が死んだら

 ――最愛なる妹の絵里香。


 お前にはずっと隠していたが、兄ちゃんは癌だ。もう助からない、そうお医者さんに言われている。


 突然の告白で驚いただろう。けど、泣かないでくれ。お前の涙を兄ちゃんは見たくない。そうだな、俺たちは二人きりで生きてきたよな。でも、これからお前は一人きりだ。 泣いてる暇なんかない。真っ直ぐに前を向いて進んでいってくれ。


 けどその前に、お前に一つ頼みがある。あの箱のことだ。黒いビニール袋に覆われてるデカい衣装ケース。あれは決して開けないでくれ。かといって、捨ててもいけない。お前が大事に保管してくれ。


 何が入ってるかなんて、お前は考えなくていい。兄ちゃんの言うとおりにするんだ。あんなものを開けても、お前が失った過去は戻らない。お前は、小学校時代の記憶がないんだろ? 気づいてたよ。兄ちゃんだからな。


 精神科で記憶を取り戻そうとしているらしいが、それもやめておけ。最後の忠告だ。それくらい、聞いてくれるだろ? 俺はお前を守りたいんだ。あのとき、結局俺はお前を守れなかったから――何の話かって? いや、口が滑っただけだ。


 親のことも思いだそうとするな。そうだ、母親は病気で死んだ。そうじゃなくて、父親のことだ。あいつはとんでもないクズ人間だった。俺やお前を気絶するまで殴って……。


 いまはどうしてるのかだって? そんなこと、知るはずないだろ。警察? 届けなんか出したってしょうがないだろ。それに、そんなことしたら――……そ、そう、そう言おうとしたんだ、戻ってこられたら困るのはこっちだ、ってな。


 それより、そうだ、これも言っておかないといけないな。そう、包丁のことだ。お前、兄ちゃんがいなくなったからってあんなものを使うんじゃないぞ。お前は包丁にトラウマがあるんだからな。


 覚えてないかもしれないが、小学校のときだ。お前は勝手に包丁を触って――血まみれになったことがあったんだ。あのときはどうしようかと思ったよ。家に帰って、血だまりで歯を食いしばってるお前を見たときには……。


 そんなトラウマが蘇ったら困るだろ? だから、絶対にあんなもの使うな。


 幸い、いまはレトルトで美味いものがたくさんあるんだし、ああいうのを使え。それに、お前が付き合ってる彼氏、あいつはコックだろ? お前に料理をさせないように、ちゃんと頼み込んでおいたから。


 だから、絵里香、幸せになれよ。


 くれぐれも、絶対に、あの箱には触れないように――な。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る