来週から来なくていいよ

「来週から、来なくていいよ」


 そう言われたのは、突然だった。白いワイシャツの向こうには線香の煙が棚引いていて、その白は薄いカーテンの向こうの光に溶けていく。


「聞こえたかね。もう来なくていい、そう言ってるんだ」


 藤代さんはそう言った。


 「近所のおじさん」から、「彼女のお父さん」になり、それから「婚約者のお父さん」、そしていまはただの「藤代さん」に戻った彼の言葉は穏やかだった。


「娘のことを思ってくれるのは嬉しい。けれど、君はもう君自身の人生を歩むべきだ」


 黒く縁取られた写真の中で、彼女がまぶしそうに笑っている。


 日曜の午後。子供たちの声がどこからかやってきて、通り過ぎた。週に一度、俺は彼女のいなくなった家に訪ねることを習慣にしていた。生きていれば、結婚していたのだ。子供もいたはずだ。なくしてしまった未来への未練が、俺の足を動かしていたに違いない。


「これは、君のためでもあるんだよ」


 あれから三年が経つ。だというのに、振り返った藤代さんの目には涙がにじんでいた。それを見て、俺の視界もぼんやりと歪んだ。


「お願いだ、これ以上……」


 藤代さんは涙をこぼした。俺はその肩に手を添えた。彼はうつむいて男泣きに泣いた。俺の目からもとうとう涙の粒がこぼれた。


 いつかは彼女を忘れるときがやって来る。時間が経てば、その日はやって来る。けれど、それはいまじゃない。彼女のための涙が乾かない間は、忘れることなどできはしない。


 来週から来なくていい、藤代さんが俺にそう告げるのは、実はこれが初めてじゃない。彼はふとした折に、思い出したようにそう言い出す。そうして、自分の気持ちを確かめようとするのだ。それから同時に、俺の気持ちも。


「また、日曜に来ます」


 俺はそう暇を告げた。


 再び十分な時間が過ぎれば、藤代さんは同じ言葉を口にする。そうして気持ちを確かめる。そんな彼に、俺はきっといつまでも付き合うだろう。涙がすっかり枯れ果てて、遺影の笑顔に微笑み返せるようになれるまで。

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