ストーカーは少女の絶対領域に夢を見る
道草屋
「更生プログラム・記録1」
「僕は彼女と話がしたかったんです」
Kと名乗るその男は同じ台詞を、すでに両手で足りぬほど語っている。
「どうして出て行ったのか、ちゃんと彼女の言葉で聞きたかったんです。理由? ああ、理由なら知ってます、僕と別れたいからだそうですよ。でも、メールです、メールだったんです。そんなんじゃ納得できません。メールじゃ駄目ですよ、違う、全然違うんです。そうじゃなくて、ちゃんと彼女の口から直接、僕の納得できる理由を聞きたいんです」
口の端に唾液をにじませ、時に唾を吐き散らしながら、Kは自分の考えを力説した。
「なるほど」
Tが相槌を打つと、スーツの下のはち切れそうな体がみちりと言った。共にいるべきもう一人のカウンセラーは、開始早々席を外して以来戻ってこない。
「Kさんは、彼女と別れたくなかったのですね」
「あたりまえです。あれは僕の女です。そもそも最初に近づいてきたのは、あいつの方だったんですから……」
一方的に別れを切り出した彼女と話をするという、ただそれだけのために、もう二年もつきまとい行為を続けているらしい。繰り返す内容の細部が所々変わっているところから察するに、相手が何度か変わっている。
肩を落とすKを、Nはそっと盗み見た。
深い影が落とされた端正な横顔の、眼だけが欲望と憎悪にぎらぎらしていた。
Nを挟んで反対側に座るAもまた、同じ眼をしていた。
大人しそうな学生に見えるAだが、一人で夜道を歩く女子供を見つけると尾行を始め、家までたどり着けるかというゲームを楽しんでいると、この場で告白した。
自宅が分かれば、今度はつきまといというゲームが始まる。毎日のピンポンダッシュは当たり前で、盗撮、怪文書、ゴミ漁りなど、あらゆる手段を講じて相手に刺激を与え続ける。
一度逮捕されたが、気配に気づいた相手の恐怖に染まった表情を見る愉悦、徐々に追いつめられる心理状況を思い浮かべる快感を忘れられず、繰り返してしまうのだという。
Nはそっと、皮肉に頬を歪めた。
KもAも、己の異常性を微塵も感じていない。
いや、正確には感じていなかったと言うべきか。
ここに足を運んだ時点で、自身の狂気に多少なりとも理解を示していることになる。
もしそれ以外の理由でここに来た者がいれば、本当に気が触れてしまったと判断せざるを得ないだろう。
都内某所、建物の一室に集まったのは計六名。うちカウンセラーは二名。
机を正方形にくっつけて、カウンセラーは窓を背に座っている。逆光の中、表情は読みにくい。スーツに身を包んだ姿はいかにもといった様子だ。
対照的にクライエントはラフな格好である。空調はいささか暑すぎて、皆首筋に汗を溜め、出されたペットボトルの水をしょっちゅう含んでいる。
この場において名前は全てイニシャルが用いられ、お互いの年齢、職業など個人情報は一切共有されない。知っているのはカウンセラーを派遣したNPOだけである。
「ストーカーおよびDV加害者更生プログラム」
そう名付けられたこの集会そのものは、珍しいものでもない。世間の認知度が低いだけの話である。
今日の日本、引いては世界においてストーカー及びDVに関連した事件は増加の一途をたどり、減る気配は全くないのが現状だ。その被害は一般人から有名人まで幅を広げている。
例えばレーガン大統領の暗殺未遂事件、あれは某女優のストーカーが彼女の気を引くために引き起こしたものだ。
ハリウッド女優へのストーカーはアメリカ全土に腐るほどに溢れている。もはや例を挙げるだけ無駄であろう。
昨今日本でもアイドルが刺されたり、ストーカーの相談を事前に受けておきながら何もできなかった警察の無能さを前面に押し出したニュースが話題を呼んだのは記憶に新しい。
とはいえ警察も、面倒くさいから手を出さないわけではない。
誤解されがちだが、「ストーカー」は「つきまとい」だけを指し示すというわけではない。
文字通りのつきまとい行為に加え、待ち伏せ、見張り、押しかけ、電話など、一概に犯罪と言えないこと、つまりは罪に問いにくいものが多分に含まれている。犯罪性、違法性が低いため、警察も取り締まりにくいのだ。
そのうえやっかいなのは、つきまといのほとんどが恋愛絡みで引き起こされることであろう。警察は、いや何人たりとも、恋愛の自由を妨げることはできない。
皮肉なものだ、形のないものを制限する点では共通しているのに、被害者にはプライバシーもへったくれもない。
この世に何十億という人間が存在する限り、痴情が原因のいざこざは絶えない。警察がその一つ一つに耳を傾け、すべてにおいて世間が望むような対応をとることは、残念ながらできない相談だ。
スマートフォンやSNSの普及に伴い、相手の行動を監視し束縛することが容易にできるようになったことも、ストーカー予備軍の育成に拍車をかけているといえよう。
DVについても同様だ。肉体に直接振るわれる暴行だけでなく、行動や金銭などに制限を与えたり、言葉による精神的な攻撃もまたDVに含まれる。
GPSで常に行動を監視され、メールの即時返信を常に要求される生活は、ほとんどストーカー被害者のそれと変わりない。DV夫が逃げた妻を追ってストーカーになってしまったケースも後を絶たない。
もはや警察による加害者への警告、逮捕だけではどうにもならないところまで来ている。
加害者増加抑制のために、何か手を打たなければならない……。
対策として立案されたのが、更生プログラムであった。
すでにストーカー及びDV行為に浸っている者、過去に逮捕された者などが対象である。
更生と言っても、薬物によるそれや隔離治療といった類のものではない。
「相手は自分の思い通りになる」
そういった思い込みを根本的な部分から変えていき、感情をコントロールする力を身につけることを目標とする。
ディスカッション方式でお互いの体験を語るのは、どこか刑務所内で行われる自己反省会と似ている。
とはいえ塀の外か内か、その違いは大きい。
両手に冷たい輪を嵌められてから後悔しても遅いのだ。
だが、残念なことに、現実こうしたプログラムに参加する者はごくごくわずかである。
無理もないだろう、自分は間違っていないと思い込んでいる人間に「更生」を謳っても、心に響くはずがない。
KとAはそれぞれ、「今後自分が生きていく上で、このままではいけないと気づかされた」ことを述べたが、相手を殺してもなお自分は間違っていなかったと主張する者は少なくないのだ。
ふと、Nは視線を感じた。
頭髪に白いものが目立つ壮年の男が、Nを見つめていた。メガネの奥の目は優しげな色を湛えているが、針で刺すような敵意は隠せていなかった。
Nは目を逸らさず、挑むように見つめ返した。
「Yさん、どうかしましたか?」
「いえ? なにも」
壮年の男、Yは微笑みの仮面を素早くつけると、緩く首を振ってみせた。
Nはこみ上げる感情を飲み下し、椅子に座り直した。
「ではNさん、あなたの番です」
それまで陰に包まれていたTが、一瞬その姿勢を崩して窓の外に視線をやった。Nはそれに気づかないふりで通す。
「お話ししましょう。僕は、ある少女のためにここへ来ました」
意味深な語り出しに八つの目が向けられる。
肌に感じた息遣いさえ思い出すべく、Nは静かに目を閉じた。
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