酔い結ぶ在りし日の像
街に忘れさられた伝承の鍾乳洞。
その天然の迷路を螺旋状に降りた底にある大岩を爆破して。
粉塵ともに滲みだす空気は、暗く、冷たく。
爆破した大穴を潜りぬけた先は、幾つかの小部屋が繋がったような天然の広間だった。
何の気もなしに右の小部屋を覗くと、そこには見覚えのあるリュックサックが転がっていた。その内から、冥界へ降った竪琴のような音が、安っぽく響いている。天を見上げれば、暗闇は真っ直ぐ吹き抜けていて、龍の口なる穴の直下にいることが知れた。
リュックサックを拾いあげ、その中に詰められたタオルを掻き分けて、目覚まし時計を止める。この空間を見つけるための音源だったのかと理解し、ふと左の小部屋に目をやると、水溜まりから酒瓶を拾いあげる爺様がそこにいた。瓶は灰白色で、ひどく分厚く、さながら鍾乳石のようだった。
「というか、鍾乳石そのものだろ。爺さん。いくら酒が呑みたいからって……」
だが、爺様は往生際が悪かった。
使い古しのウェストポーチからハンマーを取りだして、躊躇なく瓶口のあたりに叩き落とす。
一度、二度、三度と罅は広がって。パキンと割れた鍾乳石の中から、本物のガラスでできた酒瓶が顔を覗かせた。
「ほらよ、約束の酒だ。今日はここで呑みあかそうや」
差しだされたお猪口に、ぽつり乳白色の雫が滴りおちる。
なるほど、かくも石灰分の濃い地下水に浸けられていたならば、酒瓶も鍾乳石に覆われてしまうことだろう。
そのお猪口を受けとるべきか逡巡していると、爺様は注いだにごり酒を自ら呑みほし、やおら地面に置いて、また新しいお猪口を差しだした。そんな誘いを無碍にできるはずもなく、受けとったお猪口をゆっくりと傾けていく。
そこから、若干の記憶がない。
「――いやいやいや爺さんホント大学ってそんな世界の真理に触れるようなところじゃないって、そりゃシラバスを見たときはここに人類の叡智が詰まっている気がしたけどさぁ」「なんというか大学のキャンパスって実社会のダイナミズムから隔離されている気がしてならなくって」「や、
気付けば、ぐんにゃり冷えきった暗闇と、それから時の流れが歪んでいる。
さっきから爺様は、幼馴染みの昔話ばかりしている。そんな止め処ない惚気にあてられて、ふらつく思考の波はとりとめもなく。そこら霧のように舞う水晶の微粒子が煌めいて、甘く焦げた香りは多幸感を付く夢のように。
ああ、これが酔うということなのか、と。もう何が何だかどうでもいい気がして。ずっと誤魔化しつづけている、病室に引きこもりつづける妹のことも、その妹に確かめられずにいる亡くなったもう一人の妹のことも、どうでもいい気がしてしまって。なぜ、そんなことを今にありて思うのか、それすらも揺らぐ波にさらわれて。
「兄ちゃん! いいか、男にゃ男になるべき時がある。体を抱いたところで、その決意を抱けなかったから、オレはずっと独り身で一人海の上を……」
酔っ払いが叫ぶ積年の後悔は、当て所なく暗闇に溶かされて。
そんなふうに初めての酒盛りは過ぎていく。
はずだった。
「…………?」
爆破した大穴から向かって正面。
そこにある岩戸が、いつの間にか開いていた。
おもむろにヘッドライトを向けて、はたして照らされたものは、膝を付いて祈りを捧げる人の姿。
あまりにも純潔な佇まいから、その人こそが最後の巫女なのだと知れた。
五十年。滴りおちる地下水に決意を穿たれることなく。人知れず伝承の守り手となりて。
たとえ、その身が石像になろうとも。
「……末利……!」
ふらふらと駆けよる爺様に一瞥もくれない祈りの先には、色とりどりの大水晶が聳えていて。
その傍らで面を被った神様が立ちつくしていた。
ひどく物憂げに。
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