無情な感情

@codroesource

第1

 目の前が真っ赤に染まり、頭の辺りを気持ち悪い暖かさの水が支配する。泣くことすら出来ないような痛みで、ただ地面の上で横になっている彼に駆け寄る二つの影がある。一つは大きな男の人。今、彼をこんな目に合わせた人だ。もう一人は自分と同い年の小さな女の子。俺の顔を擽るくらい長くて艶のある黒髪をもち、透き通るのような肌をもった綺麗女の子だった。しかし、そんな彼女の髪も肌も今は所々が赤色に変わっている。そんな彼女の目からは大粒の涙が溢れだし、ポタポタと顔の上に垂れてくる。何かを言おうと口を開けるが、声が出ない。水から顔を出した鯉のように口をパクパクさせるが、喉に何かが詰まっていて言葉が出てこない。それが無意味な行為だと気づくのは口すら動かなくなった時だった。次第に、意識が遠のいていく。目を開けているはずなのに目の前が少しづつ暗くなっていく。しかし、そこに恐怖を感じない。それどころか、まるでそれが当たり前のように体が受け入れていく。そんな最後の一瞬、彼はとあることに気づく。


(あれ?今、誰に話しかけようとしていたんだっけ?)


薄れゆく意識の中、それが彼の最後の記憶だった・・・・・・



 目覚めるとそこには白い天井が見えた。カーテンの閉められた窓から溢れ日が部屋を明るく照らしている。顔を横に向けると、顔の真横に置いてあるデジタル時計が6:54分を表示している。タイマーが鳴るまであと6分だ。


「夢か・・・」


 まただ、またあの夢だ。もう、今月に入って4度目だ。

 体に掛かっている布団をどかし、ベットから起き上がる。デジタル時計のタイマーをオフにして、そのままベットから抜け出す。立ち上がると、体からピシピシと変な音がなった。


「ん〜」


体を伸ばすと、先ほどとより大きくピシピシと体が音を鳴らす。


「まあ、どうでもいいか。」


 ボリボリと癖っ毛のある頭を掻きながら、部屋のドアに手を掛ける。


「あれ?開かない。」


 ドアノブをガチャガチャならしながら何度も押して見るが、全然動かない。


「はあ、また父さんか。」


 俺は今このドアの外側にいるであろう父親に呼びかける。


「父さん。起きてくれ。俺が出られない。」


 いつもの事だが、俺の言葉に返事が返ってこない。それの変わりにヒューヒューという呼吸音が聞こえる。その間、ずっとドアを押して見るが、ビクともしない。


「はぁ、母さんが気づくまで待つか。」


 俺は仕方なく、またベットまで戻る。


「ふぅ。」


 ベットに腰を下ろし、部屋全体を見回す。いつもながらの簡素な部屋だ。置いてあるのは勉強机とタンス、そして本棚くらいだ。


「暇だし、何か読むか。」


 一度立ち上がり、本がびっしり詰まった本棚に向かう。指で本をなぞっていき、今読みたい本を選ぶ。


「まあ、これでいいか。」


 俺が選んだのはカフカの「変身」だ。今が朝なだけあって、自然とこの本を選んでしまった。カフカのま「変身」は、今朝目覚めたら毒虫になっていたという男の話だ。この本は俺が買った本ではない。これは、妹が夏休みの宿題様に買った本だ。薄いから楽そうだと思って買ったらしいが、内容が気に入らないとかで別の本にした。そして、俺はそのいらなくなった本を押し付けられたのだ。捨てるのも勿体無いのでずっと持っているが、一度しか読んだことはない。久しぶりに開いたそれを、読んで入るとドアの外から母の怒鳴り声がが聞こえてきた。


「まあ!お父さん!またこんな所で寝ちゃって!冨士ふじが出られないでしょ!寝るなら自分の部屋で寝なさいっていつも言っているでしょ!」


「ん〜?あ?もう朝?」


「もうとっくよ!早く仕事の準備しなさい!」


「はいはい。わかったよ。」


「もー!」


 いつものように、父さんは母さんにドアを外を追い出されたようだ。これでやっと部屋から出られる。


「おはよう。」


「おはよう。冨士、ご飯出来ているからさっさと食べて準備しなさい。今日もあずさちゃんくるんでしょ。」


「はいはい。」


 また、いつもの如く父さんのとばっちり食らう。

 下に降りると、すでに妹の撫子なでしこがご飯を食べていた。


「おはよ。」


「ん、おはよ。」


 無言で向かい側に座った俺に挨拶をしてくる。こういう時はいつも決まって何かある。


「ねぇ、お兄ちゃん。」


「どうした?撫子?」


「むっ。」


 撫子が不機嫌そうな顔をする。


「下の名前で呼ばないでよ。」


 撫子は下の名前で呼ばれるのを嫌っている。自分のキャラに合ってないとよく愚痴をこぼしていた。妹の名前をつけたのは祖母だ。昔から、女の子の孫ができたら撫子がいいと決めていたらしい。両親もいくつか考えていたそうだが、撫子が一番しっくりきたと言っていた。だが、俺の目線から見ても、こいつには「撫子」からは程遠いな。


「じゃあ、なんで呼べばいい?天泣さんか?」


「普通に妹でいいでしょ。」


「自分の妹を常に「妹」とか呼ぶやつなんているか?」


「妹が兄に「お兄ちゃん」って言うんだから別にいいでしょ。」


「はいはい。じゃあ、おまいちゃん。何か御用ですか?」


「もう、普通に呼びなさいよ。」


 文句の多い妹だ。


「もういいや。疲れちゃう。ねぇ、頼みごとがあるんだけど。」


「何?」


「ママからの買い物、変わってくれない?」


やっぱりか。


「今日も部活か?」


「うん。大会近いから遅くまでかかると思う。そうなると、私忘れてきそうだから。」


「それで、何を買ってくればいいんだ?」


「変わってくれるの?」


「母さんのとばっちり食らうのやだからな。」


「ありがと。買うものはこれに書いてあるって。」


 妹から一枚のメモ用紙を渡される。そこには、今日買うべき品物が3つほど並んでいる。


「バターと牛乳と柔軟剤か」


 これらなら、下校中のスーパーで売っている。帰りに寄っていくか。


「あ、もうこんな時間だ。私先に行くね。」


「いってらっしゃい。」


 すでにご飯を食べ終わっていた撫子は、食器をそのままにして玄関まで走って行ってしまった。


「仕方ねぇな。」


 母さんが置きっぱなしなのに気づいて、怒鳴るより前に妹の食器を片付けてしまう。とばっちりを食うのはいつも俺だ。玄関の方から「行ってきまーす」という撫子の声が家に響いた。


「はぁ。」


 やっと一人になり、少し気を落ち着かせる。そして、時計を見ると7:20分を指していた。あいつが来るまであと10分。俺は急いで残りのご飯をかきこみ、制服に着替える。ちょうど準備を終えた頃、言えのチャイムが鳴った。


「冨士ー!梓ちゃんがきたわよー!」


「今行く。」


 明らかに声の張りすぎな母さんの声に少し、耳がキーンとくるがすぐに慣れる。いつもの事だからだ。


「じゃ、いってきます。」


今日もいつもの日常が始まる。だが、俺は気づかなかった。なんの変哲も無いいつも通りの今日きょうきょうに変わるなんて。




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