Savers 〜終天の彼方〜
遊学
そして、序章は……
今になって分かる。
私は彼のことが好きだった。
私に名前をくれた彼はいつも幸せそうで。あまり笑わなくて愛想のない私を笑わそうとしてくれた。
彼が私のことをどう思っていたのかは分からない。だけど、私は彼にとって少しぐらいは大切な存在になれていたと思う。
そして気づけば、私はいつも彼に視線を向けていた。彼が私の側に居ない時、なぜかよく彼のことを考えていた。
彼との思い出はとても色鮮やかで、形はなくても私にとって宝物で。
今になって分かる。
私は彼に恋をしていたんだ。
だけど、私の恋はもう実らない。
だって……
たった今、私は彼の母親を殺したから。
そして、それを彼に見られてしまって
全てが崩れ去った。
殺し屋として育てられた私の最初の標的が彼の母親。私は標的の子供が彼だったなんて知らなかった。でも、そんなことは言い訳にもならない。私が彼の母親を殺したという事実に変わりはない。
母親の死体を見て激昂した彼は武器を拾って私と戦う。普通に考えれば、殺し屋として育てられた私が勝つはず。
だけど、私は彼に負けた。負けてしまった。
壁に背中をつけて倒れている私。
そんな私を映す彼の瞳。
彼には私を殺す権利がある。
彼になら殺されてもいい。いや、彼だから私を殺してほしい。今ここで私が生き残ったとしても、きっと私はこれから人を殺め続けるだけだから。そんな私を止めるのは彼であって欲しい。
彼が剣先を私に向けた。
その時になってようやく私は彼への恋心を自覚した。
なぜか涙を流してしまう私。
それを見てひどく苦しそうにする彼。
彼が叫んで剣を振り上げる。私は涙でもう前が見えなくなる。
そう、それでいいの。
こんな私を貴方が裁いて。
私は彼の裁きを受け入れようと目を閉じた。
だけど、彼は私を裁かなかった。
目を開ければ彼の剣は私の顔の横で壁に刺さっていた。
私は信じられなくて彼を見る。
俺は君とは違う、と彼が。
何も言えない私に背を向けて彼はこう告げた。
「じゃあな、俺の親友」
ああ、そうか。
私は彼の親友になれたのか。私は彼にとって特別な存在になれたんだ。
私は嬉しくなってしまった。異性に対する好意ではなくても、親友に対する好意を彼は私に持っていてくれた。それだけで私は満足した。
彼の背中が遠ざかっていく。
彼はお別れの言葉と私への好意を告げてくれた。
だからこそ、私も
「さようなら、私の初恋の人……」
お別れと想いを告げる。
彼に聞こえたのかは分からない。
そして、彼の背中は涙のせいで見えなくなった。
***
私は誰かに恋をしていた。
何も覚えていない私はそれだけを理解した。覚えていないけど胸にぽっかりと穴が空いているような感じがした。その抜けているものが恋心だと思ったのは完全に直感だ。
目覚めたばかりの私はそんなことを考えていた。そして、意識が完全に覚醒して初めて、私は誰かに背負われていることに気づく。
私を背負っている人の顔を見るために瞼を開けた。目覚めてから瞼を開けたのはその時が初めてだった。
私を背負っている人は黒髪の男の子だった。そして、自分の歳は分からないけど私も彼と同じくらいの歳、もしくは彼より下の歳。
私を背負う彼は全力で走っている。まるで何かから逃げるように。それに捕まってしまえば死を意味するという感じで。
意識のある私が身体を動かしたのを彼は気付いたのだろう。彼が走りながら私に聞いてきた。
「起きたか?」
彼の声を聞いて何故か心が温かくなった、まるでぽっかりと空いた穴が埋まるように。
そして、私は直感で気付いた。
彼が、彼こそが私の恋した相手だと。
「誰?」
もっと彼の声を聞きたいと思った。もっと彼のことを知りたいと思った。彼のことを知るということは、失われた私の大切なことを知るような気がして。
そんな想いから出た言葉がそれだった。彼の答えに少し期待をする私。
だけど、彼はそんな私にこう答えた。
「お前のお兄ちゃんだよ」
***
最初から分かっていた。
私と彼は愛し合うことはできても、同じ道を進むことはできないことぐらい。
私と彼が一緒にいれる時間は、人生という時間の中では一握の砂ほどしかないというのも分かっていた。
だけど、私はそれでいいと思った。
夢よりも短いこのかけがえのない時間が、私と彼のこれから人生を、別々の道を歩んでしまう人生を色鮮やかにしてくれると思ったから。
でも……
「どうしてですかお兄様!」
激しい雨の中、私と彼はそこにいた。
「なんで……なんでっ!」
別れはいつか来ると分かっていた。でも、それが今来るのは余りにも早過ぎる。
「シンラ兄様も居なくなって、お兄様まで私の側から居なくなるなんてっ!」
雨がどんどん強くなる。雨粒が落ちる音が生じる中で、私の声は不思議と響いた。
「お願いですっ! どうか私の側から去らないで下さいっ!」
叫んでいる私とは対照的に、彼はとても静かな声で私に答えた。
「俺は平民で、お前はこの国のお姫様だ。やっぱり分かり合うなんてできなかったんだよ」
彼のその言葉は雨粒よりも冷たくて。
心に深く響き、私は膝を地面に着いてしまう。私の白いドレスが泥を吸い込んでいく。泥色が純潔な白を蝕んでいく。
思わず私は涙を流してしまった。
「居なくならないで……私が本当の私になれるのは、お兄様の前だけなんです……」
彼が泣いている私を見る。
彼はいつも優しかった。そんな彼の顔を見ただけで、私は不思議と安心して本当の自分になれた。
だけど、今の彼の顔は今まで見たことのない顔だった。いつも私を受け入れてくれたはずなのに、今の彼の目は私を完全に拒絶していた。
「アティナ、お前は幸せになれよ」
彼は私にそう告げて私から離れていく。彼の足音は完全に激しい雨音でかき消されていた。
「お兄様が居ないのに幸せになれるわけないじゃないですか……」
雨のせいなのか涙のせいなのか分からないけど、すぐに彼の姿は見えなくなった。
そして、彼ら彼女らは出会う。
異なる道を歩んでいた者たちが学院都市に集う。
全く交わりの無かった道たちが、もしくは、かつて一つだったというのに分かれてしまった道たちが、互いに重なり合う。
これは奇跡であり、運命であった。
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