第176話 繋いで、繋いで、出番だ
二つの命の咆哮が重なった時――
「志水さん、料理本なんて見てて火神さんにみつかちゃったら怒られますよ」
「えっ……あ、うん……」
大阪府庁の自席に座って料理本を捲っている志水の手が止まる。同僚である女性はただ気さくに話しかけたつもりだった。だが、その空返事を聞き彼女の状態を静かに見守る。
いくつもの滲んだ色の付箋が目に入った。
パラパラと捲り始めるがどこか志水の視線は彷徨っている。料理本は付箋の数だけ読み込まれている。買ってきたものではなくボロボロに使い古してある年季を感じる。
「何がいいかな……?」
志水は料理本を捲りながら彼女に聞いてみる。もし、作るなら、もし、食べてもらえるなら何がいいのだろうかと。迷って彷徨っている志水は静かな声で料理本を見たまま彼女に聞いてみた。
「やっぱり、男性だったらお肉とかじゃないですかね」
なんとなく察して、彼女は優しく答える。それは志水が誰かに作ってあげるものだ。彼女が作って食べさせたいと思う相手が言葉の背後にいる。その影が何者なのか。
「そうだね……お肉だ、うん。ありがとう」
「どういたしまして」
どこか元気がないことは分かっている。何かに不安を感じていることも言葉から分かっている。それでも、彼女は志水の元から離れていく。
なんとなく察してしまう。
この状況が彼女にとって、どれだけ不安なのかと。
あの手にあった料理本が誰とのモノなのか。
年季が入った本は使われていた。最近などではなく、もっと昔にいた誰かの為に。
「………震えてた」
彼女は見ていた。火神に怒られるかもという忠告など頭に入ってこないくらいに彼女は不安を押し殺していたが漏れていた。ぺらぺらと捲ろうともその手が、指先が、志水の不安を示すように怯えて震えていた。
「お願いだから……泣かせないでよね……」
――重てぇ……っっ!!
田岡の歯が軋む。巨大な槍と人間の斧がぶつかり合った衝撃が体を駆け巡る。僧侶の菊田による回復魔法があったとしても、万全迄の回復など出来る時間もなかった。
それでも、斧を振るうだけの力を振り絞った。
「がぁぁ……っっ」
歯を食いしばりながらも田岡の嗚咽が漏れる。気を抜けば叩き潰されそうになる。足が圧力に負けて屈折していく。時間稼ぎにしかならない足掻き。その姿を遥か上から見下ろす王の視線。
ソレは田岡を認めているからこそ、雄弁に語る。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!」
――ツブレ……ロ、ツブレロ……ツブレロォォ――!
兜の隙間から紅く輝く瞳が殺意を見せる。その槍を握る腕は力を込めていく。
いま、この場で、この瞬間に、この反逆の使途を殺しておかねばと。
この反逆の火は――消して絶やさねばならぬと。
遠くからも見える。巨大な石塔にも似た槍が一人の黒服を叩き潰す光景。一撃目を耐え忍んだ躰は二撃目に耐えきれる保証はない。そんな絶望を前にして三嶋の顔が歪む。
「田岡さん……っ」
「三嶋! お前は後ろにいろ!!」
「松本さん……っ!?」
「俺がイクッッ!!」
間に合う距離ではないことは理解している。それでも、槍を持つ黒服は後輩を一人残して踵を返し颯爽と駆け抜ける。ただ一人残された三嶋は静かにその場で刀を強く握りしめた。
火神の氷が僅かに稼いだ時間、僧侶の菊田がくれた僅かな余力。
「がぁあ……っ、ッ」
そんなもので田岡は奇跡など起こらないと分かっている。絶体絶命という状況。最初の打ち合いで敵の攻撃を防いだだけでしかない。この二撃目を受けきれるわけがない。
――待ってんだよ……っ。
それでも、その生命は死ぬことを受け入れない。これは単なる先延ばしにしか過ぎない行為であることは、とうに承知の上。走馬灯はすでに見終えている。
――待ってんだ……っっ。
それでも、理由が、漢には残されている。
――志水が……待ってんだよォ!!
生きて帰るべき理由が。
緩めれば一瞬で持っていかれる。上にある槍は自分の肉体などと比べようもないほどに大きい。この一瞬だけでもいいと振りきる。後のことなど考えることもなく、この刹那。
その、積み重ねが声を引き寄せた。
「主の
その死地へと割り込むように黒い影が参戦の声を上げる。メイスを引き絞り、唸り声を上げて田岡の上にある槍へと菊田の一撃が撃ち込まれる。
「従えヤァアアアアアアアアアアア!!」
田岡と並び立つように斧と反対側の槍の側面を叩きつけた。それでも、その槍は僅かに、ほんの僅かに、力を押し戻されただけに過ぎなかった。このままいけば、田岡もろとも二人とも死ぬだけの未来。
それでも、繋いだ。
田岡の息を、仲間の命を、僅かに繋いだ。
「――――
王の兜が爆発する。一瞬の合間だった。王の兜に亀裂が入った。
「クソが……」
それでも、王の体勢を崩すことは叶わず。打ち終えた弓兵の両手は力を失くす。能力の発動を速めたことによる、一時的なオーバーヒートが朝倉を襲う。倦怠感とめまいに、二の矢を打つまでの時間はない。
――そろそろ……終わっただろう。
それでも、繋いだ。
その視線の先が物語っていた。
王を挟んで自分から対極に位置する黒い影。そして、両手をかざした先に見える能力。この稼いだ僅かな時間、その間でもう発動条件を満たしているだろと弓兵は仲間を睨む。
――出番だぜ。
自分と同じく後方に位置し戦う、黒服。
その男に期待の視線を朝倉が向ける。
長き時間をかけて長文詠唱を終えた、
「…………
魔法使いが魔法で創りし巨大で荘厳な水の槍を異界の王へと向けて構えてる姿に繋いだ希望を託すように。
《続く》
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