第166話 氷壁と弱弱しい一抹の火

 京都での戦いが激しくなる中、東京都内のとある作業場の一室に震動が起きた。机からペンが転がり落ちていく。床に打ち付けられてか細いペンが二つに別れた。


 年老いた女性はそのペンを不安そうな瞳で見つめた。


「大丈夫かしら……」


 その壊れたペンに何か嫌な予感がよぎる。キィキィと音が部屋に響く。金属が擦れ合うような音だった。手でタイヤを回し近づいてくる。


 不安そうな女性の前に車椅子が現れた。


「大丈夫ですよ」


 車いすに乗った女性が身を屈めて壊れたペンに手を伸ばす。不安そうな女性と親子ほど年が離れている。車いすに乗りながら彼女は義母に笑って見せる。


 彼女は二度言う。


「大丈夫です♪」


 心配などないと。


「そうね……」


 車いすの娘の笑顔につられて老婦の顔にも微笑みが浮かぶ。


氷彩美ひさみちゃんの言うとおりね」


 机に散乱している原稿の山。大丈夫と言った女性はそれなりに名の知れた漫画家であり、その老婦は義母であり、アシスタントを務めてくれている。


 この震動が緊急事態に起きていることは理解してる。


「いま、きっと壮絶な戦いの最中だと思います。戦いで傷つくこともあるかもしれません……」


 黒服の漢達が異世界から来た絶望と


 戦っているのだと――それでも、




「けど、は絶対に負けません」




 彼女は信じて疑わない、愛する者の帰還を。


 火神恭弥という夫の生還を。






「ァァァアアアアアアアアア――――」


 京都に火神恭弥の苦痛が混じった唸り声が響く。決着を求める力は人には過ぎたものだ。それでも、火神は自分の想像をカタチへと変えていく。右腕を天に伸ばして左手で握りしめている。


 脳にかかる負荷は想像を絶する。


 この世に存在しないものを具現する反動に襲われている。


【シヴァ様、どうなされました?】


 天界でインドの女神が四腕の男の神に問いかける。女神は伴侶だ。インド神話の最高神が一人のシヴァの妻であるパールヴァティーは夫の顔を覗き込む。複雑に絡まる腕の一つで彼は顎を抑えながらも火神恭弥を見つめていた。


【人間は、恐ろしい】


 何がですとパールヴァティーはきょとんとした反応を見せる。天界のスクリーンに映る一人の男は炎の能力を与えられている。苦しそうに顔を歪め、今にも血管が切れそうな様相だ。


【シヴァ様が力を授けられたのですよね、あの者に】


 彼女は火神恭弥とシヴァ神の関係を知っている。異世界の神として火神の前に現れ夫が力を授けたことを。シヴァのその曇った顔はその背景から来るものなのかと彼女は問う。


【あぁ、くれてやった……】


 ギラついた眼をした男と会った。神を前にしてもその鋭い眼光は何一つ怯みを見せなかった。シヴァ神はその男に問いかけた。


『どんな能力チカラが欲しい』


 願いを口にしろと神は傲慢に問いかけ試す。お前の望むものをやろうと。お前が口にするものを与えることができるといわんばかりだった。神から見れば人間など取るに足らない生物のひとつに過ぎない。


 だからこそ、その出会いは形式ばった余興程度にしか思っていなかった。


 だが、火神という男の口から出たものは、


『強くなれるならなんでも構わねぇ、早く寄越せ』


 神の傲慢さを超える傲慢な人の願いだった。ソレがシヴァの心を擽った。


『このシヴァを前にその不敬な態度、消えても文句はあるまい人間』


 男の強がりがどこまで続くのか、神は殺気を出し試す。椅子から立ち四本の腕をぐるぐると器用に回して体格の違いを威厳の違いを見せつける。その威圧を受けてサングラスをかけた男は返す。


『不敬とはちげぇだろ。お前が俺に答えを求めて来たんだ』


 その答えを聞いて「ホォ……」とシヴァは唸った。一理あるのかもしれない言葉だと。だが、それでも不敬は不敬だ。何が不敬と言われれば、


『キサマ』


 その神をも恐れぬ傲慢。


 二本の腕で火神の顔を鷲掴みにして、顔を近づける。残った二本の腕は拳を握って後ろに引き絞られる。いつでもお前を殺せる力を持っているのだと遺憾なく見せつけた。


 それでも、


『神を前にして、何に怒りを覚える?』


 火神恭弥の鋭い眼光は一切怯まずにコチラを睨みつけていた。その鋭い眼光を前にシヴァは薄ら笑いを浮かべる。人間が恐れを知らぬわけもない。その男の本質を見てやろうと神はその瞳の奥を覗き込む。


『貴様の中に氷の壁が見える……南極の氷のような分厚い壁だ』


 シヴァには見えた。火神の中に冷たく冷め切った何かがある。


『これは諦めにも似ている……』


 その氷はに輝く。とても分厚く壊れるわけもないほどに頑強に固まっている。その冷たさと壁は火神の心そのものだ。ソレが火神恭弥という人間の本質だ。


 だが、氷の輝きがチラつく。


『しかし……』


 それにシヴァはその眼を凝らす。


『似て非なる……何かが氷の中に隠れている』


 輝きが虚ろに彷徨う。氷の壁はどこまでも分厚くソレを隠している。だが、隠しきれていない。氷の中に何かが眠っている。氷とは別の何かが。


『火か……弱弱しい火だ』


 氷壁内側に相対する熱が籠っている。封じ込めきれない火が小さくとも生きている。冷め切った達観の内側に相反する怒りの火が見える。


『これがお前の本質……』


 全てを見てやったぞと笑うシヴァ。握っていた拳を額に当て大笑いした。どれだけ強がろうとも本質を見てしまえば分かる。火神という存在を手中に収めた気分になる。


『諦めを覚えながらも悪あがきのような消え入りそうな一抹の火、なんというみじめったらしい弱弱しさ!! それがお前の本質だ、ニンゲンよ!!』


 この氷という中に閉じ込められた火でしかないのだと、


 バカにしたように声を張り上げた。


『そうだ、ソレが俺だ』

『なに……?』


 ソレを認めるように鋭い眼光は睨みつけてくる。




に勝てないと分かっている』




 火神恭弥は冷静に答える。その分厚い壁は彼にとっての生涯の障害の大きさだ。どこにいっても付きまとわれるのだろう。無視することなど出来ないほどに壁は厚い。


『ただ、負けてねぇ』


 敗北と諦めを覚えながらも、その火は氷の中で燃えていた。


『まだ、負けてねぇ』


 シヴァの考えが変えられる瞬間だった。本質が見えていても見誤った。自分を分かっている火神恭弥という男を見誤った。神である立場で冷静さを欠いてバカにして見失ったはシヴァだった。


『だから、消えぬのか……弱弱しくとも』


 気づいてしまった。氷の壁に内包されていながらも、


 閉じ込められていながらも火は内側で燃えていた、


 目の前の男のように。


『その火をくれてやる、持っていけ』

 

 ソレが貴様の本質だというならば、抗って見せろと神は能力を渡す。


 ソレが火神恭弥が神から授かった能力だった。


《続く》

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