第151話 厄災による呪詛シリーズ、オルトロス
ヘルメスの視線が宴の天井に移されたスクリーンから僅かにそれた大地を見つめる。静かにため息交じりに首を振り失望の色を表しぽつりと零す。
【まったく……栃木と京都が大変なことになっているのに】
いまそれどころではないと言いたげに流し目で失意の櫻井を見ていた。混沌の中心地はあくまで栃木と京都であるにも関わらず、別の舞台で予期せぬ動きが起こっていることにヘルメスは苛立ちを見せていた。
【何をやっている?】
力なく座っている櫻井に向けられる視線が物語る。
絶望から立ち上がって見せた少年にこそ期待していたものをまた失意に落ちている。その体たらくを嘆くようにヘルメスは視線に怒りを滲ませる。いまお前に構ってよそ見をしている暇などないのだと言わんばかりに。
ただただ絶望に堕ちている愚かな様に言葉など出てこない。
その横で何が起ころうとしているかも見向きもしない櫻井になど価値がないと。
――マッスル……ピンチだぜッ!
豊田の手のひらに付いている砲台がエネルギーを充填し終えた光を放ち始める。熱量で金属の色がオレンジ色へと変貌する様子に二人で倒れているアルフォンスと大杉の顔が歪む。
――なんだ……あの影は?
だが、二人は豊田の後ろに黒い影を見た。獣が動くような俊敏さでありながら、かすかな気配だけを残した黒い影が豊田を後ろから襲いにかかる。
「殺すッッ!!」
簡潔な言葉だった。激しい殺意だった。その身は小さくとも、その武器は短剣という小さいものでありながらもスピードを乗せた短剣が豊田のエネルギーを充填していた右腕に突き刺さる。
僅かに攻撃の軌道が下へと外れていく。
だが、その小さき黒い獣の殺意は収まることがなかった。軽やかな身のこなしで腕に突き刺した短剣から手を離し、肩を掴んで空中で姿勢を持ち上げその顔に蹴りを見舞う。
豊田の顔が横に持っていかれる中で、右腕が火を噴いた。
ため込んでいた熱量すべてを放出するように下へと向けて発射された。それが蒸気と共に突風を上げる。白い煙に何もかもが飲み込まれていく。大杉とアルフォンスの視界は完全に塞がれてしまうほどの蒸気だった。
――いったい……誰が?
それでも、蒸気の煙の中で激しく黒い影は動きまわる。その動きと共に激しい金属と金属のぶつかる音が鳴り響く。短剣と豊田の金属の体が激しくぶつかり合う音だった。
「殺す、殺す、殺すッ!!」
少女の泣きわめくような声が短剣を振るい殺意をぶつける。視界を塞がれようとも気配だけで豊田の体を傷つけに行く。それでも豊田はその動きを捉えていた。人間とは違う景色が見えていた。
「――――害敵の排除に移行」
感覚とは似て非なるものだった、
「死ねェッ!!」
彼女の怒りの短剣が振り下ろされるよりも早く彼女の腕をつかみにかかる。動きを捉えられていることのはそちらだけではないと。だが、その腕が彼女の細腕を掴むことは出来なかった。
「捕獲……失敗」
その腕より、捕まえるよりも早く、加速して豊田の体を斬りつける。その火花が彼女の顔を照らし出す。幼い少女が黒い瞳に涙を溜めながらも激昂している表情。黒き暗殺者である――クロミスコロナの姿を照らし出す。
その少女が戦っている合間に
「田中さん!!」
一人の女が息を切らして田中の元へと到着した。状況を見て僧侶は理解した。もはや躊躇や判断を出来る時期は過ぎ去っているのだと。その手はすぐに回復魔法の光を放ち始める。
「サエ!!」
ただ必死に彼を救おうとする声を仲間に向けた。止まっている時間などないと彼女の焦りがにじみ出ていた。三つ編みの少女は田中の倒れている姿を見て動揺をすぐさまにかみ殺し声を上げた。
「お願い、ユグドラシル!!」
いますぐに動かなければと精霊を躊躇なく呼び出した。木の精霊でユグドラシルは田中の状態を見て目を強くつぶる。田中の体に空いた穴は人間という生物が生き長らえるにはあまりにも無慈悲だった。欠損というには大きすぎる代償は見るに絶えなかった。
「
それでも、サエミヤモトは無理矢理に精霊を従わせる。事実や現状を顧みている猶予などなく、少女たちは持てる力を発揮せざる得なかった。ただ一人の愛しき主人公のためにと。
ミキフォリオとサエたちを包むように大地から樹木が生えだす。
それは生命の回復装置に等しいものだった。本来持っている生命力というものを最大限に発揮させる神秘の樹で出来た球状の部屋。その中は精霊が作り出す緑の波動に包まれる。
「お願いします……ミキさん、サエ!!」
遅れて呼吸を荒げた金髪の少女は樹の部屋に閉ざされていく二人に願いを飛ばした。二人は僅かに視線を向けて姿を消した。徐々に徐々に樹木が絡み合い一つの球体が校庭に鎮座する。その中で必死に田中の生命を繋ぎとめるのが二人の役割だ。
ならばと、金髪の貴族は赤い魔法服を靡かせて、
豊田の方へと向きを変え、赤い宝玉のついたロッドを構える。
「サークライ!!」
彼女は仲間に呼びかける。ここにいる役割をはっきりとさせるために。だが、男からの返答はなにもなかった。ただ絶望に打ちひしがれ頭を抱えて地面に座り込んでいた。
武器を構えて豊田の動きを見ながらも、ミカクロスフォードは唇をかみしめる。
櫻井の応答がないことへの苛立ち。田中状態がどうなっているのかの不安。豊田の動きがクロミスコロナを上回っていること。状況全てが彼女の中で苛立たしかった。
そして、戦いに参加するのではなく、
いまこの場を守ることが自分の使命だということが、
彼女にとっては苛立たしかった。
誰よりも一番に彼の元へと駆け付けたかった。誰よりも一番自分が彼のそばにいたかった。誰かでなく自分の手で愛する田中を救いたかった。
「サークライッッ!!」
でも、ミカクロスフォードは理解している。そんなことは自分には出来ないのだと。いま最善の役割を全うすることこそが一番重要なのだと、苛立ちながらも理解している。
いま、自分がやるべきことはこの揺り籠を何があっても、
死守することなのだと歯を苦縛って杖を握しめて耐えるほかなかった。
ミカクロスフォードの目の前で黒い影が衝撃に押され四つん這いで地面を削りながらも耐え忍ぶ。豊田に押されていることは紛れもなかった。
それでも、彼女を加勢するように
「マッ―――――スゥルッ!!!」
アルフォンスと大杉が激しく動き攻撃を仕掛ける。アルフォンスの大きな体躯から繰り出される拳。そして、その横から大杉聖哉がスキを窺い二刀流で駆け出していた。
――よくも……
わずかな間に少女は怒りを胸に立ち上がって、
――田中を……っ
腰に掛けてある新たな短剣を両手で抜きだす。
クロミスコロナの殺意が剣に宿っていき禍々しい模様を描いていく。
――アレは……
遅れて到着した藤代万理華はその剣を眼にして気づく。
――呪いか……いや、
ソレは呪詛を纏いし呪われた黒き二つの短剣。
彼女のいた世界で作られた名工による業物。
暗殺者である彼女だからこそ、その短剣を手にした。その短剣は護るための剣ではない。その短剣は人を殺すためだけに存在する呪いの武器。
呪われし名工は人々から呼ばれる
――”
――”
ソレを手にしたのは小さな黒き少女の暗殺者。
その二つの短剣の名は
クロミスコロナの周りに風が舞い上がる。厄災が作り出し呪いが発動する。こちらの世界に来てから彼女がこれを抜くことはなかった。なぜならコレは殺しの為の剣であり、田中との約束に抵触するからである。
でも、その約束が意味のないものとされようとしている。
ならば、彼女が止まる理由も無くなりつつあった。
だからこそ、クロミスコロナはオルトロスを使用する。
――殺す。
確かな殺意を小さな胸に秘めて、静かに機械人形へと暗殺者は動き出す。
《つづく》
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