第152話 約束がなくなった

 とある異世界に姿なき暗殺者ノーフェイスと呼ばれるものがいた。その名を知る者はいれども誰もその者を見たことがなかった。どんな姿かも知らず、ソレがどんな暗殺方法を用いるかも知りえる術はなかった。


 なぜなら、その姿を見た者は漏れなく全員殺されていたからだ。


 殺された者たちは彼女の姿を最後に見て驚く。

 

 一度の未遂もなく一度きりで相手を殺す術を持つものがイメージとかけ離れていたからだ。音もなく現れ気づけば首が血を吹き出す。言葉も出ず、呪いに侵され苦しむ瞳が最後の光景を目にする。


 殺し屋などという異名が似つかわしくない少女の姿を――。


 月明かりにただ平然と血に染まる短剣を持ち不思議そうな瞳でこちらを見てくる褐色の黒髪の女の子。そんなものに殺されることなど想像だにしない。ただ、それ以上に想像が及ばない姿に驚く。


 ”殺し”という行為に対して、染まることもなく純粋な目。


 それが彼女の日常だった。ただご飯食べるのと同じように殺し。ただ寝むるように殺し。ただあくびでもするかのように死体を眺める。息を吐くのと何も変わらなかった。


 そこに罪悪感などなく、


 ただ無垢に死んでいく様を当たり前として認識する。


 自分が殺したということの結果でしかない行為。


 小さな手に切りつけた感触があろうとも血に染まる手が湿ろうとも、


 何も感じなかった。当たり前のことだった。


 殺すためだけに産み落とされた命だった。売女が闇の筋からの金欲しさにどこぞの馬の骨と交尾し産み落とした命。闇社会で殺すことの技術だけを教えられて育った。生活の一部に暗殺が組み込まれているだけのことでしかなかった。


 誰かが働くのと同じように自分も死体を増やすだけの生活。


 せっせと殺すことに躊躇うことなどなかった。誰かが殺されるのも当たり前だった。住んでいる街を歩けば道端に死体があったのだから。喧嘩がエキサイトすれば刃物が出る、魔法で焼き殺される。


 生まれたから目にした光景がそうであるのだから疑問などなかった。


 唯一、少女が不思議に思ったことは――


 殺すほどに食事が豪華になっていくことだけだった。


 一人目を殺したときに生まれて初めてパンというものを眼にした。二人目を殺したときに湯気が出ている温かいスープを初めて飲んだ。十人、二十人と殺したところでパンとスープにプリンがついてきた。


 あぁ、なんて幸せなんだろうと少女は思う。


 おいしいご飯と寝床があればソレでいい。外を出歩くことを禁止されても小さな世界で満足していた。少女にとっては簡単だった。ナイフを軽く狙ったところに振るえばいい。見つからないように足音を消して、相手の息の根を止めればいいだけなのだから。


 嫌なことをしいていうならば、移動の時の馬車が揺れることぐらいだろうかと。

 

 少女はただ運がよかった。暗殺の術を教える者である雇用主が凄腕だったことだ。


 殺しの技術など門外不出、ソレをただで提供されているのだから。


 足音の消し方を教わった。闇夜に紛れて気配を消す方法も教わった。相手の警戒心が説かれる瞬間を見抜く目を養えた。正確にナイフを振りぬく技術を会得した。他にも数え切れないほどの応用技術を教育された。


 彼女の名である姿なき暗殺者ノーフェイスという異名が知れ渡っていくほどに少女のイメージとはかけ離れていった。殺すことが一流なのではなく、殺し以外を知らない少女であるということを誰も気づかなかった。


 ソレがとうの年齢であるなどと、想像も出来なかっただろう。


 そんなある日、彼女の師がこの世を去る。

 

 老衰だった。過ごした時間は親ほど長くとも涙が流れもしなかった。彼女は師の武器である二つの短剣を手にして腰に差す。死ぬという概念が誰よりも近かったからこそそれだけのことでしかなかった。死は誰の傍にもあり、自分の生活の一部でしかない。


 殺されるのとなんら変わらない。


 師が死のうとも、それでも彼女には依頼が舞い込む。ターゲットの写真とお金が送られてくる。彼女は淡々と依頼をこなしていく。殺して食事をとり、寝る。ソレが生きるということだ。


 彼女にとって、むしろ師が死んでからの方が楽だった。


 手にした二つの短剣があまりに有能すぎた。殺すことに特化した呪詛は師の教えそのものだった。音もなく気配もなく、相手に気づかせることもなく命を絶つ。急所に優しくナイフを這わせるだけでいい。頸動脈を斬れば失血で死ぬ。首をうまく斬れば声は出ない。


 静かに静かに、殺意なく、殺す。


 彼女の、彼女だけの、暗殺が完成の域に達する。

 

 失敗など有りうるはずもなかった。彼女の存在を見た者は死ぬのだから。彼女の殺しに気づけるものなどいなかったのだから。彼女は新しいターゲットの写真を確認する。貴族の娘、金髪のツインテール、自分と同じく幼い少女。


 その依頼が姿なき暗殺者ノーフェイスの初めてで、


 最後の暗殺未遂だった。


『ミカたんにナニをする気でふかッ!!』


 変な喋り方。阻まれた短剣。鈍重な躰での俊敏な反応。そんなチート野郎を相手にするなどと彼女は思わなかった。初めて顔を見られたターゲットを逃がした。彼女は殺さなければと思った。


 失敗したことがなかった彼女は混乱した。


 いままでになかったことだ。全員、その日に殺してきた。誰もが自分を驚いた瞳で見上げながら死んでいくのが日常だった。ナイフがターゲットの首元に届かなかった。


 何が原因なのかを考えてある結論に達する。


『まずは、お前を殺す』


 変な男だけを呼び出した。


『僕が勝ったら、ミカたんに謝ってもらうでふよ!!』


 こいつが邪魔で殺せないのならばコイツを殺すことだと。彼女はあまり頭が回る方ではなかった。自分で考えることなどほとんどなかった。受け入れることで生きてきたのだ。何かを否定することもなく何かを肯定もしない。


 ただ、殺しだけで生活することが幸せなのだと思い込んでいた。


 才能も実力もある。師の持っていた厄災テンペストのオルトロスがある。


『はぁはぁ……僕の勝ちでふね』 

 

 気づけば仰向けに倒れている彼女の顔の横に槍が突き刺さっていた。殺そうとしても殺せない存在がいることを彼女は初めて知る。異世界転生してきたチート野郎とは思いもしなかった。


『私の負け、約束通り謝る』

『本当に……大丈夫なんでふか?』

『なに?』

『理解しているのか怪しいでふ……けど、信じるでふよ』

『謝ればいいんでしょ?』


 自称勇者と名乗る男に連れられて彼女はターゲットだった女の前に立った。


『た、たなか!? この子、連れてきたのですか!!』

『いや……多分、もう大丈夫でふよ』


 二人があたふたとやり取りをしている横で僧侶らしき女が自分の肩をたたいて『やっちゃえ』と言ってくる。彼女は混乱しながらも約束を果たす。


『殺そうとしてごめんなさい、もう殺さないから安心して』

『だ、誰が! そんな言い分を信じるというのですか!?』


 金髪は脅えながらも慌てていた。通りすがりに喉元を斬りつけようとしたのだから警戒されても当然のことだった。おまけに貴族は自分の正体を知っているようだった。


『あなたが姿なき暗殺者ノーフェイスであることはお見通しですわよ!!』


 何か脅えながら勝ち誇っている金髪ドリルツインテール。


『ス、スキを、見せた瞬間にナイフを私に向けるのでしょ!!』

『ソレはない』


 彼女は素直に答えた。別に今まで嘘をつくことも特段無かった。勇者と僧侶と貴族は不思議そうな顔で自分を見ている。その反応を受けて少女は当たり前のことだと口にする。


『暗殺が失敗したから依頼主に殺される。だから殺すことはもうしない。できなくなるって……感じ? 私が死ぬから』


 ふぇ……?と三人が不思議そうに声を出したが彼女の中では当然だった。殺し屋のルールだった。暗殺が失敗したものは殺される。用なしになるのは必然だった。殺しの情報が漏れることを恐れる勢力に消される。


 ソレが当然だと小さき褐色の彼女は言葉にした。


『ソレはダメでふよ!!』『私を殺せっていうの田中!?』『そうだ、にっくき貴族をコロセ!!』『ミキさんは黙ってなさい!!』『チガウでふよ!!』


 何やら騒がしいと暗殺者は困った顔をする。にぎやかな感じがなにやら新鮮だった。ただ静かに暮らすことに成れていたが故に同世代の賑やかさが何か新しいものに見えた。


『お名前はなんていうでふか!!』

『クロ……ミス、コロナ?』

 

 口に出して自分でも不確かだった。名前などあったようななかったような。うろ覚えだった。こんな風に呼ばれたこともあったかもしれないと彼女は疑問形で答えた。


『クロたん!!』


 何やら男から不思議な感じを受ける。必死に何か感情を高ぶらせている。


『僕が守ってあげるでふよ!!』

『あなたも殺されるよ?』

『大丈夫でふ! 返り討ちにしてやるでふよ!!』

『ちょっと、田中待ちなさい!! 早まるな――ッ』

『ハイハイ、ミカクロスフォード様はちょいとお静かに……』


 騒ぐミカクロスフォードの口をミキフォリオが羽交い絞めにして抑える。この時はまだ序列らしきものは完成していなかった。そして、大喧嘩を始める横でため息交じりの田中とクロミスコロナは瞳を合わせる。


『じゃあ、私も田中を守る。それでおあいこ』『それでいいでふよ、クロたん』『田中の敵はみんな私が殺すね』『えっ……だ、だめでふよ!!』『ん?』『殺しちゃだめでふよ!!』『殺さないの?』


 お互い口に手を突っ込んで喧嘩している犬猿の貴族と僧侶を無視して二人は話をつづけた。ソレがクロミスコロナの生き方を変える瞬間だった。ただ一人との出会いが彼女を変えた。


『クロたんは殺しちゃだめでふ……約束でふ!』

『だめか……なにしているの?』


 田中が小指を出してくる不思議な動作に彼女は首を傾げた。

 

『指切りでふよ!!』

『切ればいいの……わかった』


 彼女は短剣を取り出した。言葉通りだと思った。


『危ないでふぅううう!!』

『動かないで、切れない』


 差し出した小指を切れということかと。よけられたクロミスコロナは切ない表情を浮かべる。田中が言い出したのに何をしているのと。指切りだって言ったのにと。


『クロたんも小指を出すでふ!』

『…………いや』


 自分は斬りたくないとクロミスコロナは自分の背中に小指を隠す。


『うぅ……そうくるでふか』『たなか……何したいの?』『約束でふ』『約束は守るもの』『そうでふ、約束は大切でふ』『何を約束するの?』『殺さないっていう約束でふ』


 執拗に迫ってくる田中に彼女は疑問をぶつける。




『なんで殺さない約束をするの?』




 ソレが当たり前。殺すことは生活。殺すことは食事と同じ。


『いまだにクロたんは小指を隠しているでふ。それと同じでふよ』


 彼女は小指を田中からまだ隠していた。クロミスコロナは見えない背中に視線を向けてみる。。ソレがなんだとういうのだろうかと。


『僕は殺されたくないでふ、殺したくもないでふ』


 切らないからと田中はそっとクロミスコロナの背中にある小指に手を回す。


『だから、クロたんにも殺されて欲しくないし、殺してほしくないんでふ』


 その小指を自分の小指と重ね合わせて




『―――――殺さないっていう、僕との約束でふよ』



 彼女に無理矢理に約束を押し付ける。

 

 そんなものがクロミスコロナを変えていったのだ。彼女は普通の少女とは程遠いが日常を過ごせるほどにはおとなしくなった。殺し殺されすることがダメなことだと理解しはじめたからだ。


 だが、そんな彼女の前で悲劇は起こった。


 ――田中が殺された…………


 彼女の足音はなかった。殺意もなくただ自分に備わった天性に従うように足を運ぶ。存在を消し殺意を消して、二つの師から受け継いだ短剣を手にゆっくりと相手の首筋へと歩いていく。


 ――約束がなくなった…………


 彼女と田中が築き上げてきた日常は脆くも崩れ去る。



《つづく》 

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