第76話 これが戦闘での殺し合いとデスゲームでの殺し合いの差でしかない
二人の結託――それが生む戦闘の状況変化。
——チッ……まずった。
レンの心に焦りが生まれる。割ってでも止めに入るべきだった。時が度々邪魔をするのに気づいていながらも放置してしまったが故の失態。三竦みの状況であれば機会を伺いやすかった。櫻井を早々に退場させればよかっただけだ。
時が背負うハンデを生かしきれないままに不利な状況へと追い込まれている。
——あの、ジジィ……。
目の前にいる白髪の男。弱者の皮を被った暗殺武術家。見たことも無い腕の動きは蛇だ。安定した骨格らしきものはなく地を舐め這うように軌道を変えて噛みに来る。
——あの、ジジィさえどうにか出来れば……。
その後ろにいる少女の確保が目的だ。赤い瞳でも蛇の動きは捉えきれない。未来視だとしてもその軌道を掴めない。急激に変化するうねりから先を読ませない。
それでも本領を発揮できていないことは目に見えている。
レンは櫻井と時を交互に伺う。
——敵は二人に増えたが……
その出で立ちから感じる強さを読み取るように。
——さっきと同じだな。
特殊諜報機関の任務は非常に徹することが多い。この場で任務を遂行する為に何を切り離すべきか。だからこそレンの思考は早かった。その赤い瞳は数秒先の未来を読み取る。既に相手を絞っていた。
——俺の方かッ!
櫻井は腰を落として迎え撃つ体勢を整える。急速に上がるレンのスピードに眼を凝らす。身を屈めて突進してくる動き。レンの両手はまだ動く気配を見せない。
——コイツ……なにを……。
視ているからこそ疑問が浮かぶ。予備動作がまだ発動しない。拳で攻撃するなら肘を引くなり僅かだが動作が必要になる。体のどこかしらの筋肉に力がかかるもの。その予備動作がつかめていない。
「櫻井さん、伏せなさいッ!」
「……エッ!?」
時の荒げた声に櫻井は反応し頭を下げた。ただ何が起きたかも分からない。それは指一本の動きだった。レンはたった指一本を走った動作の中で突き出しただけの動きしかしていない。それでも景色が変わる。櫻井の下げた顔が視界に映る景色に歪む。
——どういう原理だっつうのッ!
横の壁が切られたように崩れ落ちていく。それは剣で斬られたものに近い。叩き潰すのではなく上下へと分断する。空中に浮く家の外壁。
櫻井には何一つ視えてなどいない。
——何の能力だッ!?
切断された壁の意味を分からない。わずか指一本で数軒を跨いで斬り飛ばす攻撃。時の声に反応していなければ自分の顔の位置があった場所の直線上に切れ目がある。レンは確信する。
——コイツ程度なら……すぐに殺せそうだ。
レンは櫻井と対峙してから少なくとも二度は殺す機会があった。最初の時と今である。時さえいなければ初手で終わりを迎えていた。時政宗さえどうにかすればこの戦いはすぐに決着がつく。
その為に一人の少年を殺そうが構いやしない。
そんなものはちっぽけな命だ。彼らが背負っている任務の前ではどうでもいい命。彼が勅命を受けているのは現日本の総理大臣。数などいくらでも誤魔化しがきく、おまけに人払いは済んでいる。
情報操作など容易いものだ――国の力を使えば。
「イッァアアアアア!」
櫻井の体勢が直るよりも早くレンに時が気合を入れて襲い掛かる。右腕を脱力し振るう。それは鞭に近い動き、急速な加速と変則的な軌道を生む。レンの左腕のガードの上からコートを引き裂くほどに加速した半分だけ握られた拳。
「——ッ」
レンの腕から血が噴き出す、皮膚を割くように時の手が絡みつく。
――貰うぜ……ジィさん……。
時を見据えながら、レンは肉がはじけ飛ぶ痛みを殺し左手を掴むように動かす。その動きに時の体に悪寒が走る。殺しの技術。同じ忍びが使う道具。
ミリにも満たないほんの僅かな景色が視界で歪んでいる。
「カァッアアアアアアアアアアアアアッッツ!」
時が放つは気合――腹から声を出し大気を震わせる。
それは防御の一つ。気合による振動を使うガード。大地を踏み締め気合を入れるだけの動作。それでも達人であればそれだけで離れた位置で数十キロの岩をも砕く。
「チッ――!」
——もう、気づきやがったか……!
その光景にレンもさすがに舌を巻く。その風貌と戦闘能力の歪な差が凄まじい。強さとは若さでもある。トキのはそれとは違う。長い年月をかけて作り上げたものだ。蓄積された武に他ならない。死地を超えてきた達人の武がレンに脅威を植え付ける。
——イマだ……。
「オラァアアアアアアアア!」
レンの動揺を見逃さない。その隙にピエロは右拳を下から突き上げる。時が僅かに意識を逸らしてくれたポイントに合わせる様に遅れて攻防へと参加する。レンの右腕が櫻井の拳に圧されていく。それはピエロの渾身だった。
衝撃でレンの体が弾き飛ばされて二人と距離が開く。
「………………」
だが、無言のレンはダメージを二人に感じさせなかった。表情はコートの襟で半分隠れていて見抜けない。レンは死地での戦いなどとうにすまして来ている。これが殺し合いだと理解しているが故に弱みを見せない。
左拳を強く握り左腕の血を止血する。筋肉の膨張による止血。
傷口がわずか数秒で血を固めて、レンは構えを取り直す。その指を少しだけ準備運動させるように静かに動かす。櫻井はその脅威を見据える。会ってきたタイプのどのタイプにも属さない。このタイプと戦闘したことがない。
その重圧に肩が呼吸で上下に揺れる。
「時さん……アイツは未来を見ている」
櫻井は情報をトキに開示する。触れたが故に分かっている。
「それがアイツの能力だ……」
言葉の勢いが僅かに下がる。それだけなのかと思考が不安を駆り立てる。視えないが故に恐怖がある。あの切断された壁は何で行われていたのかと。
「やはり……そうでしたか」
櫻井の言葉に予想が当たったと言わんように時は声上げて構えを取り直す。一度違和感を感じた正体。反応が早すぎたが故に悟る。あの赤い瞳が何かを見ているのだと。
「おそらく、二秒ぐらいの未来ですね」
地面スレスレにだされる腕。体は地を這うように低く、腕と手は蛇を模したような型を作りあげる。両手は三本の指で蛇の口となる。その構えだけで分かる。異質でありながらも何かを極めて来た者であるということが。
レンはただ静かに戦闘の機を伺っている。トキは迎え撃つ体勢を整えている。
その中で一人だけ状況が違った。
——戦闘についてくことがままならねぇ……。
殺し合いには慣れていたつもりだった。誰よりも身を置いてきた自負があった。戦闘をこなせるようになってきたと自信があった。それが剥がれ落ちていく。
この場で櫻井だけが呼吸を整えられずにいる。
——この二人……ホントに何者だよ……っ。
それは数分の攻防でしかない。ランクが劣っているが故にスピードも遅れる。攻撃力も足りない。SランクとダブルSランクの差が重くのしかかっている。呪装式九字護身法を出す暇などまったくと言っていいほどにない。
これが上級の殺し合いというものだと肌で察する他なかった。
——完全に……負けてる……。
開示した内容は既にトキは見抜いていた。おまけに自分よりも二秒先という情報までも持っている。ただ拳を交わしていただけなのに。能力で奪い取った自分などが陳腐でしかない。
レンの動きを注視する。レンの狙いは自分だと理解する。
——また、アイツは……俺を狙いに来る……。
心臓が脈打つ。それは死の恐怖。感じざる得ない。差が大きすぎる。これが戦闘での殺し合いとデスゲームでの殺し合いの差でしかないと身をもって痛感する。
《つづく》
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