第44話 わざと咽て誤魔化してそれでも心は嬉しくて泣きそうで
僅かに強の中で何かが欠けた音がした。それは固く固くしまっておいた何かだ。歪に曲がって見ることを止めて閉じ込めた強の中にあるもの。隣並び立つ金髪貴族がソレを呼び起こす。
「そういえば、一番悪いヤツを言い忘れていましたわ」
その少女が持つ強さは自分が持つモノとは真逆にすら思える。強さとはなんなのかを間違えていた少年には金色に輝く髪のように眩しい。それは直視するのが嫌になるほどに彼女を輝かせているもの。
「一番悪いのは貴方よ」
誰の眼でもない。自分の眼で見て彼女は彼女が信じるべきものを判断するが故に揺るがない。ソレは彼女が没落した姫でありながら旅に出て手に入れたものに他ならない。自分が理想とするミカクロスフォードである為にと。
「ミキさん」
「えっ、アタシ!?」
「そうよ」
驚く僧侶を前に彼女は視線で怒りをぶつける。この事態を見ていた彼女が出した答えはそれでしかない。ミカクロスフォードは威圧するように言葉を並べ立てる。
「サークライが元から変な奴であることも知ってる貴方でありながら、仲間を貶める愚行の数々ッ! この事態を作ったのはサークライではなく貴方ですわよ、ミキさん!!」
「ちょッ、ひどくない!!」
「おだまりなさいッ!」
ふざける僧侶の言葉を一喝。彼女のあげた声に誰もが体をビクっと震わせる。異論や弁解など挟ませないという金髪貴族の威厳。それはただ一人のふざけた女に向けられている――今回の諸悪の根源。
「せめてもの情けです。貴方の相手は私が直々にして差し上げますわ。感謝しなさい、ミキさん」
それは本気で怒った時の彼女の表情。仲間である僧侶が知らないわけではない。やるときは徹底的にやる奴だと知っているが故に威圧はこれでもかと僧侶に効いている。ようやくことの重大さを理解したボンクラ僧侶から視線を外し、ミカクロスフォードは強にアイツはまかせなさいと伝えた。
「僕もこっちがでふかね」
「田中さん!?」
僧侶が奇声を上げた。涼宮強の方にトコトコと歩いていく鈍重な姿。どこかコミカルな癖に存在感と信頼度は高くさらなる追い風となる。クラスメイト達の顔が歪んでいく。形勢がドンドンと不利になっている。
「たまには中間でなく偏ってみるのも悪くないでふよ」
「田中……お前」
ヘラヘラと笑って自分の側に来た男に強は不思議そうな顔を向ける。
「なんて顔をしてるんでふか。デットエンドらしくないでふよ、涼宮」
「……」
自分は間違った側の人間だと思い込んでいたからこそ、田中の行動に困惑する。ミカクロスフォードがついただけでなくこの男まで自分に来るとは思ってもいなかった。
「友達でふからね。友達がピンチであれば見捨てられないでふよ」
——友達……
田中の『友達』という言葉が強には重い。普通とは違う異質な自分でも受け入れてくれる。世界は多数決で出来ている。少数派が損を見る世界だ。そう思っている強からすれば間違った選択を取っている。
それでも田中は自分の味方になってくれた。
「私も涼宮派かな!」
ぴょんと軽く飛んで褐色の少女はデットエンドという存在に笑顔を向ける。
「クロネコ……」
ドンドンと味方が増える状況に強は困惑している。逆にそれを前に仲間達は当然と言わんばかりに笑顔を返す。クロミスコロナは体をグニグニと動かしてうぅーんと伸びをして、身を屈めて短剣を手に構える。
「クロ! なんで!?」
僧侶は次々と自分の仲間達が見捨ててくる状況に驚愕を表す。クロは短剣を口元にポンポン当てて考える。
「うーんと……田中と約束したからかな?」
どこか自分でも答えが定まってないようでやることは決まっている。
「人は殺しちゃだめっていうのと、自分のやりたいように自由にすることって!」
クロミスコロナの中では暗殺家業が全てだった。田中達と会う前までソレが何が異常なのかもわからずに空気を吸うように暗殺をこなしてきた。それが彼女にとっての平凡だった。
「だから、私は私の意志で自由に選んだ!」
やってやったぞと言わんばかりに大げさなジェスチャーを少女は見せつける。
「涼宮と櫻井はおもしろいから好き! 変なところも面白くて好き!」
まだ期間は短い。それでも一緒に過ごして笑った時間を彼女は楽しかったと感じていた。そしてクロミスコロナという少女の言葉だからこそソコに嘘がない。彼女には善悪や常識などと言ったものはまだ完全に育っていない。
「三学期は騒がしくていつも楽しかったから、私はそっちを大事にする!」
クロミスコロナはまた短剣を構え直し戦闘態勢に戻りやる気に満ちた顔で言う。
「だから私はミキを殺す!」
「ちょ、クロひどくないー!?」
「殺しちゃダメでふよ……クロたん」
「間違えた……半殺しかな?」
「クロさん、ミキさんは私が殺しますから。あっ、命を取るとかではなくて人格を殺しますからセーフです」
「ミカ、ソレなんか暗殺より凄そう!?」
周りが段々と騒がしい中で涼宮強は先程自分に向けられた不思議な顔を仲間に返す。想定外の事態に何かがピシピシと壊れていく。自分の中にあったものが、歪んだものが、作り上げた何かが壊れる音がする。
「涼宮シャン、私もこっちで」
「小泉奴隷一号……」
「ちょっと呼び方が変わり過ぎです!?」
自分の元に当たり前のように歩み寄ってくる。恐怖で強張った表情。腫物を扱う様な態度。アイツはオカシイという見え透いた心。そういうものが一切なく、ただ自然にいままでのように彼ら彼女らは傍に来てくれる。
「まぁ呼び方は追々でいいです……それより櫻井シャンにはあとでいっぱい小泉しゃんに言われたことを確認しなければなりませんからね」
「二キル……」
名前を呼ばれ二キルマーシェはプイと顔を背ける。喧嘩はどうやらまだ継続中にも関わらず小泉もこちらに歩いてくる。小泉は二キルの態度に困ったように髪を掻きながら自然に涼宮強の傍に立つ。
それがまるで当たり前であるかのように――。
「あとで櫻井君には二キルへの弁明をしてもらわなきゃいけないから助けなくちゃね」
そして、コソコソと強の耳へ話しかけた。
「小泉……」
それが本音なのか照れ隠しなのか分からないがそれでも強の心で何かがひび割れていく。それは強にとって僅かな時間で築き上げたもの。学園対抗戦のあの日に拒絶の鎖を断ち切っただけだった。
強にとってただ一緒に時間を過ごす様になっただけでしかなかったのに……。
「オホン、僕も涼宮側につくよ。仲間だからね」
強の周りにお昼のメンバーが揃っていく。それだけでしかない光景。でも涼宮強にとってはありふれたものでなく初めてに近い感覚だった。
ずっと諦めていたものだから。ずっと手に入らないものだと思っていたから。
強くなり過ぎた自分の周りに人が集まる光景など存在しなかったから。
ずっとしまい込んできたから存在してはいけなかった。何かが壊れていく音が大きくなっていく。子供の時に強が捨てようとして必死に歪めてきたものが、認めてはいけないものが見えてしまう。
『強ちゃんは俺のチームだよー』『えぇ、ズッケェよ!』『強ちゃんいる方が勝つに決まってんじゃん!』『じゃあ、強ちゃん次は俺と一緒だよ!』『いや、強ちゃんは俺と一緒じゃなきゃダメだ!』
強くなる前の数年だけしかなかった。誰もが自分を中心に置いてくれる世界など。誰もが自分を認めてくれる世界など。誰かに必要とされることなどもうないと思っていたから。
ずっと自分が間違いだと思っていたから。
——やべぇ……
強は涙をためて顔を真っ赤にした。
——泣き……そうだ
鼻から息を大きく吸い込んで涙を堪える。人前で泣くのが人一倍恥ずかしい。だから強は泣いてるのを悟られないように咳をする。咽て涙目になっているだけだと虚勢を張る。
「ケホンッ……エホッ! エホッ!」
本当は嬉しくて……泣きそうなことを悟られないように。止まっていた時間が長かったから受け入れるにもどこか拒絶して、わざと咽て誤魔化してそれでも心は嬉しくて泣きそうで。
「強ちゃん……」
——強ちゃんは間違っていなかった。間違っていたのは、
その光景を見いる少女は悲し気な顔を伏せて静かに蚊帳の外へと歩いてく。
——……私の方だ。
自分がいるべき場所だと思い込んでいたものはもう其処にはいらないのだと。自分がいた場所には代わりに立ってくれる人がいる。だから少女は誰にも気づかれないように静かに教室の扉へと歩いてく。
クラスメイトと涼宮強の仲間がお互いを牽制している中で、人知れず消えてくように彼女は教室の扉を抜けた。
「鈴木さん……」
それでもただ一人だけが気づいた。どちらにも属せずどちらにも動けなかった少女が玉藻の去り行く姿を一人見ていた。サエミヤモトだけが鈴木玉藻の変化に目を落とした。
《つづく》
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