第11話 重ねてお詫び申し上げます

「おし……だいぶ腹の調子も落ち着いてきた」


 涼宮強の体の準備が整いつつある。急速に消化されていく内臓にある食材。ゲップが出るぐらいで吐き気は収まってきた。立ち上がり常連たちの方に眼を輝かせる。人々は気づかない、その場所に最凶の獣が混じっていることに。


「遊んでやるとするか……」


 いき込んで獣は一歩を踏み出す。


「あうっ!」

「ガッ!」


 だが、その一歩目がけっつまづいた。コケをベットに寝ている負傷兵の存在である。たまたま下に寝ていた櫻井である。その脇腹に見事につま先をぶち込んで倒れ込んだ。


「どわっ!」

「ぶッ!」


 負傷兵に大ダメージが走る。脇腹の一撃ですら瀕死で重いのにトドメの一撃と言わんばかりにボディにエルボーが落ちてきたのである。急激に押し込まれた胃。未消化の食材をため込んだ貯蔵庫への爆破攻撃。


 ――マ……ズイッ!


 不幸な男は危険を感知する。未だにエルボーが突き刺さったままである。ドロップエルボーアタックによる急激な逆流がピエロを襲う。体はクの字に折れ曲がり頬袋が膨らむ。これでもかと食材たちが口の中を駆け巡ってくる。


 外的ダメージだけではなく、内的ダメージの連続コンボ!


「……ッ!」

「すまん……櫻井。わざとじゃないんだ……わざとじゃ……」


 今にも吐きそうな櫻井のもんどり打つ姿を見て強でもさすがに謝った。故意的な事故でなく、不慮の事故であると。今の状態の一撃がどれほど苦しいかは想像がつく。むしろ、櫻井の頬がハムスターのように膨らんでいるので見れば分かる。


 おまけに鼻から卵麺がちらりと伸びている。


「おっ、世にもめずらしい黄色の鼻毛が生えてるぞ。きっと幸運の証に違いない、うんうん。やったな、櫻井! 不幸のループはもう終わりだ!!」

「んんんッんんんッ!」


 勢いで誤魔化そうとしたが櫻井に睨らまれた。言葉にならないが音程的に「んなわけあるかッ!」と申したい様子。全くもってその通りである。


 そうこうしていると風鈴の音が四人の元に近づいてきた。


 店主が屋台を引いて自分たちのテーブルに到着した。食べ終わった食器の回収に来たことは通い詰めている三人には分かりきったことだった。ラーメン店である以上、客足の回転は気にするところ。


 田中とオークの店主が見つめ合う。申し訳なそうに田中が口を開いた。


「大変申し訳ないでふ……店の空気も悪くしてしまって」


 田中が腰を低く謝る姿に店主は首を振るった。こうなることは注文の時点で店主も若干気づいていた。女性に向けての料理とは呼べる代物ではない。


 だから、決まっていた結末なのだと。


 店主は静かにどんぶりを回収していく。綺麗にスープまで飲まれたどんぶりをからスープだけのどんぶりに手を伸ばす。心で四人中三人も完食してくれたのであればいいではないかと言い聞かせた。


 元から、この店はこのラーメンを食べたいやつだけが来ればいいのだから。


 山盛りの野菜が残されていようと、チャーシュー麺のチャーシューが半分のこっていようと、麺がスープを吸って大きくなっていようと、いいではないかと。


 胸が痛むのを隠して堪えてどんぶりにそっと手を伸ばし始めた、その時だった。




「少し、お待ちになって下さい!!」



 

 店主の手が止まる。店内に響く高飛車な声。


 店主含め常連たち誰もがその声に反応して視線を向けた。


「お花を摘むのに少々時間がかかってしまい、誤解させて申し訳ございません。少し席を外していただけですわ」


 ただ一人の金髪の女子高生に全員が視線を集中させた。大雨にでも降られたかのようにずぶぬれになっている上に髪型が変わっている。それに何より眼つきが鋭くなっている。ここは戦場だと理解したが故に戦闘モードに近い。


「あと重ねてお詫び申し上げます」


 カツカツと彼女の革靴が静まり返った店内に小気味いい音を鳴らす。ピーンと伸びた背筋で長身であるスラっとした体系がより際立つ。堂々とした歩く姿に気品が溢れている。


「先程は何も知らぬ私が、トン次郎様に於いて不躾な言葉を口に出してしまったことを」


 その洗礼された言葉と滲み出ある高貴な貴族のオーラに誰もが言葉を失った。さっきまでのふざけていた高校生はそこにはいない。女子高校生であるはずなのに、もっと立派なものに見える。


「私の礼節が至らぬばかりに不快な思いをさせてしまいました……大変申し訳ございません……」


 固まっている店主に向かって綺麗にお辞儀をする姿に、弱弱しくも艶がある震える声に、彼女が心より謝罪していることが如実に伝わってくる。手は下腹部したに綺麗に添えられている。つむじが見えるぐらいに頭を下げている。姿勢は決して曲がることなく線を維持している。


 その所作一つ一つが完璧な動き。


 呉服店というこちらの上流階級での手伝いを真剣に取り組んできた彼女だからこそ、こちらの世界の所作をマスターした彼女だからこそ成せる技だった。


 らーめんトン次郎の店内は、もはや金髪少女の一人舞台と化す。


 彼女は頭を上げると同時に店主の横を抜けて元座っていた場所に戻った。


「大変厚手がましいお願いなのですが、新しい箸を一ついただけますか?」

 

 丁寧な言葉遣いには敬意が込められている。その視線はまだ食事を続けると澄んでいる。その手は店主からの許しを乞うように下手に出されている。誰もが言葉を失った。先程までいた少女とは打って変わっている。


 一番近しい存在の田中でさえ何が起きたか困惑しているほどに。


 店主は静かに屋台にある割りばし入れから、新しいものを彼女に恐る恐ると渡した。何が起きているのか店主も理解できていない。ただ目の前にいる少女はよほど位が高いのではないかということだけが辛うじて分かる程度。


「ありがとうございます」


 丁寧にその箸を受け取る姿は醜いオークである自分を忘れさせる。対等にではなくどこか丁重に扱われているのが分かる。自分が持てなす側であることすら、その邂逅により忘れさせられそうになっている。


「では」


 彼女は親指と人差し指の間に割りばしを挟んで両の掌を合わせる。そこには先程までのラーメン屋とバカにした態度などない。新米だった彼女の成長した姿に他ならない。


「いざ、尋常に!」


 透き通るような気品のある声に店内は耳を傾けて注視する。強は不思議そうな顔でミカクロスフォードを見上げる。何を考えているのか分からない。けど、彼女の中で何かが変わったことだけはわかる。


「頂きますわッ!」


 彼女に似つかわしくない勢いのある声が響いた、次の瞬間——


 誰もが目を疑った。気品あふれる彼女がそんな動作をするはずないと思っていた。女の人はやるはずがないと思っていた。ワイルドに割り箸を歯で噛んで押さえ、綺麗に真っ二つに割って見せた。


 そして、勢いそのままに箸をスープの下にもぐらせて麺を吸い上げて血色のいい口元に近づける。


「ズッゾォオオオオオオオッ!」


 ミカクロスフォードがラーメンから快音を出して吸い始めたのに誰もが目を丸くする。強に至っては、何やってんだ……コイツと思って目を顰めた。


 ここから彼女のプライドをかけた戦いが始まる。



《つづく》

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