第9話 初見殺しの悪意
眼がうつろな櫻井が箸を置く。吐息が激しく汗が尋常ではない。腹が重く頭が働かない。慢性的ストレスでも味わっている様な苦痛が体を走る。
「もう無理だ……死ぬ……」
「櫻井、賛同する。しばらく何も食えん……」
隣で強もぐったりとしている。気だるさの中に苦しさが垣間見え、瞼がピクピク痙攣している。戦場は静かになった。それは勝利か敗北か。
先に戦争終えた田中が口を開いた。
「二人ともよく食べきったでふよ」
二人の勝利に合格といわんばかりの
しかし、それでも強がって返すのが涼宮強である。
「あったっりまえだ……うぷっ」
「残したらシルバー剥奪になるから……おぶッ!」
「やめろぉお……」
櫻井が慌てて口元を抑え強がつられてもらいそうになる。二人の顔が嘔吐を堪えようと苦痛に歪む。二人そろって仲良く顔が青ざめている。
なぜ、こうまでして食い切ったのかと問われればシルバーランクを維持するため。トン次郎の常連カードを手にするのも難しいが維持するも、また困難を極める。完食できなければランクがワンランク下がるのである。ワンランク上げるにはそれぞれ五十の試練をクリアしなければいけないが下がるのは一瞬である。
「二人でも落ち着いてからでいいでふよ♪」
目の前の豚野郎はブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナと二百の試練を超えてきた猛者である。しかして、死にそうな二人に向けられた余裕な田中の対応はちょっとイラつきを覚えさせた。
誠に器が小さき漢たち。
自分が地獄を見れば相手も地獄を見て欲しいと願う人種。心で『コイツ、帰り道に隕石が脳天を直撃して死ねばいいのに』と思うのもやぶさかでない。
「そんなになるまで食べるからですわよ……」
呆れているミカクロスフォードにさらにイラつきを覚えた。食いもしないヤツにそこまで言われる筋合いはないと思うが言葉を出すと『らーめんトン次郎』が『もんじゃ
だからこそ、ひねくれた漢たちは心で罵倒する。
『衛生兵にも慣れぬ逃走兵如きが、黙ってろッ!』
と思うが瀕死である為に意思の強さは伝わらない。戦場が終わったとしても戦場を走り抜けた傷口は治らない。それが二人を地獄の苦しみに誘っている。戦争の後遺症は終わって、なお尾を引くのである。
戦争とは、げに恐ろしきものよ。
そして、その場はいまだに戦場だ。その店内にいる者たちは戦う兵士。段々と視線が強たちのテーブルに集まっている。プラチナである田中に向いていた好奇の視線だったが今は違う。戦い終えた場に向けられている。
チッ、と店内に不快な舌打ちが響く。
何かに呆れた様に、何かに怒りを表すように、立てられた音。
「そろそろでるでふか……」
「もうちょっと待ってくれ……」
田中が何かを感じ取り席を立とうとしたが、強はそれどころではなかったが故に止める。いま動こうものならパーコーが口から「こんばんわ!」してしまう。田中が自分達に向けられている視線を感じ取る。
常連たちからの視線は一つのどんぶりに向けられている。
「あー、ラーメンもったいねぇなー!」
誰かが発した言葉だった。そこでミカクロスフォードも自分たちに向けられている視線に気づいた。悪意めいたものが匂うように色濃くなっていく。
「食えねぇのに頼んじまうとか、周りが止めろよ。プラチナがいんのによ」「どんだけ素材を捨てる気だよ?」「料理を作った人がどういう気持ちになるかも若い奴にはわかんねぇのかなー」
「………………」
田中は無言で下を向いた。それは遠くから聞こえる独り言に近い。それでも自分たちに向けられた悪意なのだと気づかないほど馬鹿ではない。
それは敵意だ。
強と櫻井も苦しそうにして顔を歪めていた。もし、万全な状態であれば返り討ちにしている。腹が重くて動けない。
その間に店内を包む不穏な空気。そこは下々の者たちが集まる憩いの場所。店を愛した常連たちの巣である。
「おおかた、女にいい所見せようとしただけだろ?」「所詮、大食いだぞ? みせて何になるんだよ?」「それもそうか!」
ぎゃははと遠くで笑う声がする。
ミカクロスフォードはただ自分のどんぶりを静かに眺める。これが原因なのだと。自分が食べなかったからこそ、こんなことを言われているのだと。田中は静かにミカクロスフォードの肩に手を置いた。
「みんな悪い人ではないんでふよ……お腹が苦しくてちょっと気が立っているだけでふ」
「田中さん……」
田中は知っている。ここの常連は悪い人達ではない。同じラーメンを愛する同好会にも等しい。これは自分が招いた過失。その輪を乱すような行為をしてしまったのは自分だ。
「僕がもっと事前に説明してればよかったでふね。ミカたんに申し訳ない想いをさせてしまってすまんでふ」
「…………」
苦々しく微笑んでいる田中の姿に胸が痛くなる。田中はもっとトン次郎という店を教えておくべきだったと思った。何も知らずに着いてきたミカクロスフォードが悪いわけではない。軽率な行動だった。
ここは戦場なのだ。何も知らぬミカクロスフォードを良く思うはずがない。
初見殺しといわれるゆえんでもある。周りからの目が厳しい。注文ひとつたどたどしくなれば自浄作用のように客が客を選定する。その視線によるプレッシャーに耐えなければ残れない。
それでも罵声を浴びせることなどなかった。
常連は許せなかったのだ。プラチナの真似をしたメニューを頼んだことが。彼女の食べっぷりはこの店に似つかわしくないと判断した。レンゲでミニラーメンを作っているところも見ていた。ちょこっとずつ摘まんでそれで終わり。
出されたものの八割が残っている。
それは戦場に例えるなら、訳も分からなぬ新兵がお遊び気分でうろついただけ。観光でもするように戦うこともせずにのんびりと散歩して途中で引き返して満足している。トン次郎の食事は戦争だ。
そのルールをぶち壊すようなチャラチャラした貴族の金髪女。
それに頭にきて口に出てしまった。彼女を非難するような声が。俺たちが愛するもうこの店に二度と近づくなという想いが強く言葉に出た代物。トン次郎におんな子供は不要だと。
「食い終わったんならささっと店出ろよ。外で他の客が待ってんのによ」「はぁ……久々のトン次郎だったのに最悪の気分だぜ」「口に合わねぇなら、もう来ることもねぇだろ!」
強と櫻井が声に反応して睨もうと力を入れるが逆流トン次郎で動けなかった。心の中で『二度と無駄口を喋れないように今すぐ去勢してやるよッ!』と力を入れているが役立たず。気持ち悪さで動けない。
「田中さん、失礼します」
「ミカたん!?」
ミカクロスフォードが静かに席を立ちあがったことに田中は驚いた。どうしたのだと、ミカクロスフォードを見ている。ミカクロスフォードは静かに微笑む。
「ちょっとお花を摘みに行ってまいりますわ」
「ミカたん……」
田中は涼宮と櫻井ならいざ知らずミカクロスフォードがここで暴れる人間ではないことは知っている。ただこの罵声に何も感じないほど強い訳でないことも分かっている。
「では、すぐに戻ってきます」
「………」
平静を保つがどこか可笑しいミカクロスフォードを田中はただ黙って見送った。そして、その少女におくられる常連たちの視線は痛々しいものだった。
《つづく》
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