第244話 ピエロ過去編 ー逆ベンケイ―

  夏が来た――。


「おっしッ!」


 坂道の前で身を屈めて俺は走り出す。アスファルトを蹴りだす脚。鍛えてきた筋肉が俺を支える。幾度となく苦痛を受けた肺は少ない燃料で体を維持する。胸の中ではシキがストップウォッチを止めようと今か今かと待っている。


 傾斜を感じることも無くなった。強い風が吹き抜けていく感覚がある。急傾斜でも加速が続いてく。体は軽い。ただ速くと求めて目的地を目指した。


「シキ、タイムは!?」


 胸元でシキがストップウォッチを俺に掲げて見せた。思わずその結果に笑みが零れた。ここまで来たか。


「五十九秒……」


 ついにここまで。


「シッ!」


 思わずガッツポーズをしてしまう。傾斜四十五度の一.二キロを秒で走り終えた手ごたえ。確実に強くなってる。俺の第三の螺旋は進化を続けている。人間では到底不可能な領域へと足を踏み入れている感覚。


 着実に少しずつだが――


「俺は強くなっている!」


 シキも力強く頷いて賛同してくれている。


 限界を超えていくトレーニングは俺を強くしていっている。


「お願いしまっす、銀翔!」

「いいよ。始めようか」


 拳を打ち込みにかかる。段々と銀翔の対応が分かってきた。俺が殴りかかっていっても全然動かない。来るのは寸前でしかない。わずかな時の動きでしかない。


 目を凝らさずに集中して見ていく。


 俺の頭が下がった。拳が何かに撃ち落されている。態勢が崩されている。わずかなイメージが流れ込んでいる。


【右払いの手刀】


「ガッ――!」


 頭では来ることが理解できても体が動かない。頭部への衝撃と共に俺は横の壁に打ち付けられた。手刀でこの威力とか馬鹿げてる。おまけに銀翔の表情は力を込めているような素振りは一切見せていない。


 ダメージのデカさに体が動き出せない。銀翔とのトレーニングは一発攻撃を受けるだけで一回中断となる。それは俺の強さが銀翔に全然届いていないから。それでも俺は早急にダメージの回復を図る。


 ただでさえ銀翔とのトレーニングは貴重だから一分一秒を無駄にしたくない。


 呼吸をわざと荒げて鼻から大きく吸い込む。


「スーふぅん、スーふぅん――」


 システマという格闘術の呼吸法。バーストブリージング。究極のリラックス状態を作って痛みと緊張を緩和する。痛みが消えると同時に呼吸を落ち着けていく。


 銀翔が不思議そうな顔で俺の方に近づいてきた。


 鼻息が荒すぎたのだろうか。バーストブリージングは挙動が大げさだから心配してるのだろうか。確かに銀翔の手刀は首から上が無くなったような痛みに感じたけども。


「いま、はじめは手刀が来るってわかってた?」


 事前に察知できたのと不思議そうに尋ねてくるので普通に返した。


「能力でわかった。攻撃を弾かれたときに」


 頭の中にイメージが流れた。銀翔の次の動きが。それに合わせて動こうにも硬直して何もできなかったけど。


「そうか、最初に手刀で叩き落した時に触れたからか」


 手刀で弾かれてたのか。全然見えないからわかんないんだよな。納得している銀翔だが俺の能力なんて凄くない。


「けど、何もできなかったぞ」

「いや、防御態勢に入れていたから」

「防御態勢?」


 俺は棒立ちに近かったのに何が防御だったのだろう。考えてはいたが体は全然反応など出来ていなかった。ノーガードもいいところにブチこまれた事実。


 今度は不思議がうつったように俺が困惑していると銀翔がごめんごめんと説明を付け加えた。


「タイミングよく筋肉を硬直させたから」

「確かに来るってわかったら怖くて力が入ったけど、防御になるのか?」

「来るとわかってるなら防御になるよ。予想外の攻撃を喰らうよりは態勢が整えられてるから防御にもなるんだ。次の動きにも移りやすくもなるしね。踏ん張るってだけでも立派な防御のひとつだよ」

「へぇー」


 新しい知識に驚く俺に得意げに銀翔は自分の目元を触った。


「一番はえてるのがいいんだけどね。目で相手の攻撃を追えるのが一番」

「動体視力ってことか……」

「そう」

「視えてると戦闘はそんなに違うの?」

「違うよ。視えているのといないのじゃ全然違う」


 銀翔が首を横に振っている。どうやら上に行けば行くほど重要らしい。視えるってことは。ただ事実はわかったが当たり前の内容が腑に落ちてない俺は問い続けた。


「さっき言ってた防御態勢がとれるからってこと?」

「それもあるけど、それだけじゃない。視えていない状態だと相手の動きや技を正確に捉えることが出来ないんだ。能力の発動に対する変化や挙動ひとつの見落としが罠につながっていたりする場合もあるから。何かも分からずに戦うことは戦闘に於いて危険なんだよ」

「危険か……」


 なんとなく言いたいことはわかった。視えていない状態で闘うことの本質。何をされたか分からない状態ではそれが能力なのか通常攻撃なのかも判別が出来ていなくなる。それに能力者はイメージを具現化しやすいように体の動きと連動させることが多い。


 例えば指などを動かして、それを鍵にして発動条件と捉えてるものもある。


 そういう点から一瞬一瞬の情報が必要ということか……。


「じゃあハジメは、僕の動きをよーく視ててね」

「えっ」


 突然の提案に言われるがままに銀翔の動きに注視した。首を横に曲げて行って右側を向くような動き。目線を完全に俺から外している。右に何かあるのか。


「ガッ!」


 俺の後頭部付近に衝撃が襲った。俺は慌てて後ろを向くが何もない。


【これが答えだよ】


 確かにそう聞こえた。けど何が起きたかも分からない。どういうことだ?


「今のが攻撃の基本だから」

「なんなのか……わからないんだけど……」


 何されたのかも分からないが攻撃を受けたらしい。陰陽術だろうか。シキさんはトレーニングルームの端っこで折り紙して遊んでるし、俺は何をされたのかも分からない。


「攻撃は常に相手の死角を狙う」

「死角……か」


 確かに何をされたか分からない位置からの攻撃。そうなるように仕向けられたってことか。銀翔が右を向いたのもひっかけでフェイクだったということだろうか。


「じゃあ、右を向いてたのは俺の死角を作るため?」

「そうだね。良く視ていたようだけどそれじゃダメなんだよ」

「えっ?」


 さっきはよーく視ろって言った癖に。それってひっかけじゃねぇか!


「卑怯だ、銀翔!」

「卑怯?」

「最初によーく視てろって言っただろう!!」

「あー……」


 銀翔は何かわかったようにコクコク頷いているが俺は納得がいかない!


「僕の顔を見ててってことじゃなくて動きを見てて。僕の右腕がこっそり近づいてデコピンしたんだけど、それを見落としたのはハジメだよ」

「それは……」


 そういうことで動きだったのか。確かに目線を追えとは言われてないし俺が右に顔を傾けていたから逆から近づくものに気づけなかった。


「戦闘では目線でのフェイントもあるし動きでのフェイントもあるから、騙されないようにね」

「……」


 言ってることはわかるが銀翔が滅茶苦茶笑顔なのが腹立つ。いかにもひかかってくれてありがとうみたいな。俺は銀翔の後ろを指さして声を上げた。


「あっ!」

「ん?」


 今がチャンス! 死角を突くのが戦いの定石だッ!!


 俺は仕返しと言わんばかりに銀翔の脛目掛けて思いっきり蹴りを放った。俺の足が銀翔に当たるとブルブルと体が震えた。ミシミシとなる足。


「うっ……う――」


 俺の体が痛みに尋常でない身の毛がよだつ震えをブルブル上げている。


「アアアアアアアアアアアア!」


 ヤツの脛がわずかに浮いてガード体勢に入っていた。完全に相手の骨部分へと思いっきり俺の脛が突き刺さってカウンターの逆ベンケイが決まった。死角を突いたつもりが誘いだったわけで、俺は寝そべって血走った眼でバーストブリージングをすることしかできなかった。


「これも死角だからね。相手の思惑の裏をつくっていうのも攻撃の常識」

「あぁ……わかった……痛い程わかった」

「僕の足が防御に入ったのをちゃんと視てないからこうなるんだ。視えてないとこうなりやすいんだよ。僕が後ろを向いたのでチャンスと思い込んじゃったんだね。鏡張りだから見え見えだったよ」

「くぅう……」


 そういうことか……全面ガラスだから動きが見えていたのか。それよりも脛が砕けた様に痛い。鉄で脛をブッ叩かれたような激痛。弁慶でも立ってることはできないだろう。


 コイツの足は何で出来ている!?


「上のランクになると気配ってものも感じるようになるけど、それで満足しちゃうとダメなんだよね。気配とかってダミーでも作れるから。結局は視覚でちゃんと情報を漏らさず捉えることが重要だから!」


 なんで……そんなに自慢げに教えてくる!? 俺はこんなに痛がっているのにッ!!


「あとさっきのは視覚の誘導でもあるんだけどね。人間って集中して一点を見るときは周辺視野の情報を削除しやすいすんだけど、これを意識的に残して置くのが結構難しかったりするんだよ。だから相手の動きに注目しすぎてもダメなんだよ。全体を視ること」


 高らかに銀翔は倒れ込んでいる涙目の俺に高説を垂れ流した。


「全体を視ることが重要だからね♪」


 大事なことなので二回目です的な満足気な顔。

 

 俺はこのとき銀翔が少し嫌いになった。笑顔でたまに俺を酷い目に合わせる。特に実戦トレーニングの時にヤツは何かをしでかす。やりすぎちゃったかなとか言いつつ悶絶する俺を楽しんでるのではなかろうかと疑った。


 こうして銀翔への不信を募らせつつも俺のトレーニングは続いていく――



《つづく》

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