第208話 男の狂気が試験官たちを狂わしていく
それは三十分前まで遡る――
「獣塚さん、携帯鳴ってるよ?」
「三葉からだ……なんだろう?」
第二試験の会場からの連絡が第三試験会場に入った。どちらの試験会場も大方の受験生は捌ききった後で閑散としていた。しかし、第二試験会場にいる
『獣塚さん……あの』
「どうした三葉? 何かあった?」
声色が低い友達の声に獣塚は明るく返した。もう自分たちの持ち場の試験が終わりに近づいてることはわかっていた。最後の受験生が来てから随分時間が経っている。
『多分……まだそっちに一人行くと思うから』
「えっ……こんな時間に」
獣塚はイヤそうな表情を浮かべた。明らかに時間的に遅い。遅すぎるのだ。ただ第二試験会場からの連絡となればきっと来るのだろうと思うしかない。どこをほっつき歩いているのかその受験生と思ってしまった。よほど寄り道をしなければこんなに遅くなることはないからだ。
そんな致命的なやつは――
第三の試験まで残るはずもない。
「わかった。一つだけ残して置くよ」
『う……ん。お願い』
そういうと三葉の電話は切れた。終始声色は曇っていた。どこか辛そうな声だったから、
「どうしたんだ……三葉のやつ」
獣塚は心配をする。心配は当たっていた。電話を切った友達の三葉の顔は暗かった。本人が伝えたかったのはホントはなんだったのかわからない。それでも何かに突き動かされてしまった。あの姿を見てほっとくことができないから。
彼女の肩に手が乗る、心配するなと。
「三葉が気に病むことじゃない」
「そうだ、気にするな三葉」
「武田、岩井……」
彼女は同じ試験を務めていた仲間の顔を見る。彼らが自分を気遣ってくれていることはわかる、笑顔を返したいのに、何かに心を掴まれた感覚が消えない。どうしようもないことだと理解しても見てしまったから、あの姿とあの執念を。
「――っ……」
言葉にしようとしてもそれがわからないから詰まる。心が締め付けられていく感覚が消えない。あの子はまだどこかで続けている。そう思えて他ならない。
どれだけ傷つこうとどれだけの苦難が待ち受けようと、
苦しみ続けてしまうということが分かっているから。
「三葉!」
「かずねぇ……」
第一の試験会場の試験官である罠師こと、三葉の双子の姉に当たる
姉妹だからこそわかってしまった。三葉の表情が曇るわけを。
「あの茶髪の子が……来たんだね」
「かずねぇ……どうしてあそこまでしたの?」
妹の悲しい瞳が姉を問い詰める。いくらなんでも櫻井の負っている傷はやりすぎだった。服で隠れていない部分にあった裂傷。血が落ちるほど傷口が開いて出血が止まらない様子。おそらくどこかの骨も折れているであろうことは見ただけでわかる。
一葉とてやりたくてやったわけではないが結果そうなってしまった。だからこそ言い返す言葉が見つからない。
「三葉……」
「いくら脱落者を増やすって言っても限度があると思う……私は」
「おい、三葉……やめろよ」
一葉の顔も曇っていくなかで剣士が三葉の肩に触れて攻めるのをとめようとした。理由はそれであっているがもしれないが、一葉という人物がその為にあそこ迄するはずがないということはわかりきったこと。彼女とてこんな状態を望んだわけではない。
櫻井という男が狂っているだけなのだ。
その狂気にあてられて試験官たちが正常さを失いつつあっただけなのだ。
「かずねぇ、なんで途中で止めなかったの……あの子じゃ無理だってわかってたはずでしょ」
「おい、三葉! やめろって」
「私だって、あんなことになるとは思わなかったんだ!」
初めて一葉が悔しそうに声を荒げたのに一同が静まり返る。この言い合いが不毛だと思っていても吐き出さなきゃやりきれない気持ちが姉妹にはあった。お互い止められなかったのだ。あの悲愴な男を。
「まさか地雷原と分かっていながら頭から突っ込んでくるなんて……思わなかったんだ! あんなに弱いのに! 死ぬかもしれないのに……」
一葉だって想定外だった。あんな足掻き方をすることなんて。だから、ここまでの道中必死に櫻井が倒れていないか心配しながら歩いてきたのだ。どこかで倒れていないか探しながらきたのだ。
けど、ヤツはいなかった。
「あのダメージでここまで来れるとは私だって思わなかったんだよ……」
見送った時にわかっていた。傷は時間が経つたびに開いていくことは。ダメージが広がっていくことも。それが彼の足枷になることも。地雷に飛ばされた後に勢いよく走れたのは興奮状態のせいもあっただろう。だが、時間が経てば痛みが増す。時が経てば傷が開いていく。動けば動くほど次第に泥沼にはまっていくように激痛が広がっていく。
だから、途中で止まっていると思っていた。だけど、見つからなかったのだ。第二試験会場に近づくほどに一葉とて不安が増していった。櫻井という受験生の危うさを見逃していたわけではない。
死地へと迷わず飛び込んでいく狂人の考えが、彼女は怖かった。
まさか、第二試験会場を通り越してしまっているとは思わなかったのだ。
「もういいだろう……三葉」
「ごめん、かずねぇ……わたし言いすぎた」
「私こそごめん、三葉……」
「とりあえず、第三試験会場に移動するぞ」
暗くなっていく雰囲気の中でタンクの岩井が目指す先を告げる。途中で倒れてるにしろ第三試験会場に着いてるにしろ櫻井が先の道にいることは確かだ。ここで暗くなっていてもしょうがない、それを確かめに行くしかないと彼は動き出す。
醜く足掻く様が人の心に重く爪痕を残す。
「なっ……んだ」
それは獣塚達の前にもゆっくりと姿を現し始めた。岩は最小のサイズなのにその重さに引きずられフラフラと揺れる弱弱しい体。顔色は酷く紫色に近く腕からは血が滴り落ちている。どうみても試験を続行できる状態ではない。
なぜ、櫻井だけがこんなに傷だらけなのか。実力が足りていないからだ。それは目に見えて明らか。他のものと肉体強度が違う。他のものとスピードが違う。他のものと自然回復力が違う。試験を楽しむ余裕などこの男には欠片も無い。全部を絞りつくしても全然足りない。
劣っている――
全てにおいて特筆すべきものがない。
試験官三人は近づいてくる男へ何も言葉にできなかった。劣っている部分を男は違うもので無理やり補っている。消えない執念と自分の命を削り体を無理やり動かしているに過ぎない。精神が肉体を凌駕している。歩いているのがやっとな癖に着実に進んでくる。
ヤツは盾を前に岩を置いて、
「どうすればいい……」
試験官たちに問いかける。瞼を開けているのも辛いのか閉じるのを無理やりこじ開けたようにして、体はまっすぐ立っていることすらできないのか曲がっている。どうみても限界だ。
ただ、ヤツの瞳だけは死んでいない。眼光だけはいっちょ前に尖っている。目の奥に宿る意志の強さは一種の輝きを放っている。
それが獣塚に口を開かせた。
「盾にお前が持てる最大の攻撃をしろ、それが第三の試験だ」
「わかった……」
獣塚が口を開いたことで他の二人は獣塚を慌てて見た。櫻井を止めるべきだと思っている。どうみても受験を受けれる状況ではない。それにどう足掻いても受かる見込みはない。ならば、どうして試験を続行させると。
しかし、獣塚は違った。
ヤツの目が止めるなと言った意思を見せたからだ。わずかな可能性にもすがろうとする浅ましさを見せてきたからだ。
ならば、その――
お前の可能性を見てやると、櫻井を試したのだ。
男は足を引きずりながら距離を開けた。櫻井に攻撃を補正する能力はない。まだ陰陽術など使えない。だから出来ることはただの攻撃でしかなった。走って殴りかかることしか出来ないのだ。
「つっ――!」
盾がわずかに揺れた。衝撃に負けて櫻井の拳から血が流れた。殴った衝撃に負けて体は後ろに戻された。倒れないことで精いっぱいで足を踏ん張る。獣塚の歯がギリっと音を立てる。微弱な揺れ。打撃というにはあまりに音が小さく、ボロボロの体は動くことすらままならない。
タブレットを見るなり、獣塚は動き出した――
「なんなんだ……なんなんだ……」
怒りで頭がおかしくなりそうだった。希望に縋るというには浅ましすぎる。能力も何もないのなら何をしに来ている。才能も実力も無く頑張れば認められるとでも思っているのかと腸が煮えくり返る。
「お前は一体何をしているッ!?」
「落ち着きな、獣塚さん!!」
「やめろ、手を離せ、獣塚!!」
制止するが怒りが収まるわけがない。勢いに任せて胸倉を掴んでいた。この程度のヤツに期待など出来るわけもない。なのに、ヤツの目が苛立ちを募らせる。終わりじゃないと告げてくる。奥底で光を失わない。どうしようもない現実をひっくり返そうと出来るわけもないことに執念を燃やしているバカの目が怒りに火をつけてくる。
「こんな状態で何がしたいんだ――」
自分に胸倉を掴まれていながら抵抗できる力もなく、近くで呼吸すらままならなくなるほどに荒くしている。そんな状態のヤツが、
「お前はッ!」
何をしていると彼女には断罪せずにはいられなかった。
≪つづく≫
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