第148話 汚い大人である。ゲスな大人である。それでも優しい大人である。
桃缶の製作が完了して、それが工場長の手から
「ほらよ、坊主。お待ちかねの桃缶だ」
「サンキュー、おっちゃん!」
強へと渡された。
しかもそれは一つではなく、三つも。
「妹さんに早く届けてやれよ♪」
「おう!」
工場長の笑顔に強も笑顔で返す。
だが、全てが万事終わりそうな横で一人全裸の変態は、
「桃缶など……桃缶など邪道だッ!!」
執念深くも吠え続けた。
「もう五月蠅くて我慢できん……おっちゃん、帰りがてらコイツを海に沈めてくるわ……」
「坊主……お前ヤクザか……」
工場長は腰をやられ立てない変態にそっと近寄っていき、
うつ伏せに寝ている全裸男の横にしゃがみ込み顔を覗き話しかけた。
「オメェはよー、なんでそんなに桃缶が嫌いなんだ?」
「桃はあの形で完成されているのだ! それがわからんのか、この低能!!」
「桃缶じゃなくても、桃は切って食べるだろう……」
「桃は切るモノではない!! 切るなどありえない! あれは揉んで揉んで揉みしだく為にあるんだぁあああ!」
誰もが変態の発言を理解できなかった。
普通に桃は食べるものである。揉むものではない。
それを好むのはこの桃フェチ野郎だけだろう。
そう、切に願う――。
桃缶ひとすじ35年でも初めて会う変態である。
ただ35年のプライドを持って、
「オメェさんは……何を言ってんるんだ?」
なんとか絶句だけは逃れていた。
「あれは……麗らかな乙女の臀部。天女の尻。聖女のケツ。それをお前らは……」
臀部、ケツ、尻。
前にいくら綺麗な言葉を並べたところで無意味な単語の羅列。
「至高の芸術を切り刻んでいるのに……その非道な行為をなぜわからない!?」
「うんなもんわかるかッ!!」
工場長ぐらいしかこの変態を相手に出来ない。
強に至っては針を準備してとどめを刺そうとしている。
さらにその横で下っ端もシロップ缶を持って投げつける一歩手前。
変態の発想はわからないが、もう発言からわかる。
「おっちゃん、これはもう自白でいいだろう」
コイツが『桃缶遺物混入事件』の犯人であることが。
「コイツぐらいの変態じゃないと全国の桃缶を販売停止になど追い込めないと俺は理解した」
「………・…」
これには工場長も賛同しかねない。
役人に至っては性癖の吐露によりリミッターが外れかけて、
「いくらでも……続けてやるさ」
なんでも言いたい放題。
「私はあきらめないぞ、この世から桃缶が無くなる迄な!!」
「おっちゃん、ゲロったぞ。いくらでも続けるってことは前科一犯だ!」
「……」
完全に自白した役人を前に考え込む工場長に、
「懺悔の意味を込めて、」
強は役人の指を掴んで助言をする。
「小指でもつめさせるか?」
「だからよ……坊主。お前もコイツも何をされて生きていたらそんな発想になっちまうんだ……」
強は涼宮美麗に拷問されていたらこうなってしまったのは言うまでもない。
「小指の一本でも二本でもくれてやる! それでも私はあきらめないぞ!! 生まれてくる桃達を正しい形で弔うまでは!!」
「全部いくか……それとも一片殺すか?」
獣の眼光で脅しにかかる強。あくまで脅しである。
「ひぃッ!?」
さすがに殺す気はないのだが、
これ以上ほっとくとコイツは調子に乗って、
また工場長の邪魔をするであろうことが予測できたから、
「まだまだ遊び足りないようだな……」
完全に脅しモードへと切り替えた。
「な、何をするきだ!?」
強は完全に戦闘モードへと移行した。
精神を打ち砕き再起不能に追い込もうと。
「死亡遊戯、
強は歌を歌いだす。
「ももたろうさん、ももたろうさん♪」
岡山、
「おまたにつけた、金玉を」
だがどこか違うのが死亡遊戯である。
「ひとつ私に――――」
下へ打ち付けるように拳が放たれる。
「下さいなッ!!」
それは片たまの刑。一個を殴りつぶすつもりである。
役人の異常性癖に対する罰が下ろうとした瞬間だった。
「やめろッ! 坊主!!」
「なっ……おっちゃん……」
「坊主、すまん。桃缶を一個返してくれ」
「別にいいけど……何する気だ?」
工場長は桃缶をひとつ強から受け取り、下っ端へ指示を出す。
「缶切りとつまようじ持ってこい!!」
「工場長?」
「早くしろッ、ばっきゃろー!!」
「へ、へい!!」
工場長の言葉の勢いに負けて下っ端は事務室へ行き、
「持ってきました、工場長!!」
缶切りとつまようじを持ってくる。
それを手にしておっちゃんは桃缶を開け始めた。
「ほっ!」
強は手をポンと叩いた。
おっちゃんのやることがわかったからである。
開けた桃缶につまようじを大量にぶち込んで食わせる気だなと。
事の重大さを教えるために身を持って、
経験させようという職人の心意気かと理解を示した。
——さすが、おっちゃん!!
だが、違う。そんなことをするのは常人の発想ではない。
「オメェさんよ、とりあえず食ってみろよ」
「やめろ! そんなものを私に食わせる気か!!」
「いいから、黙って食えってんだ!!」
つまようじでブッ刺した桃を役人の口へと無理くりに放り込んだ。
「どうだ、
役人は口に入れられた桃の味を噛みしめた。
「………………」
その味は何か懐かしさを思い出させる。
受験勉強で疲れた体が熱を出して、寝込んでいた時の記憶――
『けほっ、けほっ――――』
冬の時期に弱った体にウィルスが入り込み、
彼をさらに弱らせる。受験までの時間がない焦りも、
ない交ぜになって心をも弱らせる。
そんな彼の寝ている部屋のふすまが静かに空いた。
『タカシ……大丈夫?』
『大丈夫だよ、かあさん。けほっ』
自分の枕元に座る懐かしい母の姿。
役人の下の名前はタカシである。
『食欲はあるかい?』
熱で朦朧とする視界と喉の痛み。
頭が割れるようにガンガンと痛む。胃が薬で荒れ、
何かを食べたいという意欲がわかない。
それでも何か喉が渇く――。
『ないや……けほっ』
『そう……かい』
そういうと母は戸をしめてどこかへと去っていった。
ほどなくして、母はすぐに戻ってくる。
『これだったら食べやすいから、お食べ』
ガラスの小皿に入れられた輝く液体とそのなかをただよう主役。
『ありがとう……かあさん』
『何か食べないと良くならないからね♪』
母の優しい気遣いに甘えるように、
タカシはフォークで桃を指して口に運ぶ。
『あま……』
『ふふ』
熱で汗をかいた体に染みわたるような味と、
母の優しさが病気の彼の心を癒す。
それが彼の桃缶の味の記憶。
病気の自分と優しい母と桃缶。
これが日本の味である。
「ううううぅ……っ」
役人の目から涙が落ちてくる。
懐かしい味と母の優しさに疲れた心が癒されたことが原因だろう。
真面目にやりすぎて疲れた心が、
壊れかけていたところに染みわたる昔の記憶。
「どうだ、桃缶も捨てたもんじゃねぇだろう?」
それが彼を異常性癖から救う味。
「私が……間違っていました……申し訳ありませんでしたっ……」
うつ伏せに涙を大量に流し、彼は初めて謝罪をした。
死亡遊戯でも折れなかった、
初めての相手の心を工場のおっちゃんの心が救った。
―—桃缶一筋35年。
彼の武器はスパナではない。
彼の本当の武器は職人の意地と誇り。桃缶こそが彼の本当の武器。
何十万文字と語られた主人公の技より、
数十行だが半生をかけた匠の技と心意気には勝てなかったようだ。
物語のトドメをさすにふさわしい一撃たるもの。
だからこそ、役人はわかってしまった。
「歩けるようになったら……警察に自首してきます」
自分の罪を――。
「自首?」
この工場長を困らせていた自分が犯した犯罪の重さがイヤという程わかってしまった。根が真面目である彼に戻ってやるべきことはこれしかないと思った。
だが、
「なに言ってやがんだ!」
「えっ?」
粋な男はバカやろうと返す。
「人間なんてどこかで間違うもんだ。低能なのよ、俺達は」
男は笑って罪を笑い飛ばす。
「次、気を付けりゃいい。何度も失敗を繰り返して、」
工場長は高卒で低能と言われる人物かもしれない。
「バカな俺達は学んでいく生きもんだから。そうやって男になっていくんだ」
しかし、彼の懐はどこまでも広い。
「一度ぐらいなら多めに見てやるってもんだ♪」
その男の大きさに打たれた、強は静かに横でうんうんと頷いた。
そして、もう一人その男に心を打たれたものがいる。
「ありがとう……ございますっ!」
役人はまたボロボロと涙をこぼした。
こうして、『桃缶遺物混入事件』は、
人知れずに終わりを迎えたのであった。
「坊主、気を付けて帰れよ」
「おっちゃん、色々ありがとな」
「こっちもありがとうだ、バカやろう!」
職人が笑って見送る横で強を見ながら下っ端は首を傾げた。
「うんじゃあ、行くかな!」
「坊主、駅はあっちだぞ!」
駅とは明後日の方向を向き、
「大丈夫! こっちの方が近いから!」
「へっ?」
強はしゃがみ込んで足に力を溜める。
「じゃあなッ!」
目の前を埋め尽くす砂塵。
「うわぁあああああ!」
「工場長ぉおおおおおおおおおお!」
それは強が現れた時と同じ現象。人間離れした跳躍が地面をえぐり、
強を空へと突き上げる。来た道を戻るように帰っていく。
「なんなんだ……あの坊主は」
「工場長!!」
下っ端はやっと思い出した。
「さっきの坊主、大晦日の学園対抗戦MVPの涼宮強ですよ!!」
「はぁ……?」
おっちゃんでも学園対抗戦がなんなのかは知っている。
異世界転生エリート学園の祭典。
それは夏の甲子園、冬の紅白と並ぶ行事なのだから、
知らない日本人などほぼいない。
「坊主……お前………」
強が消えていった空に向けて工場長は返ってこない問いを投げかける。
「涼宮強って、いうのか……」
「あぁー、写真撮ってもらえばよかった!!」
「写真? そんなもん必要ねェだろう」
「なんでですか!?」
工場長は胸を叩き、
誇らしげに語る。
「ココに刻めばいいだけだからな――――」
粋である。
「これから病院へ行くぞ」
そして、役人のもとへ戻り動けない彼を車に乗せた。
「なんでそこまでするんですか……私はあなたの……」
「だぁー、オメェはこまけぇ野郎だな!」
工場長は大人である。
「お前の人生の先輩だからだよ」
もうすぐ定年を迎えるぐらいの年の。
「後輩は黙って先輩のいうことと優しさに甘えておけ」
「…………」
こんな事件でもなければ、
役人は工場長を見下したまま人生を終えていただろう。
彼という男は学歴などでは語れないということに気づくこともなかっただろう。
「じゃあ、甘えさせてください……」
「おう」
初めて真面目でなく流れに身を任せてみた。
真面目にではなく、ルールに沿うでもなく、
その男の心意気にのっかって流されようと。
心から甘えてみようと――。
彼は心を開き車の中で洗いざらい、桃缶遺物混入事件の真相を語った。
それを工場長は運転しながらも静かに聞いた。泣き言に近かった。真面目過ぎる性格故に誰かに愚痴ることもなく、抑え込んできたものが出てしまっただけだということを理解してあげるように。
「――それが今回の事件の全てです」
「ったく……しょうもねぇな。オメェさんはよ、もっと息抜きを覚えな」
工場長は片手ハンドルでその男に語り掛ける。
「桃がそんなに好きなら、俺が連れってってやる」
「えっ?」
工場長はにやりと笑い役人の顔を見る。
「桃は桃でも、」
汚い大人である。
「ピンク色の桃の世界によ。揉むならホンモンよ♪」
ゲスな大人である。それは妻がいるのによくないが、
18禁の夜の世界へのご招待だ。
「後輩に息抜きを教えるのも先輩の役目だ」
それでも優しい大人である。
「で、後輩は黙って先輩についてくるもんだ」
自分の人生を困らせた相手だとしても、
役人を人生の後輩として導こうとしているのだから。
「……わかりました。お供させて頂きます」
役人は静かに笑う。もう逆らう気などない。
ここは黙って従おうと。
工場長の人柄に惚れこんでしまったから。
この二人の関係は長く続いてく――
彼らの関係は死ぬまでずっと続く――
どちらかが死んだとしても、
彼らの関係はデットエンドで終わらない。
心に刻まれるのだから。
≪つづく≫
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