第147話 地方公務員の性の目覚め

 針による激痛のさなか見える桃が切断される景色に、


 全裸公務員は叫ぶことをやめなかった。


「桃にぃいいいい、アアアアァァァァァ――――」


 一突きごとに意識が遠のきそうな激痛。


 的確なツボを突く一針の拷問。プス、プスと剥き出しの背中を襲う針。


 それでも彼は諦めなかった。心から桃を愛しているから。



 性的な意味で――



 彼の人生はくそ真面目である。


 公務員になるべくしてなった人生。ただ黙々と勉強を繰り返す日々。


 木の色が季節ごとに変わろうが彼は机と参考書と過ごした。


 大学に入学し専攻は農業学科。


 そこで彼の人生は若干狂う。桃に興味を持ってしまった。


『こんな……綺麗なものがこの世に存在していいのか』


 その形やピンク色に心から惹かれていった。


 そこからは研究に没頭した。大学院まで進み彼は桃の研究を極めていった。


 しかし、地頭が良かったわけではなかった。


 博士号まで行くには知能が足りなかった。


 彼はそこから公務員を目指す。


 農業にささげた大学の成果を遺憾なく発揮しようとした。


 だが、それも高い壁だった。


 国家一種になりたかったが挫折した。


 彼の知能では届かなかったのだ。


 どれだけ時間を費やそうとそこに届かない。


 そして彼は滑り落ちるのを止めるように地方公務員の職についた。


 色々な挫折はあるが一般的な人生である。


 誰もが第一志望の未来など掴めるはずもない。


 努力しても必ず報われるという保証もない。


 それに彼は、それが別に苦しかったわけではない。


 ただ、真面目に生きるだけで満足だったのだから。


 岡山の地方公務員。


 十分ではないか。何が不満がある。


 彼の人生を費やすには持って来いではないか。


 彼は真面目に務めた。


 どんな人が来てもマニュアルに沿って対応をこなしていた。


『ちょっと、うちの衛生管理が不十分ってどういうことよッ!!』

『それは……点検の結果ですので……ハイ。ぜひ、これを機に是正処置をしていただければと思います』


 ただ真面目に答えた。


 罵倒を受けながらも彼は頭を下げながら、対応をした。


『前の担当さんの時はこんなことはなかったわよ! アンタの点検の仕方がおかしんじゃないのッ!? どこに目を付けてるのよ!!』

『いえ……点検票に乗っ取ってしっかりと見させて頂いた結果でして……』

『何言ってるか、わかんないわよ! 私たちの店を営業停止にして路頭に迷えって言ってるの!! 人の税金でただ飯食っといて何様だ!?』

『………・』


 彼は顔に調理された野菜炒めがぶつけられても、ただ真面目に答える。


『点検の結果ですので……ご理解を――』


『もう帰って、頂戴ッッ!!』


 扉を閉められても、頭を下げたまま立ち尽くした。


『…………』


 ——マニュアルの点検結果だ……。


『帰れよ!』

『アタマかたぇなッ!!』

『人の話をまともに聞くことも出来ねぇのか、役人は!!』

 

 ——ボクはマニュアル通りやっている……。


 スーツが油まみれにされようとも堪えて、


 ——ボクは間違っていない…・…っ。


 真面目に職務を全うしていた。


 静かに顔に張り付いた野菜を振り払って、


 彼は次の場所へと向かう。


 傷つく心を隠しながらも生きていく。


 ただ真面目に生きたかったから。


 マニュアルや法を破ることなど出来ない人間だった。


 他の者が要領よく過ごしていく中でも、


 真正面から真面目にぶつかればよいと思っていた。


 学生まではそれでよかった。


 大学院生の時に気づくべきだった。博士号の時もそうだ。


 教授のお気に入りから漏れてしまったが故に彼は研究を続けられなかった。彼は与えられたことをこなすことしかしてないことに気づいていなかった。


 そうあるべきだと思い込んで、


 他のことにもうつつを抜かさずに来たのが間違いだった。


 ——マニュアルが……間違っているわけないんだッ!


 もっと、息の抜き方を覚えとくべきだった。


 ——アイツらが間違っているんだッッ!!


 徐々に蓄積されていく鬱憤を捨てることも、


『人の心がないのかしら!!』『この悪魔ッ!』『金かね、ウルセェんだよ!!』


 出来ないことに気づくべきだった。


 それでも八年が過ぎようとしていた。


 電車に揺られながら彼は役所へと向かう。電車が荒れた線路を超えるときにグンと体が持ってかれた拍子だった。彼の手の甲に柔らかく温かいものが触れた。


 ——なんだ……


 右手で吊革につかまっている左側。


 その手がとなりの女子高校生のやわ尻に触れてしまった。


 ただ相手も電車の揺れのせいかと思い何一つ訴える素振りがない。


 ——柔らかい…・…。


 邪な考えが浮かんだ。


 真面目に生きてきた鬱憤のつけがあらぬ方向へと向いていく。その手で触れた感触をもう一度と。うら若き乙女の尻を揉みしだきたいと。性欲へと変わっていく。

 

 ——もっと触りたい…・…。


 日々に疲れた思考に魔が差した。


 息抜きの仕方を覚えずに来てしまったが故にそれが快楽に近いものと感じる。


 イケないことをする感覚に鼓動が高鳴るのを錯覚する。


 ——ドキドキする…・…心臓が生きている!!


 今までの人生で最高にスリルがある瞬間を、


 幸福と考えるように脳内麻薬が分泌する。


 ——もう一度……尻を


 何も訴えてこない相手だからこそ、


 またと考えてしまったのだろう。


 隣の女子高校生は近づく魔の手に一向に気づいていない様子。


 ——揉んで、揉んで、揉みしだきたい!!


「—————ッ!?」


 ビックリした。


 足元に衝撃が走った。女子高生はコチラに気づいていない。


 興奮した彼の足元に何かがコロンとぶつかったのだ。


 それはどこからともなく電車の床をコロコロと転がってきた。


『あー、ごめんね。桃が落ちちゃったよ』

 

 後ろの座席のおばあちゃんが落とし主である。


『そこのお兄さん、拾ってくれないかい?』


 彼は正気を取り戻し、桃を拾いそのおばあちゃんに手渡した。


『ありがとうね』

『…・………』


 ——このおばあちゃん…・…気づいて。


 まさか、老婆に手の動きを気づかれていたのかもしれないと思った。


 自分の行為を後ろから見ていたからこそ、


 自分がし出かそうとしたことをハッキリと認識されたかもしれないと。


 止めるために桃を転がしたのかと――。


『お礼に桃をあげるよ』


 老婆は落とした桃とは別の桃を紙袋から取り出し公務員に差し出した。


『えっ……』


 それを呆けている公務員の手に乗せる。


『桃はお嫌いかい?』


 大学時代に取りつかれたように眺めていたその奇跡のフルーツを嫌いなわけがない。


 彼は自分が仕出かそうとしたことが痴漢行為だとハッキリ自覚し、


『……いいえ、好きです』


 桃を手に次の停車駅で降りた。


『俺は何やっているんだ……』


 彼は桃をもみもみと揉みしだいた。


 先程のやわ尻の感覚を思い浮かべつつ、


 これでもかと丁寧に桃を触り続けた。


『あー、心がやすらぐ……お前が俺を救ってくれたんだな……』


 その手に握られた桃を愛でるようになった。


 そして、心から愛するようになった桃を。


 さらに女子高生の尻と同じように扱うようになってしまった。


 老婆心が棄却された。桃への変態性癖が目覚めてしまった――


 真面目に生きてきたからこそ盛大に道を踏み外す。


 古今東西色んな桃を収集し始めては触って性的興奮を覚えた。


『やばい、やばい、桃! モモ、ヤバイ!』


 お前の頭がヤバいと誰も言ってくれなかった。


 だからこそ、異常性癖は加速の一途を辿った。



 そんな、ある日――


 彼はスーパーに桃を買いに行った。


 ストックが切れてしまったのだ。


 カビが生えたり、触りすぎてブヨブヨになってしまった。


 そこで事件は起こる。


『桃がない……』


 彼のお目当ての桃がなくなっていた。


 そこに聞こえるレジからの声。


『わりぃな! 桃を全部売ってくれ!!』

『あいよ』

『いやー、助かったぜ。発注ミスっちまって、』


 その声の主は工場長のおっちゃんであるが、


『在庫ないから桃缶を作れなくなるところだったからよ!』


 この時は気づいていなかった。


 男は呆然と立ち尽くした。


 ——モモが…・…。


 桃の買い占めにあった怒り。

 

 ——殺される…・…。


 さらにはそのフォルムこそが大事なのに切り刻んで缶に詰めるという愚行に対する憎悪。男にしてみれば、女子高生の尻を裁断してホルマリン漬けにしているようなもの。

 

 ——許せんッ!!


 彼の気は狂った――。


 そこから彼は仕事と偽り検査をするフリをして、


 工場で桃缶に異物を混入していく。


 さらに休みの日には遠征してスーパーを襲撃する。


 だが、それは誰にも気づかれることはなかった。


 なぜなら彼の能力は――『透過』。


 監視カメラの精度でも針一つであれば画像が荒くて映らない。


 防犯理由でもそこまで解像度が高いものは汎用的に出回っていない。


 そして、ニュースになる。


 全国の桃缶を陥れる――



『桃缶遺物混入事件』へと




≪つづく≫

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