第133話 初めての恋が終わった日

 少女は雪の降る中でただその場に立ち尽くしていた。


 言葉に出来ない思いを胸に抱き通り過ぎては、


 消えていく白い線に何も感じず。


 その場で彼を傷つけないように作った


 笑顔を崩さずに——。


「…………」


 彼の姿が消えても、ただじっとそこに立っていた。


 動いてしまえば何もかもが終わってしまう気がした。


 もしかしたら、


 彼が戻ってきてくれるかもしれないと淡い期待もあったのかもしれない。


 ココを動いてしまえば、何かが動いてしまう気がした。


 彼の言葉が、意味を持ってしまう気がした。


 ココを動いてしまえば……


 受け止められない想いが、


 其処に落ちては消えてしまうかもしれないから。


「…………っ」


 それが怖くて、嫌で、そこから動けなかった。


 けど、期待などしても、どれだけ待っても来ることはない。


 その事実が変わることはないのだと少女は吐息を零す。


「はぁーあ…………」


 上を向いて小さくやるせない想いを零した。


 どれだけ待っても答えが出ないことに静かに空を見上げた。


「…………」


 照明の光を吸い込み輝く白い点が斑に浮かびあがる黒い空を。


 空に浮かぶ、月がぼやけて見える。


「ふられちゃった……な……」


 何一つ出来なかった後悔。


 思いを告げることすら叶わない拒絶。


 けど、それでもわかっていたから。


 笑顔を作るしかなかったから。


 彼をこれ以上困らせないように——ソレしか少女には出来なかったから。


 言葉を出してしまえば、


 きっと想いが零れて彼を傷つけるしか出来なかったから。


 雪に浮かぶ想い人を見ながら、微笑むことしか出来なかった。


 それに、櫻井も美咲に向けて、




 優しい笑顔を作っていたから。




 少女は笑顔を作った。分かりたくなくても分かってしまう。



 何も言えなかった。


 怒ることも、泣くことも、想いを叫ぶことすらも。


 彼が自分を傷つけない為に突き放したことも分かってしまったから。


 通じ合ってしまったから、答えが重い。


 『俺には忘れられない……人がいる』


 ——そんなこと分かってますよ…………。


 ——それがどんな人かも知らないですけれど………っ。


 ——私だって……分かってます………よ。



 


「私、じゃ……………」


 彼女の頬の熱に雪が溶かされ水となって流れ落ちた。


 ——ないことぐらい、分かってます。


 まるでそれは泣くことが出来ない彼女の代わりに涙を流す様に。


 ——それでも………ッ。


 彼女の頬にいくつもの雫を作っては形を変え下に落ちていく。


 少女が別にこの結末を想像していなかったわけではない。


 知っていた。櫻井には、



 想い人がいることを――



 それでも、それでも――





「————ダメですか」




 抱いた想いが消えないのだから、どうしようもない。


「せん……ぱいっ……」


 好きだった。初めて誰かを好きだと思えた。


 どうしていいかもわからずに、それでも頑張ってきた。


『俺は美咲ちゃんとは付き合えない』


 彼女の初めては終わってしまった。


 答えは彼がくれた。


 彼女が初めて好きになった人が告げた答えが、


 恋の終わりだということが切ないくらいに——わかった。


「………………ッ」


 彼女は向きを変えて歩き出す。


 十数メートル先の我が家へ。


『君が俺を好きなのも知っている。何度も触れてわかってるから』


 初めての想いを自分の口から伝えることも出来ず。


『大晦日の日に触れた時から実は知っていたんだ』

 

 それが優しさからだと知っていても、


『だから、美咲ちゃんの想いに応えることはできない』


 残酷なほどに心をかき乱す。


 ――いたい……


 胸の痛みを我慢して走り出す。


 ――痛い、痛い


 扉を走ってきた勢いそのままに強く開け、


 靴を脱ぎ散らかしドタドタと階段を上がっていった。


「美咲ちゃん……?」


 その音を聞きつけリビングで夕食を待っていた強は上に上がっていく。


 美咲の帰りが遅いの心配していたのもあり、


 何かあったのか思いながら静かに美咲の部屋へと向かった。


 美咲は自分の部屋の電気もつけずに布団へ飛び込み包まる。


 まだ処理できない初めての痛みが時間が経つごとに大きくなるのを堪えようと強く布団に抱きついて紛らわそうと無駄な行為をしている。それで何かが変わるわけでもないのに、どうにか痛みを消そうと。


「美咲ちゃん、どうしたの?」


 扉越しに会話を交わしたみたが、


「美咲ちゃん……?」


 少女からの声は返ってこなかった。


「おーい、美咲ちゃん……?」


 扉を叩こうとしたところで強の携帯が音を鳴らした。


 強は携帯を取り出した。

 

 なんとなくそれが誰から来ているかわかってしまったから。


『今日は体調悪いからもう寝る。お夕飯作れなくてごめんね』


 それは美咲からのメッセージ。


 強の携帯には美咲と櫻井の番号しか入ってないからすぐにわかった。


 強は携帯を片手にしたまま扉の前で声を掛ける。


「美咲ちゃん……体調悪いなら俺がご飯買ってこようか?」


 また携帯が鳴った。


『大丈夫、食欲もないから』


「なんで携帯で連絡してきてるの?」


『喉が痛くて声が出ないから』


「そっか……早く寝なよ。もし具合悪くてキツイとか、何か飲みたいとかあったらお兄ちゃんにすぐいいなよ。飛んでかけつけるから。美咲ちゃんの為なら、お兄ちゃん何でもするから」


 その声が届いた少女は指を震わしながら兄に連絡を送る。


『お兄ちゃん、ありがとう』


 強は携帯をしまって静かにリビングへと戻っていった。


 その足音が遠くなっていくのを確認して


 美咲は枕に顔をうずめた。


 ――痛い、痛い痛い痛い……痛い……痛い……


 自然と小さな体が震えた。


 声が出ないように力いっぱい枕を顔に押し付けて、涙をぬぐいつけた。その声が外に漏れないように。その痛みを誰にも知られないように。その伝えられなかった想いを一人で飲み込もうと戦う。


 ——なんで……なんで出てくるんですか。なんで消えてくれないんですか……


 一瞬で忘れられたらどれだけ楽だろう。


 思い浮かべなければどれだけ楽なんだろう。


 それでも彼女は思い描いてしまう。


 あまりにも近くにいたから。その男の傍にいたから。


 枕で潰そうと強くしても瞼の奥に焼き付いて浮かび上がる


 ——せんぱいっ…………


 櫻井の優しい笑顔を——。



 兄は妹を心配しつつも何が起きたのかも知らずに、


「美咲ちゃん……」


 玄関に脱ぎ散らかしてあった美咲の靴を整え、


「大丈夫かな……」


 自分の夕食を作る為にカップラーメンにお湯を注ぐ。


 強は何も知らない。


 美咲の好きな人を知らない。大事な妹の失恋を知らない。




◆ ◆ ◆ ◆




 東京の空に白い光の球体が一瞬現れ輝き消えた。


 それに反応を示したのは、


「誰かが……呪術を使った」


 藤代万理華だった。


 藤代の住んでいる場所から遠い遠い地で、


 何者かが大規模な呪術を使った気配を藤代は感知した。


 その発信地。


「あー、ダメだ。失敗しちゃった……」


 薄暗い森の中でパーカーを着た小さな少年が一人で両手に腹話術の人形を付けて喋らせる。片方はあくどい顔をした男の人形。もうひとつは三角帽子をかぶった女の人形。


 女の人形が心配そうな声を上げた。


「帰ったら、リーダーにきっと怒られちゃうよ」


 男の人形が心配すんなと女の人形に語り掛ける。


「大丈夫、大丈夫。あのリーダーだぜ。リーダーはこんなこと気にしない。だってあのリーダだからな」

「そうよね。リーダー気まぐれだから怒らないかもね」

「そうだ、そうだ!」


 少年は人形の会話に無言でウンウンと頷いて、


 満足な笑みを浮かべその場所を後にする。


 東京都八王子市の森。その場所は旧国立第八研究所の跡地。


 少年は目的を達成できなかったが、


 二体の人形を腕に付けたままその場を立ち去って、闇夜に消えていく。 


 その失敗の結果を持って——



 奥多摩のアジトへと戻る為に。



≪つづく≫

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