第82話 1993年火神恭弥の過去 —何もかもがアホらしい―
犬の様に息を切らし買い物袋を揺らして、火神恭弥は雑踏を駆け抜ける。夏期講習の授業を終えて向かう先は太陽が差す方角。毎日のように心が躍る方へと彼は走っていく。
「オロチさん、晴夫さん! アイス買ってきましたよ!!」
「おい、火神……」
「なんですか、晴夫さん? あれ、オロチさんは?」
ダボダボの作業服を上半身だけ脱ぎ、タンクトップで出迎える晴夫は
「お前は順番を間違えている」
「順番?」
火神を睨みつけていた。
気に食わないことがあると言わんばかりの態度を表にだす一個上の男。
「オロチさん、晴夫さんではない……晴夫さんとオロチだ」
「…………」
「もう一回言うぞ。晴夫様とオロチ」
「……………」
晴夫が名前を呼ぶ順番を訂正するよう促すが、
火神は頭を右左に振ってオロチを探していた。
その姿に我慢を知らぬ男は飛び掛かる。
「テメェ、火神!! なに無視してんだッ!!」
「言ってることがちっさいんですよ!」
火神は晴夫に対して反抗的な態度をとるようになっていた。
今まで誰かに歯向かうなどなかったが晴夫のアホさ加減に少しずつ感化されっていっている。オロチ曰く、晴夫に毒されてきたということらしい。そして、火神は卍固めもといいオクトパスホールドを晴夫から受けて痛めつけられていた。
「イタ、イタタタアタ!」
「お前、ここは誰の家だと思ってる? 家主を抜いて、人んちをラブホにして金も払わないあのチンゲパーマを敬うとはどういうことだ? あぁん? 火神!?」
「晴夫さんも不法占拠みたいなもんでしょうがッ!」
「これは譲りうけているんだァアアア!!」
口答えする火神に完全に決まった関節技の威力を上げた晴夫。
ボゴッというしてはいけない関節音と
「アッガァアアアアアアアアアアアアッ――」
火神の悲鳴が廃工場に響き渡った。
「あぁー、火神のせいで汗かいたわ………」
腰を痛めた火神を他所に持ってきた買い物袋からアイスを取り出しそれを三段に積み上げられたタイヤの上に座り頬張る晴夫。オロチはこの時バイトをしていて不在である。残されたのは地面に倒れているもやしと晴夫だけの空間。
「晴夫さんは、なんでいつもいきなり攻撃するんですか!!」
「火神が口答えをするからだ」
「質問に答えてるだけなのに!」
「テストだって答え方が間違ってれば不正解で減点されるだろう。それと一緒だ」
「それを横暴だって言ってるんですよ!!」
「きゃん、きゃん、うるせぇな」
晴夫は吠え続ける火神に困りながら、
「とりあえず――」
買い物袋をゴソゴソと言わせた。
「これでも食って頭冷やせ」
火神の手元にアイスが投げこまれた。
「おわっ」
だがそれを手に火神は晴夫を睨んだ。
さも自分のものように自然と扱うさまにカチンときた。
「これ俺が買ってきたやつじゃないっすか!!」
「お前のものは俺のもの。俺の物は俺の物。世界で一番偉いのは、この俺様だ」
「このジャイアン!!」
「とりあえず、食えって言ってんだろう!!」
「ウワァアアア――」
「ホラホラ、少しは頭冷えたか?」
「アゴ、ツメ、カハッ――」
無理やりアイスの棒を口に押し込まれ火神は冷たさと痛さに身もだえる。
晴夫という男は俺様至上主義。
何かもが自分の思い通りになると思っている節がある。さらに言えばマイペースの度合いが人の想像しうる限りの3割マシで襲ってくるような男。
火神如きでは遊び道具にされて終わりである。
一通り小ばかにいじめられ火神は、
工場の隅で段ボールを机代わりにして勉強を始めだした。
これ以上晴夫とじゃれていると一方的に痛めつけられてしまう。
「まったく、なんでオロチさんも」
なぜこんな傍若無人な晴夫と一緒にいるのか、疑問が口を出た。
火神の中でオロチは紳士的なイメージを持っていた。
何よりも晴夫よりモテるし断然カッコいい。
どっちになりたいと問われれば、
即答でオロチ一択を取れるほど火神の中で答えは決まっている。
そんな不貞腐れる火神の横で上からタイヤをつるして、
サンドバック替わりにしているものを叩きつける轟音が耳を襲う。
「まったくもって……うるさい」
「左を制すものは世界を制す!!」
格言を放ちつつ軽やかなステップでタイヤをボコボコに殴っていく晴夫。
その音が勉強の邪魔になっているのも気にせずに男は続けていく。
「俺のパンチは世界一だ!!」
「……馬鹿さも世界一だ」
ボクシングなんてやってもいないし憧れてもいないくせに、
楽しそうにタイヤを殴る晴夫に、
ボソッと聞こえないように火神は愚痴をこぼした。
晴夫という人間は火神から見れば得体のしれないUMAのような存在に思えて仕方がなかった。
ツチノコやネッシーのような意味不明な生物。
人なのか霊長類なのかも疑わしい人型の不良。
普通の学校生活を送っていたら会わなかったであろう人間であり、一緒にいる時間が長ければ長い程分からなくなる。過去を知れば知るほどどうやって生きているのかも理解に苦しむの様な存在。
火神が知っている晴夫の生い立ちは孤児から始まる。
コインロッカーベイビーという捨て子。
そこから孤児院に行き、僅か七歳にして脱走して一人で生きて暮らしている。
生活資金はと言えば、カンパで生活が成り立っているということも知っている。
学校の後輩や同級生、先輩たちからの食糧支援やご近所からの差し入れなど。
火神には何故かわからないが晴夫の周りには人が集まってくる。
この廃墟も譲り受けたものだということは聞いている。倒産する会社の社長が何故か晴夫を気に入り場所を残して去っていた。それを家として勝手に使っている。登記簿の登録などもちろん行っているわけもなく、さらに言えば戸籍すら無いし住民票もない。
そんな暮らしを営む人間を未確認生物と言わずに、
なんと言えばよかろうかと火神は日ごとに思う。
「なぁーに、火神ちゃん? 不貞腐れてるの??」
いつのまにか横にいて頬をつんつんと突く、
晴夫に火神は怪訝な視線をぶつける。
「お前は勉強ばっかりしてるから、そんな風になっちゃうんだぞ」
「晴夫さんは将来のこととか考えないんですか?」
火神からして見れば晴夫の発言はまともな発言ではない。
「いっぱい考えてるぞ。プロボクサーとかプロレスラーとか、ほかには総理大臣ってのもあるな」
「晴夫さんが総理大臣になったら速攻戦争しそうだからやめて下さい」
「歯向かうやつはぶっとばせってな! いい国作ろう、これから日本!!」
「鎌倉幕府ですよ……勉強してないからそうなるんですよ」
「お前は本当に口うるさいやつだな」
会話が成立しているのかもわからないふざけたやりとりに火神は少しだけ微笑みを返した。晴夫といると全てがアホらしくなる。何もかもが間違っているが故に錯覚する。
自分も間違っていると。
そのせいで火神は晴夫を嫌いにはなれなかった。
「勉強なんてものは」
晴夫がおもむろに火神のバックを漁り紙を取り出して扇風機の電源を付けた。
「こうやって使う為にあるんだろう!」
慌てて止めようとしたときには遅かった。
「ちょっと晴夫さん!!」
「どこまでも飛んでいけ~♪」
飛行機の形におられた夏休みの課題のプリントは、
扇風機の風にのりどこまでも遠くへと姿を消していく。
「あぁ…………ぁあ」
火神はそれを悲し気な目をして見送った。
「ちょ、晴夫さん……」
「結構飛んだな、にっしっし♪」
横を見ると晴れ晴れとした顔の晴夫がいて、
「飛んでますよ……回収できない程に遠くにね」
火神はもう一度宿題のプリントが飛んで行った方を見て笑みを浮かべた。
「宿題が飛んでちゃった――」
この男の隣にいると将来などがアホらしく思えて仕方がなかった。
≪つづく≫
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