第81話 1993年火神恭弥の過去 —いつの間にかそれが日常に―

「お前ら受験生にとって、この夏は貴重な時間だ。ここで遊ぶ奴はアホだ。夏を制すものが受験を制す。一分一秒を惜しんで勉強に励め。夏休みであるが休みではない。これは戦争だ」


 教室の浮かれた空気を引き締めるように、


「手を抜いて痛い目を見て敗戦したくなければ、勉学に邁進しろ」


 進学校の担任は締めくくる。


 中学三年生の夏は彼らにとって貴重なものだった。


 それは火神にとっても。


 急いで学校鞄に教科書など詰め込んでいく。気持ちはもう学校になどない。一刻も早く時間を確保したい。大量に出された宿題のプリントが鞄を圧迫してつっかえる。


「くそ、くそ――」


 くしゃくしゃにしながら押し込みながらも目は輝いていた。


 夏休みというのは学校という時間がなくなる分、


 自由な時間となる。


 一日の半分以上の時間を取られていた日常が思いのままになる。


「急げ、急げ」


 照り返すアスファルトの上を鞄を抱えて走っていく。


 額から流れ落ちる汗を拭うことも忘れ、


 足音は一定のリズムを刻みかけていく。


「もう少し、もう少し」


 目指す先は決まっていた。


 心の導かれるままにあの場所へアイツらに会いに行く。


「お邪魔します!」

「おっ、火神」


 自動車の整備工場あとちでうだるような暑さに負けている男が、


「あちぃな……」


 工業用のオレンジ色の扇風機を前にタンクトップで出迎えた。


「アツいっすね!」

「お前は汗だくで、なぜそんなに元気なんだ? とりあえず、扇風機にあたれよ」

「ハイ!」


 工業用の扇風機の風量は家庭用とは比べ物にならない。


「涼しいですね………」

「これなきゃ死ぬぞ………まじで」


 汗ばむ体一気に風を吸い込み体を冷やしていく。二人で並んで扇風機を前に座り込むが火神の目は輝きに満ち溢れているのに対し晴夫の暑さにうなだれた様子を浮かべていた。


「晴夫さん、オロチさんはどこにいったんですか?」

「アイツは今ラブホ中だ。この暑いのによくやる」

「またっすか……今度はどんな子だったんですか?」

「今度は女子大生だとよ。アイツのどこがいいのかサッパリわからん」

「いいな……」


 羨ましそうに二階を見る火神に怪訝な視線をぶつける晴夫。


「もし火神、お前が女だったとして」


 そこで晴夫は思いついたように質問ぶつけた。


「付き合うなら俺とオロチどっちがいい?」

「それは断然オロチさんっす」

「死ね!」

「イタァアアアアアッ!」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃が火神を襲った。


 割れそうなくらい痛む頭を抱え込み床を転がり悶絶する。


「もう一度だけチャンスをやろう」


 火神に向けて晴夫は再度質問をぶつける。


「付き合うなら俺とオロチどっちだ?」

「オロチさんっす!」

「テメェ、火神!!」


 涙目になりながら反抗的に火神は晴夫に答えを返した。


「待てこらッ!!」


 火神を追いかけまわし捕まえてヘッドロックをかます晴夫。


「いた、イタタタタタ――」

「どうだ、圧倒的に俺だろう?」


 二階でお楽しみ中のオロチを他所に、


「こういう暴力的なところがダメなんです!!」


 下は下で仲良くじゃれあっていた。


「すぐそうやって暴力に訴えるんだ、晴夫さんはいつもいつも!!」

「ここまで優しくじゃれているのに……火神お前というやつは……恩知らずだな」

「クマが人間襲っているのにじゃれてるって言わないですよ!」


 右腕で頭をガッチリ決め、


「痛い痛い痛い痛い――!」


 左拳でこめかみを強くぐりぐりと摩擦する。


 あまりの痛さに火神の目から自然と涙が零れ落ちていた。


 だが、それすらも火神にとっては楽しい時間だった。こんなに燥ぐようなことは学校ではなかった。それが自然といつのまにか晴夫と行われている。


「お前ら、なにクソ暑いのに男同士で体くっつけ合ってんだ……暑苦しい」

「オロチさん、助けて下さいぃい!」


 必死に助けを求める火神を他所に、


 何あれとクスクス笑う女を気にすんなと言って見送り手を振るオロチ。


 帰ってきて扇風機の前にドカッと座り二人を眺めていた。


「オロチさん、オロチさん、オロチさんんん!」


 それに救いを求めるようにヘッドロックが決まったままの状態で、


 火神は腕を伸ばし助けを求め続けていた。


「火神、今日は随分とくんの速いな。まだ二時だぞ」

「夏休み入るから早く学校が終わったんでそのまま来たんですけど……そしたら晴夫さんに捕まって、アイタッタッタッタ――!?」

「俺に暴言を吐いたがために、西遊記の悟空のように輪っかで頭をしめられているってこった」

「晴夫に会話を試みるなんて……相変わらずアホだな火神は」

「ギブです、ギブですって! 晴夫さん!! ホントタンマです!」


 出会ってから二か月近く日が経ち、三人で過ごすのも日常に近いものとなっていた。足しげく塾帰りなどに通い続ける火神を後輩の様に扱いからかって遊ぶのが普通の光景。


「いつもいつも、痛いんですから!!」


 晴夫がヘッドロックを外すと火神は泣きながらに訴える。


「本当に痛いんですからぁああ!!」 

「お前が空気を読めないKYなのが悪い。俺は一度チャンスを与えたのに、お前が回答を間違うからこんなことになる。嘘でも俺と答えておけばこんなことせずに済んだのに」

「馬鹿力! 野蛮人!!」


 泣くほどの痛みから口を出たのは晴夫への罵倒だった。


「ほう……まだ空気を読めないようだな」

「やめ……やめてぇえええ!」


 晴夫に両足を抱えられ逆エビの体制で火神はもがき続ける。


 それにオロチはクスクス笑い平穏を楽しむ。


 それが夏の始まりだった。



≪つづく≫

 

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