4‐10

身体に受けるであろう衝撃を覚悟して、ショパンはぐっと目をつぶった。

下はやわらかい芝生だが、ここは5階。受け身をうまく取れたとしても、怪我をしないわけにはいかないだろう。

せめて脚を守れれば。頭ではそう考えながらも、ショパンは無意識に両の手を守るように身体を丸めていた。


「フレディっっ!!」


聞きなれた声が頭上で響いた。

それと同時にショパンの身体は薄緑色の膜にふわりと包まれ、すんでのところで彼は地面との激突を免れることができた。


「全く君ってやつは……無茶をするなといつも言っているじゃないか」


「ふっ……フェリックス!!」


安堵の笑みを見せながらメンデルスゾーンが降り立ち、ショパンに手を差し伸べる。

ショパンもにやりと頬を緩め、頼もしい同僚の手をぐっと握った。


「ずいぶんと長い休暇だったな。もう少しで顔をわすれるとこだったよ」


「そうかい? 僕としてはもう少し、小麦色の肌をした美女たちと戯れていたいところだったんだがね」


やれやれとわざとらしく天を仰いでみせるメンデルスゾーン。そして、視界に入った悔しそうな表情のリストに気づき、目を細めた。

ショパンもその様子を見て、目線を上に向ける。彼と視線がぶつかった途端、リストはまた能面のような笑みを浮かべ彼に向ってひらりと手を振って見せ、そして窓辺から姿を消した。


(俺には余裕の笑みってわけね……)


再び神経を尖らせ、思わず舌打ちを打つショパン。


「リストだけかい? 君を襲ったのは」


メンデルスゾーンの問いに、彼は苛立ちを隠さず吐き捨てるように答えた。


「いや、ほかにもいたよ。沢山な。先導してたのはあいつのようだったが」


全く嫌われたもんだ、と乾いた笑い声をあげるショパン。メンデルスゾーンは心配そうに彼を見やったが、残念ながら元気づけていられる時間はなかった。メンデルスゾーンが言った。


「とにかく他のリューリスを探そう。先生マエストロのことも心配だ」


ショパンはその言葉に怪訝な顔でメンデルスゾーンを見た。


「おい、それ……もしかして、ここだけじゃないっていうのか? 他の場所でもこんなことが?」


「おそらく。現に僕たちはここにくる前に、商店街の人たちに襲われた。

どうも僕たちが気づかない間に、良くないことがあったみたいだね」


淡々と説明しながら、メンデルスゾーンは固く口元を引き結んだ。普段は滅多に感情を乱さない彼が、怒りを抱えている証拠だった。翼を広げ、ショパンを脇に携えながら空へと舞い上がるメンデルスゾーン。そして、視線は空に浮かびながら待つルイとワーグナーに向けたまま、彼はそっと口を開いた。


「ひとつ、聞いてもいいかい?」


「……なに?」


「どうして、『アーマ』を使わなかったんだ。

少々荒っぽくはなるかもしれないが、生徒達を危険に晒すことなく隙を作ることもできただろう?」


沈黙。

メンデルスゾーンはじっと待った。繊細なショパンにとって、答えることも苦しい問いであろうことはなんとなくわかっていた。少しして、ショパンが掠れた声で言った。


「使わなかったんじゃない…………使えなかったんだ。

セルゲイが……僕の弟子がいたから……」


溢れ出る言葉を押さえるように、ショパンは震える手で顔を覆った。セルゲイ・ラフマニノフは、ショパンの愛弟子だった。

自分を捕らえようと迫る、憎しみに満ちた空虚な顔。その愛弟子の顔が、ショパンの瞼の裏で徐々にある少女の顔へと変わっていく。


(ジョルジュ……)



それを知ってか知らずか、メンデルスゾーンがそっと詫びの言葉を口にした。意識して深い呼吸をしながら首を振るショパンを気遣わしげに見て、彼は再び口元をきゅっと引き結ぶ。ラフマニノフがショパンを攻撃するほど憎んでいるとは到底考えにくい。それくらい、深い信頼で結ばれている師弟なのだ。


(まさか、誰かに操られているのか……?)


だとしたら、誰に?

脳裏に忌まわしい名前が浮かぶ。メンデルスゾーンは必死でそれを打ち消したが、不穏な胸のざわつきがそれを否定していないことにも、彼は気がついていた。

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