十三話



 テーブルの上には、すでに夕食が用意されていた。野菜炒めに味噌汁、お新香といった簡単な料理だった。

「遠慮せず召し上がって」

 歌蝶は那由多に笑みを浮かべたが、口元は引きつっていた。やはり、歌蝶もイナリの事が心配なのだろう。

「いただきます」

 典晶は野菜炒めに箸を延ばした。ハロも「美味しい」と良いながら、パクパクと野菜炒めとご飯を口の中に掻き込んでいく。見た目からは想像できないがさつな食べ方に、典晶だけではなく、歌蝶と典成も苦笑いを浮かべている。

「すいませんね、このバカ天使は礼儀知らずで。ハロ、夕食をいただいたら、帰れよ」

「分かってるわよ。あっ、このお新香、私好みの味だわ」

「ったく、せめて行儀良く食べてくれ」

 そう言う那由多は、綺麗な箸使いで食事を進めていく。

 皆が黙々と食事を摂り、一息ついた頃、典晶は気になっていたことを尋ねた。

「母さん、常世の森っていうのは、イナリが生まれたところなの?」

 典晶の言葉を意外と思ったのだろう。歌蝶は箸を止めて「そうよ」と頷く。

「沢山の女神や仙狐、神々やモノノケの住まう魔性の森」

「魔性の森って、怖そうなネーミングだね」

 典晶は笑うが、誰も笑う者はいなかった。

「そうよ。常世の森は理性的な神々とは違い、妖怪の類が多く生息するの。典晶も会った事があるかしら? 神々のように突出した力は無いけど、人間が足を踏み入れたら、たぶん、生きては帰ってこられないわ」

「そうなんですか……?」

 典晶は那由多に尋ねる。那由多はご飯を咀嚼しながら、無言で頷く。お茶で喉を潤した那由多は、改めて典晶に向き直った。

「典晶君、高天原商店街にいる神様、奴等は異端だ」

「日本の神様はみんな人間臭いからね。私達の所は利害が一致しなければ、人間を殺す事だって厭わないし」

 ポリポリと、ハロがたくあんを噛みながら話す。

「ええっ?」

「そうだな。西洋の神や天使は、利害関係がハッキリしている。仲間内なら兎も角、人間相手に情で動くような事は無いだろう。俺が召喚するときだって、時間で賃金を請求してくるような奴らだから。ミカエル達、四大天使はまだ人情味に溢れているけど、他の天使達は、人間が苦しむ様を見て楽しむような奴らだ」

「メタトロン様やサンダルフォン様はそんな事無いでしょう? 誰に対しても優しいじゃない」

「アイツ等二人は元が人間だったからだよ」

「ぶー」

 意外だった。神様とは何があろうと人間の味方だろうと思っていた。実際、八意にしろ、月読、素戔嗚は典晶の言葉を親身になって聞いてくれていた。神様と言うよりも友達のような感覚。それが、典晶が抱いた高天原の住人達の感想だ。

「そうなんですか……皆がみんな、人間の味方って訳じゃないんですね」

「ああ」

「典晶君、私は典晶君の味方だからね!」

 ハロはそう言うが、複雑な心境だった。

「典晶、本当にイナリちゃんを迎えに行くの? 私としては嬉しいけど。かなり危険よ」

「父さんも嬉しい。かなりな。と言うか、迎えに行って宇迦さんの機嫌を直してきてくれ」

 典成の言葉は無視だ。歌蝶に問われ、典晶は言葉に詰まった。咀嚼していたご飯を飲み込み、お茶を飲んで気を落ち着ける。箸を置いた典晶は、姿勢を正して歌蝶を見つめた、

「………うん。行こうと、思っている……」

「行ってどうするの? イナリちゃんは、貴方との考え方の違いを気にして帰って行ったのよ? 説得してどうこうできる問題でも無いわよ」

 ピシャリと歌蝶に言われ、典晶は俯く。

「どの面下げて迎えに行くの? 今まで散々言い寄られても拒否していたくせに。いざ、離れていくと、今度は尻尾を振って追いかけるなんて」

「ぷぷ、イナリちゃんと違って、典晶君が振る尻尾って言ったら、前についている……」


 ゴンッ!


 ハロが茶茶を入れた瞬間、那由多が無言でハロを殴り倒した。

 悶絶するハロを見て、典晶は少し抱け緊張がほぐれた。

「謝りたいんだ……。俺、知らずのうちにイナリに負担を掛けていた。結婚とか、そう言った話を抜きにして。俺はイナリを傷つけた。一言、イナリに謝りたいんだ。これは、二人の問題だからさ。イナリだけが悪いわけじゃない。俺も、イナリを理解するように努力しなきゃいけないんだ」

「常世の森は、人の身ではきついぞ。と言うか、死ににいくような物だ」

 典成は腕を組む。

「父さんが行っても、宇迦さんに殺されるのは目に見えているし……」

 首筋をポンポン叩く典成。歌蝶はわざとらしく目頭に袖を当てる。

「あなた……私を置いて逝かないで……」

「歌蝶、致し方ない。息子の不始末は、親がとるべきものだ。命を持ってしても」

 よよよ……と嘘泣きをする歌蝶を見て、典晶は溜息をついた。

「ごちそうさま……」

 困り顔の那由多に肩を竦めた典晶は、食べ終えた食器を持って立ち上がった。



 チリンッ……


 夜叉ヶ池から吹く風が風鈴を鳴らす。

 ボンヤリと縁側に座ったの典晶の隣に、湯上がりの那由多が立つ。

「那由多さん、今日はありがとう御座いました」

「袖すり合うも多生の縁っていうだろう。救える命が救えたんだ。良しとしよう」

 那由多は横に座る。


 リンッ……リンッ……リンッ……


 蛍の舞う庭。蛍の演舞に、鈴虫がリズムをつけている。

「本当に、常世の森にいくのかい?」

「はい……」

「そっか……。ま、仕方ないよな。俺たちとイナリちゃんは、何もかもが違う」

「すいません」

「謝る必要は無いよ。君は、人として当然のことをしたまでさ。その事で、イナリちゃんは俺たちとの違いに傷ついたかも知れないけど、それは、必要な痛みだ。遅かれ早かれ、この問題にぶち当たる」

 「だろ?」と、那由多は優しく微笑んでくれた。

「常世の森までは少し歩く。今日は早めに寝よう」

「はい。素戔嗚が行きたがっていたけど、那由多さん一人で大丈夫ですか?」

「典晶君は、素直だね。まあ、そこが君の美徳かもしれないけど。素戔嗚の性格は、大体分かるだろう? アイツがいたら、余計な問題を起こすに決まっている」

「そう、ですかね……。いや、そうかもしれませんね」

「そうそう、アイツは邪魔だ。俺と、典晶君、文也君の三人で十分だろう。流石に、常世の森で出会う連中を無限獄に送るわけにはいかないけどさ。今回は、俺たちが異端者、イレギュラーな存在だからさ」

「文也もいて大丈夫でしょうか? 文也も、かなり空回りする奴だから」

「仲が良いね、君は。でも、文也君も連れて行くしかないよ。なんたって、嫁入りには伊藤家の協力も必要なんだから。典晶君の出自を知って、それでも変わらない友情を注いでくれる、文也君や美穂子さんみたいな友達を、大切にしてやって」

「はい」

 典晶は笑った。那由多も涼しい笑顔を浮かべる。

 夜空は晴れ渡り、無数の星が瞬いていた。

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