十一話

「イナリちゃん、何も言っていなかったけど、かなりしょげていたぞ」

 典成に言われなくても、イナリがどんな表情で宇迦に連れられていったかは想像が付いた。そして、その表情を思うと、胸がまた苦しくなる。

「イナリの住んでる場所は、ここから遠いの?」

 典晶は顔を上げ、宇迦を見る。胸の苦しさの原因は分かっている。それを取り除く方法もだ。それに、嫁入りの件はまだ終わっていない。宝魂石集めも終わっていない。イナリが止めるというのならそれでいいが、このまま話もしないで終わりというのは、典晶は納得できなかった。

「怒っているのは、宇迦さんなんだよね? イナリは怒っていないんだよね? 俺に呆れているかも知れないけど、まだ、終わりじゃないよね?」

「それは、典晶次第ね」

 歌蝶はニコリと言うが、その横にいる那由多は重い溜息をついた。

「あの宇迦之御魂神は、厄介だよ典晶君。力の面でも、性格の面でも、凶霊よりもずっとずっとね」

「…………」

 典晶は頷く。宇迦が一筋縄でいかないのは百も承知だ。だけど、話して分からない相手ではないと言うことも、典晶は知っている。

「彼女たち仙狐が住んでいるのは、妖怪や古い神々が住まう『常世の森』。かなり遠いよ。商店街から、此処に来るようなものじゃない。いくつもの世界を跨がないといけないし、俺たちは招かれざる客だからね。正規のルートじゃいけない」

「……俺じゃ、いけないって事ですか?」

 典晶は那由多を、歌蝶を見る。

「典晶一人ならね」

 何かを言いたそうに、歌蝶は那由多を見る。

「…………ハァ、乗りかかった船だしね。俺だったら、裏ルートを使って典晶君をあっちの世界に連れて行けるよ」

 仕方なさそうに、那由多は言った。

「あっ! もちろん! 俺も手伝う!」

 ゼンマイ仕掛けの人形のように起き上がった文也が、手を上げて元気よく答えた。

「じゃ、決まりね。デヴァナガライは、今日は家に泊まって行きなさい。それと、ヴァレフォールは、理亜さんを病院に戻してくれるかしら? 八意にも手伝わせるから。美穂子ちゃんは、私と典成さんが連れて帰るわ」

「仕方ないな。ヴァレフォール、彼女を病院に。ハロ、お前もヴァレフォールを手伝って、そのまま帰って良いよ。母さんと父さんには、適当に説明しておいてくれ」

「え~! 私も行きたいな! 常世の森って、面白い民芸品が売ってるのよ? 典晶君の家にもお泊まりしたいし!」

「ハロ……!」

 パァっと顔を輝かせたハロだったが、低く冷たい那由多の声に、シュンと小さくなった。

「分かったわよ。ヴァレフォール、行きましょう。私が理亜ちゃんを担いで飛ぶから、八意と一緒に周囲に催眠を掛けてね」

「了解した」

 ハロとヴァレフォールは、理亜を連れて病院へ戻った。文也は明日の準備があるからと、駆け足で自宅へと戻っていった。

「典晶君、明日は大変な一日になるよ」

 那由多の言葉に典晶は「はい」と答えたが、典晶には那由多の言葉の本当の意味が理解できていなかった。


 ハロが理亜を担ぎ、空の彼方に消えていくのを見送った典晶は、那由多と二人アマノイワドの前で佇んでいた。

「少し歩こうか」

 言いながら、那由多は歩き出す。典晶は、無言で那由多に従った。那由多は、先日素戔嗚が歩いたのと同じ道を歩いた。

 道行く典晶と那由多を、高天原の住人達は珍しそうに見てくる。だが、誰も典晶達に絡んでくることはなかった。途中、ガラの悪そうな牛と馬の顔をした巨人がいたが、那由多を見ると目を反らして横を通り過ぎてしまった。

「心配は無いよ」

 那由多はそう言うが、やはり典晶は落ち着かない。素戔嗚の時は、別の意味で緊張していたが、ここの住人から襲われるかも知れないとは、思わなかった。それは、素戔嗚という守護があったから。那由多がデヴァナガライで、神を殺す力を持っているとしても、やはり心配ではある。しかし、典晶の心配をよそに、那由多はスタスタと全く臆することなく歩いて行く。

「那由多さんは、怖くないんですか?」

「ん? こいつらか?」

 少し歩調を緩め、那由多は典晶の横に並んだ。那由多は涼しい顔をで通りを見ると、「別に」と答えた。

「力が無ければ、怖いけどね……。典晶君は、人間に好意的な神にしかあったことないだろうけど、それはごく一部だよ。世の中には、無限獄に叩き落とすだけじゃ生やさしいと思える神や悪魔がいるからね」

 那由多の言葉には、節々に悪魔や神に対する怒りや恨みが感じられる。典晶は、その事がずっと気になっていた。

「那由多さんは、神様に恨みがあるんですか?」

 典晶の言葉に、那由多は足を止めた。目の前には、今日も緩やかな流れの乳白色の大きな川が広がっている。

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