三話

 雨が降っている。


 肌を刺すような冷たい雨だ。


 吐く息は白い。


 典晶は周囲を見回した。


 見覚えのない場所だ。


 見える範囲だけで判断するのなら、深い霧に覆われた森の中だろう。だが、どうして森の中にいるのか分からない。


 典晶は、冷たい雨に打たれながら森の中を彷徨った。



 クゥ~~~~ン………



 胸元に抱いた、濡れ鼠ならぬ濡れ狐になったイナリが小さな声を出した。


「大丈夫だよ、大丈夫……」


 安心させるようにイナリに呟くと、典晶は当てもなく森の中を彷徨う。


 前髪から滴る水滴。体は氷のように冷えているが、それでも歩みを止めるわけにはいかない。


 何故、雨の降る霧深い森の中を歩いているのか、典晶はその理由を知らないし、知ろうともしない。絨毯のように柔らかい腐葉土に足を取られ、典晶は転びそうになる。胸に抱いたイナリを庇うように、典晶は肩から地面に倒れ込んだ。


「大丈夫だよ、大丈夫だ……」


 「大丈夫」という言葉を念仏のように唱えながら、典晶はイナリに微笑む。なんとしても、この子は守らないといけない。



 典晶! 典晶!



 何処からか声が聞こえた。


「此処だ! 俺は此処だ! 此処にいる! イナリも一緒だ! 早く、早く助けてくれ!」


 典晶の叫び声は、深い霧に飲まれた。典晶の声は相手に届いているだろうか。



 典晶! 典晶! 典晶ってば!



 急かすような声だ。


 頭を巡らせた典晶は、声が聞こえると思われる方向へ走り出した。


 生い茂る木々を避け、腐葉土から顔を覗かせた根に何度も躓く。


「此処だ! すぐそっちに行く!」


 典晶が叫んだ瞬間、典晶の足は大きな木の根に引っかかってしまった。大きくバランスを崩し倒れる典晶は、イナリだけはと、彼女を力一杯抱きしめた。


 落ち葉が敷き詰められた地面が近づいてくる。


 典晶はきつく目を閉じた。


 一秒後に感じるであろう強い衝撃。それを受けきるために体を硬くした。



「典晶! 起きろっての!」


 予想以上の強い衝撃が体を襲った。それも、体全体ではなく、腹部の一点集中だ。


「ッッッッッ!」


 典晶は声にならない悲鳴を上げて上体を起こした。


 目の前に広がるのは霧深い森ではなく、見慣れた自室だった。ただ、そこには絶世の美女が二名と、見慣れた幼馴染みが二人いるだけだ。


「あれ……? 森じゃない?」


「はぁ? アンタ、何言ってるの? 今何時だと思ってるのよ?」


 白いワンピースを着た美穂子が不機嫌そうに顔を歪め、典晶の耳を引っ張る。


「美穂子、それくらいにしておいてくれ。典晶も疲れているのじゃ」


 幼女の姿でなく、年相応の姿になったイナリが美穂子をなだめる。


「那由多と同じように、典晶君もよく寝るのね。これって、人間の男性の特徴なのかしら?」


「いや、これは個人の問題だと思う」


 不思議そうに呟くハロ。それに文也が答える。


「ハロさん……? 那由多さんは?」


 ハロがいるのに、那由多がいない。典晶は立ち上がろうとしたら、足に上手く力が入らなかった。


「お前、美穂子のジャンピングニーパッドが効いてるのか?」


「美穂子、俺にそんなワザを使ったのか? 無防備な人間にやると、マジで危険だぞ……」


 文也に脇を抱えられ、典晶は起き上がった。美穂子はあっけらかんとしており、反省の色は微塵も見られない。


「那由多ね……、彼は……、まあ……、のっぴきならない事情で、少し遅れるわ。代わりに私が来たの。これでも、少しは役に立つのよ?」


 何かを誤魔化すようにコロコロと笑うハロ。今日は制服姿ではなく、ブラウスにジーンズとラフな格好だが、ブラウスの胸元は大きく開けられており、白いチューブトップブラが露わになっている。

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