五話

 汗を掻くほど熱い日差しの中、典晶は寒気を感じた。理亜の後ろ姿。一見すると普通の後ろ姿なのだが、彼女の姿からは生気のようなものが感じられない。例えるなら、カツラと制服を着せたマネキンを後ろから眺めているかのような感じだ。


 嫌な予感がして、典晶も美穂子に続いた。


 理亜は口を少し開け、焦点の定まらない眼差しで学校を見つめていた。


「理亜ちゃん! どうしたの?」


 美穂子が声を掛けるが、理亜の反応は薄い。


「美穂子ちゃん……」


 理亜は振り子のように頭を左右に振りながら、「学校、いきたくない」と小さく呟く。


「まだ、体調がすぐれないの?」


「ううん……違うの……」


 瞬きをしない瞳は血走っており、弛緩した表情から、ギラギラと輝く眼差しだけが浮いている。


「行きたくないけど、行かなくちゃ……勉強、しなきゃ……」


 ぽつりと呟くと、理亜はゆっくりと靴をずるようにして歩き出した。


「理亜ちゃん、大丈夫かな」


 ふらふらとおぼつかない足取りの理亜を見て、美穂子は心配そうに言った。


「もしかすると、黒井先輩の幽霊が取り憑いているのかな?」


「分からない」


 美穂子に言われ、典晶はソウルビジョンを立ち上げようとするが、すでに理亜は生徒の波にのまれ、校舎へと入ってしまっていた。


「イナリちゃんがいれば良いんだけど。今日、イナリちゃんは連れてきてないの?」


 美穂子は典晶の荷物を見て、少し残念そうに溜息をつく。


「今朝起きたらいなかったんだよ……。何処を探しても見当たらなくてさ……。まあ、そのうち出てくるだろうけど」


「もしかして、うだつの上がらない典晶に嫌気がさしちゃったんじゃない?」


 クスクスと笑う美穂子。典晶が反論しようと口を開いたとき、予鈴が鳴り響いた。


「ヤバッ! 遅刻しちゃう!」


 鞄で典晶の背中を叩いた美穂子は、軽快な足取りで駆け出した。


「おい! イナリは俺のことを嫌ってなんかいないぞ! たぶん!」


 美穂子の背中に叫びながら、典晶は理亜の事が気になっていた。もしかしたら、美穂子の言うとおり、理亜には黒井真琴の凶霊が取り憑いてしまったのかもしれない。こんな時に、肝心なイナリがいないことに、典晶は腹立たしさを感じた。




 始業のベル三分前に教室に滑り込んだ典晶は、軽く息を弾ませながら窓際の席に腰を下ろした。


 ホッと一息ついた典晶は、やけに教室が騒がしいことに気がついた。ベルが鳴るまでざわつくのはいつもの事だが、今日のざわめきはいつもと違っていた。皆席を立ち、ボリュームの大きい声で話し合っている。なんだか、皆一様に興奮しているかのようだ。特に、男子生徒の色めき方と言ったらなかった。


「おいおいおい! 聞いたか?」


 周囲を見渡している典晶に駆け寄ってきたのは、やはり文也だ。彼は典晶の机に飛び乗るように尻を乗せると、ズイッと顔を近づけてきた。相変わらず華のある顔だ。シトラス系の爽やかな香りが典晶の鼻を擽る。


「聞いたって、何をだよ? 俺は今来た所なんだ。皆はしゃいでるみたいだけど、どうかしたのか?」


「何だと思う? 転校生だよ!」


 質問しておきながら、典晶が答えるよりも先に答えを言ってしまった。文也も皆と同じように興奮しているようだ。


 田舎の学校である。転校していく生徒は多くても、転校してくる生徒は少なかった。小中学校と、転校生というのを典晶は見た事がなかった。田舎町での転校生など、ニホンカワウソやニホンオオカミの様な絶滅種を目撃するのと同レベルだ。


「それも、女性だってよ! 女の子なんだ! どうやら、帰国子女らしいぜ!」


「キコクシジョ?」


 これはまたレアなケースだ。もはやヒバゴンやツチノコ、UMAクラスだ。転校生が帰国子女など、都心部の学校でもそうそうあるものではないだろう。興奮気味に文也は続ける。


「やっぱり帰国子女は違うな。見た奴の話によると、輝くような銀髪でナイスバディらしい!」


「銀髪で、ナイスバディ……?」


 たった二つのワードだが、心当たりがあった。目頭を押さえる典晶を見て、文也もある事に思い至ったようだ。頬を引きつらせ、典晶の手荷物を確認する。普段持っているバッグがないことに、彼も気がついたのだろう。


「そ、そう言えば、イナリちゃんは? 月光がなくても人の姿になれたから、家で留守番でもしてるのか?」


「んにゃ、朝起きたらいなかった……」


「………それって、もしかすると、あのお約束か?」


「使い古されたベッタベタ過ぎる展開の確率は、かなり高いな」


「そか……」


 文也はガックリと頭を垂れる。深すぎる溜息が口から漏れた。

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