五話

「ねえ、お嬢ちゃん。お兄ちゃん達は急いでいるんだよ。お店の責任者呼んでもらって良いかな?」


「だから儂が責任者じゃ! お前達が如何に愚かだろうと、八意思兼良命の名くらい知っておるだろう!」


「もちろん知ってるけどさ。だけど、こんな所で店番してる神様なんているのか?」


 胡乱な眼差しで、文也は番台から身を乗り出している八意を見上げる。


「お前達! 此処がどこだか知っているのか? 高天原だぞ! 本当の高天原なんだぞ! 神様が何処にいて何をしていようが勝手だろうが!」


「ちょっと待って! 高天原って、こんな地方都市の商店街にあるのか? 空の上とかにあるんじゃないのかよ!」


「何を勘違いしておる! 何処に高天原が空の上にあると書いてある。そもそも、八百万の神は田にいるし川にいるし海にも山にも、厠にだっておるのだぞ? 元々、我ら神は人の生活と密な関係にあるのじゃ! 高天原が商店街にあったとしても不思議ではないだろうが!」


「そうだけどさ……」


 八意の言う通り、八百万の神は人との生活に密接に関わっている。確かに古事記を読んでも高天原の明確な場所を示す記述はない。ただ、人は無条件に神様の住まう場所は天上だと思い込んでいる。いや、誰だってそう思うはずだ。


「こんな所に住んでいたら、神社で手を合わせても御利益なさそうじゃん?」


 「なあ」と文也が同意を求めてくる。典晶は力強く頷く。


「神社の賽銭が儂等の懐に入るのなら、店番なぞする必要はないのじゃ」


「生活するのに金が必要なのかよ……」


 文也が喉の奥で呻く。その声を八意は拾い上げた。


「当然じゃ。天(あま)照(てらす)大(おおみ)神(かみ)の食料を調達する豊受大神(とようけのおおかみ)だっておるのじゃぞ? ちゃんと神様だって食事をするのじゃ。このご時世、タダ飯を食うわけにも行かぬのでな、こうしてPCショップを営んでおるのじゃ」


 腕を組んで胸を張る八意。宇迦之御魂神と八意思兼良命に出会ったが、二人とも典晶の想像していた神様とは悪い意味で違いすぎる。そもそも、高天原でPCショップを経営して、一体誰が買いに来るというのだ。まさか、他の神様がPCを前にして仕事に勤しんでいるとでも言うのだろうか。


(これを見る限り、それもあり得そうだけどな)


 典晶の中から神様に対する信仰心がもの凄い早さで失われていく。時間があるのなら、是非ともこの商店街を散策してみたいものだ。


「……何なんだよ、この神様達は。俗っぽすぎるぞ」


「典晶、俺は決めたよ。もう金輪際神社には行かない。だって、ぜってー御利益なさそうだもん」


「それも当然じゃ。儂等神はこうして高天原商店街でせっせと商売に勤しんでおるのじゃ。金を使うのなら此処で買い物をせい。商店街だけで使えるサービス券もあるから、買い物をするほどお得じゃぞ。もちろん、各種カードも使用できるし、全国への配送も承っておる」


「神話じゃスケールはマクロだけど、リアルはミクロすぎる」


 今まで自分の中にあった神様の概念が音を立てて崩れていくのを感じる。しかしどうあれ、目の前にいるのが八意思兼良命である事は間違いないようだ。典晶は気を取り直して八意に向き直った。この八意が歌蝶の指した八意だというのなら、きっと歌蝶の名を出せば協力してくれるはずだ。


「母さんは、八意ちゃんに頼めば大丈夫だって言っていたけど」


 「八意ちゃん」と言われ、八意はカッと目を見開く。ついでに、帽子についている瞳も大きく見開かれた。


「口を慎め! 愚鈍な人間共! 神に対してタメ口とは何事じゃ! 八意ちゃんじゃと? 何処の馬鹿親じゃ! 儂を八意ちゃんなどと呼ぶ愚かなヤツは! 天罰をくれてやる! その罰当たりの名を申せ!」


「名前は歌蝶って言う鬼女だけど」


 歌蝶の名を出した途端、八意の動きが止まった。文句を言おうとして開きかけた口をそのままに、パクパクと二の句が継げずに固まっていた。


「歌蝶とは……あの歌蝶か? 土御門の歌蝶? いや、歌蝶姉様…か?」


 両人差し指を頭に運び、角に見立てる八意。


「うん、その歌蝶」


「もしかすると、そのちんちくりんの子狐は、宇迦姉様の子か?」


 コクリとイナリが頷く。


「……ああ~、……うん。そうじゃそうじゃ、先ほどのは冗談じゃ。儂の事は親愛を込めて八意ちゃんと呼んでくれ」


 心なしか青ざめている八意。彼女はぴょんっと番台から飛び降りる。


「そちの名は何という?」


 スタスタと近づいてきた八意。大きな帽子を被っているが、八意の身長は典晶の胸元ほどしかなかった。


「俺は土御門典晶。こっちが伊藤文也で、この子狐が……婚約者の葛ノ葉イナリだ」


 自己紹介をすると、八意は「フムフム」と頷いた。


「なるほど。二人の子がこんなにも大きくなったか。……時が経つのは早いのぅ」


 顎に手をやり、感慨深そうに呟く八意。彼女は目を細めて典晶とイナリを見つめた。


「典晶もイナリも、よく見れば両親の面影があるのぅ」


「八意は親父も知ってるのか?」


「当然じゃ。丁度、典成が典晶と同じ頃、歌蝶と婚姻する為に此処に来たのじゃ。その時は伊藤家と石橋家の倅も一緒だったな」


 八意は文也を見る。


「へぇ~、親父も一緒だったか」


「代々伊藤家と石橋家は土御門家を陰日向から支えておるからのぅ。典成と歌蝶が婚姻するのにも色々と悶着があってな、二人は三種の神器を集めてこいと歌蝶の親父殿から仰せつかったのじゃ」


「爺さんから?」


 京都に住む歌蝶の父は、厳格そうな見た目とは裏腹に、優しいイメージしかなかった。バイクが好きで、最近はハーレーダビッドソンを購入し、ネット仲間達と日本中をツーリングしていると聞く。よくよく考えれば、歌蝶の父である祖父も鬼なのだ。その鬼が、ネット仲間とツーリングとは、時代が変われば鬼も変わると言う事なのか。


「三種の神器って、八咫鏡に八尺瓊勾玉と、草薙剣だっけ?」


「そうじゃ。人間界にあるのは、精巧に作られたレプリカじゃがな。その中で本物を一つもってこいと言われていたのじゃ。まあ儂と宇迦姉様の助けがあり、二人は無事婚姻することができたのじゃがな」


「へぇ、八意ちゃんの助けがなければ、典晶は生まれてこなかったのかもな」


「じゃのぅ。儂に感謝するが良い」


 腕を組んで得意げな笑みを浮かべる八意。こう見るとただのませたお子様で、到底神様とは思えない。


「なるほど。だから、母さんと宇迦さんは八意に頼めって言ったんだな。お願いすれば何でも言う事を聞いてくれるっていってたから」


 典晶の言葉に、八意はピクリと耳を動かした。頭に乗せている帽子の瞳が、突然ソワソワと動き始める。


「……そんな事を、二人は言っていたのか?」


「そうだけど、違うのか? 親父と母さんの時も協力してくれたんだろう?」


「……協力をしたと言うよりも、半ば強引に連れ回されたのじゃ。儂が少し高飛車な態度を取ると、歌蝶姉様はゴンゴンと頭を叩くし。宇迦姉様は陰湿なイタズラで儂を苛めるのじゃ………。歌蝶姉様からは余りにも頭を叩かれすぎて、腕を振り上げる度、儂は条件反射で軽くお漏らしをしてしまうほどじゃ」


 八意は自分の体を抱き、ブルブルと青ざめた顔で震えだした。


「よっぽど母さんにいびられたんだな。それで、『姉様』をつけているわけか」


 要するに恐怖政治と言うわけだ。きっと、歌蝶と宇迦は体よく八意を利用していたのだろう。八意に少し同情しながらも典晶は本題に入る。


「今回はイナリを人の姿に変身できるように、宝魂石ってのを集めるんだよ。便利な道具があるって聞いたんだけど」


「宝魂石とな? ……ふぅぅむ、なるほど。宇迦姉様はその年で人の形を成していたが、なるほど、そちはまだ子狐の姿のままか……。見たところ、ちと神力が弱いの。それでは、意中の男の子の心も掴めぬのぅ」


 意地悪く言った八意は、チラリとこちらを見上げる。典晶は気恥ずかしさを感じて、探るような眼差しを向ける八意から目を逸らした。


「で? このパソコンショップに何があるんだ?」


 文也が店内を見渡すが、広いだけの店内にはパソコンが置いてあるだけだ。


「知恵の神ってくらいだから、きっと凄い作戦でもあるんだろう」


「ああ……、なるほど」


 自分で言いながら、典晶はズンッと心が重くなった。八意思兼良命が活躍したことと言えば、天照大神が天岩戸に隠れてしまったときと、天孫降臨の際の人選だ。天岩戸の件は、八意思兼良命の作戦勝ちだったが、天孫降臨に関しては、記憶が確かならば二度ほど失敗しているはずだ。


 チラリと、八意を見下ろすが、八意はバックから顔を出したイナリの鼻先をつついて笑っている。

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