猫の尻尾課長

黒猫くろすけ

第1話

 いつものように出社すると、課長の席に見知らぬ男性が座ってい

た。


「え?」

 俺があっけにとられて立ちすくんでいると、同じ課のみゆきちゃ

んが俺に目配せをする。何気ないふりを装って廊下に出ると、すぐ

にみゆきちゃんも追いかけてきて、俺に耳打ちを始めた。


「ねえねえ、課長が急遽更迭されて、新課長の就任だってさ」

「え? 課長が更迭? まさか」

「なんでも使い込みがバレたらしいよ。それがさ……」


 みゆきちゃんの話によると、前課長は僅か三万円の使い込みがバ

レてクビ。で、新たな課長のお出ましって訳らしい。そう言えば、

前課長は恐妻家で有名だったな。多分小遣を無心出来なくて、仕方

なく会社の金に手を……もしかしてこの前の、課をあげての新年会

で? そう言えば課長が珍しくおごってくれたっけ。ああ、俺はち

ょっぴり前課長に同情した。


 一応納得した俺は自分のデスクに座って始業時間を待った。新課

長は前課長のデスクで新聞を広げ、俺たちには無関心を装っている。

多分彼も新しい環境で戸惑っているんだな。始業開始の時間が来る

のと同時に、彼も新しい自分を始める事になるのだろう、そう思っ

た俺はあえて新課長に話しかけるのはやめた。他のみんなも同じ考

えのようだ。


 案の定、始業開始の時間になると、新課長は立ち上がり、俺たち

に挨拶を始めた。

「え~、諸君、まことに急なことで私も戸惑っておりますが……」

「!!!!!!!」


 その、課長の立ち姿を見た俺たちは目が点になり、口を開く者は

誰もいなかった。しかし誰もが心の中では思っていたはずだ。

 おいおい、戸惑ってるのは俺たちだよ! 急に課長が変わったっ

てことじゃない。そんなのは充分ありえることだから。俺たちが戸

惑っているのは……立ち上がった課長のお尻あたりから尻尾のよう

なものが出ているその状態だっ!


「みゆきちゃん、アレ……何?」

 驚きのあまり声が裏返ってしまった俺の質問に、割りと冷静に答

えるみゆきちゃん。

「え? う~ん、尻尾みたいね。そう、尻尾だわね。しかも猫の尻

尾?」

「あ、そう言われてみれば確かに猫の尻尾だ!」


 課長のズボンのお尻の一部が丸く切り取られていて、そこから茶

色の、正確にはアカトラの、尻尾が飛び出ているのだ。長さは四十

センチ位だろうか? 太さは、そう、ちょっと太目のバナナといっ

た処だろう。オモチャの付け尻尾には見えない。一見して、生きて

る尻尾。そう! それは本当にアカトラ猫の尻尾だ。それ自体は納

得出来たが、なぜ人間の課長に尻尾が生えているのか? それはど

う考えても理解出来ない。


 そんな俺の考えを察したのだろう、みゆきちゃんは言う。

「人は他人とは違う肉体的欠点には触れられたくないものよ。特に

会社では肉体的特徴を口にしてはダメ。もちろん、それは何? っ

てな質問もNGよ。いい?」

「お、おう……そういうものだな、うん」


 結局俺は納得してしまった。人間は、人とは違う肉体的問題で差

別されるべきではない。それはあたりまえのことだから。それに日

本人は相手に対する思いやりの精神を尊重するのだ。


 課の他のみんなも同じ考えなのだろう、課長本人に問いただそう

とする者は誰もいなかった。当の課長もそれには何も触れないのだ

から、ここはスルーすべきなのだ。


 俺たちは課長に注目していた。特に尻尾だ。見てはいけない、そ

う思うと余計に目が行ってしまうのは仕方がない。

 課長の尻尾は大きくゆっくりと振られている。


「あれはね、やや興奮状態なのよ」

 みゆきちゃんがささやいた。

「へえ……」

 そう言えば、みゆきちゃんは愛猫家だ。いつか聞いたことがある。

猫は尻尾で気持ちが分ると。

「そうだ!」

 閃いた俺は、みゆきちゃんにある頼み事をした。それは猫の尻尾

と気持ちを表にしてもらうことだった。つまり、尻尾の状態でその

時の気持ちが分る早見表。その表が課長を除いた課員全員に配られ

たのは、言うまでもない。


 あれから三月が経った。そう、新課長が赴任してからなのだが、

我課の業績は次第に上がってきている。それはそうだ、課長の気持

ちが手に取るように分るのだから。それに合わせて我課員たちは行

動をとるようになるのだから、物事がスムーズに運ぶのも道理とい

う訳だ。


 今の課長の尻尾は大きくバタバタ左右に振られている。表による

と、これはイライラして怒っている時のようだ。こんな時は触らぬ

神に祟りなしで、課長には近づかないことだ。みんなも同じ考えの

ようで、皆席をはずしている。


 暫くしてデスクに戻ると、課長の尻尾はダランと下がっていた。

これは……ああ、部長に叱られてしょんぼりしているのか。


「課長、大丈夫ですか?」

 そう俺が声をかけると、課長はリズムをつけてブンブンと尻尾を

左右に振った。ああ、これは…俺は強いんだぞという闘争心の表れ

か。なるほど。課長ッたら無理しちゃって。そんな課長が可愛く見

えてくるから不思議だ。よしっ、課長の為にも営業成績を上げなけ

れば。他の課員たちも同じ気持ちのようだ。


 暫く後、課員全員の努力もあり、営業成績は期待通りに上がり、

最近の課長の尻尾は垂直にピンと立てられている。これは……嬉し

い時だ。実に分りやすい。こうして我課は、営業部ではエース的存

在になりつつあったのだが……


 どうしたものか、昨日から課長の尻尾は、逆立って急に太くなる

回数が増えている。これは……ああ、やっぱり驚きや恐怖を感じた

り、相手を威嚇する攻撃姿勢の時だな。普段は温厚な課長、情緒不

安定なのは間違いない。


「ねえ、ちょっと、噂だけどさ……」

 みゆきちゃんが俺に教えてくれた。

「現部長が更迭されて、新しい部長がよそから来るらしいよ?」

「え?」


 どうやら、その新部長にも尻尾があるらしい。それも犬の尻尾だ

というのだ。その部長、上役に尻尾を振り過ぎて尻尾が千切れかか

っていると言う。ああ、それはそれである意味百戦錬磨の部長なの

だろう。

 課長の気持ちを考えると俺は複雑な気持ちがした。犬と猫じゃ、

やっぱり勝負にはならないだろうから。我課の活躍もそろそろ終わ

りに近いというコトか。


 次の日、尻尾課長の姿は無かった。新部長が我課の課長兼任なの

だと言う。


 あ~あ、猫の尻尾課長、好きだったのにな。

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猫の尻尾課長 黒猫くろすけ @kuro207

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