04 帰還

 青く輝きながら、世界を優しく、時に厳しく包み込む『海』。世界の多くの人々は、海の全てはその青さによって構成されている、と考えている。だが一方で、海が見せる青い表情はほんの一部でしかない事をよく知っている者もいる。

 空高く昇る太陽からもたらされる光によって作り出される海の青さは、広く深い海の表面のみの色に過ぎない。どこまでも深く潜っていくと、太陽からの光は少しづつ届かなくなり、海もその青さを消していく。そして、ある深さまで辿り着くと、そこから先は何も見えない永遠の夜のような漆黒の闇に変貌する。海の全ては、この『夜』のような空間に凝縮されている、と言う人がいるほどなのだ。


 この世界において、その真夜中にどのような存在がいるか、どのような光景が繰り広げられるのか、知る人はごく一部を除いて存在しない――。



「あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」あははは♪」…


 ――その数少ない例外が、女海賊『リージョン』である。


==================


 どこまでも続く漆黒に包まれた、海の奥深く。船は勿論、魚たちも滅多に姿を現さない場所に、突如大きな水の流れが生まれ始めた。

 海の隅々まで大きな音を響かせながらその流れはやがて巨大なうねりへと変わり、そしてその発信源が轟音と共に姿を現した。


 その物体は、船でもなければ魚でもなく、クジラ、イルカ、巨大イカ、それら全てと全く異なる姿をしていた。まるで巨大な『二枚貝』、それも海のミルクとも称される美味の貝『牡蠣(カキ)』に似ていたのだ。

 だが、様々なものにへばりつく普通の牡蠣とは全く異なり、上下を岩のように頑丈な鎧で覆われたその謎の物体は無数の泡を後方に生み出し、物体は深い海を凄まじい速さで潜行し続けていた。人類の英知を駆使して作った潜水艦でも、ここまでの速度は出せないだろう。


 そう、この物体は単なる牡蠣ではない。巨大で頑丈な貝殻の中は――。


「ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」ははははは!」……


 ――何百、何千人もの女性、それも大きな胸や引き締まった腰つきを黄色いビキニ1枚のみで包んだ美女によって埋め尽くされていたのである。しかも全員揃って赤い髪に青い瞳、赤いサンダル、声や笑顔まで、何もかもが全く同じだった。


 そう、彼女たちこそが、海の荒くれ者である海賊たちすら恐れる伝説の海賊『リージョン』なのである。



「いやー、これが……」

「あいつらが持ってた『クスリ』って奴かー」



 海を進むこの巨大な牡蠣――リージョンたちが『ミルクボット』と呼ぶ、高速で海の中を潜行する生命体の中は、見た目からは想像出来ない、広々とした快適な空間が広がっていた。ピンク色の柔らかい毛がたくさん並んだ暖かい床が一仕事を終えたリージョンたちの疲れを癒し、彼女たちを左右と頭上から囲むタイル状の壁の突起には、リージョンたちが持ってきた大量の拳銃やナイフが所狭しと飾られていた。まるで貴族の住む豪邸の一室のような場所で、黄色のビキニのみを身に着けた美女たちはごろ寝をしたり胡坐をかいたり、思い思いのスタイルで談笑を続けていた。


 彼女たちの話題は、一仕事を終えた結果手に入れた、大量の麻袋だ。リージョンの数に比べれば少ないが、それでも数トンもあるだろう。これらの全てには、これらの全てには、悪どい海賊たちが依頼主から頂戴し、密かに隠し持っていた裏社会における大金、『クスリ』が大量に詰め込まれているのだ。だが、彼女たちは決してそれを私利私欲に用いる事は無い。リージョンたちの楽しみは、こういったものを隠し持つ海賊たちを襲い、自分たちの手で完全に消し去る事にあるのだ。

 牡蠣貝に似た高速潜行生命体『ミルクボット』に乗りこみ、密かに悪者たちの本拠地に近づいた後、内部から一斉に襲い掛かり、無尽蔵に数を増やしながら全てを奪いつくす――これが、海の上に住む人間たちの間で語り継がれる、恐るべきリージョンの伝説の真相である。そして今回も、見事にその伝説は現実のものになったのである。



「ま、予想してたよりも……」

「随分楽に……」

「ボッコボコに出来たもんな♪」

「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」「なー♪」


 大きな胸や滑らかな腰を揺らしつつ会話するリージョンたちの話の流れは、まるで一つの文章のように繋がっていった。姿形も同じなら、記憶も思考も皆同じなリージョンたちの会話は、独り言に近いものがあるかもしれない。だが、静かにしているよりも賑やかに騒ぎ、元気にいる方が彼女たちは好きだった。こうやって自分同士で会話し合い、互いに喜びを共有しあう事が、リージョンの幸せの1つなのである。

 そんな中、話題は大量の麻袋の処分方法に移っていった。悪者から全てを奪いつくす事を楽しみとしているリージョンには、いくら裏社会の金貨に匹敵する『クスリ』も、全く意味を成さないようだ。


「どうしようかー」

「『あいつ』に送っちゃうってのは?」

「断られるだろー、あんな草ボーボーなんて送っても」

「あたしもやだー」


 リージョンたちが思い思いの姿勢で一斉に処分方法に悩み始めたその時だった。高速潜行を続けていた『ミルクボット』の動きが突然遅くなり始めた。中に乗るリージョンたちの体も大きく傾いたが、彼女たちは困るどころか、まさに良いタイミングだ、と笑顔を見せ始めた。

 巨大な牡蠣貝『ミルクボット』の前に、さらに巨大な影が姿を現したからである。


 もしその影を直視する事が出来れば、その巨大さに誰もが驚くだろう。海の王者とも言われるクジラやジンベエザメでも、何百何千頭も集まらなければこの巨体に敵う事ができないほどの大きさなのだ。しかも、その姿もまた異様であった。クジラたちはおろか海に住むどの魚介類とも全く似ておらず、むしろ川や沼など陸に近い場所に住むはずの「鯉」、それも赤や黒など派手な模様に包まれる「錦鯉」に非常に良く似ていたのだ。

 一体何故、桁外れの大きさの錦鯉が、深海に現れたのだろうか。


「おーい、聞こえるかー♪」

「あたしたち無事着いたぞー♪」


 貝殻や壁に覆われ、窓が一つも無い『ミルクボット』の中で、リージョンたちは口々にどこかに連絡をし始めた。すると突然、目の前の巨大な錦鯉の目が黄色の輝きを見せ始めた。まるで夜の帳が下りた港で、船が合図をしているかのように。その直後、『ミルクボット』の中に、新たな音――リージョンと全く同じ声が響き始めた。


『お疲れー♪』

『今すぐ入れるぞー♪』


 その直後、突然巨大な錦鯉は身を翻し、牡蠣貝型の高速潜行生命体『ミルクボット』の方へと近づいてきた。そして、黄色く目を輝かせながら大きな口を開き、内部に乗った笑顔のリージョンや大量の麻袋ごと、あっという間に呑み込んでしまったのである。

 一瞬の出来事の後、何事も無かったかのように錦鯉は山のような巨体をくねらせながらその場から消えていった。やがて、海の奥深くは元の静けさを取り戻した。

 


 女海賊リージョンは、謎の怪物に食べられてしまったのだろうか。

 いや、それは違う。



「ふー」「ようやく帰れたよ……」「やっぱりここが」「一番落ち着くなー」


 あの巨大な錦鯉に呑み込まれた『ミルクボット』は、大きな口の中でその殻を大きく開き、中に詰め込んでいた大量の黄色いビキニ姿の美女を外に曝け出した。リージョンたちはそれぞれ後ろの方に積み込まれていた麻袋を軽々と持ち上げ、大きな殻の中から錦鯉状の生命体の「舌」の上へと降りていった。それはまるで、港に到着した商船から降りる労働者たちのようだった。


 そして彼女たちは、巨大な錦鯉の体の奥へと入り始めた。時々ゆっくりと揺れ動くピンク色の壁が覆う狭い通路を進み続けると、大きく開けた空間へと辿りついた。

 そこに広がっていたのは、とても何かの生物の体内とは思えない、むしろ『都市』をも思わせる大きな吹き抜けの空間と、その中に大量に存在する建物から笑顔でリージョンの帰りを迎える――。


「お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」お疲れー!」…


 ――赤い髪に青い目、赤いサンダル、引き締まった体、巨大な胸、そして黄色のビキニを身に着けた、数え切れないほどのリージョンの大群であった。


 そう、この錦鯉――いや、錦鯉型の超巨大深海生命体『グランカーピノン』こそが、海賊団リージョンの生きた本拠地なのだ……。

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