第二章 平原

 誰かが、あたしの体を揺すっていた。やや遠慮がちに、優しく。

 「……やか。ねえ、さやか、目を覚まして。さやかってば」

 朦朧としている意識のなかで、声の持ち主を考えた。誰だっけ、聞き覚えがあるんだけど……。えっと……、そう、舞ちゃんだ。あたしは、ゆっくりと目を開けた。

 あたし……、どうしたんだろう。あたしの瞳のなかに、茶色い地面が移った。あたしは地べたにうつ伏せに倒れていた。どうしてこんなところに倒れてるんだろう。

 とにかく、あたしは起き上がって、地面に座った。

 「さやか! 大丈夫?」

 「うん……、ありがと、舞ちゃん」

 少し、頭を振った。靄のかかった記憶にだんだんと明かりが差してくる。そうだ、あの暗黒空間から、光のなかへ入っていったんだ。そして、今ここに居る……。いったい、あの空間は何だったんだろう。そう思いながら、今いる場所を確認するために前を見た。

 な……、何よこれ……!!

 体が硬直してしまった。だって……、だって、何なのよ、この光景は!!

 目の前には、見渡す限りの大平原が広がっていた。草原と呼ぶには緑が少なく、岩砂漠ともちょっと違う、サバンナみたいな感じの平原。山は、地平線の上にわずかに盛り上がっている程度しかない。所々に木は生えているものの、それは草原のスケールに比べれば、わずかに影を落としているに過ぎない。日本国内では、考えられないくらいの平野だった。

 「舞ちゃん、これは……?」

 しばらく呆然と眺め、ようやく出た言葉はこれだけだった。これ以上の言葉は思いつかない。質問された舞ちゃんは、静かに首を振った。

 「わたしにもわからない……。気づいたら、ここにいたんだもの」

 ……そうよね、舞ちゃんも気絶していたんだろうし、先に目が覚めたといって、すぐに状況を把握できるようなものじゃないわ。それにしても……。

 「いったい、どこなんだろ、ここ……」

 まったく何もない平原だった。いくら目を凝らしても、人の気配も建造物の影も見えなかった。乾いた風が肌に触れ、砂の匂いしか匂わない。音を発するものもない。じっとその風景を見ていると、なにかあたしのまわりに薄いベールが覆い、世界中であたし一人しかいないような気がしてきた。

 本当に誰もいないの?

 「う……う、ん……」

 と、後ろのほうからうめき声が聞こえてきた。よかった、あたしたちのほかにも誰かいたんだ。振り向くと、ちょっと離れたところに、今ようやく意識を取り戻したらしい大倉さんと、すでに起き上がって頭を押さえている谷山くんがいた。あたしたちは二人に駆け寄った。

 「大丈夫、大倉さん、谷山くん?」

 「ああ、俺は何とか……、ツツ」

 谷山くんはそう言いながらも、顔をしかめて頭を押さえ込んでいる。余程頭を打ちつけたのだろう。一方、大倉さんはゆっくり体を起こし、足を投げ出した恰好で座った。見たところ外傷はないけど、意識がはっきりしないのか目も虚ろにボーッとしている。

 「な……、何だこれ!」

 谷山くんの叫び声が聞こえてくる。この台詞で彼が今どういう状態なのか、見なくてもすぐにわかった。

 「おい、野村、国見、これはどういうことだ?」

 「それは、わたしたちにも……」

 舞ちゃんと頷く。あたしだって、今それが一番知りたいんだから。

 谷山くんはあたしの言葉を聞くと、すぐに納得したのか、再び周囲を見回した。意外に

も、落ち着いているみたい。

 一方。

 「な、何? 何なの、これ、いったい。どうして!?」

 ようやく声を発した大倉さんは、すでにパニックに陥っていた。


     ☆      ☆


 「どうしてなの!? ねえ! どこなのよ、ここ!?」

 ヒステリックな叫び声を上げながら、大倉さんは一番近くにいたあたしに迫ってくる。でも、あたしにそんなことを聞かれても……。

 「ね、ねえ、もう少し落ち着いて……」

 少し後ずさりながら、宥めようとする。それでも大倉さんはグングン詰め寄ってくる。

 「落ち着け!? よくもそんなことが言えるわね! この状況を見て、あなた、何とも思わないの? この状況……、そうよ、ここはどこなのよ、いったい! ねえ! 野村さん、あなた知っているんでしょ!?」

 「し、知らないわ。全然わかってないのよ、何も」

 本当のことなんだけど、大倉さんはあたしの答えに納得せず、鋭く睨み付けながらさらに迫ってきた。

 「ウソよ! 何か知ってるんでしょ、言いなさいよ!!」

 「ほんとよ、ウソじゃない!」

 「だったら、国見さんは? 谷山孝一は? どうなのよ、ねえ!!」

 谷山くんらにも迫るけれど、二人とも首を横に振った。大倉さんの声のトーンが落ちた。

 「……ウソよ、ねえ、だって……、何も、ない? ……イヤよ、そんな……、何も……」

 急に様子がおかしくなった。大倉さんの顔を見ると、冷や汗がながれ、目の焦点があっていなかった。意味のない言葉を呟き、意識なく膝を落とし、遠くの景色を眺め、自分の手を見つめて……。まるで、行く末を見失った廃人のように。これは、ちょっとヤバいかな、落ちつかせないと、そう思った矢先。

 「イヤアアアアアッ!!」

 突然絶叫し始め、小石の転がる地面を拳で叩きだした。めくら滅法、狂ったかのように! 突然のことであたしも舞ちゃんも、呆然とその行動を見入ってしまった。

 「なにやってんだ、野村! 止めるんだよ!!」

 谷山くんが叫ぶ。そうだ、惚けてみている場合じゃない。何とか彼女を止めなきゃ! 力一杯叩きつけている拳のあちこちから血がにじんでいる!

 「おい! 大倉、落ちつけ! 大倉!」

 「大倉さん! やめて!」

 あたしは大倉さんを後ろからはがい締めにして立たせた。谷山くんは前にまわり、彼女が振り回しつづける手を必死に止めようとする。が、物凄い力で振りつづけるものだから、逆に谷山くんの頬を殴りつけた。

 「クッ!」

 「だ、大丈夫、谷山くん!?」

 「あ、ああ。それよりも、しっかり押さえてろよ!」

 そういうと、谷山くんは左手で大倉さんの手の動きを止め、鈍い音とともに大倉さんのみぞおちに右の拳を潜らせた。大倉さんは少しうなって、そのままぐったりとなった。

 「チッ、手間をかけさせやがって……!」

 「た、谷山くん、大倉さんは大丈夫なの?」

 「気絶させただけだ、当たり前だろ」

 大倉さんに殴られた左の頬を押さえ、少し顔をしかめる。うう、痛そう。

 「ね、ねえ、大倉さん……?」

 気を失った彼女を地面に横たわらせ、声をかけてみる。やっぱり、起こしたほうがいいんじゃないだろうか。このままにしておくのはかわいそう。そう思ったけれど、谷山くんは。

 「わざわざ気絶させたものを起こすな」

 「どうして」

 「今起こしても、さっきの繰り返しになるだけだ。気を失わせたままのほうが、面倒がなくていい」

 谷山くんは、横を向いてペッと唾を吐き出した。少し血が混ざっているみたい。

 「口の中が切れてるんじゃない?」

 「ああ。これくらい、すぐに治る。それよりも」

 そう言って、右のほうを指さした。その先には、大きな木が影を落としている。

 「それよりも、移動しようぜ、あの木まで」

 「え……? どうして」

 「いつまでもこんなところにいても仕方ねえだろ。それに、もう一人、落ちつかせなきゃならん奴がいる」

 目を移した先には、舞ちゃんが立ち尽くしたまま、茫然自失の状態になっていた。

 「そいつも休ませたほうがいいだろ」

 「う、うん。そうね」

 谷山くんの言うとおりだ。舞ちゃんをこのままにしておいたら精神的に危ないかもしれない。

 それにしても……。

 ふと、谷山くんの姿を振り返り見た。どうしてなんだろう、何となく、変な気分。谷山くんがいつもの谷山くんじゃない気がするから……。

 普段は、何に対しても興味を示さない、いい加減で茶化したような態度で、人の気持ちを逆なでして遊んでる、ほんっとに、何考えてんだかわからないような人なのに。こんなに率先力があってきびきびした谷山くんって、見たことがないわ。どうしてこんなにも感じが違うんだろう。

 その谷山くんは、大倉さんを背負うと、あたしなんか気にもとめずに、さっさと歩きだしていた。


     ☆      ☆


 歩きだしてしばらくすると、だんだんと暑くなってきた。空気は乾燥してるけど、太陽光線が結構強いのだ。太陽の位置は真上で、地面に映る影も極限まで短い。じりじりと照り付けるから、気分が滅入ってくる。

 あたしも他の三人も、もう冬の装いをしていた。あたしたちのいた世界は、十一月だったんだもの(ちなみに、あたしたちの学校は、公立中学にしては珍しく、制服はなかった)。外の暑さは、確実に上着一枚は余分だった。

 歩きだして二十分後、あたしたちはようやく目的の木陰に着いた。

 「……結構遠かったね。距離の間隔が全然掴めない」

 舞ちゃんを木の根元に座らせ、あたしもその隣に座った。

 「……広いから、そう思わせるんだ」

 谷山くんは、大倉さんを地面に横たわらせ、そう言った。そして、立ったまま地平線に目を移す。

 「うっ、う……」

 と、突然隣の舞ちゃんが、あたしに寄り掛かって泣きだした。最初はしゃくりあげていただけだったのが、次第に大声を上げて涙を流した。

 「舞ちゃん……」

 あたしは軽く彼女の頭に手を当て、抱くように体に寄せた。服を通して、舞ちゃんの熱い息と涙が伝わってきた。細くてさらさらとした髪が、小刻みに震えている。

 緊張の糸がプッツリと切れたんだ。無理もないわ。ただでさえ気の弱い舞ちゃんのこと、この異常事態に今まで精神が持っただけでも凄いことだと思う。

 舞ちゃんの髪の毛をすくい上げる。今は肩までしかないけれど、前は腰の上辺りまであったのよね。そのころのストレートの髪は一種神秘的な感じさえしていた。確かに今の髪形でもかわいいと思うけれど、前のほうが懐かしく思われた。今朝はこんなこと、考えもしなかったのに……。今の状況のせいかもしれない。とりあえずこの木陰に移動したものの、この先どうするのかなんて、まったく見当がつかないんだから。

 あたしたち、この先どうなるんだろう。元の世界に戻ることが出来なかったら、どうしよう。

 ぼんやりと、はるか地平線を眺める。本当に何もない平原。こんなところに、あたしたち四人しかいないなんて……。

 これから、どうなるんだろう。


     ☆      ☆


 天高くあった太陽はやがて大きく西に傾き、空が赤く燃え上がらせて、ゆっくりと地平線に沈んでいった。そんな風景を見ていると、ますます不安が増していく。これから夜になる。なのに、あたしたちは何の手だても打つことが出来ないでいた。

 谷山くんの持っていたライターで焚き火を起こし、あたしたちはそれを囲んで座った。誰も喋ることなく、ただじっと火を見つめたりうつむいていたり……。静まり返った雰囲気に、焚き火のパチパチという音と、風の寂しげな声だけが聞こえてくる。すごく気まずくて、息が詰まりそう。

 しばらくして、呟くように谷山くんが言った。

 「どうするか、だ、問題は」

 「どうするって、どうするの?」

 大倉さんがうつむいたまま言い返した。彼女は、夕日が沈むころにようやく意識を取り戻したのだ。今度は、暴れることはなかったけれど、あまりいい精神状態ではなかった。

 「それを考えるんでしょ」

 あたしは何気なく言ったつもりだったけど、大倉さんにはこれが気に障ったらしい。

 「どう考えるの? ねえ、いったいどんな方法があるって言うのよ。こんな何もないところで、あたしたちが生きていけるとでも思っているの?」

 「そ、それは……」

 答えられない。あたしだって自信を持って、生きていけるとはとても言えない。今問題なのは、どこに行くか、どういう行動をするか、ではない。この先どうやって生き延びるか、なのだ。

 「……今更もう、どうあがいても駄目なんだわ。どうせ死んじゃうんだったら、何も考えないほうがマシよ」

 「だってそれじゃ……」

 「だっても何もないじゃない。何か他に言えることがある?」

 「だって……。だって、大倉さんは生きたくないの? こんなところで死んでも、それでいいって言うの?」

 大倉さんは答えない。黙ってそっぽを向いたまま。あたしは構わず続けた。

 「大倉さんだって、元の世界に戻りたいんでしょ。あたしたちはそのためにも、助かる方法を探さなくちゃいけないんだし、何より生き抜いていかなくちゃならないのよ。それをみんなで考えようとしているのよ。なのに、大倉さんみたいに可能性を何一つ考えないで、駄目だなんて言ってたら、何も始まらないじゃない」

 「じゃあ、野村さん」

 大倉さんは振り返って蔑んだ視線をあたしに向けた。

 「あなたは、わたしたちが生きつづけることが出来るって言うの? 元の世界……二十一世紀の日本に帰れるって言うの? どこぞのSFマンガみたいに、わたしたちの世界に通じる秘密の扉でもあるなんて考えているんじゃないでしょうね。笑わせないでよ! そんなものがあるわけないじゃない。それに、もしもそんなものがあるとして、そこへ行くまでに、わたしたちは飢えて死んでしまうわよ。食料はどうするの?何も持ってないし、手に入れることもできないわ。空腹のまま生きていけるわけがないでしょ!」

 「食料もその秘密の扉みたいなものも、絶対にないって断言できる? 何事もやってみなくちゃわからないわよ!」

 「わかるから言ってるのよ!」

 「やかましい!!」

 谷山くんの怒鳴り声が、あたしたちの睨み合いに割って入ってきた。

 「ぐだぐだとくだらねえ事を言ってんじゃねえよ! 言い争って何になるってんだ!?」

 それに大倉さんが反論しようとする。

 「でも! こんな話し合いをしたって!」

 「今は感情に走っている場合じゃねえんだ、黙ってろ!!」

 その大倉さんに谷山くんは厳しい表情で言い放った。でもヒステリー状態の大倉さんはなおも言い返す。

 「だったら、谷山孝一、あなたは助かると思っているの!? こういう状況で、それでも絶対に助かると思ってるわけ!?」

 「思っているから言ってんだ!!」

 谷山くんは強い口調で大倉さんを制した。大倉さんはその気迫に押されて、言葉を失う。一瞬静まり返った。

 「大倉よ。お前がどう思おうが勝手だが、俺達の邪魔はするなよ。俺たちは俺たちで行動する。お前は勝手にのたれ死ぬなりなんなりやれ」

 「ち、ちょっと、それは言い過ぎよ……」

 谷山くんの言い方はひどいわ。表情を見れば、彼がふざけて言っているんじゃないってのはわかる。けど、いくらなんでも勝手にしろなんて言い過ぎだ。みんなで生き延びようって言っているときにそれはないよね。

 「え、ええ、いいわよ、勝手にするわよ!」

 一方言われた大倉さんはすっくと立ち上がって、本当に離れていこうとした。まったく大倉さんも大倉さんだ。自分勝手でわがままな性格は、こんなときぐらい我慢してほしい。谷山くんの台詞にはすぐ反発するし。もう少し協調するって事を考えてほしいわ。

 あたしと舞ちゃんは、彼女を止めようとして立ち上がった。と。

 「待て」

 谷山くんがそれを制した。ちょっと、谷山くん、それ本気なの!? 本気で大倉さんを行かせるつもりなの!?

 「大倉、そっちへ行くな」

 あたしは谷山くんに強く言い返そうとしたけれど、谷山くんはその出端をくじいた。大倉さんは後ろを振り返った。

 「何よ。今更止めたって……」

 「違う。あの茂みの辺りで、何かが動いたように見えたんだ」

 谷山くんは、大倉さんの向かおうとしていた方向を指さした。けれど、その先は真っ暗闇で、よくわからない。

 「何よ、何もな……」

 ガサッ、ザザザ……。

 大倉さんの否定する言葉は、闇の中の草の擦れる音で尻すぼみになった。な、何かいるの? 目をよく凝らしても、見えるのは黒い空間だけだ。

 「か、風が吹いただけよ、きっと」

 と、大倉さんは言うけれど、その声は震えていた。闇の一点、音の聞こえた辺りだけを注視して……。

 「さやか……」

 舞ちゃんも怖くなったのか、あたしに擦り寄ってくる。怖い……とは言っても、その姿はまったく見えないのだ。見えないことには、どう対処していいかわからない。どこにどんなものがどういう動きをしているのか……。不安はだんだん広がっていく。何かがそこにいるのに、暗闇でそれを目で確認できないから。

 ……『暗視ビジョン』。ふとあたしの機能の一つが思い浮かんだ。そうだ、この機能を使えば、暗闇でも対象物がはっきりと見える。前回使ったのって、いつだっけ。それくらい使ったことがない。

 使っても、ばれないよね。これって内部機能だから、外からはわからないはずよ。うん、大丈夫。

 アイモニターのモードを切り換える。すると、今まで暗くて見えなかった辺りの様相がはっきりと映し出された。

 そのモニターに、ゆっくりと移動するものが映っていた。四つ足の動物のようだ。後方に尻尾のようなものも見える。猫科とも犬科とも言える姿をして、かなり大きい。頭部にはライオンのようなたてがみがあり、さらに体長の三分の一ほどもある大きな角があった。

 もう一つ視野に影が現れた。やはり、同じ動物だ。少し視野を移動させると、あと三匹、いや四匹いる。

 「火の後ろにまわれ! グズグズするな!」

 谷山くんの怒鳴り声で、あたしたちは慌てて焚き火の後ろの木の幹に駆け寄った。いつのまにか、あたしたちは囲まれていたんだわ。しかも……、あの動物は、たぶん肉食獣よ。わずかに光を反射している鋭い瞳が、あたしたちを食べようと狙っているのが、モニター越しでもわかる。

 「動物は火に弱いはずだ……。もちろん、俺たちの常識が通用すればの話だがな……」

 谷山くんはそう言って、火のついた木切れを持つと、それを高く掲げた。揺らぐ炎の淡い光が、さらに闇の奥を照らす。肉眼では見えなかった獣の姿が、闇の中に浮かび上がった。

 「あっ……」

 大倉さんが声を漏らす。あたしも少し驚いてしまった。

 その獣は、全身白い毛で覆われていた。瞳と、鼻の頭と、尻尾の先は黒い色だけど、あとは全て白。その白い姿は、百獣の王と言われるライオンを想像させた。やはり頭部は面長で犬のようだし、仕種がどこか犬っぽいけど、その動物には、逆らうことを消極的にさせる威厳のようなものがあった。

 いま、六匹の獣があたしたちを取り囲んでいる。

 「さやか……!」

 舞ちゃんはさらに強くあたしにしがみついた。大倉さんは木の幹にぴったりと背中を張りつけ、震えている。今にも泣きだしそう。一方、先頭に立つ谷山くんもたいまつを掲げたまま成す術もなく立ち尽くしている。どんな相手にもケンカでは絶対に負けない彼でさえ、相手が人間でないからどうしようもないのだ。あの獣のツノで一突きされればひとたまりもない。ましてあたしたちでは……!?

 ……待って。いや、そんなことはない。そうよ、あるわ。

 谷山くんとは比べ物にならないくらいの、強力な手が。本気を出せば六匹の獣なんて周辺の草木も巻き込んで一瞬で消してしまうことが出来る、強力な武器が。

 この、あたしの体の中に。

 そうだ、これくらいのピンチだったら十分対応できる方法をあたしは持っているんだった。

 でも、……それはリスクを伴うんだわ。

 アイデアは単純にして簡単だけど、それは、あたしがこれまで秘密にしていたことを暴露してしまうことになるのだ。秘密……あたしがアンドロイドだってこと。

 これまでアンドロイドであることは舞ちゃんにさえ秘密にしている。そうしなければ、日本という閉鎖的かつ異端な存在に対して拒絶的反応を示す神経質な社会では、あたしは生活できなかっただろう。秘密を守ることは、自分にとって重大なことなのだ。

 ここで仮に暴露してしまったら。実はあたしは戦闘用アンドロイドだって事をバラしてしまったら。谷山くんは、どう思うだろう。大倉さんは、真っ先にあたしを冷たい目で睨むに違いない。そして、舞ちゃんは……。

 それを考えると、怖い。舞ちゃんは、あたしを軽蔑するかもしれない。いや、それだけじゃ済まないわ。それこそ、二度と舞ちゃんの周辺には姿を表すことは出来ないだろう。

 だけど……。どうしよう。

 頭の中は、迷いが渦を巻いていた。ここはあたしが助けるべきだって事はわかるけれど……。

 と、そんなことを考えていると。

 獣の中の一匹が、谷山くんを目掛けて飛び上がった!

 「くそお!」

 迫ってくる鋭い爪を、谷山くんは持っていたたいまつでなぎ払った。けど、あまりにも力が違いすぎるわ。かろうじて避けたものの、たいまつははじき飛ばされ、右腕に血の赤い筋が出来る。獣の明かりには、再び闇が下りた。谷山くんは右腕を押さえてうずくまった。

 迷ってなんかいられない! 何だかんだ言って、結局みんなが生きていなければ何にもならないじゃない!

 結論は出た。いま、みんなを助けることが出来るのはあたしだけだ。秘密のことは、この際後回しで……。そうよ、見殺しになんて出来ないもの。

 システムを、非戦闘モードから第二級戦闘モードに切り換えた。(切り換えは、頭で思考することで出来る。)第二級戦闘モードは日本に来る直前まで使っていた。実に三年ぶりだけど故障などはないようだ。この状態では使えるのは左手内部のレーザー光線銃のみ、でも今はこれで十分だろう。銃のビームエネルギーの充填のために、あたしは大きく息を吸った(あたしの動力源は、空気中の酸素などなのだ)。

 獣たちはジワジワと迫ってくる。獲物を狙う強い精神力で、あたしたちをなぶり殺そうとしているかのように。そして、その動きが止まった。

 来る。そう思った瞬間。

 群の中の二匹が、傷ついた谷山くんとおびえる大倉さんに襲いかかった。

 は、早い! 左腕のレーザー銃を構えようとしても、間に合わない! 体を動かすどころか、目をつむることさえ出来ない。牙とツノを剥き出しにした獣を見つめてしまった。と。

 ズンッ。ズンッ。

 鈍い音が二回聞こえた。目に、襲いかかった獣二匹が大きく体を横にそらして倒れるのが見えた。その頭には、一本の矢が突き刺さっていた。

 これは、いったい……? 何が起こったのか、わからなかった。この矢は、誰が、どこから……。

 まわりを見回す、と、獣たちの向こうに、人影が見えた。

 人だ! 人がいたんだ!!

 その男の人は、手に持っていた弓を剣に持ち替え、たった一人で近くの獣から切り倒していく。獣たちも必死に応戦しているけれど、この男の人のほうが圧倒的に強い。

 それにしても、この人……。なんて恰好なんだろう。焚き火の淡い光に浮かんでいるその姿を見ながら、そう思った。

 肌は褐色をしていた。白っぽい布を体に巻き、腰を編んだ縄で縛っただけの服装。飾りっ気のない、実用的な利点だけを追求した服装だ。胸の部分には木製の鎧のようなものを身につけ、腰に剣の鞘を下げている。

 赤毛というより、朱色に近い色の髪の毛は、かなりボリュームがあって、背中で束ねても余るくらい。一見して日本人ではないことがわかる。いや、朱色の髪の毛からして、あたしたちの知っている世界の人ではない。

 四匹目を切り倒した時点で、獣たちも自分の身の危険を知ってか、尻尾を巻いて退却していった。

 「た、助かった……」

 その姿が去っていくのを確認して、大倉さんはその場に倒れるように座り込んだ。舞ちゃんも同様に。谷山くんも右手の傷を押さえながら、安堵のため息をついた。本当によかった。あたしも心のなかで思う。この人のおかげであたしの秘密が守られた。

 「あの、ありがとうございました」

 あたしはその男の人に頭を下げた。秘密もそうだけど、何よりみんなの命の恩人だもの。

 ところが。

 「……君たちは、何者だ。どこから来た」

 命の恩人は、獣の血がまだついている剣の切っ先を、あたしたちに向けた。


     ☆      ☆


 「答えろ。どこから来た、何故ここにいるんだ」

 いますぐに命を取ろうという感じではなかったけど、剣を持つ彼の右手には力が入っていた。答えなければ、ヤバいことになりそう。だけど。

 「え……と、その、どこからって言われても……」

 日本って言っても、わからないだろうな。さっきの獣といい、この男の人といい、どうやらあたしたちのいた世界とはまったく別の世界みたいなのはわかった。だったら、日本なんてわかるわけがない。

 「お、大倉さん、どうしよう……」

 答えようがなく、後ろにいた大倉さんに助けを求める。でも、大倉さんにだって答えら

れようがなく、視線は谷山くんに集まった。

 「……っと、しょうがねえな……」

 谷山くんはそう呟くと、傷口を押さえながら、一歩進み出た。

 「俺たちは、気がついたらここにいたんだ。何か目的があってやってきたんじゃない」

 「……どういう意味だ。よくわからない」

 「どうもこうも、嘘は言ってないぜ」

 少々強気な態度で、谷山くんは今までの様子を正確に話した。その間、男の人は谷山くんをじっと見つめていた。谷山くんの瞳だけを凝視している。その視線にすこし押され気味の谷山くんは、それでも強気な態度は崩さない。そうしたら負けてしまう、とでも思っているかのように。

 やがて谷山くんが説明を終えると、男の人は今度はあたしたち一人一人に視線をぶつけていった。大倉さん、舞ちゃんとつづいて最後にあたしに向けた。

 なんて……、なんて力強い瞳なの。

 あたしは、その視線に釘付けになってしまった。なんて瞳なの。精神力がみなぎっている、力強い瞳。そらすことが出来ないくらいに魅力的で、吸い込まれそう。こんな瞳は、はじめてみた。

 しばらく見つめあって、その男の人はフッと視線を外した。視線を外してもまだあたしは動けなかった。彼は剣を鞘に収め、そして今までの厳しい表情から一転して優しく笑みを浮かべた。

 「……疑って悪かったね。どうやら君達は敵ではないようだ。僕の早とちりだった」

 「敵って……?」

 戦争か何かしているのかしら。確かにこの人はそんな恰好をしてるけど……。

 「失礼を許してほしい」

 「あ……、は、はい」

 実に紳士的に頭を下げられて、あたしたちは戸惑ってしまった。さっきと今の態度の落差があまりにも激しいものだから、調子狂っちゃうな。

 「彼の手当てをしよう。傷を見せてごらん」

 男の人は谷山くんの傷口に何かを練った薬のようなものを塗り、布を巻きつけた。谷山くんはその間素直に手当てを受けている。見たところ傷は大して深くないようだ。

 手当てが終わったところで、あたしたちも助けてくれたことに感謝の意を表さなければならない。勝手に代表してあたしが言った。

 「あの、危ないところを助けてくれて、ありがとうございました」

 「この辺は肉食の動物が多いんだ、さっきのラーグなどがね。……ところで、本当に何もわからないのかい?」

 「ええ、まあ。ここは、どこなんですか? 何が何だか、あたしたちには全然わからなくて……」

 「ここは、ネディナイル国のドーレミア平原という場所だよ。それでもわからないかい?」

 わからなかった。ネディナイル国なんて国は聞いたこともない。あたしが首を横に振ると、その男の人は少し困ったように首を傾げた。

 「いまいち信じられないが……」

 「あたしたちもそう思います。だけど……」

 「いや、だけど君たちがウソをついているようには見えないよ。ウソを言える状況でもないしね」

 さっきまで命が危ないところだったのだ、そんな状況でウソなんてつけるわけがない。

 「じゃあ、君たちは行く宛がないんだろう? どうだい、よければ僕についてくるかい? 僕はこれから自分の町へ帰るんだけど」

 「ほ、本当!?」

 大倉さんが歓喜の声を上げる。男の人は深く頷いた。

 「さやか! よかったね!」

 「舞ちゃん!」

 あたしも舞ちゃんと抱き合って喜んだ。舞ちゃんは涙まで流している。うん、ほんと、よかったわ。これで餓死することは免れたわよ。

 「ところでよ」

 と、あたしたちが喜んでいるとき、谷山くんが真剣な目つきで男の人を見た。男の人……あ、そうだ。

 「そういえば、名前をまだ聞いてませんでしたね」

 と言って、あたしはハタと気づいた。谷山くんが何か話そうとしてたのに、割り込んじゃった。うかれてて気が回らなかった。

 「ごめん、谷山くん、さきにどうぞ」

 「いい。名前を聞くのが先だ」

 お、怒ったかな……? 谷山くんはすっかり機嫌を損ねたように言葉を吐いてそっぽを

向いてしまった。まずかったなあ……。

 「じゃあ、遅くなったけれど。僕は、アルフェスのジェグル。よろしく」

 「あ、こちらこそ」

 あたしたちもそれぞれ自己紹介する。その後から、ようやく谷山くんが言いそびれたことを話した。

 「あんた、さっき俺たちを見て敵だと思ったんだろ。その理由を聞かせてくれよ」

 「理由、と言うと?」

 「……あんたら、戦争でもしているのか?」

 「……」

 彼……ジェグルさんはぐっと押し黙ってしまった。表情も暗転してしまったし、何か辛いことを我慢しているみたい。それを見て、谷山くんも。

 「……無理に答える必要はないが、気になるんでね」

 気にならないことはない。それはそうだけど、このジェグルさんの様子からして、何か悲痛な出来事を体験しているに違いない。話したくないのは、わかる気がする。

 けれど、ジェグルさんはしばらくして、ゆっくりと顔を上げると話しだした。

 「……この平原に、いや、このネディナイル国にいるからには、知っておくべきかもしれない。君たちもすでに当事者なんだから……」

 「え……?」

 「……今、ネディナイル国は、はるか北の大陸の国の侵略者、クリプトン帝国と戦っているんだ」


     ☆        ☆


 苦い表情で、ジェグルさんは話してくれた。だけど、話しているあいだ、あたしたちは身の危険が迫っていることに戦慄を覚えてしまったのだ。それは、悲惨な戦争だった。いや、すでにそれは戦争と呼べる代物ではなかった。

 この戦争は今から一年前、クリプトン帝国が領土拡張のためにネディナイル国に上陸したときに始まった。島国であるネディナイル国は、それまで独自の文化を築いていたんだけど、今ではその半分の領土がクリプトン帝国に奪われた。各地で行われた戦闘はことごとく敗れ、そのたびに莫大な戦死者を出している。負けるには、決定的な理由があったのである。

 文化レベルの差――科学力の差、だ。

 クリプトン帝国は(あたしたちから見れば)近代的な兵装備をしている。機関銃、戦車、爆弾など、話のかぎりでは第一次世界大戦のレベルに相当する。一方、ネディナイル国は、剣、弓矢、投石といった、十五世紀より前の水準。そんな国同士が戦ったら、勝敗は目に見えている。たとえば、蒸気船に大砲を備えたイギリスと、帆船に乗って矢を放つ清とが戦ったアヘン戦争のように。いや、この戦いはそれよりひどいかもしれない。

 いまや破竹の勢いで攻め込んでくるクリプトン帝国のために、ネディナイル国は存亡の危機にさらされているのだ。

 「僕は、クリプトン帝国をネディナイルから追い払うためにはどうしたらよいかを探っていたんだ。そして、国内のそれぞれの街に一致団結を呼びかけたり、敵の戦い方や武器の効能を偵察するために旅を続けてきた。でも、クリプトン帝国の勢いはそんな悠長に構えていられるものじゃなかったんだ」

 「じゃあ、いずれジェグルさんの街にも……」

 あたしがこう尋ねると、ジェグルさんは頷いた。

 「ああ、だから、今急いで戻っていたんだ」

 「どうして降伏しないのよ。そのほうが、戦争してたくさんの人が死ぬよりいいじゃない」

 大倉さんの言ったことに、ジェグルさんは首を横に振った。

 「それはできないよ。自分の国をそう簡単によその国に明け渡すわけには行かない。自分の家を何の理由もなく他人に叩き壊されて、君は我慢できるかい?」

 「でも、それで生きていられるのなら……」

 「降伏をした街もあったよ、少し前に。しかし、そこの住民がその後どうなったと思う? 男は大抵殺され、女や子どもは奴らの国へつれてゆかれて奴隷以下の扱いをされているんだ。もっとひどいと皆殺しだ。降伏したところで、助かりはしないんだよ」

 「そ、そんな……」

 大倉さんはその事実に驚いているようだけれど、あたしはその通りだと思う。戦争って、そんな悠長なものではないのだ。特にこれが侵略戦争であれはなおさらだ。無条件降伏で国が再生できるのは近代戦だけだ。日本は運良く再興できただけなのだ。しかし、大倉さんはそれが正しいと思っているんだろうな。今までそうやって教育されてきたんだもん。

 「だけど、いずれは僕らにも反撃の機会がやって来る。クリプトン帝国に対して徹底的に抵抗していくことにしたんだ。僕らの国を守っていくために」

 そういうジェグルさんの表情には悲観と絶望の色が濃く浮かんでいた。今の状況は、そんな希望的観測をしているような楽観的なものではない、ネディナイル国の滅亡に大きく傾いていることを、心の中ではわかっていて、でも、それを認めてしまうことが出来ない……。

 そんな様子を見て、誰も気分を高揚させようとは思わなかった。だって、それはどう考えても死の崖っぷちに立たされているようなものだから。火を囲むあたしたちには暗い闇がのしかかっているような気さえした。


        ☆        ☆


 その後、あたしたちは軽く仮眠を取り、翌日はまだ夜が明ける前から、ジェグルさんの先導でアルフェスへ出発した。

 歩いてほぼ一日弱の行程に、大倉さんは少し不平を漏らしていたけれど、今はそんなことも言ってられない。

 まだ朝日の登る気配もない夜空には、ものすごい数の星が輝いていた。あたしたちの街でも空気の汚れでなかなかこんな空は見れない。圧倒的に見える星の数が多くて、頭のなかが無重力空間のようにふわふわしてしまう。

 二時間歩き、あたしたちは小高い丘の頂上にたどり着いた。

 「ねえ、少し休ませてよ」

 最初に音を上げたのは、予想していたとおり、大倉さんだった。駄々をこねる小さな子どもみたいに、地面に座り込んでしまう。

 「大倉さん、休んでたら日が暮れるまでに着かないわよ」

 と言うあたしに、本当に子どもみたいに言い返す。

 「少しくらいいいでしょ! もう二時間も歩いて足が鉛みたいになっちゃってるのよ!」

 「だけど……」

 「いいよ、少し休憩しよう」

 あたしが無理に大倉さんを立たせようとすると、逆にジェグルさんは背負っていた荷物を降ろして座った。

 「日が出る前にこの丘に着けば、日暮れには何とかアルフェスに着けるよ」

 まあ、ジェグルさんがそういうならあたしは構わないけど。それにここでまた大倉さんと言い争いになっても嫌だし。あたしは道から少し離れ、草の上に腰を降ろした。舞ちゃんもあたしと背中を合わせもたれるように座る。疲れ切っているのか出発してから言葉はほとんど交わしていない。谷山くんも別の草の上に寝ころがった。

 まわりの風景に目をやった。丘からの眺めは、ふもとにいたときよりも数段よい。それに、平原の広大さを改めて感じさせた。まもなく日の出らしく、東の空が次第に青紫色から明るい青色へと変化していく。地平線は、その影で黒く見えているけど、次第に土や草木の色が浮かび上がってきた。朝もやが少しかかっているみたい。トロっとした白いクリームが草原に溶けるように染み渡っている。肌を撫でる程度の風がそのもやをゆっくりと流し……。ん?

 何だろ、あれ。

 ここから約八百メートルくらい離れた場所に、小屋やテントが見えた。学校のグラウンドくらいの広さに柵を巡らせ、木造の大きな小屋と、整然と並べられたテントが多数。そして、見えるかぎり、七、八人の人影が動いていた。

 「ジェグルさん、あれは?」

 ここは地元の人に聞いてみるのが一番だろう。側に座っていたジェグルさんは、立ち上がってあたしの指さす方向を見た。しばらくして、ジェグルさんは表情をこわばらせた。

 「あれは……、クリプトン軍の野営だ」

 「野営って、軍の陣地?」

 みんなに緊張が走る。あれが、昨夜言っていた軍隊だ。この国を攻めている、残虐な軍隊……。

 あたしは瞳の画面をズームアップさせた。陣営のなかには、シートを掛けてあるけれど、確かに戦車や砲台らしきものがたくさんあった。小屋の屋根には、幾何学模様の描かれた旗がはためいている。これがクリプトン帝国の国旗ね。中を動いているのは、警備兵のようだ。

 「夜のうちに、ここまで移動したのか? それとも、別の部隊か……」

 厳しい表情でジェグルさんは呟くように言った。あたしはその野営を良く観察した。別の部隊かどうかは、データの少なさから判別できないけど。

 「少なくとも、夜のうちに移動したんではない。と思う」

 「どうしてわかるんだ?」

 谷山くんが聞き返した。

 「だって、あの小屋、結構しっかりした造りでしょ。あれだけのものを一夜で、しかも月明かりのない暗夜の中で作り上げるのは、難しいわ。それに、キャンプの周りには車輪の跡がないもの」

 「そうか、昨夜移動したのなら、その跡が残っているわよね」

 舞ちゃんが頷きながら呟く。

 「それとね、全部の車両にはシートが被せてあるわ。つまり、キャンプ内は臨戦態勢ではないってこと。だから、別動部隊って線も違うんじゃないかと思う。作戦行動中なら、常に兵器を動かせる状態に置いておかないといけないから」

 「やけに詳しいな、野村」

 う……。谷山くんの指摘が胸に刺さる思いがした。まずかったな、秘密の事を忘れてついつい調子に乗ってしまった。

 「……あのね、これは舞ちゃんは知ってるんだけど、以前、パパの仕事の関係で中東にいたことがあるの。もう四年前になるけど」

 「四年前って言うと、中東戦争のときか?」

 「そう。で、いつも戦場の中にいたから、こういうことには少し詳しいのよ」

 ……苦し紛れの言い訳だわ。じつはこれは、半分正解で半分ウソ。以前から、戦争のことになると、知らず知らずのうちにわかってしまう、と言うか……。わけがわからない。あたしの、戦闘用ロボットという体が、自然に反応してしまうのかもしれないけど。

 「とにかく、ここから離れよう。やつらに見つかったらことだ」

 ジェグルさんは荷物を背負いながら言った。そうよね、ここでクリプトン軍に見つかったらとても逃げきれない。彼らは虐殺行為までしてしまう軍隊なんだから。

 と。離そうとしたクリプトン軍のキャンプの視界の隅に、何か動くものがあった。視線をそれに移す。

 人間? 竹の高い茂みのなかに、人が忍んでいた。褐色の肌、赤毛より朱色に近い色の髪、木製の鎧……。

 「野村、何してんだ、行くぞ」

 谷山くんが後ろから声をかけてくる。けれど、あたしはその人から目が放せないでいた。あれって……。

 「どうしたんだ?」

 ジェグルさんもあたしのところへ来る。

 「ジェグルさん、あの人たち、あなたの国の人じゃないですか?」

 「……どこに?」

 どこにって……、あ、そうか。今のあたしの目はズームアップした状態のままだったんだ。普通の人に見えるわけがない。今のあたし、どうかしてる。落ち着かなくちゃ。

 「……ごめんなさい、見間違い……」

 「いや、そうだよ、君の言うとおりだ」

 見間違いってことで誤魔化そうとしたら、ジェグルさんには見えたらしい。す、すごい、この人って視力いくつよ。良く見えたわね。

 「あれはテルルの連中だ」

 「テルル?」

 「ここからずっと北に行ったところにある街だ。だけど、二日前にクリプトン軍に壊滅させられている」

 「じゃ、どうしてここに……」

 そのとき。

 そのテルルの人がいた付近一帯から、一斉に矢が放たれた。数は実に三百。それも、先端に火をつけたもの。その矢は大きく放物線を描いて、クリプトン軍のキャンプに落ちていった。

 「あいつら、反撃をするつもりか!?」

 ジェグルさんはその攻撃を見て苦い顔をした。でも、どうして? 奇襲は成功しているじゃない。キャンプの中では、突然の襲来に混乱が起きているし、あっちこっちから火の手が上がって、消火活動もままなってない。

 矢を放ち終えたテルルの人達は、手に剣をもって鬨の声を上げ、野営に向かって突撃を始めた。

 「ダメだ! あんなことではやられてしまう!」

 「どうして? こっちのほうが優勢じゃない」

 「いや、このままじゃ負ける」

 大倉さんの問いに、谷山くんが答えた。

 「どうしてよ」

 「見ろ、敵方の統制が戻ってきてる」

 本当だ。混乱の様子がなくなって、火災もどんどん鎮火していってる。兵士は銃を準備していつでも応戦できるようにしている。

 「これじゃ、ダメなんだ。それぞれの街が独自の行動をしているうちは、僕らに勝ち目はないんだ……」

 ジェグルさんは呟くようにこう言うと、戦場に背を向けた。

 「行こう、みんな」

 「え、だってジェグルさん、あの人たちは」

 あたしはジェグルさんに言った。でも。

 「もう遅い、負けだ」

 「そんな……!」

 そんな、このまま見捨てるの? あんまりじゃない。

 だけど。

 ダダダダ……!

 クリプトン軍は、機関銃で一斉掃射を始めた。


        ☆        ☆


 テルル軍の全滅に、二分もかからなかった。三百くらいはいたテルルの人達みんなが、銃弾の餌食になった。その中には、女性も、お年寄りも、子どももいた。だけど、まったく差別なく、射殺されたのだ。

 なんて、なんてあっけないんだろう。たった二分間で三百人。こうも簡単に人が死んでしまうんだ。あまりにも、あっけない。

 テルルの人達は、おそらく決死の覚悟でこの戦いに挑んだに違いない。住むところを奪われた人々が、せめて一矢むくいたい、と思ってたかもしれない。あるいは、刺し違えてでも復讐したいとも思ったかもしれない。

 だけど。かすり傷を負わせることもできずに、彼らは殺されたんだわ。

 傷一つでも負わせれば、彼らが満足したかどうかはわからない。けど、何もすることが出来ずにあっさりと殺されてしまったんだ。しかも、それは数量の問題でも、戦術ミスでもなかったのだ。

 かたや剣や弓矢。かたや機関銃。実に不本意な理由で負けてしまったんだ。武器の力が余りにも違いすぎた。いや、その武器を作りだす科学力が違いすぎた。

 科学力の差。科学は生活を豊かにしたけれど、それと同時に強大な兵器をも生み出した。こんな科学の力が人々を悲劇の谷に突き落とす。

 それは、知っていた。感覚的には、わかっているつもりだった。事実、あたしがその典型なんだし、自分なりに考えていたことだった。だけど、実際にこうして目の当たりにしたのははじめてだった。もちろん、いまある記憶のなかでは。

 でも、逆に。科学は使う人間によってよくも悪くもなる。それもこのことでよくわかった。科学が人を殺すんじゃない、使う人間が科学を使って人を殺すのだから。

 そう思うと。彼らは科学を使う人。クリプトン帝国。

 許せないわ。

 あたしの心のなかにこんな感情が沸き上がってきた。許せないわよ。科学を人殺しの道具に使うことも、それ以上に、何のためらいもなく人を殺せるその感覚も、すべてが許せない。

 あたしは、その場を去ってアルフェスに着くまで、そればかり考えていた。許せない、クリプトン帝国。

 ジェグルさんの街にはまだ戦火は及んでないらしいけど、でもいずれはクリプトン軍に襲われるだろう。そうしたら。

 そうしたら……。


        ☆        ☆


 あの丘から、大きな川に沿って進み、日が暮れるころになってようやくあたしたちはアルフェスに到着した。

 街の全体的な雰囲気は、社会の教科書で見た中世ヨーロッパの田舎街の様子に似ていた。街の周囲を石造りの高い防壁と幅の広い堀で囲んでいる。背後には川、堀にその川の水を引いていた。サバンナの中でここだけが水と緑に満ちているという感じで、なんか気持ちがいい。

 「おおっ、ジェグルさん! 心配してましたよ」

 街の入り口の門で警備をしていた二人のおじさんが、ジェグルさんの姿を見て喜びの声を上げた。ジェグルさんはそのおじさんたちに、大丈夫だったかいと言って握手を交わした。

 「何か変わったことは?」

 「いえ、特には。それより、ダルトス様が首を長くして待っておられますよ」

 おじさんのうち一人――まだ三十代くらいの――は、ジェグルさんの背負っていた荷物を受け取って、街のなかへ運んでいった。

 「ところで、この子たちは?」

 もう一人のおじさん――こっちはもう四十の坂は越えている――があたしたちに気づき、ジロジロと胡散臭そうに見回した。ちょっと不快感を覚える。ヤダなあ、あんまり見ないで欲しい。

 「まさか、クリプトン帝国の……」

 「違うよ。ドーレミア平原で迷っていたのを助けたんだ」

 舞ちゃんがあたしの背中の服を軽く掴む。おじさん、お願いだからジロジロ見るのやめてよ。舞ちゃんが怖がってるじゃない。

 「……そうですか。まあ、ジェグルさんが言うなら……」

 このおじさん、かなりあたしたちのことを疑っているようね。と、そのおじさんは、ふいに何かを思い出したように視線を上方に向けた。

 「そういえば、さっきミンキ様も妙な子どもを連れてお帰りになったんだよな……」

 妙な子ども? 独り言のように言ったおじさんの台詞だけど、あたしにはとっても気になった。

 「ミンキ様は、まだ外を出歩いているのか。しょうがないな」

 ジェグルさんは別の件で気になったらしい。他のみんなも気にはならなかったよう。

 「とにかく、ダルトス様にお目通りして、ゆっくりお休みください」

 おじさんはそう言って、入り口門の扉を開けた。

 「おい、何やってんだ、行くぞ、野村」

 谷山くんが急かす。どうしよう、聞いてみようかな。気になるなあ、さっきの台詞。妙な子どもって、いったい何なんだろう。

 「野村」

 「あ、……うん」

 ……ま、そのうちわかるよね。妙な子どもってのも、街のなかに入っていったんだから。


        ☆        ☆


 街のなかの様子は、外観の欧風と少し違っていて、どっちかっていうとアジア風だった。建物がとくにアジア風。そのほとんどを木材で作られていて、壁は土、屋根は板葺き。かなり外に開放的で、入り口にはドアはなくカーテンだけで、窓も単に四角い穴が開いているだけ。気候が暖かくて湿度もあるとこんな家になる、とパパに説明を受けたことがある。

 そこに住んでいる人たちは、もちろんジェグルさんと同じ格好だった。肌は褐色、朱色に近い髪の毛。服はたいてい一枚の布を体に巻き付けたような感じのもの。色や柄はほとんどなく装飾も少ない。

 入り口から延びる大通りは、街の真ん中の広場に続いていた。その間、あたしの目には武器の手入れをしている人がたくさん映った。男性も女性も大人も子どもも、どこか神経を張り詰めているような感じ。戦争を間近に控えている、臨戦態勢の街なのだ。

 でも、その手入れしている武器はといえば、やはり剣や槍、弓、矢、そんなものばかり。クリプトン軍の戦い方を目の当たりにしたあたしとしては、こんな武器だと戦争なんて成立しないと思ってしまう。本当にこの人たちは戦争をしようと思っているんだろうか。このままじゃ負けは目に見えているのに……。

 「おかえり! ジェグル兄ちゃん!」

 広場にやってくると、ジェグルさんに小さい子どもが三人駆け寄ってきた。

 「元気にしていたか、ノキ、ヤンモ、ウレ!」

 ジェグルさんは女の子を肩に乗せ、男の子二人の頭を撫でた。様子を見て、女の子がヤンモちゃん、活発そうな男の子がノキくん、そしておとなしそうな男の子がウレくんのようだ。

 「兄ちゃん、また旅の話をしてよ、今度はどこに行ったの?」

 ノキくんはジェグルさんの腕を強く引っ張ってせがんだ。

 「ああ、また明日な。今からダルトス様に会わなきゃいけないんだ」

 「本当に明日してくれる?」

 肩に乗っているヤンモちゃんはジェグルさんの頭を抱え込むようにしている。

 「ねえ、ジェグルさん、この人たちは?」

 ジェグルさんの陰に隠れてあたしたちを見ていたウレくんがそういうと、他の二人もあたしたちのほうを見た。その視線は、異邦人に対する恐れと興味そのものだったけれど、ノキくんだけは違っていた。

 憎しみのこもった、一瞬戦慄さえ覚えるほどの鋭い視線。笑みに満ちていた顔があたしたちを見た瞬間に正反対になった。どうしてなんだろう。当然ながら、あたしたちがこの子に何か恨まれるようなことはしていないはずだけど……。

 「ああ、道に迷っていたのを助けてあげたんだよ。大丈夫、こわくないよ。……みんなに紹介しよう、ノキと、ヤンモと、ウレだ」

 ヤンモちゃんとウレくんは恐る恐る頭を下げた。でもノキくんは睨み続けたままだった。

 「おまえら、クリプトン帝国か?」

 と、ノキくんがこう言ってきた。まだ睨んでる。

 「違うわよ、あたしたちは」

 「ウソを言うな!」

 な……、なに、この子。いきなりハッキリと否定されて、あたしは返答に詰まった。

 「あ、あのね、ノキくん……」

 「黙れ!」

 ダメだ、この子最初から人の意見なんて聞こうと思っていない。

 「おまえらのせいだ! おまえらのせいで、お父ちゃん、死んじまったんだぞ!」

 「死……んだって?」

 「おまえらが殺したんだ!!」

 う……わ。うわ、うわ、うわ。こんな台詞が出てくるとは思わなかった。殺……された? この子のお父さんはクリプトン帝国に殺されたんだ……。

 「ちょっと失礼ね、あなた」

 と、大倉さんがあたしたちの前に出てこう言い返した。

 「人の話を聞きもしないでひどいこと言わないでちょうだい。勘違いにもほどがあるわ」

 「お父ちゃんはクリプトン人は変な服を着てるって言ってたぞ! しらばっくれるな!」

 「しっつれいねっ。わたしは服装にいつも気をつけているのよ! あなたたちこそ変な恰好しているくせに!」

 「ち、ちょっと、それ言っちゃダメ……」

 文化が違うもの、それは。そう言おうとしたけれど、大倉さんはまったく聞こえていなかった。

 「なにお! 人殺し! お父ちゃんを返せ!!」

 大倉さんの暴言のせいで、その子はますますいきり立った。

 「……ねえ、もうやめなよ、ノキ」

 「黙ってろ、ウレ!」

 おとなしいウレくんがノキくんをなだめようとしたけれど、全然効果がなかった。怒りに燃えているって感じで。

 「返せ! お父ちゃんを返せ!」

 「いい加減にしなさいよ! 子どもだからって……!」

 「やめないか、ノキ!」

 と、ジェグルさんが中へ割って入ってきた。二人とも、黙ってジェグルさんに振り向く。良かった、あぶなくこの二人が衝突してしまうところだった。

 「ジェグルさん、だって……!」

 「ノキ、この人たちは違うんだ。クリプトンとは関係ないんだよ」

 「でも……!」

 必死に抵抗してみせるけれど、燐としたジェグルさんにはかなわなかった。ぐっと我慢するように拳を握って、でもさらに一層鋭い睨みをあたしたちに浴びせた。

 「さあ、もう行くからね。また明日、話してあげるから」

 「きっとね、ジェグルさん!」

 肩から下ろされながらヤンモちゃんがうれしそうに言った。ジェグルさんは子どもたちから離れ、再び進みだす。あたしたちもそれに続いた。

 まだノキくんは睨みつづけている。背後からのチクチクする視線を感じた。

 「あの……、ノキくんのお父さん……」

 あたしがこう訊くと、ジェグルさんはゆっくりと答えてくれた。

 「ああ、一年くらい前なんだけど、あの子の父親が僕のように偵察に出掛けたんだ。でも、クリプトン軍との戦闘に巻き込まれて亡くなったんだよ。ノキはそれ以来クリプトン帝国に関することに過敏になってしまったんだ」

 「そう……」

 まだこの街に戦火が及んでなくったって、戦争の傷はもうあんな小さな子どもにまで及んでいるのね。ノキくん、どんなに辛いことだろう。

 広場から出てしばらく歩くと、やがて二階建ての建物の前にたどり着いた。この街に入って二階建てははじめて見た。建物の周りは柵があり、家の面積もかなりある。ダルトス様という人は、街のなかの権力が強い人なんだろうか。ずいぶん立派な建物だ。ジェグルさんは建物の入り口にいた門番と二言三言言葉を交わし、門番は中へ入っていった。一分くらいでその門番は戻ってきて、中へどうぞとあたしたちを通してくれた。

 「さあ、行こう」

 ジェグルさんの案内で建物に入っていった。入ってすぐが広間になっていて、一面に絨毯が敷いてあった。奥の壁には何か人物の絵が描かれてある。その前には、力の弱そうなおじいさんが座っていた。その隣にはおばあさん。二人の服装は他の人々に比べればずっと豪華で、富と権力を十分にアピールしていた。

 「さやか! さやかでしょ!」

 そんな風に観察しているときだった。奥のほうから懐かしい声が聞こえてきた。

 声の主を探した。この懐かしい声は一体……! 奥の出入り口の辺りに人が何人かいるのが見えた。

 その人の中に……! 確かに、そこには、そこには!!

 「あゆみちゃん! 祐子!」

 「菊池! 佐藤も!」

 あたしたち四人は、同時に同じようなことを叫んでいた。

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