女預言者の警告
第27話 ナボコフ
人間の姫と竜の子どもがしばらく天空城に滞在するという布告は、朝が来るとすぐさま広まった。
『記憶かげり』で姫のことを思いだせずにいた侍女たちの記憶が戻ると、城内は喧々囂々となった。
たいへんに美しい姫らしい、ということはまたたく間に誰もが知るところとなり、朝からボリスは質問攻めにあった。
エルダのことを訊かれるたびに、ボリスは自分の顔が赤く染まっていないかと心配して顔を仰いだりしたが、そうやらそれは無益なことだった。
サーシャによれば「剣の修練後とちっとも変わらない顔色」を保っていたというのだが、昼になる前には「人間の姫の美貌は王子殿下の御心を揺さぶっている」という世評が立ちのぼっていた。
ペトロフ将軍は厳めしい面相で、ソーニャは冷徹な目見で、興味津々な輩を遠ざけた。
人を退ける能力をもたないフョードルは、ひたすら子竜の看護部屋に閉じこもって、しつこい質問者たちから逃れている。
そしてイワンは、ナボコフ大臣に捕まっていた。
深夜から明け方まで続いた町議会を終えた大臣は、将軍から事の次第を聞くと、国王の執務室に疾走した。そこには既にゴルタバが、ペトロフとソーニャに連れてこられていた。
「どういうことですか、陛下」
酒樽のような体を揺らしてつめよる。
「人間を……それも、ただの人間ではなく、魔力を持つ者を城内にお迎えあそばすとは」
慣れない全力疾走に息を切らしながらも、ナボコフは一息でそう言った。
取り乱した様相の大臣に身振りで控えるよう示し、イワンはゴルタバを一瞥してから静かに答える。
「そなたが動揺するのも無理はない。だが、ナボコフ。あの娘は危険な人間ではない」
「しかし、陛下。竜ですら自由に操る魔法を用いる者ですぞ」
イワンは答えなかった。
「ゴルタバよ。もう下がってよい。だが、いま耳にしたことは他言してはならぬ。よいな」
「……は」
辞去するゴルタバに忌々しげな視線をまとわりつかせ、ナボコフはこぶしを握る。ペトロフに聞いた話では、あの警備兵が竜に乗った人間の姫を発見したのだ。
──まったく、余計なことをする。
娘を乗せたまま、子竜を地上におくりとどければよかったのだ。
「陛下」
「ナボコフ。たとえ人間であろうと、そして魔力を持つ者であろうと、この国で助けを必要としている者を見捨てるわけにはいかぬのだ」
「陛下……」
強硬なイワンに、ナボコフは両肩を落とした。それを見たペトロフが眉を上げる。
「……そのお言葉に異存はございませんが、陛下。あの娘、本当に逃げてきたのでしょうか」
「どういう意味だね」
「もしや、すべて計算ずくで、リベルラーシに来たのではないかと」
「計算ずく?」
ナボコフが振り向くと、ペトロフは将軍になってから今までにないほど、厳然としていた。
扉の前で腕を組み、ペトロフは続ける。
「この大陸の存在を信じ、探し求めてやってきた可能性もあります。真実、あの娘の父親が全世界の王となることを画策していたとして、果たして神人や天空人の伝説を放っておくでしょうか。もしや、あの娘……」
「将軍、それは……」
ナボコフが狼狽して立ち上がり、太い腕をわたわたと振った。
「あの、おぞましい天空人狩りを……」
イワンの眉間に縦しわが刻まれる。
「ありえぬ話だ。我々を害する気があるとするなら、なぜ父親の策謀を明かしたというのだ? それでは辻褄が合わぬ」
「陛下。あの娘は、陛下に父親の野望を阻止させるように仕向け……」
ペトロフはイワンに近づきながら声を落とした。
「……天空の至宝を手にしようと狙っているのやもしれません」
イワンの眉間のしわは、消えるどころか、より深くなった。
不快な沈黙が流れる。
ナボコフが手巾をだし、額に流れる大粒の汗をぬぐった。
とげとげしい空気を救ったのは、ソーニャだった。
「それはないと思いますわ」
そっけなく、さりげない声に、ペトロフが顔をしかめる。
「なんだと、ソーニャ」
父親の不快さを押し殺した問いかけは無視して、ソーニャはイワンの前に進み出る。
「もし、本気でこの城を落とそうと考えるなら、自らに力があることを申告するなど愚の骨頂ですわ。無力なふりをして、保護を願い出るのが得策です。もしも拒まれたとしても、そのときは不意打ちで攻撃をすることができます。国王陛下もしくは王子殿下を操れば、私たちには手出しができませんもの」
ソーニャの説明は明瞭で簡潔だった。
「それに、大臣閣下。
人間の姫を城内に迎えたことを反対なさるお気持ちはごもっともと存じますが、いまさらあの方を地上に帰すことのほうがよほど危険ではないでしょうか。どのような待遇にしても、この城に留まっていただかねば」
「それは……! わかっておる」
ナボコフはいっそう激しく流れだした汗を慌ただしく拭う。ペトロフのほうは、渋面をつくって腕を組んだ。
重臣たちのやりとりを黙って聞いていたイワンが、控えめに微笑んだ。
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